第6話 望んだ痛みは恋の様に ①

 昔は、女子と遊ぶよりも男子に混じっていた方が楽しかった。

 膝小僧を傷だらけにしてもお構いなしに走り回り、夢中になってそこら中を走り回っていた。

 アタシには、女子達が何を考えているのか分からなかった。アタシも一応女子の筈なんだけど、それでも、アタシはクラスの女子達とは馴染めなかった。

 兄がいた、というのも大きいだろう。歳も離れているし、アタシが中学に上がる頃には就職して家を出て行ってしまったが、それでも少なからずは影響を受けていたに違いない。

 年齢を重ねていく内に、アタシはそれなりに物事を考える力をつけて、自然と女子の輪に交じることが多くなった。

 それでも、やはり、私は性根というか、根底にあるものは男性的なんだろう、と思う。

 何故ならアタシは、これまでに異性に恋をしたことは無かったのだから。



 バイトを始めたのは、やはり趣味のためというのが大きい。

 昔から根っからの音楽好きで、演歌からラップまで何でも聴く雑食だ。ライブやフェスに行くことを考えると、結構な金がいる。

 何がきっかけでこんなに傾倒し始めたのかは、もはや記憶に無いが、少なくとも今の私にとっては何においても優先するべきことのはずだった。

 その筈だった。

「何やってんのかな、アタシ」

 目の前にはあれだけ楽しみにしていたライブのチケットがある。

 世間的には有名では無いけど、メロコアバンドの中では頭ひとつ抜けて飛び切り良い曲を演奏するバンドのライブだった。それも、ゲストメンバーに初代のベーシストが来る事前告知もあり、チケットはものの数分で売り切れた、アタシの中では今年に入って一番価値のあるライブ。

 その筈だったのに。

 チケットに印字されている開催時刻はとっくに過ぎている。チケットが今もここにあるということは、当然、アタシはライブに行かなかったということになる。

 もう直ぐ梅雨入りになるなんていう報道は正しかったようで、湿り気のある温い風がアタシの小柄な身体を優しく押した。

 キィ…と、金属の擦れる音が控えめに響く。子供向けに作られているブランコは、私の体格にも対応しているようで、イヤになるくらい収まりが良かった。

「お、黄昏てる」

 敷かれた砂利を踏む音が聞こえたので、誰かが今アタシのいる小さな公園にやって来たのは何となく察知していたが、それが知り合いだとは思わず、少し驚いた。

 バイト帰りの椎本がそこにいた。どうやらスクーターで帰宅する途中だったようで、公園の入り口に彼女の愛用している赤いトゥデイが止められている。

 高校三年生に上がる前の春休み、彼女がスクーター代を稼ぐために応募した泊まり込みのリゾートバイトに便乗して皆で同じバイトをした時のことを思い出す。

「よ、こんな時間までバイトなんて、大変だな」

「柊の誕生日にスクーターの免許代を出そうと思ってね。そこまでカツカツじゃ無いけど、今は少し多めにシフト入れてるんだ」

 確か、今年から母親の墓がある寺院で事務の仕事をしてるんじゃなかったか。

 今は深夜二時だ。そんな夜遅くまで寺で仕事なんてするとは思えない。

「寺院の方は水曜日と土曜日だけだよ。それも午後五時まで。それだけじゃ厳しいからね、先週から駅前の漫画喫茶でも働いてるんだよ」

「働き過ぎだろ。身体壊すぞ」

「漫画喫茶の方は暇過ぎて逆に疲れるくらいだよ。ま、楽でいいんだけどね」

 言いながら、椎本はもう一つのブランコにアタシと同じように腰掛けた。懐かしむように、それでも現役の子供から見れば遊びにもならないような振り幅でブランコを漕ぐ椎本の横顔見る。

 改めて見ると、昔と比べて——当たり前だが——大人っぽくなった。当時から、纏っていた雰囲気とか顔立ちは同級生のそれと比べると歳上に見えたが、それでもやはり椎本は大人びたと思う。

 老けて見えるとかそういう訳ではなくて、なんというか、時間が大人にさせてしまったのではなく、彼女の精神の成熟さに合わせて身体がそうなったかのような感じだ。

 多分そういう変化を実感できるくらいの時を過ごしたのだろう。思い返せば、何だかんだと椎本とは中3からの付き合いになるからな。

「それで、塚本はどうしたの?珍しく落ち込んでるけど」

「……落ち込んでねぇよって言いたいところだけど、バレるか」

「そりゃあね。付き合いも長いし、ね。もしそうじゃなくても、こんな夜更けに一人でブランコに座る人が居たら、大抵は同じことを想像するんじゃないかな」

 確かに、テンプレート通りのお約束な落ち込み方かもしれないな。ここに缶ビールとか缶コーヒーでもあれば完璧だったろう。

「なんていうかさ、アタシって結構面倒くさいのかな」

「人間関係で悩んでるって感じか」

 妙に察しの良い椎本にズバリ言われて、私は口を尖らせた。

 少し前まで鈍い奴っていうイメージだったのに、いつの間にこんなに人心の機微に鋭くなったのか。

 それが少し面白くなかったりもした。

「それもあるけど、自己嫌悪の方が強いかもな。ほら、こんな見た目だからさ、せめて中身は大人っぽくあろうって意識してたんだよ。こんなんでもさ」

 結局、あまり背は伸びなかった。高校一年生の頃、矢嶋に揶揄われた時の体格から少しも変わることはなかった。

 下手したら、今でも中学生と間違われる。

「知ってるよ。塚本は昔から誰よりも大人だった。だから、弱い部分は見せなかった」

 アタシとしては、結構弱音を吐いたこともあるような気がするけど。

 椎本にはそう見えてたのか。

 そう思うと、少し胸がスッとする。


 小山内は、この街に来てまだ間もない。だから、頼れる人間はアタシだけだと思っていた。当然、柊とか椎本とも仲が良いけど、小山内の中ではアタシが一番だと思っていた。

 というよりも、一人で故郷を出てきたという状況を利用して、無意識にアタシは彼女の信頼を得ようとしていたのかもしれない。

 そうやって、アタシを頼れば、少しはアタシも誰かの役に立っているんだって思えるような気がしたから。

 それは分かっていた。

 分かった上で利用した。

 だというのに、小山内の放った「関係無い」——その一言が、私の想像よりも遥かに重く強く、のしかかった。


 確かにアタシは小山内が背負っている何かに対して無関係だ。それは、間違いない。

 だから、それを言われたところで、特別傷つくようなことも無い筈だった。

 本当にアタシを悩ませているのは、別のところだった。

「なぁ、椎本。お前はさ、アタシを許してるのか?」

「……許してないよ。中学生の頃の塚本は許してないけど、高校生以降の塚本とは友達だとも思ってるよ」

 それが通るのならば、法律なんて有名無実なものになってしまう。

 だが、許されていない、その言葉はアタシが思っている以上に、アタシを安堵させた。

「そっか……。じゃあ、まだ立ち止まる訳にはいかないんだな」

「別に罪滅ぼしをして欲しいって訳じゃ無いよ。多分そんなことをしたって、私はきっとあの時のことを無かったことには出来ない」

「分かってるよ。アタシがただ、そうしたいってだけだ」

 加害者だったアタシが、唯一出来る罪滅ぼしは、誰かのために身を滅ぼして何かの被害者になることだけだ。

 それだけが、心を軽くさせる。

 誰かを殴ったから、誰かに殴られる。

 そんな単純な話では無いけど、それでも、アタシはアタシの為に、傷を負いたかった。


 問題は——。

 小山内に冷たくあしらわれるのは、むしろ迎合すべきことである筈なのに。

 アタシは「関係無い」の一言が、酷く泣きたくなる程に拒絶したくなったことだ。

 傷つく事を望んでいたアタシは、その直前になって恐れてしまった。

 それは、アタシが臆病だからなのか、それともアタシにとって小山内は特別だからなのか。

 それだけが問題だった。

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