最終話 想い出を彷徨う ②

「本…………っ当に信じられないです!」

 暇そうにしていた江月とナンテンを引き連れて近所の居酒屋で呑んでから、カラオケで馬鹿騒ぎした次の日。

 迷惑そうにジト目でこちらを睨みつけながら渋々泊まらせてくれた柊の視線を感じながら江月とナンテンと共に椎本宅で一夜を明かした後の朝のことである。

 二日酔いでガンガン痛む頭を抑えながら、アタシはそんな心底軽蔑しているかの様な非難の声を朝一番に浴びていた。

 恨む様な気持ちで柊を見ると、してやったりと言った様な表情でこちらを見ていた。

 どうやら深夜に押しかけてきた私に対する意趣返しに朝から功刀を呼び出したらしい。

「……夜中まで呑んで友達の家に泊めてもらっただけじゃねぇか」

 寝起きの頭は二日酔いの痛みと相まってマトモに働いていない。

 そもそも功刀が何に怒ってるのかすら、理解していない。

「付き合って二日目ですよ!?二日目なのにいきなり他の女と呑んだ挙句お泊まりですか?」

「他の女って……江月とナンテンだろ……」

「だからなんなんですか?柊からも何か言ってよ?」

「え?あー……、付き合い出したばかりなんだし、朱音先輩も少しは自重しないと」

 いきなり話を振られて急にしどろもどろになった柊の姿が面白くて噴き出すと、功刀は私の方を睨みつけた。

「もういいです!私講義あるんで、大学行ってます」

 と、建て付けの悪いドアが更に壊れるんじゃ無いかとハラハラしてしまう程に勢いよく閉じた功刀を追いかけて、ナンテンも外へ出た。

 多分同じ講義を受けてるのだろう。

 朝から騒がしかった椎本宅だったが、夜中に押しかけて柊に迷惑をかけたという理由で江月は椎本からお説教を受けていたので、まだ騒がしさは治っていなかったりする。

「……功刀、昨日の夜、朱音先輩から連絡くるかもって、スマホと睨めっこしてたらしいですよ」

 出て行った二人を見送った後、柊は呆れる様に言う。

「いやだって、流石に二日連続で連れ出したら迷惑じゃ無いか?」

 功刀の告白に答えた後、私が気恥ずかしくなるくらいに感極まって泣いてしまった彼女を慰めた後、取り敢えず、と言った感じです二人で静かなカフェバーで飲んだのだ。

 アタシからしたら、付き合って間もないというのにいきなりハイペースで会ったりしたらしんどいじゃないだろうか、という心遣いの結果だったりする。

「……なーんで功刀は朱音先輩なんかに惚れちゃったかなぁ」

「年々生意気なってくなぁお前……」


 夜勤のバイト終わりの椎本が眠気の限界とのことで、説教がひと段落した江月と一緒にとりあえず朝飯を食べに外へ出る。

 椎本宅から大学までの道のりの間に、朝飯が食べれそうな店を幾つか思い浮かべてから、私は少し苦笑した。

「どうしたの?急に笑い出して」

 珍しく怒られる側に回った江月は訝しそうにアタシを見る。少ししょげている江月だったが、どうやらコイツも私と同様に二日酔いで具合が悪そうだ。

「いやなに、椎本の家から朝帰りするなんて、何回目なんだろうなって思って」

 これを中学生の頃のアタシに言っても信じないだろうけど。

「一応、椎本は私の彼女だからね」

「ヘイヘイ、分かってるよ」

 朝帰り、という何処か淫靡な響きにムッとした江月を適当にあしらう。


 思えば、アタシは間違ってばかりだったな。

 遠回りして、勘違いして、誤解して、見捨てて、拾い上げて。

 まるで、答えがあるのかないのか、それすら分からない問題に躍起になって答えを見つけ出そうとする学者のようだ。

 だけど、それは今だから間違いだったと分かるだけで、当時はそれが正しいと思ってきた。

 そして、今があるのはその重ね続けてきた誤りの結果でもある。

 十年後のアタシは、今のアタシを見て、また間違っていると苦笑するのだろうか、それとも呆れてしまうのだろうか。

 いずれにせよ、過ちを繰り返しても、罪を重ねても、もうアタシは過去を否定する事はしないだろう。

 今を愛することと、今愛している人を愛するということだけは、忘れてはいけないと、教えてくれた人がいるから。




「朱音先輩」

 一通り講義が終わって、いつもの通りサークル室で時間を潰していると、功刀がやってきた。

「今朝は悪かった」

 取り敢えず、という訳ではないが一応謝ると、功刀は何も言わずにアタシの横に腰掛けた。

 アタシと功刀は性格や価値観が違いすぎる。だけど、その違いはアタシは好きだし、アタシがそう思うという事は、功刀は嫌いなのだろう。

 さて、どうしたもんか、と。

 隣に座った功刀の頭を半ば手癖の様に撫でる。

「朱音先輩、私、もしかしたらとんでもなくヤキモチ焼きなのかもしれません」

「……そーいうところも、アタシは好きだけど」

 嫉妬させたい訳じゃないけど、こうやって嫉妬する姿を見ると、どこか嬉しい。

「……じゃあ、許してください」

「何をだ?」

 唇を尖らせて不機嫌そうな表情のまま、功刀は私の膝の上に跨った。

 今にも唇が触れてしまいそうなほど顔が近い。頬の産毛まで見えてしまう距離だ。

「今から酷いことを言うんで、それを、許して欲しいんです」

 何を言われるのか。

 逡巡するよりも先に、功刀の唇に吸い込まれそうになる。

 いっそ、その唇を塞いでしまおうかとも過ったが、彼女が何を言うのかも気になってはいたので、自制して功刀の瞳を見つめるだけに留まった。


「全部、忘れて下さい。私だけを見て下さい。昔の恋愛を全て、忘れ去って下さい——なんて、我儘、ですよね?」


 真剣な表情でそんなことを言う功刀の言葉に、思わずアタシは笑い出してしまう。

 当然、彼女はいよいよ不機嫌さを露わにした。

「子供っぽくて、悪かったですね」

「いやいや、そうじゃねぇって。今更って思ってさ」

「今更?」

「功刀に告白されたあの時に、全部忘れたよ。いや、忘れなきゃな、って思ったから、功刀に返事するのが遅れたんだよ」

「……よく分かりませんが……腑に落ちないです」

「じゃあ、これでどうだ?」

 と、アタシは功刀の唇を寄せた。初めは緊張で身体を硬直させた功刀だったが、やがてアタシに全てを任せる様に、しな垂れた柳の如く、身体の力が抜けていくのが分かる。


「全部とは言いません」

 唇を離すと、功刀は唐突に言った。

「でも、最後は必ず、私を愛して下さい」

「馬鹿だな、功刀は」

 いじらしい功刀を見て、アタシは再度唇を重ねた。


 功刀とキスする度に、一つずつ何かを忘れていく。

 多分それが恋をするということなのだろう。

 愛にはまだ程遠い気持ちなのかも知れない。


 だけど、数え切れないほど功刀を抱きしめて、唇を奪って。

 そして何もかも忘れる去った頃には、きっとこの気持ちは、愛に変わっている。

 そんな妙な確信がある。


 だから小山内。

 いつか君を忘れる日は、そう遠くない未来の話だろう。

 その日が来たら、飲み交わそう。


(お互いが忘れ去った日々を肴に、笑い合おう)


 あの時のアタシ達は間違いだらけだった、と。

 馬鹿笑いしながら話せる日が来ることを祈りながら、アタシは功刀を抱き寄せた。

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いつか君を忘れる日々【完結】 カエデ渚 @kasa6264

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