第11話 悲しむ者の幸福 ②
予想を裏切って、リズムは一定のままだった。それは、僅かに安堵と落胆を与えたように思う。
乾いた砂地に水が染み込むように、たった一滴の罪悪感は落ちた先で広がることなく、ただ深くへと染み込んでいき、点のような黒いシミになるばかりだ。
要するに、真摯なまでに私と向き合ってくれている塚本に対する手酷い扱いは、結局のところ、その程度の痛みしか生まなかったという訳だ。
悲鳴のように一度だけ痛みを持った、たった一滴の罪悪感すら、きっとそれは私が私を騙す為の欺瞞のようなものに違いない。
歪んだ心の底の底、その一番最奥にある筈の善意だとか良心だとか。そういうのはまだ健在だ私が私を騙す為の、小さな嘘だ。
それを理解した時、乾いた笑い声が漏れ出た。
(——なぁんだ。私も結局同じ人間なんじゃ無いか。あの大嫌いな、故郷の住人達と同じことをしている)
自分さえ良ければ、自分の安寧のためならば、平気で他人を陥れることも厭いはしない、あの田舎者達と何ら変わりはないではないか。
守りたかったのは何だったか。
変えたかったのは何だったか。
そんなものは、とうに忘れてしまった。
私は結局のところ、卑しくて酷く醜い生き物なんだと。私がかつて侮蔑していた故郷の住人達と同じなんだと。
そういうことを受け入れると、不思議と塚本が【塚本】であろうと【優里】であろうと関係無いような気がしていた。
私の独善的な欲求に付き合ってくれる、物好きな人間、としか思えなかった。
それで満足したし、それに満足してしまう自分を蔑んでもいた。
同時に、塚本が少しでも私に無償の優しさのような慈しみの一つでも見せようものなら、胸の辺りが痛みを持って私を苛んだ。
路傍の泥が跳ねたズボンのままで布団に入り込むような。そういう気持ち悪さが、潔癖的に拒否反応を起こしていた。
だというのに、離れ難いとも思った。
悲しむ者は幸いであるというのなら、悲しむことすらしなくなった私に、二度と幸福は訪れないのだろう。
そういう諦めだけが、私の最後の良心だった。
「ねぇ」
「んー?」
二ヶ月近くが経った。夏の暑さは落ち着きを見せているが、秋を迎えたと言い張るには少しだけ暑い日の午後。
塚本とそういう関係になってからというもの、バイトの時間以外はこうして私の部屋で塚本と過ごしている気がする。
塚本はノートパソコンで講義用のレポートを作成していた。難しい顔をしてキーボードを叩いている。大抵の講義は塚本と同じなので、当然私にも同じ課題が出ているが、私は既に終わらせていた。
手伝ってあげようかな、と思い背中から声をかけたが、塚本の返事が返ってきた頃には心変わりをしていた。
少し汗ばんだうなじが、顔を覗かせているのを見た所為だろう。
塚本の背中に体重を預けてそのまま首筋に唇をつけた。少し、塩っぱい。
私に構っている余裕は無いのか、塚本は少しウザったそうに身体を捩るだけだった。それが面白く無くて、歯を立てた。
「……何だよ」
「暇だから構ってよ」
と、我儘を口にしてみる。
少し前の私なら、もし優里だったらこんなことをしたら笑ったのだろうか、とか。そんなたらればを考えていたのだろうけど、不思議とそういうことを考えることは少なくなっていた。
心のどこかで、優里に対する不義理をしているような居た堪れない気持ちが湧いてくるが、私は所詮あの村の人間なんだ、と蔑むと心が楽になる。
きっと私が優里を求めたのも、塚本と都合の良い関係を続けているのも、全部、私が生来持つ悪辣な感情の所為なのだ、と責任を押し付けると楽になる。
それはもう、抜け出せなくなるほどに、心を楽にするのだ。
塚本の良い所は、戯れついても最終的には付き合ってくれるノリの良さだ。
結局暇を持て余した私に付き合ってくれて、課題を家に持ち帰ることにして帰宅していった。
そういえば、もう一つ自分があの村の住人と同族なのだと受け入れてから変わったことがもう一つあった。
一人の時間が嫌いになっていた。寂しい、という訳じゃ無い。
例えるのなら、焦燥感のようなものが湧き上がる。
何かを忘れているような、しなくてはいけない何かを忘れてしまっているような、そんな気分にさせる。
それが嫌いで、しばしば塚本に家に泊まるように勧める。そうして塚本と夜を越える度に、私は何かを失っていく。
塚本が私の求めに頷く度に、塚本の指が私を奏でる毎に、心臓から伸びる一本の銀色の糸のようなものが顔を出して、私に問いかける。
その問い掛けに答えることは、私には出来なかってた。
冬を迎える頃には、悲しむなんて感情とは無縁の日々を過ごしていた。
これが、生きるということなんだろうか、忘れるということなんだろうか。
こういう日々がそういうことなら、やはり私はこう思わずにはいられなかった。
——全て等しく不幸であるべきだ。
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