第11話 悲しむ者の幸福 ①

 いつだって、正当性は私にあると思っていた。正義とか、善意だとか、そういうものではなくて、もっと曖昧で胡乱めいたものが、正当性の正体だと思っていた。

 私だけが、私と優里だけが、あの村ではまともな人間で、後は土俗に塗れた旧い考えから抜け出せない田夫のようなものだと、心を慰めていた。

 傷つきながら、生きてきた。

 傷つくことに囚われながら、生きてきた。

 その結果が、これなのかと。

 その因果が、こういう結果なのかと。

 自嘲する。

 それが精一杯の、私の言い訳だった。



 オヤ、と両手にプリントを抱えた不破さんが物珍しそうに私を眺めながら、そんな剽軽な声を上げた。

「あ、おはようございます」

「そんなにめかしこんで、デートでもあるの?」

 と、いつもバイト先で着ていくような服装じゃないことに気づいた不破さんが、どこかからかうように微笑を浮かべた。

「ええと……デートって程じゃないですけど。バイトが終わった後、呑みに行くんです」

「いやぁ、ただの飲み会にそんなに気合の入った服は着ていかないでしょ?恋人でも出来た?」

 恋人、という言い方は、多分秋子さんという同姓の恋人がいる彼女らしい単語のような気がした。そういう言い方に、私は安堵した上に、卑劣にもその言葉に腰掛けて頷いた。

「いいわねぇ。付き合いたてって一番楽しい頃だもんね」

「いやぁ、不破さんも秋子さんと結構楽しくやってるように見えますけど」

「あはは。まぁ、この間と違ってケンカはしてないけどね」

 言いながら、不破さんは笑うと、そのまま自分の担当であるクラスの方へと向かっていった。

 私もそろそろ授業に向かわなければと、講師の待機部屋から離れた。


 仕事にも慣れてきたような気がする。

 サロペットワンピースを着てきた私が珍しいのか、生徒達に少し弄られたりしながらも、良い雰囲気で仕事を進められている。

 人に何かを教えるような立派な人間なんかじゃないけれど、それでも、なんてことない出来事にも自然と笑みを浮かべることが、前向きに捉えることが出来るのは、

(優里の……、いや、塚本のおかげ、なのかなぁ)

 と、不意に数日前の東京での出来事を思い出してしまう。

 熱病にうなされるような、熱に浮かされる感覚の中で、私に覆い被さるように、顔を近づけてきた塚本の瞳に優里の面影を見つけた。

 弔うとはこういうことだったのか。

 悼むとはこういうことだったのか。

 そんな新しい発見をした気がするのだ。

 いずれにせよ、些細な空白の中に、歩むだけだった二つの脚の中に潜んでいた、チリチリと痛むだけの思い出が、初めて私を慰めた。

 慰撫。

 まるでその漢字が表すかのように、塚本の手は、私を慰めるかのように肌を撫でていた。


 塚本はある程度気を遣ってくれたらしい。

 私の手を握って訪った場所は、その小柄な体躯には少し似合わない、暗い雰囲気のバーだった。

 いつもの居酒屋ではないところに、彼女の心遣いを感じたし、慣れない雰囲気に浮き足立っている彼女の姿にいじらしさも感じた。

 とは言っても、私自身、こんなお洒落なバーというのは初めてで、メニュー表を開くと、聞いたことあるようなないような、と言った横文字の酒の名前が連なっていた。

「これ……値段書いてないんだけど」

「ま、まぁ、そんな馬鹿みたいに呑まなければ問題ないだろ」

 最悪クレジットカードがあるし、と値段が書かれていないのは想定外だったのか引き攣った笑顔で塚本は言う。

 そういう愛嬌のある部分を、素直に可愛らしいと受け止められるようになっている事に気づくと、途端に愛おしささえ感じる。

 そういう感情の機微を知ってか知らずか、塚本は腹を括ったようで長ったらしい横文字の洋酒をボトルで頼むと入れ替わりに届けられた乾き物のナッツをポリポリと口に放り込んでから私を見る。

「私も半分出すよ」

 いずれにせよ、塚本が全額払いそうな雰囲気だったので、そんなことを言ってみると、塚本は首を振らない。

「いや、いい。アタシが誘ったんだからさ。私が払うよ」

 とかぶりを振った。


 その挙措が、重なっていた幻影を振り払うような仕草に見えた。

 優里は、こういう時はいつも分かち合う人だった。お互いの関係に引け目など一切存在せず、どこまでも愚直なまでに対等さを求めるような、そんな人間だった。

 ぶれた、と思った。

 というよりも、何かを遮ったようにも思えた。

 塚本に優里の代わりを求めていることは、認めている。その代役に完璧さを求めている訳でもない。

 だというのに、その動作が、その所作が、私の心をスーッと冷ましてしまう。


「……あんまり、口に合わないか?」

 あまりにも自分勝手な考えを否定したくて、ボーッとしていると、塚本が顔を覗き込んだ。

 一瞬、何も口にしていないが、とも思ったが、冷たいのに熱さを持った塊が喉を通った感覚に驚く。

 いつのまにかグラスに注がれた琥珀色の酒を飲んでいたらしい。

 誤魔化すようにナッツを口に運ぶ。

「キツイけど、私結構好きかも」

 と、今しがた喉を通り抜けた感覚に、私は好意を持った。

 喉や胃を痛めつけられているような感覚が、鼻を通り抜けるアルコールの匂いが、私への罰かのように、そしてその罰を忘れさせるかのように、そんな意味をはじめから持っているかのような錯覚すら覚える。


 少し意外そうな表情で塚本は私に続いてグラスを傾けたが、どうやら彼女にはまだ度数がキツいらしい。

 顰めた顔が面白くて、私は笑った。

 私達はこうして間違った道を笑顔で歩いていくんだろうか。

 誤った道を、誤ったままにして、それを曖昧なまま捨て置くことが、私達の歩む道ならば。


(——ねぇ、優里。それは、間違った道を選んだ君への弔いになるのかな)


 悲しむ者は幸いである。

 ふと、聖書の一節を思い出して、心の中で頷いた。

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