三章 あなたの役に立つということ 5


     5


 低い気温で保たれた検視室は、いつの季節も肌寒い。


 白衣を羽織ってロッキに続いて検視室に入ったテオは、思わず立ち止まった。



 ぽつりと置かれた台に、遺体カバーをかけられた中将が横たわっている。


 色も生気も失った顔は、以前オフィスで会った時よりも老け込んで見えた。



 知り合った月日が短かろうと、知っている顔の遺体が横たわっている様は見ていてつらい。口をつぐんだテオに、ロッキは静かに告げた。


「中将さんは眉間を撃たれて即死した。苦痛はなかっただろう」


「……そうか。せめてもの救いだな」


 テオは咳払いして台に近付いた。中将の眉間に銃創があり、火傷もある。


「火傷か。ずいぶん近くから撃たれたんだな」


「そうなんだよ。凶器は捜査局で支給される銃だった。線条痕も一致し、トビアスの銃も一発消費されてる。だがこの火傷からして中将さんは……」


 ロッキはそう言いながらテオの眉間に指を突きつけた。顔の目の前だ。


「この至近距離から撃たれてる」


「ずいぶん近いな。トビアスが詰め寄ったのか?」


「俺もそう思って調べてみたよ。中将さんとトビアスはほとんど身長が変わらねえ。正面から向かい合っていたら、銃弾は中将の頭をまっすぐ進んだはずだ。だが実際は眉間からうなじに向かって斜めに貫通していた」


 ロッキはそう説明して、中将の頭を左に向けた。眉間の銃創からライトを向けると、右肩に光が当たる。


「銃弾は頭蓋骨を貫通し、中将さんの右肩で止まった」


「……中将はソファーに座ったまま、顔だけ左に向けた状態で撃たれたってことか」


「おそらくな。ちょっとそこの椅子に座ってみろ」


 指示に従い、テオは近くの椅子に腰かけた。ロッキが指を立てた右手を銃に見立ててテオの眉間に突き付ける。ロッキはテオの真横に立っていた。


「目撃証言に従うと、二人はテーブル席で口論していた。トビアスは左腕を撃たれてから、わざわざ中将さんの隣まで来て頭をぶち抜いたことになる。……おかしいだろ?」


「先に撃たれてるのに接近する意味が分からないからな。やはり目撃者が嘘をついたか」


「それから、もう一つ証拠だ」


 ロッキは別の台に中将が着ていた服を広げていた。首周りを中心にどす黒く染まり、変色している。ロッキが示したのはその服の右袖だった。


「中将さんは右手で銃を撃っており、ジャケットとシャツに射撃残渣が確認できた。だが、見てみろ」


 専用のライトで照らしながら、ロッキはピンセットで袖を持ち上げた。腕の外側だけ、不自然に反応が途切れている。


「……何か別のものが重なっていたのか。壁に腕をつけて撃った?」


「俺もそう思ってな。遺体の右手を調べたんだ。見ろよ」


 同様に照らされた右手も、射撃残渣が付いていない場所がはっきりしていた。テオは何も付いていない右手に自分の右手を重ねる。射撃残渣を避けると、上から右手を掴んで人差し指を動かすような形になった。


「中将に銃を持たせ、誰かがトビアスの左腕を撃たせたのか」


「おそらくな。指紋は見つかっていないが、中将が座っていた席の後ろには観葉植物と厨房の入り口しかなくて、仕切りなどもない。ソファー越しに中将の腕を掴んで銃を撃たせることはできたはずだ」


「なるほど……他に気になる点は?」


 ロッキは「それがな」と唸って別の台を引っ張ってきた。こちらにはトビアスの服が広げられている。


「中将さんは右の袖にだけ花粉が付着していた。トビアスの方には付いてねえ。何の花粉かは分析中だ」


 服を覗き込もうとしたテオは、あまりのアルコール臭さに顔をしかめて少し離れた。


「酒くせえ服……。トビアスが泥酔してたっていうのは本当なのか?」


「襟から膝までアルコールでびっちゃびちゃだぜ。頭から酒をかけられたか、暴れるのを押さえつけて飲まされたかだと思う」


 テオは専用のライトを取り出し、右袖を確認した。こちらも射撃残渣が不自然に途切れている。


「……トビアスも撃たされたのか」


「こっちは花粉じゃなくて黒い鳥の羽が付着していた。正体は分析中だ」


 ロッキは短く報告して、逮捕当時に撮影されたトビアスの写真を取り出した。合成義体を失った左肩が撮影されている。ロッキが示したのは合成義体接続パーツと肩のところだった。


「肩の接続パーツに沿って、赤くなってるのが分かるか?」


「ああ、そう見える。……なんだろう、打ち身?」


「俺は、火傷したんじゃねえかと思ってな」


 テオが目を丸くすると、ロッキは合成義体のパーツを指先で示した。


「トビアスは特に頑丈なタイプを使ってるから、合成義体の金属割合が高い。となると、感電したらこうやって、接続部に沿って火傷ができるはずだ」


「……電気銃か何かを使われて身動きが取れなくなったところを、無理矢理酒を飲まされて前後不覚になったってことか?」


「治療した形跡がないから、考えすぎかもしれんがな……あの体格を行動不能にする威力だ、火傷するに決まってる」


 捜査資料には、トビアスの治療記録は含まれていなかった。負傷はなかったのか、それとも負傷があったのに治療されなかったのか。自分の目で確認したくてもどかしい。


「あと気になったのは、煙草だな」


「煙草?」


「トビアスの所持品に、煙草の箱があったんだよ。開封済みで、中身も減ってた。だが、あいつは吸わないよな?」


 ほら、とロッキが持ち上げたのは、確かに煙草の箱だった。


「煙草はやらないな。中将のか?」


「いやぁ、中将さんがこんな安い煙草吸わないだろう。箱の指紋を調べたが、トビアスの分しか見つからなくて困ってんだよ」


「そいつは……」


 ふと、扉を叩く音が聞こえた。見れば、イレブンが出入口に立っていた。真っ先にロッキが頬を緩めて迎える。


「おかえり、お嬢さん」


「お疲れ様です。私もよろしいですか」


「もちろん。そら、おいで」


 よーしゃよしゃよしゃ、とロッキがイレブンの頭を撫でた。ロッキにとってイレブンは孫なのか犬なのか、テオはたまに分からなくなる。


 大人しいイレブンは、鑑識のツールボックスを持ったままだった。テオは眉を上げる。


「証拠を分析に出すより先にこっち来たのか?」


「急ぎの報告と確認がありまして」


 ロッキも気になったのか動きを止め、イレブンはテオを見上げて言った。


「トビアスが店に入るところを見た人間がいます。彼に続いて、クロエ・ギフェルが入店した直後、銃声があったそうです」


「ギフェルが? まさか、あの女が関わってるのか」


「店内で、ヒールのある靴跡を発見しました。彼女のものかと推測します」


「……じゃあ、トビアスの服から見つかった黒い羽は、たぶん奴のフェザーショールだ。だが店主はなぜ店に三人しかいなかったと証言した?」


 イレブンはツールボックスを開けて、証拠品袋を二つ取り出した。どちらも銃弾が入っているが、片方には血液が付着している。ロッキが眉根を寄せた。


「まさか三発目が存在したとはな……」


「中将とトビアスは一発ずつしか撃っていないため、この三発目が重大な証拠になります。この弾は大腿部を負傷させているはずです」


「……中将とトビアス、店主は太腿に怪我していない」


「そして、近隣の病院にも、大腿部に銃創を負った患者は確認できませんでした」


 イレブンは証拠品をツールボックスに戻し、続けて言った。


「あの店では、夫がバーテンダー、妻がホールスタッフをしています。事件当時も、妻は店内にいたはずです。なのに今はどこにもいない」


「……まさか、撃たれた妻を人質に取られて、店主は嘘の証言をせざるを得なかったってことか? もしそうだとしたら、急がなきゃまずいな」


 事件のあった夜に撃たれてそのまま人質として監禁されていたら、負傷からもう何時間も経っている。まともに治療されていたらまだしも、もしそのまま放置されていたら既に亡くなっている可能性があった。


 どこから手を付けるべきか頭を悩ませるテオをよそに、ロッキがイレブンを見下ろした。


「報告は分かったが、確認ってのはなんだ?」


「中将の所持品に、ウォード錠の鍵がなかったか確かめたくて」


「家の鍵ぐらいしかなかった気がするが……素材は?」


「真鍮です。隠し持っているのではと推測したのですが」


 イレブンはキャラメルの箱をひっくり返し、小さな鍵を取り出した。確かに真鍮製で、凝った細工がされている。


「……さすがに飲み込むのは難しい大きさだな。スーツの内側に縫い付けてるとか?」


「諜報部の人間が物を隠すってなると、難易度は高そうだな」


 ロッキはイレブンの持つ鍵を確認してから、金属探知機を引っ張り出した。


 金属探知機で順にかざしていくが、遺体と服には特に反応がなかった。残るは靴と鞄だ。持ち物は全て袋で小分けされており、破損した携帯端末や財布はテオとイレブンで確認した。残った靴に金属探知機をかざすと、踵の辺りで反応が出る。


「お、ビンゴか? いや、化粧釘の可能性もあるか」


「いよいよスパイ映画じみてきたな」


 テオは靴を持ち上げ、内側に触れた。靴の左右で特に差はないから、内側ではないらしい。では靴底の方かとひっくり返すと、靴と靴底の間に、目立たないように薄く切れ目が入れられていた。ピンセットを借りて中を探ると、緩衝材に包まれた鍵が出てくる。


「……驚いた、本当にあったぞ。これにも歯車が付いてる」


「組み合わせてみましょう」


 二つの鍵を重ねると、かちりと小さな音を立ててはまった。持ち手にあしらわれた歯車が噛み合い、触れるとちゃんと回転する。


「ずいぶん古いが、何の鍵なんだ?」


「中将が購入した宝石箱です。トビアスに会う前に店に立ち寄り、何か細工したそうなので、鍵を先に確保した方がよいと判断しました」


「……なるほど、そっちも確認しなきゃいけないな」


 考えることは山積みだが、いつまでも検視室にいるわけにもいかない。ロッキも「分析の進捗が気になる」と言うから三人で検視室を出ると、そのロッキが思い出したように言った。


「そういや、お嬢さん。中将さんが立ち寄った店は現場に近いってことだよな」


「はい。中将が使用した魔導転送機と現場となったバーの間にあります」


「もしかしてその店に、花粉が付くような植物がなかったか? 袖辺りまで高さがある奴」


 イレブンは立ち止まり、少し考えてから答えた。


「金木犀でしたら、魔導転送機がある建物の敷地内に植えられていました。見張りとして立っていた諜報部の捜査官も、肩から花粉を浴びたようでした」


「……金木犀か。なるほど、確かめてみよう。証拠は全部ツールボックスの中か?」


「はい、まとめています」


「じゃあ俺が持ってくぜ。分析結果がわかり次第連絡する」


 ロッキはイレブンからツールボックスを預かって鑑識のラボへ向かった。テオは、まだ監査部の捜査官がオフィスにいるかもしれないと思うととても戻る気にはなれず、通路にあったベンチに座る。イレブンも隣に浅く腰かけた。


 現時点で分かっている情報を手帳に書き出し、テオは顔をしかめる。


「第二王女暗殺未遂の段階では、殺害された三人はともかく、戦勝祈願の捧げものは蝋で固められた血と針だった。しかしトム・ハーディー事件の被害者二名、殺害されたスパイ容疑者七名、捜査官五名、エマを襲った犯人一名は舌を針で刺され、蝋で口を塞がれている……」


 声に出して確認すると、とんでもない被害だった。だがグラナテマからすれば、これも裏切り者に対する罰として正当化されてしまうのだろうか。


 そう考えると、トム・ハーディーの被害者のうち、弟の恋人だけが儀式に捧げられなかった理由も見えてくる気がした。


「これ、自分からグラナテマに協力した連中は血と針を捧げるだけで済んでるが、グラナテマ視点で裏切った連中は殺すってことかもしれんな。捧げものならもっと神聖なものとして扱ってそうじゃないか?」


「そうですね。罰するために舌を針で刺し、蝋で喉を塞いで沈黙させる、口封じの意味合いが強そうです。警察の突入によって中断させられたエマはともかく、即死した中将が儀式に捧げられていない理由は、あくまで生者を痛めつけたいからでしょうか」


「おそらくな。なるべく苦しめて殺したいんだ。だから、エマにもわざと時間をかけた」


 少し重たく感じる眉間を指で押さえ、テオは手帳を睨んだ。


「スパイ容疑者七名は任務失敗のため、捜査官五名と中将は連中にとって不都合な調査を行ったために殺されたとすると、事件に関わってる組織犯は、元は侍従たちと同じ組織なのかな。侍従の別荘にあった祭壇と同じ文句を、エマを襲った奴も書いていた。同じ『父』の下で動いてる奴らなのかも」


「殺害後に近隣をうろついている諜報部捜査官とヴェンデル・ベルク―ルもまた、組織の一員なのでしょうか。中将の殺害前の行いに強い関心がある様子でした」


「……捜査官を殺害した連中は、調査結果を破壊してるんだよな。中将の持ってる情報はまだ破壊できていないんだ。だから彼が生前に隠したものをなんとかして見つけたいんだろう。全員グルだと考えた方がいいな」


 敵の多さに眩暈がしそうだ。テオは深く溜息をつく。


「例の宝石箱は早めに確保したいところだが、気になるのは店主の妻だ。生きてると思うか?」


 テオが尋ねると、イレブンはゆっくり瞼を上下させた。


「通常であれば生存確率は低めです。しかし店主の動きがなく、従順な態度からして、妻の無事を確認できる証拠を得ているとも考えられます。事件発生から長時間が経過していますし、なんらかの手段で制御しているのでは」


「……店主と接触して人質の居場所を探りたいところだが……諜報部の連中もうろついてるのが厄介だな。外出したところを狙って声かけてみるか?」


「買い物などで外出する機会はありそうですね」


「となると張り込み……いや、エマやトビアスの件で連絡が取れない状況は……」


 そこまで呻いて、テオはふと顔を上げた。


 なぜエマは殺されそうになり、トビアスは生かされているのだろう。


 無論「中将を殺害した犯人として必要だから」と言われればそれまでだが、エマの境遇が少し気になった。彼女は母親を亡くし、父親の犯行を証言して刑務所送りにして、叔母に引き取られた。孤児が証人として保護され養子に迎えられた流れは、スパイ容疑者たちと重なる点が多い。


 中将が証人保護プログラム適用者を洗い直すと報告した時、エマは顔を真っ青にしていた。あれがもしも、秘密を暴かれる恐怖に対する反応だったとしたら。


 グラナテマにとって、彼女もまた抹殺すべき裏切り者だとしたら。


(……試してみるか)


 テオは携帯端末を取り出し、急いで電話をかけた。付き合いの長い捜査官が複数人いると、こういう時に頼れて助かる。


「……テオ。何を考えていますか」


「説明は後だ。お前、エマに擬態できるよな?」


 イレブンは目を丸くした後に、テオの意図に気付いて目を据わらせた。

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