三章 あなたの役に立つということ 3
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テオはロッキや担当の刑事、鑑識と合流し、マンションに入った。エマの家は立ち入り禁止テープとブルーシートで封じられ、その前に制服警官も立っており、近隣住民は落ち着かない様子だ。
テオたちは警官に挨拶し、ブルーシートをめくって中に入った。
玄関扉は無惨に廊下に転がされ、玄関に飾られていたらしい花瓶や写真立ては粉々になっていた。壁紙も切り裂かれ、焼け焦げた跡でぼろぼろになっている。
火による焦げ跡であれば、さらに大きく被害は広がり、火災報知器も反応したはずだ。おそらく雷撃による焦げだろう。玄関扉と壁には血痕が残り、薬莢も転がっていた。
「……入っていきなり始まったのか。エマも警戒していたんだな」
「捜査官。出入口に消音の魔術の痕跡がありました。近隣住民が襲撃に気付かなかったのはそのためかと」
鑑識が玄関先から報告する。テオは振り返ってそれに応じた。
「ありがとう、続けてくれ。エマは魔法小銃で応戦したはずだが、その区別はできるか?」
「はい。魔法小銃による魔術とそれ以外の魔術、銃弾の跡に分けて記録します」
「よろしく。ロッキ、足元気を付けてな」
「ったく、年寄りにはきつい現場だな……」
雷撃で脆くなった床板や凍結の魔術で大きく開いた穴を避けながら、テオはロッキと刑事を連れて室内を進んだ。その途中、鑑識用の記録カメラで現場を撮影する。
玄関から突入した襲撃者を、エマは正面から迎え撃った。最初の衝突は玄関から入ってすぐの廊下だ。リビングと廊下を隔てる扉も粉砕されており、リビング側に扉とガラスの破片が飛び散っている。玄関の正面にある家具も氷の刃で破壊されており、どれだけ激しい攻撃だったのか窺えた。
戦線は押し込まれ、リビングで戦闘は激化する。テーブルやソファーは蜂の巣になり、本棚やテレビなども竜巻に吹き飛ばされた後のような有り様となっていた。
寝室へ続く扉があったはずの空間には、黒装束の男が仰向けで倒れていた。腕時計など金属に触れた肌が特に酷く火傷しており、感電した様子だ。扉は粉々の木片となって散らばり、口から血を吐いた形跡がある。
そして、リビングの奥の壁には魔法小銃が転がされ、血痕とともに切り落とされたブロンドの髪と蝋燭が散らばっていた。壁には血で文字が書かれ、釘でタラスカイト鉱石がぶら下げられている。
血文字の前で立ち尽くすテオに、刑事が言った。
「……彼女は壁にもたれるように座り込んでいた。我々が突入した時、男は彼女に覆いかぶさるようにして髪を切っていたところで、奴はすぐに窓から外へ逃げてしまった」
「では彼は、あえてトドメを刺さなかった?」
「そう見えたよ」
テオは顔をしかめ、床に散らばった髪を見下ろした。エマの長い髪が無遠慮に切り落とされてしまっている。
殺人犯が被害者に手を加える理由のうち、今回のケースに合うのは侮辱だ。安心して過ごせるはずの自宅を襲撃し、重傷を負わせ、じわじわと苦しませながら、動けない彼女を嘲笑うようにステージを整え、髪を切り落とす。エマに対する私怨を感じさせるものだった。髪を切り落とすという行為も、相手を醜くしたい、貶めたいという欲求の現れだ。
犯人はエマと面識があるのか。それとも、一方的にエマを知っていたのか。現時点では判断がつかず、テオは返り討ちにされた男の方を見に行った。
ビニール手袋をした手で遺体を調べていたロッキが鼻を鳴らした。
「こいつは魔術による感電で動けなくなったところを、儀式の生贄にされたらしい」
「なんだって?」
「口の端から蝋が垂れてる。よく見りゃ、顔や服、床にも蝋が飛び散ってるんだ。血に混じってな。生きたまま舌に針を刺され、蝋を流し込まれ、必死で抵抗したが最後は窒息したってところだ」
ロッキはそう言って、遺体の口を開いた。だらりと垂れた舌には針が刺され、喉は蝋で固められている。
「この儀式だが、犯人は『死ぬ前に捧げる』ってところにこだわってるようだな」
「……死んでいたらだめなのか」
「クサリヒルガオの苗床になった二人もそうだった。魔力を失って体を動かせなくなったところに舌を針で刺され、口に蝋を流し込まれた。死因は二人とも窒息だ。今回逃げた奴も、こっちの男が死ぬ前に儀式に捧げなきゃならねえって急いだみてえだ」
警察の突入が間に合った理由がこんな形で分かるなんて思いもしない。テオは改めて血文字を見やった。明らかにこの国の言語ではない。以前、エマが撮影した祭壇の画像を取り出して並べると、縦書きと横書きの違いはあるが、同じ言葉が書かれていると分かる。
「……『子の命は父のもの』か。ずいぶん傲慢な御父上だな」
テオは溜息をつき、室内に付箋を貼って回っていた鑑識に声をかけた。
「それは?」
「魔法小銃による魔術とそうでない魔術、銃弾を色分けして付箋を貼ってみたんです」
鑑識はそう言って、廊下からリビングまでを手で示した。確かに緑とピンク、黄色の付箋が点々と貼られている。
「ピンクが魔法小銃、緑がそうでない魔術、黄色が銃弾です。明らかにピンクが少ない」
「魔法小銃による魔術が、あまり使われなかった? それとも相手に当たっていて部屋に痕跡が残っていない?」
「後者です。カナリー捜査官はほとんどの魔術を相手に命中させています。壁や床に残ったのは余波ですね。他の魔術は外れているので、部屋中に痕跡が残ったわけです」
「そう聞くとエマが有利な状況に思えるが、実際は押し込まれた」
テオは実弾の埋まった位置を示す黄色の付箋を目で追った。鑑識が頷く。
「リビングの手前に血痕とヒールの跡がありました。たぶん片方を雷撃で仕留めた時に、もう片方が魔術に合わせて実銃で撃ったんです」
鑑識が示した場所は、確かに緑と黄色の付箋が隣接していた。床に埋まった銃弾をピンセットで引き抜くと、血が付着している。
「……そのようだ。一対一まで持ち込めたが、負傷で動きが悪くなったエマが追い詰められ、重傷を負ったか」
「カナリー捜査官は魔法小銃の分、手数の面で不利だったのかもしれませんね。魔法小銃と実銃の二丁持ちは女性の平均的な筋力では難しいですし……それに、カナリー捜査官は雷撃と防御の魔術しか使っていなかったみたいです」
「……殺さず、無力化しようとしていたんだろう。捜査官らしいよ」
テオは鑑識とロッキに遺体を運ぶよう頼み、その間に刑事と一緒に管理室へ向かった。事情を話し、監視カメラの映像を見せてもらう。
「管理人さんは、何時までここに?」
「十八時までです。夜間は、通報があれば警備会社が対応することになっていて」
「では昨夜の十八時から早送りでお願いします」
監視カメラは、駐車場の出入口とエントランス、各フロアのエレベーター前と非常階段の扉に設置されている。サーモグラフィ機能も搭載されており、姿を透明化させた侵入者も感知できる仕組みになっていた。
「なんというか、ずいぶんしっかりした監視体制なんですね」
「以前、透明化した泥棒が住人と一緒にオートロックを抜けて侵入したことがあるんですよ。その影響ですね」
話している間にも映像は進み、夜遅くになってエマが駐車場から出てきた。彼女は急いだ様子でエントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。少しして、作業着姿の二人組がオートロックの鍵を解除し、マンションの中へ入っていった。
作業着には、特に企業のロゴなどは入っていない。清掃業者が入る時間でもなかった。
監視カメラで二人組の動きを追うと、エマが降りた階でエレベーターが止まった。降りて来たのは作業着ではなく黒装束姿の二人だ。二人はエマと同じ方向へ歩いていく。その動きは一切淀みがない。
「……下見してるな。監視カメラの位置をよく把握してる」
「人相は映っていないが、身長と体格、歩き方が分かったのは大きい。すぐに手配する」
「頼むよ。管理人さん、映像のコピーをいただけますか」
「は、はい、すぐに」
テオは監視カメラの映像のコピーを受け取り、刑事とともに車に戻った。
てっきりこのまま捜査局に戻るのだろうと思っていたテオは、車にロッキしか乗り込まないのを見て鑑識を振り返った。彼は刑事の車に乗っている。
「えっあいつ捜査局所属だろ、どうしたんだ」
「刑事さんも検視に付き合うからいいんだよ。それより坊主、エマの叔母夫婦から聞いた話なんだがな」
ロッキに促され、テオは車を発進させた。ロッキは両脚を持て余すようにして助手席にもたれ、深く溜息をつく。
「ここ数日、叔母さんの家の周りをうろつく人間がいたそうだ。家の周りは畑ぐらいしかなくて、夜は街灯から離れたら自分の手も見えないような暗さなのにな。エマのお母さんを埋葬した墓地で落書きするような輩も出ちまって、昨夜はその件についてエマに相談しようと電話したらしい」
エマの親について聞くのは初めてで、テオが握ったハンドルは少し左右にぶれた。
「……それで?」
「電話の途中で、エマが急に通話を切ったんだ。そしたら、それを見計らったみてえに、家の周りをうろついてた人間が撤収したそうだ」
「……襲撃犯と繋がっていたのか」
「そうとしか思えねえ。タイミングが良すぎる。で、まぁその……エマのご両親についてだ。聞いたことあるか?」
ロッキが気まずそうに尋ねた。テオは首を横に振る。
「聞いたことない。アカデミーにいた頃からそうなんだ。俺やトビアスの家族については気にするのに、あいつの家族について聞くと『うちは普通だから』って避けられてて」
「……あの子らしいな。まあ、ちと気まずいだろうが、必要そうだから話すぞ」
「ああ、頼む」
ロッキはどう言い出したものか悩んでいる様子だったが、やがて「あのな」と口を開いた。
「二十年前、他に身内がいないからってことで、叔母さんがエマを引き取ったそうだ。当時、エマは八歳だった」
「……何があったんだ?」
「父親は連続殺人犯として逮捕され、母親は彼の犯行によって亡くなり、エマがそれを証言したらしい」
ロッキの話を聞いて、テオは思わず眉をひそめた。
「その父親、今はどうしてるんだ」
「データベースによると、国外の刑務所で今も服役中だ」
「……その話、刑事にも共有してくれ。逮捕の腹いせに娘を襲わせたかもしれない」
言葉にするだけで嫌な気分になったが、可能性は無視できない。
「しかし、二十年前か。叔母も若かっただろうに、よく姪を引き取ったな」
「エマがお姉さんの小さい頃そっくりで、『絶対にこの子を幸せにする』と心に決めたそうだ。立派な方だよ。……そんな可愛い姪が、自分との電話を切った直後にこの大怪我だ。生きた心地がしなかっただろうなぁ」
深い同情の声色でロッキは語った。
「エマの両親については気になるところが多い。叔母の話じゃ母親は魔導士で、十八の頃に戦場で敵国に拉致されちまった。おそらくエマの父親とはその先で出会ったんだろう、と」
「……敵国で結婚、出産、挙句に夫に殺された? 悲劇的だな」
「その殺人事件が向こうでどう報道されてんのか知らんが、少なくとも母親の拉致はこっちで報道されてねえんだよ。戦場に出るような腕利きの魔導士が拉致されてんだぜ? だんまりなんてあるか?」
言われてみれば妙だった。アマルガムが前線を支える以前は、強力な魔導士たちがアダストラの優位を守っていた。そのうちの一人がエマの母親だとしたら、拉致された時に相当な騒ぎになってもおかしくない。
「戦死扱いで拉致をなかったことにしたとか? 都合が悪いといくらでも陸軍は黙る」
「だとしたら不憫すぎる。でも、お前らみんなそうか……なんにも失ってない奴の方が珍しい。戦争なんざ、くだらねえなぁ」
子供も孫も持つロッキは、そう言って深く溜息をついた。
「今回の事件もなぁ。エマはこんな目に遭って、トビアスはろくな捜査もなしに逮捕。こんな形でチームが半壊することがあるか?」
「まったくだよ。イレブンに中将殺害の捜査を任せられて助かった」
持つべきものは頼もしい仲間である。テオは後方からついてきている刑事の車を確認しながら尋ねた。
「……中将の検死は?」
「終わってる。実際に見せて説明するが、矛盾があるんだ」
「矛盾?」
「トビアスの無実と、誰が嘘をついたか、はっきりするぜ」
それきり会話は途絶えたが構わず、テオは帰路を急いだ。
■
白いヒルガオの花が揺れている。
エマは目をまたたかせ、辺りを見回した。
小さな庭に、エマは立っていた。花壇から伸びるヒルガオが、二階建ての家の外壁を這い、窓の近くまでツルを伸ばして花開いている。
八歳まで暮らしていた家だと、すぐに分かった。
「……夢よね」
エマはぽつりと呟いた。だってさっきまでエマは自宅にいて、襲撃犯二名と戦闘して。
ふと、首の辺りに手をやる。ざっくりと短く切られた髪の先が触れた。あの痛みも何もかも、現実のことだった。
「……夢じゃない?」
とにかく状況を確かめようと動き出した。庭の門は開かず、高い塀に囲まれて外には出られない。仕方なく玄関の扉に手をかけると、呆気なく開いた。
中に入ると、二人分の笑い声が聞こえてくる。それと同時に、酷く緊迫した大人数の声も。清潔な匂い。血の臭い。水中にいるみたいに、音はくぐもって遠い。
二階の寝室に入ると、ベッドで体を起こした女と、傍に置いた椅子に座った子供が見えた。
幼いエマと、生前の母の姿がそこにあった。
エマは立ち尽くした。眩しい光で目の前が一瞬真っ白になる。
照明と、見知らぬ天井。複数人がこちらを覗き込んで慌ただしく動いている。
(──ああ、私)
ごぼごぼと遠ざかる音の中に、乱れた電子音と慌てた声が混じっていた。
やがて電子音が一定の音を長く響かせる。「電気ショックを」と医者が怒鳴った。
それら全てが、今や遠い。目の前では記憶の中にいた親子が笑い合っている。
(──ここで死ぬのかしら)
エマは小さく息を飲んだ。
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