第7話 誕生日 ②
祝うという言葉は、昔の時代は崇めるという意味で使われていたそうだ。バイト先で古文を担当している染井さんが以前そんなことを言っていた。
今のこの時代に、その当時の意味のままで祝うという言葉を使用している人はいないだろうけど、今の私にはそれが小気味良い位に当てはまる様な気がしていた。
スマホに入っていた優里の写真をコンビニのプリンターで現像して、写真立てに収める。
写真の優里は、屈託の無い笑顔を浮かべていて、こちらを見ていた。
写真立てを洋服入れにしている積み上げたカラーボックスの最上段に載せて、その前につい先日に購入したアロマセットをちょこんと置く。
「誕生日おめでとう、優里」
当然ながら、写真の優里は笑顔のまま何も反応は無い。フィクションの世界なら、ここいらで少しくらい奇跡のようなものが起こってくれてもいいのに、と思うのは自分勝手だろうか。
「前に優里が欲しがってたアロマセットだよ。確か、ミント系の香りが好きだったよね?ほら、仏壇が近い所為で、線香臭いのが嫌って言ってたし」
硝子壜の蓋を開けて、割り箸にも似たアロマディフューザーを立てかけようかとも思ったが、止めた。
これは優里にプレゼントとした物だ。使うのも使わないのも、優里が決めることで、私がどうこうする問題じゃない。
きっと、埃を被ったまま、ここに置かれ続けるのだろうけど、それでも満足だ。
「そうだ、優里に言いたいこと、色々あるんだよ。友達が出来たんだ、それも沢山。隣に住んでる、椎本さんとか柊ちゃんとか。それから、少しだけ優里に似てる、塚本——とか」
おかしいな。
改めて思うと、似ているところよりも似てないところの方が多い筈なのに、不思議とその勘定を間違ったかのように、似ていると自然と思っている私がいる。
——まぁ、いいか。
そんなことよりも、まだまだ優里に話したいことは沢山ある。
バイトの話だとか、大学の話だとか。
多分、多くの事を語るのだろう。
そして、多くの事を騙るのだろう。
それでも、確かにその瞬間だけは。私の目の前に優里がいて、柔和な微笑みで私の話を頷いて聴いているはずだから。
「どうもです」
近所付き合いというよりも、友人付き合いという表現の方が相応しくなり始めた、私と隣人の関係は、どうやら一方的に私が感じ取っていた訳では無いようだ。
距離が縮まったようにも感じる、柊ちゃんの簡素な挨拶が聴こえてきて、バイト先の子達のテストの答え合わせを中断した。
「こんばんは、柊ちゃん」
「それ、前言っていた塾のお仕事ですか?」
「うん。私の担当は世界史だから、答え合わせ自体は簡単だけどね」
「あ……これ、お裾分けです。若菜姉さんの父方の実家から毎年沢山の枇杷が送られてくるんですよ。ウチにも来たんですけど、折角なので小山内さんもどうぞ」
スーパーの袋一杯に入った枇杷は、丸々としていて大きかった。熟しているようだが、生憎枇杷を食べる機会が少なかったために、それが熟しているのかどうかは見た目だけでは判断つかないが。
「ありがとう。あ、そうだ。お礼って訳じゃ無いけどさ、丁度冷蔵庫にバイト先の先輩から貰ったシュークリームがあるからさ、食べていってよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
お互い貰い物を差し出し合う、懐の痛まないささやかなお茶会が始まった。
枇杷の方はイマイチ皮の剥き方が分からなかったので、柊ちゃんから教わりながら、幾つかお茶請けにテーブルの上に並べ、シュークリームもその横に鎮座している。緑茶を淹れると、なかなか豪華なおやつタイムになっていた。
「ところで、小山内さん。あそこにある写真は……」
と、柊ちゃんは以前には無かった優里の写真を見つけ、興味を引いたようだ。
「地元の友達。優里っていう名前でね、なんていうのかな、私をいつも引っ張っていってくれるような子だったんだ」
「へぇ……親友なんですね。その方は、地元の方に残ったんですか?」
何気無く訊く柊ちゃんの言葉に、僅かに私は言葉を詰まらせた気がする。
あれだけ抜け出したがっていた峰蓮村。そうか、彼女はまだ、あの村に囚われているのか。
あの村で死んでしまったから、あの村でしか生きてこなかったから。死してなお、多分彼女はあの村にまだ居るのかもしれない。
でも、私はそれを否定したかった。
死んで得られた物の中に、自由があったって、バチは当たらない筈だ、と。
「ううん。もう、居ないよ」
「進学とか就職されたんですか?」
「……去年の四月にね、亡くなったんだ。風の強い日に、優里は自ら命を絶ったの」
それは決してネガティブな事ではない、と柊ちゃんに言い聞かせるように、出来るだけ明るく話したつもりだが、どうも上手くできなかったようだ。
「あ、えと……。ごめんなさい、迂闊に訊いてしまって」
「別に柊ちゃんは悪くないよ。それに、柊ちゃんが来る前にさ、優里の誕生日祝いをしてたんだ。今日、あの子の誕生日だから」
「誕生日……ですか?」
「うん。ほら、誕生日プレゼントも買ったんだよ。だからさ、誕生日なんだから、暗い話はやめようか」
柊ちゃんは、神妙な表情を浮かべた後、カラーボックスの上にあるアロマを眺めた。
「そう、なんですね……。あの、よかったら聞かせてもらえませんか?優里さんのこと」
「うん、勿論」
初めから、何も求めなければ争いはなかった。
それでも、私たちは求めてしまった。
私は、逃げ場所を。
優里は、希望を。
優里は明るくて快活で、あんな陰鬱な村でなければきっと人気者だったに違いない性格をしていた。
誰かを見下す事もなくて、自分を卑下することもなくて。
常に上を向いているような人だった。
だからこそ、今でも優里が自らの胸に包丁を刺したのか、理解出来なかった。もしかしたら、あれは自殺なんかじゃなくて、誰かの手によるものだったんじゃないかと、今でも疑ってしまう。
彼女は何に絶望したのだろう。私を何度となく救ってくれた、底抜けに明るい彼女を自殺に追い立てたのは、何だったのだろう。
常に私達は争いの渦中にいたような気がする。それは、差別であったり猜疑心であったり劣等感であったり。
目を向けなければなんて事ないほんの少しの違いすら恐れる村人達は、私や優里を厄介で異端な子供として、いつも辛辣な態度で接していた。
それが苦にならなかったのは、優里がいたおかげだ。
だから私は優里に依存したし、恋もした。
「あの時、優里が死んだあの夜。後を追えなかった私のことを、優里は恨んでいるのかな、憎んでいるのかな」
私を一人置いていってしまった優里を、恨んで憎んで悼んでいるのと同じように。優里は優里で、そんな事を思っているのかもしれない。
「………小山内、さん」
「だからね、柊ちゃん。私は、もう、優里を弔うだけの人生なんだよ。もう、それだけしか、ないんだ」
笑った、と思う。
多分笑えた、と思う。
もしかしたら嗤ったのかもしれない、酷く不出来な自分を、酷く不器用な優里を。
嘲り嗤ったのかもしれない。
ただ、なんとなく。
こんなにも無価値な人間なんだということを、誰かに知って欲しかった。
罵って欲しかった。
それだけだったようにも、思えるのだ。
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