第18話 泥の鎖 ①

 いつだったか。

 もう正確には思い出せないけど、アタシがまだ小学生だった頃。

 一人の転校生がアタシのクラスにやって来た。名前も思い出せないし、顔も朧気にしか覚えていない。

 親が転勤族か何かで、夏休み明けに転入して来て年が明ける頃にはどこかへまた転校していった。

 彼女に関することは、殆ど覚えていない。だが、印象的だったことがある。彼女はきっと何度も転校を経験していたに違いなく、妙に手慣れた自己紹介と、友人が出来てもどうせ直ぐに会えなくなることを理解していて、アタシ達に対して何処か余所余所しい態度を崩さなかったことだ。

 子供だったアタシには、理解し難かった。どうせ転校すると分かっていても、一人で過ごすより誰かと楽しい今を過ごした方が良いんじゃないかと単純に考えていた。

 彼女はきっと、小学生ながらにして早くも理解していた。誰かと関係を新たに作るという事に対する、重さの様なものを。

 人と人とが関係をもった時に背負わされる、容易く千切れない鎖を。



「朱音先輩」

 例のサークル室で江月が持ち込んできたレトロなゲーム機と一緒に持ってきていた格闘ゲームは、データが飛んでいた。

 アタシの持ちキャラ——といっても、アタシがプレイしたことあるのはもっと最近のものだが——はこの昔のソフトだと隠しキャラの様で仕方なく時間潰しに解放するために一人用モードで遊んでいると、ここ最近聞き慣れた声と共に扉が開いた。

「よ、功刀。三限目はサボりか?」

「センセが休みなんで休講でした。で、暇になったんです」

 言いながら、リサイクルショップで購入したソファに腰掛ける功刀は、以前までの様な、何かを警戒する様な素振りはない。

 猫の様な大きな瞳で、アタシのプレイする画面を見ながら、大きく伸びをした。

「眠いなら、アタシそこのパイプ椅子に座ろうか」

 三人掛けのソファなので、一人なら横になっても十分な広さがある。小柄な㓛刀なら尚更だ。

 因みに、アタシは江月と椎本が折り重なる様に二人でこのソファで昼寝しているのを見た事がある。

 寝苦しくねーのかな、と苦笑しただけだったが。

 そんなアタシの提案に、功刀は首を振る。

「…‥別に、わざわざ退かなくてもいいですよ」

「……そか」

 再度アタシはゲームに集中する。つい一昨日、江月に負けたのが予想以上に悔しかったので、慣れない形状のコントローラーに四苦八苦しながらレバーをガチャガチャ鳴らしていると、僅かに肩に重みを感じた。

 功刀がアタシの肩を枕に寝息を立てている。

「……」

 アタシはコントローラーを投げ出して、功刀を起こさない様にソファに深く腰を埋めた。

 何と言うか、危ういんだよな。

 そう、寝顔を見て呆れる様に思う。

 この前の居酒屋でのこともそうだったが、小型犬の様に警戒心は人一倍強い癖に、どこか肝心な所で無防備だ。

 多分、強く押せば彼女の意思は大きく揺らぐ。持ち前の警戒心が赤信号を灯しているのを感じながらも、最後の最後で人間の良心を信じてしまう様な子だ。

 ——いや、元々は、純粋に人は善い存在だと信じていたのだろう。

 決して短くない彼女の人生の中で、その危うさ故に負わされた傷が、彼女の警戒心を生み落とした。

 だけど三つ子の魂百まで、とは言ったもので。人間の根本はそうそう変わることなく、今の㓛刀の様になってしまったのだろう。

(——お得意の、庇護欲、か)

 罪禍がアタシにそういう性癖をもたらした訳ではなくて、アタシは元来そういう存在なのだと、小山内に教えられた。

 アタシはそういう人間なんだと。

 自分より弱い者を助けて保護して守って。そうすることで自分の尊厳と虚栄心を満たして。

 自分より弱い存在がいることが、それを確認できる環境が、そんなに魅力的なの?

 まるで、彼女にそう言われている様な気分だ。

 彼女の艶やかな髪を、撫でようと伸ばした手は。

 二度と同じ過ちをするまいと、直ぐに引っ込んだ。


(もしアタシが、誰かの伴侶になることを許されるのなら)

 それはきっと、アタシなんかよりずっと立派な人で、アタシの罪を迷うことなく責め立てることの出来る人で、アタシの存在を全くもって必要としない人なんだろう。

「馬鹿だなぁ……アタシは」

 自嘲してから、功刀を揺らす。

 これ以上無防備な姿を見せられたら、アタシの方がおかしくなってしまう。

 あの晩、心臓が高鳴った理由くらい、子供じゃないんだから、嫌でも理解していた。

 理解したからこそ、自戒する。功刀は、アタシみたいな人間は、不釣り合いだから。


 功刀は気持ち良く寝ていたところを起こされたからか、少し不機嫌そうに身体を揺らしてからゆっくりと目を覚ました。

「朱音先輩って、意地悪ですね」

「はぁ?」

「後輩が気持ち良く昼寝してるのを起こすなんて酷くないですか?」

 そりゃそっちが勝手に人の肩を枕にしたのが悪いんだろーが。

 と、言っても良かったが、何となく面倒くさそうなので無視して再びコントローラーを手にする。

 そんなタイミングで、サークル室の部屋にまた一人来訪者がやって来た。

 何故か両手一杯に惣菜パンを抱えた、小山内だった。


「——またあのパン工場の夜勤バイトしてきたのか」

 アタシ的には五本の指に入るレベルで辛いバイトだったのだが、小山内は帰り際にパンを大量に貰えるのが気に入り、あの後も何回かバイトしているようだ。

「うん。で、流石に食べきれないから、ここに置いたらみんな食べるかなって」

 まだお昼前でしょ?

 と、小山内は言う。

 やっぱ、最近小山内は明るくなった。

 もしかしたら、良い人が見つかったのかもしれない。

 そのことに対して、後ろ髪を引かれる思いはあるが、それでも、素直に祝福してやりたい気持ちもある。

「なら他の連中にもチャットしておくか。アタシは飲み物買って来るよ、功刀、何がいい?」

 一時間近く座りっぱなしだったので、丁度良い機会だと、アタシは立ち上がる。

「えーっと、じゃあイチゴ牛乳で」

「了解。小山内はいつものでいいよな?」

「あ、うん。よろしくね」

 小山内がパンを食べる時はいつも紙パックのミルクティーだ。

 それを分かっているので、一応確認したが、どうやら好みは変わってないようだ。

 どこか変わった小山内と、いつもと変わらない小山内に安堵していると、功刀がおずおずと小さな声を出した。


「……——もしかして、お二人って、付き合ってます?」


 それは揶揄うような表情でも無ければ、興味本位で訊いているような表情でも無かった。

 そうであってくれれば、少しは楽だったんだが。

 アタシと小山内は、思わず目を見合わせた。

 アタシ達の間にある関係性の鎖は、絡まり過ぎていて、言葉で説明するには些か、難解だったからだ。

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