第7話 誕生日 ①
誰も最初から何も望みもしなかったら、争いなんて起こらないだろう。
名誉も、地位も、金も。安寧や平和すらも。
望まなければ、争いなんて起こらなかったに違いない。
それでも、世界は争う様に出来ていて、生物的本能が争いを求めていて、社会的格差がそれを助長していて、偏差的な自尊心がそれを否定出来ずにいる。
暗闇の中で手を伸ばす。私の世界が、この両の手で触れられるだけの範囲だったのなら、私はずっと素朴にいられたのだろうか。
望んでしまった外の世界の誘惑は、やはり争いを生む要因の一つだったのだろうか。
塚本を妬む弱さと、優里を弔う儚さが、私の中で争っているのは、多分、そんな大層な理由なんて必要としていないのだろうけれど。
「オニキス」と聞けば、まだこの街に馴染んでいない私でも、その単語が何を表しているのか分かるほどには有名な店だった。
テレビや雑誌の取材で何度も取り上げられた、県外からも客が訪れる有名なレトロ風の喫茶店で、懐古ブームの昨今では若い女性がSNSに写真をアップするためだけに連日満員御礼だという。
「入ったこと、ある?」
隣を歩く不破さんが私の視線に気づいたのか、オニキスの方を見ながら不意に訊く。
「いえ……。ただ、地元にいた時から雑誌でも見たことあります。確か……大正時代からずっとある喫茶店なんでしたっけ」
「そうみたい。平日なのに人並んでるね」
私と不破さんは、バイトで一緒にいるという訳ではなかった。先日の酔い潰れて迷惑をかけた件で、お詫びがてらランチをご馳走してくれるという誘われたのだった。
そんな訳でブラブラとバイト先である塾も近くにある駅前を散策していたところで、有名なオニキスを見かけたのだった。
「……ここにしてみようか。並んでるのも二、三人だし」
「いいですね。じゃ、早速並んでみましょうか」
寝て覚めたら忘れてしまいそうな程に、中身の無い話を徒然に交わしていると、店の中へ案内される。
時間にして15分程度と言ったとこだろうか。店内は電球色の赤っぽい色で満たされていて、マホガニー材の調度品の数々がより一層その色に深みを与えていた。
レトロな雰囲気とあるが、それは古臭いという意味を表す訳では無さそうだ。なんというか、造られた人工的なレトロ感があった。
「雰囲気いいね。写真撮って、秋子に自慢しようかな」
例のカッコいい不破さんの恋人とは、どうやらあの後和解したらしい。まぁ、聞く限りでは不破さんの勘違いなので当然と言えば当然か。
懐かしむ世代は、私なんかよりもずっと上の人達だろうなと思えるようなメニューの写真を眺めつつ、何を食べようかと考える。
メインは昭和感のあるクリームの乗ったプリンやシンプルなミルクレープなので、デザート以外はあまり種類はなかった。
とはいえ折角来たのでスイーツも食べたい私は、軽食のサンドイッチとプリンを食べることにする。
不破さんも似たような考えのようで、パフェとコーヒーを注文していた。
「それで、小山内さん、この後時間ある?」
「ええ、大丈夫ですよ」
そもそも流石にランチだけで解散するとは思ってなかったし。バイトだって今日は二人して夕方からあるのだから、その時間までは一緒にいるものだと思っていた。
「秋子の誕生日が近くてね、何かプレゼント買いに行こうと思ってるんだけどさ、付き合ってくれない?」
「いいですよ。もう何買うか決めてるんですか?」
「うーん。服にしようか小物にしようか……」
ということはまだ決まっていないのか。駅前にはどんな店があったかなと逡巡していると、ふとあることを思い出した。
そういえば、来週の6月27日は優里の誕生日だった。
いなくなった人の誕生日プレゼントを買うなんて、おかしいだろうか。
そんな考えが頭を過る。それでも、というよりは、むしろ、という接頭語が首をもたげる。
「丁度私も友人の誕生日プレゼント買うので、一緒に探しましょうか」
「……あら、そうなんだ。丁度よかったわね。じゃあ、取り敢えず駅ビルにでも向かおうか」
自覚はあったろうか。
苦し紛れの対処療法のような、私の杜撰な行為と気持ちを私は自覚していたのだろうか。
永遠の中でさえ未だ避けられることの出来ない哀しみを、私は短い永遠の中に留めておこうとしている。
初めは、呆然とした。時間が経つにつれ、その事実を受け入れ始めるフリをしていた。存在しない者を存在しないのだと理解しつつ、失ったことを失ったのだと認めつつ。
それでも、とか、そうだとしても、とか。
そんな救いようの無い醜悪な言葉に縋って、私は今でも、まだ想い続けている。
気持ちに結果を求めない、なんて、そんな生優しい話じゃ無い。
もしかしたら死後の世界だとかで再開できるかもしれない、なんて、そんな倒錯した希望でも無い。
身を委ねる。そんな言葉がしっくりくる。
正常な動作が難しくなった心に、身を委ねる。狂えば狂うほど、病めば病むほど、私の優里への想いは確かなものだと、叫んでいるような気がしている。
その想いを伝える人は、もう居ないというのに。
手にしたのは、アロマディフューザーだった。深緑の硝子の中には、優里が好きだったミント系の匂いがする液体が入っている。
仏間が近いせいで、線香の匂いが常に漂っていた自室を嫌って、優里はアロマを欲しがっていたことを思い出したのだ。
会計を終えると、不破さんも買い物袋を手にしていた。
「秋子さんに、何を買ったんですか?」
「シャワーヘッド。ほら、最近話題になってるやつ。私も欲しかったから、秋子の部屋に泊まる時に使わせてもらおうかなって」
少し惚けたように不破さんは言うが、どうみても本命はもう一つの袋の中身だろう。アクセサリーブランドのロゴが入っている。
「小山内さんは?」
「私はアロマセットです。友人の——優里の好きな匂いにしました」
「使ってくれると良いわね」
「いえ……優里は使えませんよ」
使う——なんていう現実的な単語が出たために、思わず私はそんな言葉が飛び出してしまう。今の優里には現実的な言葉は似つかわしく無い、そもそも現実にはいないのだし。
しかし、怪訝そうな表情の不破さんを見て慌てて私は慌てて言葉を繕う。
「あ……そうじゃなくて。こういうの、慣れてない子ですから、私が教えてあげなきゃ、多分使えません」
「そういうことなの。ごめんね、変な勘違いしちゃった」
手から下げた紙袋の重みは、とてもアロマセットだけのものとは思えなかった。
このまま、もう少しだけ。
私は優里のために何かをするという時間に浸っていたかった。
もし、不破さんも。
秋子さんを失ったとしたら、私のようになってしまうのだろうか。
叶うのなら、私のように失った人間に取り憑かれないでいて欲しい。
最後はどうあれ、幸福は訪れないことだけは確かなのだから。
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