第6話 望んだ痛みは恋の様に ②
バイトの履歴書を書く時に、自己PRの欄に差し替えるといつも手が止まる。
アタシはどういう人間なのだろうか。他の項目と比較して少し大きいこの空白の欄を、自信満々に埋められる人は、どういう風に自己分析が出来ているのだろうか。
誰だって、性格に裏表はあると思う。アタシの場合は、人の前だとお調子者を演じているし、根明な部分を浮き彫りにさせている。だが、一方で、酷くネガティブな自分も居て、自己嫌悪の言葉を吐き出したくなる夜なんてのは毎日のようにあったりする。
多分、人前に出ている時のアタシは偽物で、こうだったら良かったのに、という理想を演じているに過ぎないのだろう。
とはいえ、一人思考の海に没頭している時のアタシが本物とも言い難い。一種のアレルギーのようなもので、上手くいかないことがあったり、逆に上手くいき過ぎることがあると、まるで自己防衛のように自分を責め立てる癖があるのだと思う。
そんな自分が大嫌いで、許せなくて、粘り着く過去の泥を払い落とす様に、アタシは理想の自分を描き続けているのだろう。
だとすると、本当の自分とは何なのだろう。虚栄心とか、自尊心とか、見栄とか自虐とか。そういうのを全て取り払った生の自分は果たして存在しているのだろうか。
もし存在などしていないのだとしたら、アタシとは何者なんだろうか。
「……塚元、何かあった?」
グルグルと思考が回る内に、いつの間にか自分の存在そのものを考えるまでに至ってしまった。
こりゃ一度、どっか美味いモンでも食いにいってリフレッシュでもしなきゃな。
元々、考えるのは得意な方じゃない。じゃあ何が得意なんだ、と問われると答えに窮してしまうけど、それでも基本的なスタンスとしては、考えても分からないことに時間を割くのは無駄というものなので、ここのところのアタシは少しおかしかったに違いない。
と、いうよりも、その悩ませた本人がアタシの顔を見るなり第一声でそんな言葉をかけて来たことに対して少しムカついた。
「なんでもねーよ。それよか、柊のとこに晩飯食いに行こうぜ」
「…‥別にいいけど、柊ちゃんに迷惑じゃないかな」
「椎本は今日江月んとこに泊まりにいく予定だ。柊はああ見えて寂しがり屋だからな、適当な映画でも持って行くと喜ぶぞ」
まぁアイツは、そういう態度を表に出さないけど。
そういう見栄っ張りなところも可愛らしかったりする。
「そうだね。ついでに、勉強も見てあげようかな」
——どうやら浮き沈みがあるらしい。
アタシにも言えることかもしれないけど、小山内にもそれがある。
躁鬱というほどでは無いにせよ、思考が沈みがちになったり、そうでも無かったり。
少なくとも今の小山内は、少し前に見た様な沈鬱な雰囲気は見られなかった。
安堵にも似た溜息が出る。
それは何に対する、安堵であったのだろうか。
柊は鼻の頭を赤くして、アタシ達の来訪を快く迎え入れた。
「食材ありがとうございます……。二人とも、晩御飯は食べて行きますよね?」
手土産代わりの野菜や肉の入った袋を受け取ると、鼻詰まりの声で柊は礼を述べた。
「風邪か?」
「いえ……、花粉症ですよ。急に発症しちゃって……」
去年までは、柊が花粉症に苦しんでいた記憶はない。花粉症は突然なると言うが、どうやらそれは本当の様だ。
「しかし、もう6月だぞ?何で今更……」
「杉じゃなくて、白樺の花粉のアレルギーなんですよ。雨が降れば多少は楽になるんですけど、今日は風が強くて花粉が舞うんですよね」
アタシは運良く花粉症にはまだなったことがない。しかし、少し喋っただけですぐにティッシュに手を伸ばして鼻をかむ柊を見ると、アタシの想像よりも辛そうに見えた。
「ね、柊ちゃん。私が夕飯作ろうか?花粉、辛いんでしょ?」
辛そうに見えたのは、どうやら小山内も同じのようで、一度遠慮した柊を無理矢理制して小山内は台所に立った。
「……ありがとうございます、小山内さん」
「いいの、気にしないで」
パタパタと、隣の自室から彼女は自分のエプロンを持ってきた。慣れた手つきで髪を後ろ手で上げて、ポニーテールの様にまとめる姿を見ていると、照れた様に小山内は振り返った。
「どうしたの、そんなに見て」
まさかうなじに見惚れていた、なんて言えるはずも無く、冗談めかして小山内のエプロン姿を野次りながら隣に立つ。
「アタシも、手伝うよ」
決して広いとは言えない台所だ。二人も立つと、肩が触れ合う距離。
心地良いと感じる間もなく、アタシはその距離が自然だと感じた。
そういうのに、飢えていたのだろうか。と、我ながら辟易するが、小山内の料理姿を真横で見ながら、アタシも調理の手を止めずにいた。
そんなことで動きを止める程子供じゃ無いさ、と自分に言い聞かせている子供の様だ。
「……ね、塚本」
「うん?」
どうやら小山内は麻婆茄子を作るらしく、買ってきたばかりの茄子を薄く切っている。
アタシもそれに合わせて、ザーサイと菜の花の炒め物を作ろうかと鍋に火をかけていた。
「昔、こうして友達と良く料理、してたんだ」
それは——。
果たして、単なる思い出話なのだろうか。それとも、思わず溢れ出た、彼女の心に巣食う何かなのだろうか。
戸惑っていると、小山内は言葉を続けた。
「塚本は、死にたいって思ったこと、ある?」
作業の手が一瞬止まる。
小山内の方は、それがいつもの世間話と何ら変わりない話題だと言わんばかりに、滑らかな動作で茄子のヘタを取っていた。
「あるような、ないような——って感じかな。多分一度くらいは思ったことはあると思う。けど、多分それは本気じゃ無かったし、単なる自暴自棄に近い考えかな。アタシ自身、もう覚えてないしな」
どっちつかずの返答だ。
自分でもそう思うのだから、多分質問の答えにはなってないのだろうな。
とはいえ、そうとしか言いようがないのも事実だ。
一過性の自殺願望ほど、自己愛的な心の慰めは無いのだから。
「……そっか、そうだよね。普通は、そうなんだよね」
「おい、小山内……!!」
もしかしたら、思い詰め過ぎて——。
そんな考えが過ぎり、小山内を見るが、思わず手を止めてしまう程に、耽美的な横顔だった。
鈍い痛みを美しさと信じてやまない程の、沈鬱な瞳が鋭く光っている。
だが、それも一瞬のことで。
私の視線を感じた小山内は、すぐにいつもの表情に戻る。
「豆板醤、取ってくれる?」
「……ん、ほら」
小山内を捕らえて離さないものは、何なのだろうか。それを無遠慮に触れようとするのは、多分彼女にとって禁忌なのだろうけど。
それでも、あの見惚れてしまう程の瞳の訳を知りたいことに、もう言い訳は出来なかった。
アタシは本当の自分を知らない。
そういうことじゃなく、本当の自分は人の目に触れてはいけない程に醜くて我儘で、弱虫で薄弱だから、見て見ぬふりをしているだけだった。
そんなことはとっくに知っていて、知っていてもなお、知らないふりをしていた。
もしかしたら、アタシの本性が誰かに知られているのかもしれない。
それを考えると震える程に怖くて怖くて堪らなかった。
(だけど——)
小山内の抱える痛みを、アタシが代わりに背負えるのなら。
アタシが望む痛みを小山内が与えてくれるのなら。
アタシの醜い本性を曝け出してでも、望んでしまえる自分がどこかにいるのだろう。
後背に柊の視線を感じる。
花粉で痒くなった目を煩わしそうに擦りながら、何を考えているのか分からない柊の視線が、私を背後から貫いていた。
(いずれ、お前にも話すよ)
多分報われない、自傷癖の話だ。
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