第10話 呼吸音 ②

 来世になったらきっと、と。

 全てを未来に託すことは、勿論これ以上なく気軽で無責任な希望になる。

 曇りのない両の眼に、もし未来だけを写せるというのなら、それは最早今を捨てているということだ。

 先延ばしで、今の問題を来世まで持ち越せるのなら、多分アタシは迷うことなく、そのまま瞳を閉じて眠ることを選び取るだろう。

 そういう、怠惰さがアタシには生来からあった気がする。

 誰もが羨むほどの金持ちになりたいとか、世界中で一番有名なムービースターになりたいとか、時に誰かの人生すらも変えてしまえる程の曲を歌うミュージシャンとか。

 そういう途方も無く、無理難題な希望や欲望の行末は、多分幼い頃から全て来世に投げ捨てていた。

 だから、アタシは鑑賞するだけに留まっている。映画が好きなのも、音楽が好きなのも、そういう望みや欲望を完全に捨て切ったからこそ、純粋に他人事のように楽しめるのだろう。

 それならば、と考える。

 それなら、小山内に関するアタシの中にある正体の掴めない欲望は、果たして荒唐無稽な類に入るのだろうか。

 どうしたって、多分アタシの望みは叶わない。それは理性で分かっていて、本能で諦めている。だというのに、手を伸ばそうと——椎本や江月に唆された結果だとしても——望もうとしているアタシは愚かなのだろうか、滑稽なのだろうか。


「そういや、初めて来るなぁ」

 旅行というには近く、ふらっと訪れるには些か遠い場所だった。半端な距離にあるそこは、例え日本一の大都会であろうと、その半端さがアタシの食指を阻んでいたようにも思える。

 実際、少々骨の折れる距離だった。

 首が痛くなるほどに見上げてようやく、その全貌が掴める。アタシは興味が無かったので、それが何のために建設されたのかすら知らなかった。

「結構近いのに、塚本、スカイツリー初めてなんだ」

 近いか?と、アタシは首を捻る。

 県を跨ぐのは勿論のこと、特急列車に乗って一時間半の距離だ。それを近いと言えるのだろうか。

 とはいえ、東京自体は初めてじゃない。東北の田舎に居て、東京に来るのも初めての小山内からしたら近いのだろう。

「まぁ、わざわざ行こうとは思わなかったな。で、どうする?登るか?」

「勿論。折角来たんだし、さ」

 と、小山内はズンズンと歩みを進めて、上階へと登るためのチケットを買う為の列に向かう。チラリとチケット料金を見たが、わざわざ登るためだけに払うと思うと、流石に高く感じた。

「これ何メートルあるんだろうね」

 アタシより懐事情の厳しい小山内は、あまり気にしていないようだ。価値観の違いのようなものか、それとも、育って来た環境の差異か。

 どちらとも取れるその違いにアタシは苦笑して、小山内の後ろをついていく。


 ハッキリとした数字にすると、おそらく大した時間ではないのだろうけど、可能な限り人を詰め込んだエレベーターの上昇する時間は、やたらと長く感じた。

 横目で地上から遠ざかっていく窓外の景色を見ながらも、小山内の横顔を盗み見る。

 不思議だ——と、思ったのは、遠ざかっていく地上では無く、近づいていく天上に目を向けているからだ。

 なんとなく、分かっていた、気がする。

 彼女もまた、アタシと同じように来世に何かを託している。

 そんな気がしているからだ。

 エレベーターが目的の階層で止まると、待ち切れないといった感じで、数人の子供達が展望出来る窓の方へと駆け寄る。

 それと相反するようにアタシ達は実にゆったりと歩き出した。

「こっから見えるかな」

 窓の内側に取り付けられた手摺に手を掛けた小山内がふいにそんなことを言うので、ギクリとする。

「何が?」

「私のアパートとか、さ」

 と、なんてことない回答だったので、アタシは胸を撫で下ろした。

「何その反応?」

 言い終えた後、小山内は一頻り笑った。

「ここから優里のいる天国が見えるなんて、思っちゃいないよ」

 そんなに近いはず、無いじゃない、と。

 小山内は笑う。

 眼下に広がる東京の景色は、整然とし過ぎていて、本当に人間がこんな街を作ったのだろうかと、不安になる。

 これだけの一大事業をやり遂げた人類が、というよりも、これだけの社会システムを作り上げた偉業を成した人類の、その一人だと思えなかった。

 どれだけ想像を張り巡らせても、とてもその足跡を想像することの出来ない街並みに比べて、アタシの頭を悩ませてるものは、あまりにもちっぽけだった。

「ね、塚本」

 半ば呆けたように眼下の光景を眺めていると、小山内がアタシの名前を呼んだ。

 手にはいつの間にか売店で買ったアイスがあって、その一つをアタシに手渡した。

「村を出よう、ってなった時にね、優里とスカイツリーを見に行こうって話、したんだ」

「……そっか」

「だから、優里が居なくなって、私はスカイツリーに来る理由が無くなったんだよ。この景色を見る時、優里が横にいないと意味が無いと思ったから」

 まるで、呪いだ。

 呪いのように、そういう仕組みがあるように、優里さんは小山内を縛り付けている。

 だというのに、いや、だからこそ。

 アタシは悲憤することもなく、淡々と小山内の言葉を待っていた。

「それでも、今日、来た。来たいと思ったんだよ」

 それの意味を、アタシに理解させようとしてくる小山内は、歯車が一つずつその末葉に力を伝えていくように、遠巻きに、だけど確実に、言葉を核心に近づけていく。

「ね、塚本。あの言葉は嘘じゃないよね」

「あの言葉?」

「塚本が、優里の代わりになってくれる、って言葉」

 アレは、嘘だ。

 なんてこと、言えるはずも無かった。

 嘘にしたい気持ちと、嘘じゃないと思いたい気持ちがある。

 言い淀んでいると、小山内は手を引いた。


「——塚本、優里の代わりに、なってくれる?」


 それは。

 後戻りの出来ない、契約だった。



 頷いたのか、肯定したのか。

 そこの辺りの記憶は曖昧だった。

 ただ、どうやらアタシはそれを否定しなかったことだけは確かなようで、小山内はどこか陰のある表情でアタシを眺めていた。

 スカイツリーを後にしたアタシ達は、その後浅草へと移動して、何をする訳でもなくブラブラと歩き回る。

 その間、アタシはどうしたら良いのか分からず、居心地の悪さを感じながら、アチコチ見て回る小山内についていく。

 優里さんの代わり——それは、ある種、望んでいたようで、忌避していたようなことでもある。

 とはいえ、何処かわざとらしく楽しそうな素振りを見せる小山内を悲しませたくない一心で、それを望んだふりをした。

「ね、今日、東京に泊まって行こうよ」

 と、小山内が指差したのは、煌びやかなホテルだった。

 子供じゃないんだから、それがどういうところか、分かっている。

「……もう、遅いしな」

 なんて言い訳をする。

 アタシは、優里さんの代わりになれているのだろうか。なれてしまっているのだろうか。


 ——これから小山内が褥を共にするのは、アタシなのか、優里さんなのだろうか。


 戻れない道を、進んではいけない道を。

 そんな道を辿っていることだけは、薄らと分かっていた。

 アタシ達の呼吸音が、重なった頃。

 ふと、罪悪感がアタシを押し潰そうとしてきた。

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