第4話 前向きな自傷行為 ②

 まるで子供に聞かせる御伽噺の中に仕込まれた、古臭い教訓のようなものだ。

 儒学的思想と倫理的思考に対する手酷い裏切り行為であるし、偽善と評するのも烏滸がましい露悪的行為に他ならない。

 アタシはそれを、前向きな自傷行為と呼んでいた。


「アタシはさ、結構柊のこと憧れてるんだよ」

 思考がまとまらないアタシは、思いついたままに言葉を吐き出している。

 最終的にアタシはどんなことを柊に対して言い出すのか、それすらも分からなかったが、それでも良いと思っていた。

 多分、これから話すことは、思うままに口に出すことで漸くアタシ自身がそういうことだったのかと認識出来る類の話のような気がするからだ。

「何ですか急に」

「いいから聞けって」

 柊は、かつて椎本と江月の為を思って自ら悪役を演じてきた。例え自分がどう思われようと、どうなろうと、彼女は献身的なまでに二人の幸福を願って自身を犠牲にしようとすらした。

「何つーか、そういう気概?みたいなのにさ、アタシは感銘を受けたんだよ」

「だとするなら、多分朱音先輩は相当末期ですよ。アレは間違いでした。相手を信頼していたら、もっと良い方法があったはずですから」

「……アタシはさ、中学ん時に椎本が虐められているのを知っていて、何もしなかった。関係無いからとか、虐められる方が悪いとか、そんなことを思ってな。要するにアタシも加害者なんだよ」

「……その辺りは何となく聞いてますけど、もう終わった話でしょ?」

「終わってないんだよ、アタシの中じゃ。椎本はあの辛い過去を乗り越えた、虐めの当事者だって謝罪して許された。——じゃあ、アタシは?」

 アタシは結局何も変わらなかった。

 アタシだって加害者の一人なのに、椎本から相談を受けたのを良いことに善人のフリをして、まるで自分は味方だと騙しているようだった。

「朱音先輩……」

「素直に非を認めて謝罪もしていない、かと言って柊みたいに自分を犠牲にしてまで椎元を救った訳でも無い。アタシは最低な人間なんだよ。今でも、どうすれば良かったのか、分からないんだ」

「それを罪だと言うのなら、多分この世界に生きる殆どの人は罪人になっちゃいますよ?私だって、見て見ぬ振りすることなんて良くありますし」

「でも、柊はそれでも椎本の為なら、江月の為ならって、自分の犠牲を厭わなかった。アタシもそうなりたいんだ」

「それは……どういう意味ですか?」

「誰かの為に自分を犠牲にして、いやそれどのろか、他人の幸福の為に擦り切れるまで利用され尽くして、アタシが誰かの幸福のための被害者になりたいんだ。そうすることで漸く、アタシはアタシを許せる気がするんだ」

 今まで理解出来なかった、アタシの性格には似つかわしく無い他人への親切心の由来が、漸く分かった気がする。

 こうして話すことで、解明された。偽善と呼ぶことすら、不適当にも思える。

 結局アタシは、アタシのために誰かに優しくしていたんだな。

 気づかなければ良かった、と少し後悔する。

 どこまでいってもアタシは、アタシを守りたいだけなんだ。

 こんなアタシは、結局誰かを愛したりしても、最後の最後には自分の為に愛した人を裏切るんだろう。

 そう思うと、世界の悉くがアタシより優れているような気がした。

 無力感とも違う、自身への失望が心を苛んでいく。

「朱音先輩、人間誰だって自分が一番なんですからそう思うのは当たり前ですよ。どんな行為だって、元を辿れば、大抵は自分の為なんですから」

 柊は、およそ普段の彼女らしからぬ優しい言葉をかけた。多分そうせざるを得ない程に、アタシは暗い気持ちを口にしてしまったのだろう。

 気を使わせて申し訳ないなという気持ちと、なんて出来た後輩なんだろうと感謝する気持ちが混ざり合って、益々自己嫌悪の言葉を吐き出したくなる。

「ほら、今日は泊まっていいですから、もう寝ましょう?寝れば大体の事は、良い方向に動きますよ」

 ——いつだって世界は優しいんですから。

 柊の最後の方の言葉は、アタシにとって呪いだった。

 世界が優しいのなら、アタシはきっとこの世界に相応しく無い住人なのだ。

 いつか、アタシも——。

 そんなことを思いながら、瞼はゆっくりと落ちていった。


 ◇


「うわ、酒臭」

 朧気ながら、昨晩はひどく小っ恥ずかしい事を柊に話してしまった気がする。

 覚えていないということは、相当泥酔していたのだろう。頭痛いし。

 江月の声が聞こえたので、ノソノソと毛布から抜け出す。

 椎本と江月が帰宅したようで、二人してテーブルの上の惨状に閉口している。

「これ塚本一人で飲んだの?」

「よく覚えてないけど……多分な」

 見ると一升瓶が完全に空になっている。柊が飲むはず無いし、アタシ一人でこの量を飲み切ったということか。

「柊は?」

「今日は平日だよ?柊は学校」

 そうだったな。

 アタシは水曜日に何も講義を入れていなかったので休み感覚だったが、深夜まで柊を付き合わせたのは流石に悪いことをした。

「私達も午前中の講義終わらせて帰ってきたところだよ。ほら、片付け手伝って」

 へいへい、と怠い身体を無理矢理起こしてテーブルの上を分別しながらゴミ袋に放り投げていく。

「で、そんなになるまで何で柊と盛り上がったの?」

 江月は布巾でテーブルの上を拭いていく。ふわりと漂った香りが、椎本のつけている香水と同じ匂いで、思わず笑った。

「……んー、何だろうな。何か柊に相談したような気がするんだけどな」


 まぁ、忘れたということは大したことじゃ無いだろう。

 そんなことを思いながら、アタシはすっかり温くなっていたテーブルの上のみずを飲み干した。

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