第9話 記憶を浚う ②
タイムラプスのように、全ての感情の軌跡を鮮明と記録できたのなら。
少しは私という人間を理解できたのだろうか、と思う。
言葉と気持ちはどんどんと乖離していき、その中にある空白の距離の中にのみ、多分本音が耳を塞いで縮こまっているのだろうか。
永遠のテーマだ。
多分一生涯を掛けても、それを紐解くことは難しいのかもしれない。
きっと人類は、いつか宇宙の秘密すらも詳らかにして日の当たる場所に引き摺り出すのかもしれない。
だとしても、心の複雑な運動と作用だけは、きっと表面をなぞることしか出来ないまま、終ぞとして理解できないままなのだろうな。
揺らめく憤怒と、脆くなって支えを必要とした慈しみが、理解の糸を拒んでいるのは、何も私が愚鈍だからという訳ではあるまい。
「こんなに愛している」
ポツリと、呟く。
こんなに、の部分に私はどんな証拠を証言台の上に載せたのだろう。
形の無い証拠なら幾らでもある。
写真の中にいる優里は、訝しむこともなく、笑顔を向けていた。
「愛していた、なんて言わない」
沸々と湧き上がる怒りにも似たエネルギーは、不思議と誰かにぶつける様なものではなかった。
きっかけを作った塚本に対して、怒ってもいないし、写真の中の優里にもその怒りを向ける理由は無かった。
あと少し、あと少しで分かりそうな気がする。
部屋は暗い。
昼白色の明かりが、部屋を無機質に包んでいるか、それでも尚、暗晦としているのは、気持ちの問題なのだろうか。
嫌になる。
こうして沈んでいくだけでいいのに、生きるということには雑事が多過ぎる。
息を吐いて、立ち上がる。
そろそろ、晩御飯の支度をしなくちゃな。
大豆ミートなる物を手に取ってマジマジと見る。わざわざ大豆を使うくらいなのだから安価なのだろうかととも思ったがいい値段がする。
どんな味なのだろうかと挑戦したくなったが、数秒間眺めてからやっぱり止める。
どうにも、食事に関しては私は冒険する性格じゃないらしい。
代わりに横にあった豚と牛の合挽肉をカゴに入れた。
頭の中で次の給料日と、それまでに必要な生活品の数々を頭に浮かべながら、頭を捻らせて見る。
自暴自棄になれない程度には、私はまだこの世界に未練があるらしい。
正確に言うなら、未練というよりも、覚悟の様なものかもしれない。
手持ち無沙汰の思考で、そんなことをなんとなく考えていると見知った姿がレジに並んでいるのを見た。
「こんばんは、柊ちゃん」
「あっ……どうもです。小山内さんも買い物ですか?」
言外に、こんな遅い時間に?という疑問が見え隠れしている。
それはこちらも同様だが、取り敢えず買った商品をエコバッグに詰めながら答える。
「ぼーっとしてたら、こんな時間にね。柊ちゃんも、もう八時なのに買い物なんて、どうしたの?」
手元を見ると、豆腐やら野菜やらを購入しているし、小腹が減ったからアイスでも買おうという感じでは無い。
「ええ、今日は姉さんもいないし、遅くまで友人と遊んでたので。小山内さんは……ドライカレーですか?」
「この間柊ちゃんから貰ったお裾分けのドライカレーが美味しかったから、自分でも作ろうかなって、思ってね」
挽肉と玉ねぎの割合は半々くらいだった気もするが、食べただけでレシピを再現できる様な才能がある訳でもないので、スマホで検索したレシピ通りの材料を購入していた。
「よかったら、教えてあげましょうか?あれ、楓姉さんから私も教えてもらったんです」
そんな訳で、その三十分後には、私と柊ちゃんは肩を並べてアパートの狭い台所に立っていた。
教えてもらったお礼に、と二人で作ったドライカレーを一緒に食べることにした。
サラダは余った玉葱と冷蔵庫にあったレタスを使った手抜きだが、柊ちゃんは喜んでくれている。
「この細かい筍が食感を良い感じにしてくれるんですよ」
どうやら玉葱以外にも細かく刻まれた筍が入っていたらしい。
「ね、柊ちゃん。最近、塚本と会った?」
「朱音先輩と?うーん、ここ一週間は、そういえば見てないですね。何かあったんですか?」
「……ちょっと、ね」
塚本が何を思って発言したのか、理解に苦しむ言葉が私の心を少しだけ重くしたあの日から、一週間が経とうとしていた。
あれから、塚本はまともに話していなかった。
私が塚本を避けているのか、あるいはその逆か。多分どちらも正しくて、私達の間に妙に気まずい空気が流れていた。
「まぁ、朱音先輩は口では色々言いますけど、結局は世話焼きですからね。お節介が好きっていうか、なんというか」
「そう、なんだ……」
そうか、あの言葉は、塚本の純粋な優しさから来た言葉なのか。
本当に、優里の代わりを務めようなんて意味は無いのかも知れない。私の心の中の優里が占める部分を、占有してやろうという言葉では無かったのかもしれない。
そりゃ、そうか。
いつまでも、過去に引きづられている友人が近くにいたら、そういう言葉も、出るか。
それを私が望んでいたかどうかは別として、それだけ心配してくれていたことは、素直に嬉しい。
「そっか……。そうだよね」
恥ずかしい思い違いをしてしまっていたのかもしれない。
もしかしたら、塚本は私のことが好きなのではないだろうか、という身悶えてしまう様な、気恥ずかしさだ。
とんだ勘違いで、常識的に考えれば、当たり前のことだ。
「……どうしたんですか?」
なんとなく、モヤモヤしていた気持ちがスッキリした。呆れるくらいに、どこか爽やかな気分だ。
そんな気持ちに浸っていると、少し驚いた様な表情で柊ちゃんが私を見ていた。
「うん?」
顔に出過ぎたかな?
変に思われても仕方ないと、顔を引き締めようと頬に手を当てると、指先に何かが触れた。
「なんで、泣いてるんですか?」
柊ちゃんは、おかしなことを言う。
こんなにもスッキリとした気分で、頭を悩ませ続けた懸念が勘違いだと知って解放感すらあるというのに。
なんで私が泣いているなんて思ったのだろう。
それでも、指に触れたのは、少しだけ温い、涙だった。
もしタイムラプスで撮影された星空の様に。
私の心の動きの軌跡を一瞬の隙も無く鮮明に記録出来たのなら。
私が今涙した理由も分かるのだろうか。
星空よりも遠くにあって、心よりも近くにあるものに、私は答えを求めていた。
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