第17話 呪いを謳う ②
思えば、私にとって世界という存在は、いつだって一つの人格を持って私の前に立ちはだかっていた。それを慈しむことも、顧みることもせずに、ぞんざいに扱ってきた。
私にとって、世界とはその程度の存在なのだ。有っても無くても大差のない存在だ。私という存在の大前提として、世界の存在があるというのは承知だ。即ち、『私は私自身の存在そのもの』に対して、何一つとして価値を見出していないのだ。
言い換えるのなら、私の人生の意味や価値の中に、私自身は含まれていなかった。
生きる意味を、死ねない理由を、いつも誰かの背中に見つけていた。
命を絶つ理由を、生き続けることを否定する理由を、いつも誰かの言葉の中に探していた。
――私は誰かに私の命の責を負わせていた、その代わりに、私はきっと誰かの命を背負おうとしていた。優里の死を嘆き悲しみ、やがて憎み恨んだのもそうであるし、塚本にその優里の代役を押し付けたのもその延長線上にある。
だが。
だが、桐谷さんは違う。
何か、説明はできないが、彼女と私の間に働く法則は、そういう理屈の埒外に存在している気がする。
もしかしたら、白馬の王子様を信じている無垢な少女のような、一切の邪心無く、素直さと可憐さのみによって構成される、清廉で放埓な精神が芽生えているのやもしれない。
それはきっと、健全な環境において、安養な幼少期を与えられ、慈愛をもって働きかける類のものだ。今更私なんかに、そんなものが生まれる筈は無い。
仮に、これがそうだとしても、もう遅すぎる。
優里の死が、私を終わりの無い弔いへと導いたのだし、その為に塚本の献身な心根を侮辱した。
――だから、これは、邯鄲の枕のようなものだ。夢のようなものだ。甘美な酔夢だ。臍を噛む思いを、きっといずれするのだろう。
◇
その話を聞いたのは、桐谷さんと海に行った日の翌週末だった。
いつも椎本と一緒にいる印象の強い江月が、大学構内の中庭のような所で一人、ノートPC片手に何やら作業していたので、何となく横に座って声をかけてみた。
「何してるの?」
と尋ねてみると、私が近づいてきていたことを察知していたようで、驚いた様子も無くパソコンの画面から視線を外すと、嘆息交じりに答えた。
「サークルの申請書、作ってるの。塚本の代わりにね」
言葉尻の部分には、言いようの無い不満さが見え隠れしていた。どうやら、本来塚本が書くべき申請書を押し付けられたようだ。江月の短い言葉で、何となく事の次第を察する。
とはいえ、分からないのが、塚本がサークルを作るという点だ。果たして、今更どうしたと言うのだろうか。
「――B級映画同好会だって。この大学B級どころか、普通の映画同好会も無いのにね」
と、出来の悪い落語のような顛末を語った江月は、思い出したように「映画研究会はあるみたいだけど」と付け足した。
「ああ、塚本、そういうの好きだもんね。で、人は集まってるの?」
「柊と、ほら――この間飲み会にも来てた、柊の友達もそういうの好きみたい。私と椎本は、サークル室を使わせてもらうために名前を貸すけど。小山内もどう?結構便利だと思うよ」
ああ、そういう魂胆か――。と得心がいく。少し考えて、私もそのお零れに預からせて貰おうと名前を貸すと、直ぐに江月はPCでサークル員名簿の欄に私の名前を書き足した。
そういうことがあって、翌週には早くもサークル室が与えられたらしい。「椎本家」と名付けられたチャットグループとほぼ同じメンバーの「B級映画同好会」という名前のグループが作られ、そこに形式的なお知らせとしてサークル室の部屋番号と電子ロックの解除番号が記載されていた。
果たして使う機会があるのだろうかと、思っていた私だったが、梅雨時ということもあり、講義の合間の時間を構内の適当な場所で潰す気にもなれず、存外早く訪れる機会がやってきた。
サークル棟は、以前までは部屋が埋まり空くのを待っていたらしいが、数年前にはやった流行り病による社会情勢の変化で、今は部屋が余っている状況らしい。確かそんなことを不破さんが言っていた気がする。
扉を開けると、8畳ほどの大きさのサークル室には先客がいた。
塚本と、柊ちゃんの友人の――確か、功刀さんだったか――が、リサイクルショップから買ってきたらしいソファに腰かけて、小さなモニターで何やら映画を見ていた。
「お、早速活動してるね」
「よ、小山内も雨宿りか?」
『も』という部分から察するに、二人は今日の講義が終わっているにも関わらずサークル室で時間つぶししているようだ。
「や、私はこの後、一コマ講義入ってるよ。交通論」
言いながら、私は塚本の隣に腰かける。3人掛け用のソファっぽいが、3人座ると少々手狭だ。
別れたというのに、距離感が近すぎるだろうか、と、座ってから自分で不安になり、横目で塚本のほうを見る。
そこで塚本の奥に座る功刀さんの視線に気づく。
「――ん?何かついてる?」
「……あ、いえ。すいません。ジロジロ見ちゃって」
大きな栗色の瞳は、慌てた様子でモニターの方へと向けられた。
(……?)
「小山内は美人だからなぁ……。知ってるか?経営学部の1年の間で結構噂になってるらしいぜ」
功刀さんの視線を妙に感じていると、塚本が茶化すように言う。
「適当なウソ言わないでよ。で、何見てるの?」
「デスレース2000ってやつ。売れない頃のスタローンが出てるんだぜ」
何故か自慢げに言う塚本の言葉を聞き流しながらモニターに目を向ける。てっきり2000年制作の映画かと思いきや、到底そうは見えない古めかしい映像が流れている。
「古いね…」
と感想を呟くと、今度は功刀さんが奥から呆れるような――或いは、当たり前だと指摘するような――声色で返答した。
「そりゃ売れる前のスタローンが出てるんですから、ロッキーよりも古いですよ。確か1971年制作できたっけ?」
「ああ――ちなみに監督はスピルバーグだ。聞いたことあるだろ?」
「あの宇宙人のやつの人?」
「宇宙戦争かETかどっち指してんのかは知らんが、そうだな」
そんなに有名人が関わっている映画ならさぞ面白いだろうと、その後十数分鑑賞していたが、なんというかストーリーの悪趣味さが合わず、結局スマホを弄ることにした。
やはり、功刀さんは私を見ている気がする。
(いや、塚本を見ている?)
スマホを弄りながら何となく視線を感じている私は、意を決して功刀さんを見る。功刀さんは視線が合うと、少し慌てた様子で逸らす。
(――……ああ、彼女もきっと)
私の当てにならない予想が当たっているのならば、きっと彼女も、
(同じ呪いを謳っている、のかもしれないな)
世間では、それを恋と呼ぶのだろうか。
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