三章 あなたの役に立つということ 4
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イレブンは捜査官バッジを警官に見せて、立ち入り禁止テープをくぐった。まだベルクールたちは来ていないようだ。
イレブンはビニール手袋を着け、鑑識のツールボックスと捜査資料を手に行動を開始した。バーの店内は遺体を運び出された以外は事件当時のままにされていた。
捜査資料によると、店主はカウンターに立っており、中将は奥にあるテーブル席のソファーに倒れ、トビアスはその席の隣で床に座り込んでいたらしい。
イレブンは件のテーブル席へ近付いた。中将が倒れていた席は血に染まっており、向かいの席は合成義体のパーツが散らばっている。トビアスが座り込んでいた床の近くに、彼の左腕が無造作に転がっていた。全て記録用のカメラで撮影しておく。
目撃者の証言では、二人は同じテーブルにつき、中将の報告を受けてから何かがあって口論に発展した。中将は座ったまま撃たれており、それはソファーに残った血痕からも明らかだ。
イレブンは右手の親指と人差し指を立て、中将が撃ったと思われる角度を探った。中将が先に撃っているのだ、ソファーから見える場所に銃弾が埋まっているはず。
一枚、テーブル席の仕切り板が割れていた。そちらに歩み寄り、ソファーと仕切り壁を直線で結ぶ。その先、仕切り板を挟んだテーブルの側面に銃弾が埋まっていた。記録用のカメラで写真に残し、銃弾を引っ張り出す。
(……中将は座った状態で、立ち上がったトビアスの左腕を撃った)
でなければ位置関係の説明がつかない。グラスの位置からして二人が向かい合って座っていたことは確かだ。中将は右手で銃を抜くだけでトビアスを撃てたのに、トビアスが立ち上がるまで待った。さらに、トビアスは中将の真横に移動し、彼の眉間を撃ち抜いている。
(……利き腕を撃たれた直後の行動としては不自然だ)
銃弾を証拠品袋に入れて、トビアスが座り込んでいた床の辺りを調べた。トビアスがもたれかかっていた仕切り壁に液体の乾いた跡がある。酒だろうか。綿棒で撫で取り、それも証拠品袋に入れる。合成義体も残さず回収した。
テーブルに視線を戻すと、灰皿には煙草の吸殻が四本残っていた。よく見ればテーブルにも灰が散っている。
(……トビアスに喫煙習慣はない。中将は葉巻を吸うはず……)
吸殻を一つ持ち上げてみると、フィルターには噛み跡が残っていたが長時間燃えた形跡はなかった。どの吸殻もろくに吸わず、火を点けてフィルターを噛んで、灰皿に押し付けて潰したものばかりだ。
吸殻を全て証拠品袋に入れてテーブルの下も確認すると、ソファーから伝った中将の血が床に丸く残っていた。だが一部は四角く途切れ、灰と吸殻が血の上に落ちている。
(……出血時、ここには四角の物体が落ちていた。だが誰かがそれを拾い、灰と吸殻が血の上に落ちてそのまま固まった)
こちらも撮影し、血の上に落ちた吸殻を拾った。吸殻は煙草が短くなるまで吸われており、フィルターは噛みすぎてふやけている。
(……噛み癖のある喫煙者がここにいた証拠)
イレブンは貴重な証拠を収めた。床に膝を突いていたイレブンは、何かが光を反射したことに気付いて目を留めた。厨房に続く出入口の方だ。
ライトで照らしながら確認すると、床板の隙間に小さなガラス片が挟まっていた。ピンセットで引っ張り出したそれを証拠品袋に入れて光にかざすと、透き通った緑色だと分かる。他にないか探すと、観葉植物の陰に濡れた跡とガラス片が残っていた。そちらも回収する。
ここで酒瓶が割れたのだ。すぐに片付けたが、観葉植物の裏までは気付かなかったらしい。
(……おそらく、注文されたボトルを運ぼうと厨房から出たところだった)
イレブンは資料を確認した。事件発生直後に店を閉めている。店内にいた客は中将とトビアスだけだった。騒ぎが起こった時に割れたボトルであれば、きっと最後に注文されたはず。
すぐにカウンターテーブルまで戻り、伝票を探した。店主は伝票差しに突き刺しておく習慣があったらしく、伝票はすぐに見つかる。一番上の伝票を取り出し、メモ書きを頼りにボトルを探した。
壁に作られた棚を順番に見ていき、目当てのボトルを引っ張り出すと、確かに緑のガラス瓶だった。タグを付けて証拠品として伝票と一緒に押収する。
イレブンはツールボックスに入っていた霧吹きのボトルを取り出し、ガラス片を拾った辺りの床に適当に吹き付けた。
その途端、床に点々と青白い光が現れる。
血液反応だ。
イレブンはそれを写真に収め、他に反応が出ないか探した。トビアスと出入口の間に血痕はない。ならばと厨房に入ると、血を引きずった跡が裏口まで続いていた。
血痕の中には、靴底の一部が含まれていた。小さな点と靴先だけだ。
(……形状としてはハイヒールの類だ。靴の大きさからして女性)
イレブンは物差しを近くに置いて、足跡を記録した。
裏口を出た血痕は、途中で途切れていた。車に乗り込んだか、あるいは。
近くにゴミ収集ボックスがあることに気付き、イレブンはすぐさま収集ボックスの蓋を持ち上げた。遺体や人間が入りそうな大きさのゴミ袋はない。負傷者は連れ去られたと見てよさそうだ。
イレブンは店に戻り、厨房出入口の正面にある物を確認した。カップボードと調理台の隙間をライトで照らすと、銃弾が見つかる。撮影してから銃弾を引っ張り出すと、しっかりと血液が付着していた。
銃弾が見つかった高さとアダストラ国民の平均身長を比較すると、大腿部と同じ位置だ。そして、トビアスが床に座ったまま右手を伸ばせば撃てる高さでもある。
店内にいたとされる三人に、大腿部の傷はない。四人目がいた確かな証拠だ。
四人目がいたというだけで目撃者の証言は崩れる。あとは吸殻の持ち主を明らかにすれば、トビアスの逮捕根拠はぐっと弱まるはずだ。
銃弾を証拠品袋に入れ、ふとイレブンは床に触れた。
微かな振動。
車が近付いてきているのだ。
(……来たか。撤収だな)
イレブンはツールボックスに全ての証拠を収め、床を拭いて血液反応を消した。速やかに店から出て通りすがりの住人と一緒に近くのアパートに滑り込む。不思議そうな顔をした住人に捜査官バッジを見せて「ご迷惑をおかけしております」と挨拶していると、車が二台、店の前で止まった。
派手に音を立てて車のドアを開閉させ、ヴェンデル・ベルクールが怒鳴った。
「急いで証拠を回収しろ!! 私はあの生意気な捜査官を探す!! ぐずぐずするな!!」
捜査局のジャケットを着た男が四人、店の中へ急いで入っていく。ベルクールは険しい顔で辺りを見回し、店の裏口へ歩いて行った。イレブンもその後を追いかける。
ベルクールは苛立った様子で煙草の封を切り、一本取り出して火を点けていた。早々に探すことを諦めて喫煙とは、ずいぶん余裕がないらしい。
イレブンが表通りから堂々と近付くと、ベルクールは目を剥いて顔を真っ赤にした。
「貴様!! どの面を下げてここに来たんだ!!」
「諜報部長官から中将殺害の真相を探るよう指示されておりますので。失礼します」
裏口から店に入ろうとすると、ベルクールがイレブンの腕を掴んだ。ぎりぎりと服が音を立てるほど強く握りしめられる。
「何のつもりですか」
「とぼけるな、我々の捜査を妨害するつもりだろう!! 勝手に聞き込みもしていたそうじゃないか、アンティークショップに中将は行ったのか?!」
イレブンは一瞬動きを止めた。
アンティークショップに立ち寄ったことを知っているのは、見張っていた諜報部の捜査官のはずだ。ただの監査部の人間だと思っていたら、諜報部とも繋がっているらしい。
「……捜査を妨害する意図はありませんし、アンティークショップには注文の品を確認しに向かっただけです。仕事の用事ではありません」
「そんな言い分が信じられるか!! 立ち入りは許可できん!!」
つばを飛ばして怒鳴り、ベルクールはイレブンを裏口から引き離した。彼の頭に血が上りすぎて、血管が切れそうだ。一見、表情のほとんどを『怒り』『苛立ち』が占めているが、頬と口元の緊張は『不安』由来だ。
再び煙草を口にくわえたベルクールは、ぎり、と強くフィルターを噛み締めていた。
イレブンはポケットに手を入れ、気取られない範囲で煙草を観察した。
燃えるペースは速い。煙草を吸う、煙を吐く、その動作を切っ掛けに深呼吸をしている様子だ。やがて彼は煙草の入っていない方のポケットに手を突っ込み、気まずそうな顔で指をポケットに引っ掛け直す。
(……落とし物と吸殻の主は彼か。『不安』が強いはずだ)
イレブンはポケットの内側で、掌に携帯灰皿を形成した。素知らぬ顔で差し出す。
「使いますか」
ベルクールはぎょっとした顔でイレブンを見下ろした。彼はちらりと煙草の先に視線をやる。煙草の火はじりじりと伝わり、灰は今にも落ちかねない。
「ポイ捨ては罰金ですよ」
「……なぜ灰皿なんて持ってるんだ」
「こういう気遣いを好む上の方がいるのです。……諜報部所属なものですから、こういった気遣いは皆、仕込まれるものですよ」
イレブンは彼と目を合わせ、『邪気のない穏やかな微笑』を浮かべた。
大声と噛み癖。典型的な、ストレスと不安を抱えた人間だ。自分に自信がなくて不安で仕方がないから、大声で周囲を威圧して物に当たる。不安は解消されず、頭を押さえつけられてストレス発散もできず、ろくに感情の制御もできない。
そういう人間は見返りのない優しさを知らず、親切の裏を疑う。そのくせ、喉から手が出るほど他人の優しさに飢えているから、結局その親切に飛びついてしまうのだ。
携帯灰皿を差し出して待っていると、ベルクールは静かに、煙草の灰を灰皿に落とした。
(……なんて人間らしい人間なのか)
端的な感想は言葉にせず、イレブンは微笑んだまま指摘した。
「普段は、携帯灰皿をお持ちなのでしょう。お忘れになるだなんて、珍しいのでは」
「ジャケットを変えて、うっかりしたんだ」
「最近、寒くなりましたものね」
イレブンは愛想よく笑った。こうするだけで、自分のように小柄な女相手だと多くの人間が油断すると知っている。ベルクールがイレブンを睨みながら深く煙を吸い込んだところを見計らって言った。
「ヒルマイナ捜査官と同じ煙草ですね」
ぴくりと、ベルクールの手が震えた。初歩的なカマかけにも動揺するほど、不安でたまらないらしい。
「……偶然だろう。よくある煙草だ」
「そうでしたか。……ああ、いけませんよ、ミスター」
フィルターを噛み切りそうになっている前歯を見て、イレブンはわざと顔を寄せた。ベルクールが驚いた隙に、唇を撫でるようにして煙草を引き抜く。
「歯に悪いですから。ほどほどに」
煙草を携帯灰皿に突っ込んで、イレブンは歩き出した。我に返ったベルクールが怒鳴る。
「ま、待て、どこへ行くつもりだ!!」
「中将殺害の捜査はあなた方にお任せします。諜報部も忙しいものですから。それでは」
肩越しに言い放つ頬からは、既に微笑は消えている。ベルクールはまだ何か言おうとしていたが、店内から声をかけられて裏口に入っていった。それを見送って携帯灰皿の擬態を解除し、吸殻を灰ごと証拠品袋に入れてしまう。
彼は証拠が回収されていると気付いて激怒するだろうか。それとも、自分たちの仕事をこなした捜査官たちに何も言えず、不安がるだろうか。
いずれにせよイレブンが留まる理由にはならない。他の捜査官に止められる前に離脱しようとしたが、ふと立ち止まった。
物陰に隠れて、店をじっと見つめている男がいる。
記憶にある人相だと気付き、イレブンは音もなく彼の背後に歩み寄った。
「何が気になるのですか」
「うおぉえぁ?!」
男は飛び上がってイレブンから離れ、そのまま転んだ。両脚の合成義体がもつれたのだろうか。
かつて薬物の売人として逮捕され、親友の無念を晴らすために捜査に協力した男、ヤッカス・ギレンは、イレブンを見上げて顔を真っ青にしていた。いつ仮釈放されたのだろう。
「お、お、お前、なんでここに」
「あの店で起こった事件を調べていたところです」
「やっぱり事件になったのか?!」
ギレンはがばりと起き上がり、すぐにきょろきょろと見回してから、イレブンを物陰に案内した。念のため携帯端末で録音を始めていると、ギレンが小声で尋ねる。
「……おい、あのロン毛のデカは無事か?」
「無事ではありません」
「なんだと?! くそっ、やっぱりか……」
「お話を伺えますか」
心当たりがあるようだ。ギレンは額を手で押さえていたが、声を潜めて言った。
「昨夜、ロン毛のデカがあの店に入っていくのを見たんだよ。あいつ、いい奴だったからさ。仮釈放された身だし、挨拶ぐらいいいだろと思って声かけようとしたんだ。でも、女連れだったから遠慮したんだよ」
「その女性は金髪でしたか」
「いや、黒髪だった。派手な黄色のコート着た女だよ。暗くて顔は見えなかったけど」
イレブンは言葉を失った。
なんということだ。
クロエ・ギフェル。死の商人が、この街に来ているのだ。
ギレンは気にせず続けた。
「二人で店に入っていく時、女の手が赤く光ったんだ。そしたら、急に音が遠くなった。何回か経験あるからすぐ分かったぜ。これからやべえことが始まるんだって。ギャングにヤク売ってた時、そういう感覚になるとドンパチ始まるのが当たり前だったからさ」
消音の魔術だ。イレブンはすぐに先を促した。
「それから、あなたは店に近付きましたか」
「いや、二人が店入ってすぐに銃声がしたから、デートじゃなくてサツの突入だと思って離れた。せっかく足洗って真面目にやってんのに、また警察沙汰になったらと思うとな」
「昨夜はあの店に用事だったのですか」
「帰り道だったんだよ。ここのダイナーで働いてんだ」
ギレンはそう言ってマッチをイレブンに渡した。確かに近くにあるダイナーのロゴが入っている。礼を言って受け取り、イレブンは改めて尋ねた。
「銃声は何回聞きましたか」
「一回だけ。店を離れるとなんにも聞こえなかったから」
「では今日は、何の用事であの店を見ていたのですか」
「……恩人の店でなんかあったかもしれねえってなったら、気になるだろ。黄色いテープまで出てるし。出勤前に、見に来てみたんだよ。車が来たの見て、隠れたけど……」
ギレンは『照れ』『恥ずかしい』で口元をもたつかせて答えた。
「恩人というのは」
「仮釈放された俺を、一時期雇ってくれてたんだ。奥さんが足痛めてホール出れねえって間だけな。足が治ったら今度はダイナーに紹介してくれて。マジでいい夫婦なんだよ」
夫婦。イレブンの目が丸くなった。
「……奥様は、昨夜も店にいたのでしょうか」
「そのはずだぜ。いつも客が増える時間から閉店までホールに出てるからさ」
「参考になりました。捜査へのご協力ありがとうございます」
「は? おいちょっと! 来るのも急なら去るのも急かよ!」
ギレンが何か言っていたが、イレブンは構わず表通りに出た。通りかかったタクシーを捕まえて捜査局に向かってもらいながら、携帯端末を取り出す。
(弾が貫通していても銃創だ。生きていたら必ず治療を受けたはず)
イレブンは近隣の病院へ手当たり次第に電話をかけた。
■
子供が母親から頭を撫でられ、嬉しそうにして寝室から出ていく。
エマはそれを、呆然と見送った。
これがいわゆる、走馬灯というやつだろうか。死ぬ直前に見る、最後の夢なのだろうか。
エマは恐る恐るベッドに近付いた。こうして見ると、エマと母親は姉妹のように似ていた。
子供の帰りを待っていた母の顔が、ふとエマを見上げる。彼女は驚いた顔をして、エマもぎくりとして動きを止めたが、母は微笑んで手招きした。
促されるまま、ベッドに腰かけた。遠い記憶の彼方にいた母が、今目の前にいる。もっとちゃんと見たいのに、涙で視界は曇る一方だ。唇がわななく。
何か言おうとしたのに言えないままでいると、痩せた腕にきつく抱きしめられた。
「エマ、大きくなったね。すっかり大人になって」
「……お母さん」
声は震えていた。母の冷たい手が頬を包む。開いたままの扉からは変わらず緊迫した声が聞こえていた。遠く、一定の高さを長く続ける電子音が響く。
ちか、と照明が一瞬暗くなった。まばたきとともに視界が晴れていく中で、母が微笑んだ。
「約束通り逃げてくれたと思ったのに、ここまで来てしまったなんて。あなたにはまだやることがあるでしょう?」
「……でも私、お母さんと一緒にいたいよ」
「お母さんもよ。でも、あなたはもう行かなきゃ」
母はそう言って、両手でエマを抱きしめた。エマも母の痩せた背中に両手を回す。こんなに細くて小柄だったのかと思うと、涙が止まらなくなった。
照明がまた一瞬暗くなる。鳥肌が立つほどの寒気が全身を覆っていた。後ろから大勢の手で引っ張られてしまう。離れたくなくて握りしめた母の手は、氷のようだった。
「大丈夫よ、エマ。お母さんの魔法がきっとあなたを守ってくれる」
母の頬を涙が伝う。彼女は微笑んで、エマの手を離した。
「ずっとずっと、愛してるわ────」
微笑が、衝撃とともに白く消し飛ぶ。
がくりと跳ねる肉体。
電流が全身を駆けていった。
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