第20話 いつか、優しい世界で ②
きっと、これは必要な儀式だった。
手を合わせること、想いを巡らすこと、謝罪すること、責任を果たすこと。
自己満足だと言われてしまうと、そうだとしか言いようが無いけど、それでも、やはりアタシには必要な通過儀礼だった。
人は、過ちを犯す生き物だ。
それを知っているかどうかで、人の生き方というのは大きく変わる。
要するに、それを肯定できるか否か、だ。
存外に、アタシは生真面目な人間だったようで、真正面からそれを捉えてばかりだった。
本当は、逃げたかった筈なのに。
墓地と呼ぶには、少しばかり狭小な場所。道祖神でも祀ってるんじゃ無いだろうか、と、知らなければそう勘違いしてしまいそうな程に、手狭な土地の中に、数基の墓石が並んでいる場所にアタシと小山内は腰掛けていた。
「小山内にとって、アタシはダメな恋人だったな」
彼女の背負う何かを共に背負って、そして救ってみせると思っていたのに、気付けば、アタシも重荷の一つになっていた。
いや、もしかしたら幾分か彼女の力になっていたのかもしれない。
だけど、アタシは彼女を弱くしていた。寝たきりの病人が徐々に脚の筋肉を失っていくように、小山内は、いつの間にかアタシを松葉杖のように寄りかかっていた。
アタシが望んだ救済とは、そういうことじゃなかった。
一人でも立って歩くことの出来るだけの、健全さがある筈だった。
だけど、アタシには小山内の心を衰弱させることしか出来なかった。それは、背負っていた物に耐えられる程の強さでは無い、背負ってることすら忘却させる麻痺だ。
それに気づいたアタシは、アタシが傍に居ることの危険性とアタシと小山内の致命的な相性の悪さを知った。
「いや、言い訳だな、これは。小山内の近くにいると、自分の無力感が嫌になって逃げたんだ」
「……馬鹿だね、小山内は。最初から、私は小山内に救いなんて求めてなかったって言うのにさ」
だから、これはアタシの我儘だ。自分の中にある燻ったままの消えない罪悪感を少しでも軽くさせるための、独りよがりな行為。
「結局、アタシは小山内のことを利用してたんだ。それなのに、アンタを救うことすらできなかった、不義理だし不能だし、不毛だった」
「……でも、誰かを愛することを教えてくれたのは、間違い無く塚本だった」
小山内はニコニコと笑う。
そうだ、アタシはこういう屈託の無い笑顔を求めていた。
だけど、こうして今の目の前にいる小山内がそれをいとも簡単に浮かべているということは。
「……良い人と出会えたんだな」
それが何者か分からないが、アタシが成し得なかったことを、赤子の手を捻るように、容易くやってのけた。
それを素直に祝福したい気持ちと、アタシの無力さを呪いたい気持ちが、恰もそうであるべきかのように心の中に居座っている。
「なぁ、小山内。アタシはどこで間違ったんだろうな」
答えの無い問い掛けに、困ったように小山内は笑みを浮かべたままだ。
そりゃ、そうか。
最初から間違いしかなかったのだ。
それを、認めて仕舞えば、楽になれたのだろうか。
だが、小山内の答えは、アタシの想像を超えるものだった。
「一つも、間違いなんて無かったよ」
「……え?」
「確かに、私は今、幸せだ。好きな人が出来たから。今日はね、それを優里に伝えに来たんだ。あの子は、多分私がいつまでもウジウジしてる私に呆れてるだろうし、もしかしたら怒鳴りたい位に思ってるかもしれないから。だから、安心して、もう優里の死に引っ張られない。ってさ」
まるで、本当にそこにいるかのように、小山内は優里の墓に視線を向ける。
それは、優しいものだった。
「でも、そう思えたのも、桐谷さんっていう恋人のことを素直に好きだって思えているのもさ。塚本、君が私に教えてくれた多くのことのおかげだよ」
「……そんなこと……」
「あるよ。当たり前の事かもしれないけど、それを教えてくれたのは君だ。かつての私は、私と優里以外は全部ノイズだった。必要の無いもので、害意を向けてくるものってね。だけど、優里はそれを否定して、塚本はそれを証明してくれた」
私はいつも誰かに教えられてばかりだ。
と、小山内は目を細めていう。
「だから、もう塚本も私に縛られている必要は無いんだよ。優里に縛られていた私みたいになる必要は無い。塚本にも、本当に守りたい人、出来たんでしょ?」
だから、ここに来た。
そう、だからアタシはここに来た。
果たせなかった約束と、身勝手な自分への懺悔の為に。
「……ああ。アタシも、大切にしたい奴が出来た。……出来ちゃったんだ」
「あはは。じゃあ、それでいいじゃん」
「……だけど、それじゃあ、あまりにも」
あまりにも無責任だ。
だから、アタシは優里さんに責められるためにここに来たのだし、小山内に罵倒されるために想いを告白するつもりだった。
「優里が昔言ってた。生きてる人は死者を忘れないのが義務で、死者は生者に忘れて貰うのが責務なんだって。私達の恋は死んだ。もう、忘れてもいいんだよ」
「それは……悲し過ぎるだろ」
「塚本、ありがとう。間違いなく、一つの誤魔化しもなく、私は君にもう救われている」
小山内の言葉が耳に届いた瞬間、何かが融解していく。
心臓に張り詰めていた糸のようなものが、緩んでいく。
それが、じんわりと、それでも確実に。
「ありがとうね、塚本」
見ると、小山内は涙を流していた。まるで鏡のようだ。
アタシもきっと同じように涙が溢れているのだから。
◇
「なんか、恥ずかしいね。いい歳して、二人して泣いちゃってさ」
「椎本には言うなよ?」
「あはは。言わないって。それよりも、功刀ちゃんとはどうなの?もう付き合ってるの?」
少し落ち着きを取り戻したアタシ達は、どちらが、という訳でもなく、いつもの調子に戻る。
そんな折に、小山内はそんな事を訊いた。
「……え?なんで」
「そりゃあ、見てたら分かるよ。功刀ちゃんが塚本に向けてる視線ってただの先輩を見るようなものじゃ無かったし。塚本も、功刀ちゃんのこと意識してるのバレバレだったよ」
「……誤魔化せないもんだな。正直言うと、功刀に告白されたよ。でも、アタシはお前との問題をそのままに出来なくて、さ」
「それで、ここに来たんだ」
「お前の方こそどうなんだよ、その好きな人って誰だ?」
「バイト先の先輩。そうだ、今度一緒に飲みに行こうよ。塚本だったら気が合うかも」
なんて事なく、そう言う小山内の表情はどこか誇らしげだった。
それを見て、アタシは本当に、良い人と出会えたんだな、と安心する。
その安堵の気持ちが、アタシを立ち上がらせた。
「もう行くの?」
「ああ、お前は?」
「私は、実家に顔出してから帰るよ」
「……そっか。じゃあ、な」
言い淀みそうになったのは、多分きっと、これが最後だと思ったからだ。
恋人として、いや、元恋人として話すのは、多分最後だ。
いつか、幸福の日々の中で、忘れていくのだろう。
恋した日々を、後悔した日々を。
「あ、塚本」
それを名残惜しんでいると、思い出したように小山内は声をかけた。
「塚本のこと、本当に大好きだったよ」
ああ、アタシ達に相応しい別れの言葉だ。
と、思ってしまう。
ならば、アタシも相応しい言葉を返さなくちゃな。
「アタシも、本気でお前のこと、愛していたよ」
こうして、いつか忘れてしまう日々は、終わりを告げた。
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