一章 王女の婚約と忍び寄る陰謀 3/10


 首都イザークにある王城。そこでは国王夫妻とその子供たちに加えて、彼らに仕える侍従と女官、雑務をこなす使用人、そして城を守る近衛兵が暮らしている。


 その城内で、一か月のうちに六人が姿を消した。



 最初に姿を消したのは、今年の夏から勤務を始めた女官だ。その二日後に同期の侍従が、そのさらに翌日には同期の女官が、失踪している。


 三人とも登用前に身辺調査は行われており、いずれも信用できるとして第二王女に仕えることが決まった。勤務態度は真面目で、特に問題はない。三人とも西棟の監視カメラに姿が映ったきり、消息を絶っている。


 四人目は清掃を担当していた使用人。第二王女の暮らす西棟を清掃していたが時間になっても戻らず、翌朝まで待って失踪したものと判断された。城内の清掃を担当するようになって一年ほどで、勤務態度に問題はなかった。


 五人目は中堅の侍従。第二王女が産まれた時から仕えており、彼女から「爺や」と慕われている。勤務態度に問題はなく、人間関係も良好で、失踪する動機は見られない。西棟の見回り中に偶然出会った女官と会話した姿が最後の目撃情報となっている。


 六人目はつい三日前に失踪した近衛兵。庭園を巡回中、同僚に「西棟から異音がする」と報告して城内に戻ったきり、彼の姿を見た者はいない。



 いずれも夜間の西棟で姿を消しており、第二王女と関連のある人物も多い。


 陸軍諜報部は第二王女の身辺警護を口実に彼女を監視しているが、第二王女に異変はなく、諜報部が捜査に入ってから姿を消した者もいない。アマルガムの痕跡も見つかっておらず、捜査は難航していた。



 テオの背後から捜査資料を覗き込んでいたトビアスが唸る。


「こいつは難しいな。アマルガムは一旦考えずに、何者かによる誘拐、殺害、あるいは彼らが結託して城を抜け出したと見て捜査した方がいいかもしれないね」


「そうだな……となると、まずは失踪した六人がどういう人物か探るところからか」


「じゃあ同僚や家族から聞き込み開始ね。連絡先もあるし、留守電だけ入れておこうかな」


 エマが早速失踪者の家族に連絡を取るのを横目に、テオは失踪した六人の履歴書を眺めた。


 ただの無断欠勤か、事件性のある失踪か。事件の全貌が明らかになれば、アマルガムの輪郭も見えてくることだろう。本当に関与していればの話だが。



 ────中将から捜査を依頼された日の翌日。



 テオはイレブンを連れて、イザーク城へ踏み込んだ。


 星読みの尖塔を中心に据えて星型に拡充された城は、分厚い城壁と広い堀に囲まれ、二か所の跳ね橋を使って出入りできるようになっている。



 建国以来続く王族であるオーグリアム家は、元は占星術師だったそうだ。先読みの力で豊かな国を築き上げた一族だが、王制廃止とともに冠と星読みの力を放棄したと聞く。


 紅葉を迎えた城前庭は広場として一般人に開放されており、朝から市民の憩いの場となっていた。今のところ事件については城の外に漏れていないようで、和やかな光景が広がっている。それだけが幸いだった。



 中将が事前に話を通してくれていたおかげで、テオたちは滞りなくイザーク城の西棟へ案内された。ここは第二王女が暮らす部屋があり、失踪した六人に関わる建物だ。先導する女官長の後ろを歩きながら、テオはゆっくりと城内に目をやる。


 出入口と窓、そして廊下の天井の一定間隔に、年代物の魔導抑制機が設置されていた。暖色の照明で隠されているが、橙色の光が薄く城内に注がれている。


 いくつもの戦争を生き抜いてきた城塞であるためか、魔術対策は万全だ。


 出入口には監視カメラと近衛兵。各階の両端にも近衛兵が立ち、廊下の窓は開閉できない固定窓。人間が人目を避けて出入りすることは難しい印象だった。


 やがて、女官長は「こちらでございます」と立ち止まった。


 そこは、シックな調度品でまとめられたゲストルームだった。豪奢なソファーセットが並ぶ居間の中央では、キャスター付きのホワイトボードが所在なさげに佇んでいる。


 女官長は凛とした表情のままテオたちに向き直った。


「滞在中はこちらの部屋をお使いください。ご用がある時はこちらの内線三番におかけください、二十四時間お伺いします」


「ご親切に、ありがとうございます。早速、色々とお話を伺わせてもらえますか」


「はい。と言っても、捜査の助けになるかどうか……」


 女官長はわずかに眉根を寄せた。ホワイトボードを端に移動させ、ソファーに座る。


「ハーピシア王女の様子はどうですか」


「……気丈に振る舞っておいでですが、ご不安に思われているご様子です。ただでさえ婚約発表を控えていらっしゃるのに、こんなご心労をおかけしてしまうだなんて」


 女官長は王女の様子を思い浮かべたのか、苦しそうに胸元を押さえた。テオも相槌を打つ。


「……まだ十五歳ですからね。諜報部から女官役を派遣したとのことでしたが、彼女たちに対してハーピシア王女は何か言っていましたか?」


「不信感をお持ちになられたご様子でしたが、何もおっしゃってくださらないのです。皆様教養があり、淑女にふさわしい振る舞いでしたのに」


「……目に見えるトラブルというのはない?」


「はい、ございませんでした」


「それは今までも?」


「はい。ですからまさか、ハーピシア様が女官としてお越しの方を拒むとは思わず」


 テオは手短にメモして小さく唸った。女官長も知らない事情があるのだろうか。女官長は細く溜息をついた。


「イレブン様に女官を務めていただくというお話でしたが、ハーピシア様が受け入れてくださるかどうか……今から申し訳なく思うばかりで」


「……彼女は、人の懐に入るのが上手い。ハーピシア王女の不安にも寄り添うことができると思います。女官としての研修もしていただけるとか?」


「はい。職務について一通りご説明させていただきます。女官として務めていただくことはもちろん感謝していますが、基本的に捜査を最優先にしてくださって構いませんので」


「お気遣い、ありがとうございます」


 テオは捜査資料を開いて女官長に尋ねた。


「失踪した六人についてですが、女官長から見ていかがでしょうか。事件性があると思いますか?」


「……姿を消す動機もない方々ですから、何かあったのではと考える方が自然なことでございます。ですが率直に申し上げますと、事件性を持たせる方が難しいのではないか、と感じております」


 女官長は眉間にしわを作って答えた。少し戸惑っているようにも見える。


「それは……外部による誘拐ですとか、そういった可能性が低いという意味でしょうか」


「……この城に入ればすぐお分かりになると思いますけれど、人目につかずに城を出入りすることができません。夜になると敷地内を近衛兵と番犬が巡回し、城内は侍従たちが見回りをする決まりでございます。その状況で誘拐だなんて、とてもできるとは思えません」


「……では、例えば近衛兵たちが買収された可能性は?」


「城仕えの者で金銭と名誉を天秤にかける者はいないと思っていますが……今となっては分からないものでございます。私としては、六人とも城を抜け出すために近衛兵や侍従の協力を受けて、城の外でのんびり過ごしていてくれたらと、願ってやみません」


 テオは曖昧な相槌を打ち、部屋の窓に目をやった。


 廊下は固定窓が採用されていたが、部屋は観音開き窓が使われていた。鍵も簡単なクレセント錠で、ガラスさえ割れば侵入できそうだ。


「今まで、城に何者かが侵入したことは? 魔法生物が入り込んだこととか」


「いえ、ございませんでした。物音がすれば番犬が気付きますし、侵入できても人目を避けて動くことができません。この城は魔除けもしっかりされているそうですから、城に魔法生物を招く時に苦労したほどでございます」


「となると、何者かが城内に身を潜めているという可能性もない?」


「はい。地下の避難シェルターから屋上まで、従業員専用の通路を含め巡回の対象ですし、王族の皆様がお使いになる避難用通路は王族の皆様だけが扉を開閉できる仕組みです。他に隠し部屋などもありませんから……やはり、誘拐した犯人など存在せず、彼らが協力者を得て城を抜け出しただけではないかと、それ以外に考えられないのでございます」


「……なるほど」


 テオは捜査資料に視線を戻した。


 この城のセキュリティと人目を避ける難易度を考えれば、人間が六人もいなくなることは不可能に近い。少なくとも、失踪が問題視された四人目から、周囲は城内で何かが起こっていると警戒していたはずだ。


 城内で魔術が使われた痕跡はなく、窓等が破壊された形跡もない。


 人間の犯人がいたとすれば、人智を超えた犯行だ。女官長の言うことも分かる。


「勤め始めの女官や侍従が家に帰ってしまうことがあると聞きましたが、何か城を抜け出す方法というのがあるのでしょうか」


「一つだけ……協力者を作り、地下の貯蔵庫から搬入口を使って街に出るルートがございます。夜になって跳ね橋が上がると、安全に外に出る方法はこれしかなくて」


「例えば塀を乗り越えて堀を渡ったという人はいましたか?」


「塀を登った方は安全のため速やかに保護しております。塀に近付いた時点で監視カメラや近衛兵がその姿を捉えますし、夜間は堀にも見張りを出しますので」


「堀にまで見張りがいるんですか?」


「一般の方が堀に入ってしまわれることがございます。事故防止のために、近衛兵がボートで見張っております」


「……なるほど……?」


 堀で泳ぐ不審者のニュースがあったことを思い出して、テオは顔をしかめた。気を取り直して質問を続ける。


「搬入口の出入りはどのように確認を?」


「街側は近衛兵が常に見張っており、城側は監視カメラを設置しております。業者の出入りには必ず三人以上で立ち会い、侍従長発行の許可証がなければ出入りすることができません」


「では、もし城で働く人が許可なく搬入口から出るとどうなるんですか?」


「侍従長室と女官長室に通報が入り、個人を特定でき次第ご実家に連絡いたします。然るべき対応についてはマニュアル化されており、長の立場となった者が引き継いでおります」


「ちなみに、最後に通報が入ったのは?」


「もう十年以上前の話でございます」


「……では失踪した六人が、搬入口を使用した形跡はない?」


「はい。ございませんでした」


 女官長は淡々と答え、やがて眉を下げた。


「いっそのこと、六人で示し合わせて姿を消して見せているだけの狂言であればと思わずにいられません。どうすればこの城から消えることができるのでしょう」


「……大丈夫、何が起こったのか明らかにするために我々が来たわけですから。事前に連絡した通り、ハーピシア王女を含め城内の全員にお話を伺う予定なのですが、構いませんか」


「もちろんでございます。既に了承を得ておりますので、ご安心ください」


 そこで話を切り上げ、テオたちは早速西棟の応接室へ向かった。紅茶を片手に待っていると、女官長がハーピシアを連れて戻ってくる。


 ローズピンクのドレスにダイヤの首飾りとティアラを身に着けた第二王女は、大きな瞳を不安げに伏せたまま淑やかにソファーに腰かけた。


 十五歳と聞いてはいたが、テレビで見るよりも幼く華奢な姫だ。化粧や髪型でごまかしているが、すっかりやつれている。中将が女官を用意しようと苦心していたのにも納得がいった。


「お疲れのところ、申し訳ありません。捜査局の者です。真相解明のためにご協力くださると伺っています。是非、失踪した六人の人柄についてお聞きしたいのですが」


「……爺やとは長い付き合いですが、他の方とは関わる機会がありませんでしたの。お話しできることが少なくて申し訳ないわ」


 ハーピシアは沈んだ表情のまま、小さな声で答えた。テオは「構いませんよ」と軽く宥めるに留めて順番に六人の印象を尋ねる。


 第二王女という立場上、爺や以外と関わる機会は彼女の言う通り少なそうだが、人の顔をよく覚えている彼女は爺や以外の者たちについても聞かせてくれた。


 その中で印象的だったのは、新人三人についてだ。


「私に怯えたように頭を下げるところがあって、困っていたの。けれど夏季休暇が明けると、そういった怯えが消えていたわ」


「ハーピシア殿下の方で何か変えたことはありましたか」


「いいえ。だから、余計に気になったの。意味もなく私に怯えているように見えたのに、休みを挟んだだけで態度を変えるものかしら」


「……確かに、妙ですね。身近な人にも聞いてみます」


 テオは短くメモを残し、他の失踪者についても話を聞いた。そろそろ切り上げる頃かと言葉を探っていたが、ふとハーピシアが口を開く。


「……捜査官。一つ、構わないかしら」


「どうしましたか」


「……失踪した者は、無事だと思う?」


 膝の上で扇子を握り締める手は震えていた。心配と不安で、小柄な王女は押し潰されそうになっている。


「……これは通常の拉致とは異なります。我々としても初めてとなるケースです。何か進展があれば、こちらのイレブンから伝えさせます」


「女官の任を賜りました、イレブンと申します。何なりとお申しつけください」


 イレブンが静かに頭を下げると、ハーピシアはわずかに目を見張った。何か言いたいことがあったのかとイレブンがハーピシアに目をやり、二人はしばらく見つめ合う。


 見かねたテオが口を挟もうとしたが、それより先にハーピシアが立ち上がった。


「……新しい女官がつくことは、中将様から聞いています。よい働きをするように」


「ご満足いただけますよう、精励する所存にございます」


「よろしい。……少し疲れました。私はこれで失礼します」


「ご、ご協力ありがとうございました」


 ハーピシアはそれを最後に応接室から出ていった。廊下で待機していた侍従の「お待ちください」という声が遠ざかるのを聞いていると、女官長が頭を下げる。


「……姫が失礼いたしました。爺やが失踪して以来、彼の無事を案じているものですから」


「お気持ちは分かりますから、大丈夫ですよ」


 テオは慌てて女官長に顔を上げさせ、ふと気になってイレブンに顔を向けた。


「お前、第二王女と会ったことがあるのか?」


「いえ、初対面です。ですが確かに殿下の表情には『懐かしい』がありましたね」


「……女官長。王女は戦場に行ったことはありますか?」


 テオが尋ねると、女官長は眉根を寄せた。


「半年前に、アダストラ軍の基地を慰問したことはございます。ですが基地が襲撃され、ハーピシア様もお怪我をなさったと伺いました」


「その基地に、アマルガムが配備されていませんでしたか?」


「アマルガムというと、あの白っぽい、大砲を担いだ、消しゴム人形のような兵士のことでございますね? いえ、存じ上げません。詳細は伏せられていたものですから」


 女官長は「申し訳ございません」とまた眉を下げた。テオも彼女が気に病まないように声をかけ、話を変える。


「これから、イレブンに研修をお願いしてもいいですか」


「もちろんでございます。よろしくお願いいたします、イレブン様」


「ご指導よろしくお願いします、女官長」


 互いに頭を下げ合って、聞き込みは中断ことにした。女官長には先に部屋を出てもらい、テオは声を潜めてイレブンに尋ねる。


「……捜査資料の通り、城のセキュリティは万全だ。この状況でアマルガムは動けるのか?」


「魔導抑制機の光さえ回避すればよいのですから、天井に張り付いていれば可能では」


「だが現時点でアマルガムの反応がないってことは、城を出入りできたってことだろ? ダクトとか水道管とか使ったのかな」


「アマルガムは捕食した物ごと体格を変えることができますから、そういった細い場所でも移動できそうです。ダクトと水道管を確認します」


「頼む。西棟に現場が限定されてるのだけが救いだな」


 テオはイレブンを送り出し、城内で勤務する従業員たちにも話を聞きに行った。現場に証拠がなく、失踪することそのものが難しい以上、事件解決の鍵は失踪者本人にあるはずだ。

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