一章 檻より見上げた星 2/2



   ■



 闘技場で逮捕されたのは、選手十七名、主催者を始めとした運営スタッフ十名、違法行為をしていた観客およそ三十名。入院した者は二名。そして、闘技場を含む周辺で遺体として発見された元選手が二十九名。事情聴取に身元確認、移送に保護者の呼び出しなど、テオたちは地元警察と連携しながら慌ただしく夜を徹し、デスクに戻った時には正午を過ぎていた。


 ミルクと砂糖に半分以上占められたコーヒーを飲んだエマが、うつろにつぶやく。


「本当……とんでもない闘技場があったものね……」


 テオも「まったくだ」とうめき、ボードに張り出して整理した情報を見やった。



 闘技場を運営していたのはばく場経営に失敗したギャングの一味で、興行収入をさらに増やすために選手たちにドーピングさせていたと供述した。そのドーピングが問題だった。


 運営スタッフは売人から薬を仕入れただけで、スタッフも選手も、薬剤の全貌を把握できておらず、アマルガムのアの字も知らなかった。


 しかし運営スタッフは「錠剤を一錠でも摂取した者は異形に化ける」とだけ知っていた。


 錠剤を摂取してから日数が経過すればするほどに、身体からだの一部は異形と化す。選手によってその特徴や変化が現れる場所が異なっている理由は明らかになっていない。しかし試合に勝ち残り、長期間活動している選手ほど広範囲に変化が出ていた。


 異形化した部分が広がると、好戦的になり、言語は通じにくくなり、簡単には死ななくなる。獣に近付いた選手たちによる常軌を逸した殺し合いを見て、観客は熱狂を増していった。味を占めた運営側はさらに選手を増やし、錠剤を飲ませて化け物を生み出したという。



 錠剤を扱った売人は現在捜索中、選手たちの体に起こっている異形化や錠剤については検査中であり、トビアスは記者との打ち合わせで不在。それだけではない。


 テオは控え室を振り返った。軍服姿の少女が、身じろぎどころかまばたき一つせず、膝と手をそろえて行儀よくソファーに腰かけている。彼女の扱いについても、困り果てていた。


「……本当にちようほう部のエージェントなのか?」


「あの変身術を見たでしょう? ちようほう部のエージェントになる必須条件なのよ、変身術って。しゅるしゅるしゅる~って服が変わるなんて素敵だわ。私も習得したい」


「あのなエマ、真面目な話をしてんだよ俺は。手錠をすり抜けた件を無視するなよ……」


 ちようほう部から確認のために人が来るそうだが、一体いつになるのか。テオはためいきいた。


「魔術が使えるとしても、あの体格と戦い方は説明できないだろ。ありゃバケモンだ」


「確かに肉体強化の魔術を超えた動きだったけど、魔術以外どう説明できるのよ」


 ふとオフィスの入り口がざわめき、テオはそちらに目をやった。トビアスの案内で、コートを腕にかけた男が入ってくる。その顔に、テオも見覚えがあった。新聞でしか見たことのない、眼鏡をかけた優しげな顔立ち。陸軍ちようほう部長官、ベネディクト・グインその人だ。


「おいおい、ちようほう部の最高責任者が来るなんて聞いてないぞ」


「あの闘技場って、そんなに重要な捜査対象だったの?」


 戸惑いながらも、テオとエマは戻ってきたトビアスとともに来客を迎えた。


 オフィスに入ると、グインは眼鏡越しに温厚な笑みを浮かべた。陸軍ちようほう部といえば、国内外の危険因子を監視し、日夜活動している情報収集専門機関。魔導士協会を上回る秘密主義の組織だ。そのトップとは思えない、人好きのする笑顔だった。


「勤務中に失礼。うちのものが世話になったね」


「では彼女は本当に、ちようほう部のエージェントなんですか……」


「ああ、アマルガムの真偽判定のために潜入させていた。聞いたよ。君たちが、アマルガム犯罪対策チームだそうだね。是非、話をしよう。こちらも伝えたいことがある」


 グインの言葉に異論はなく、全員で控え室に向かった。少女は素早く立ち上がり、グインに敬礼する。グインは笑顔でうなずき、テオたちを振り返った。


「改めて紹介しよう。これは、ナンバー・イレブン。現在は、流出アマルガムを追跡し、破壊することを任務とした兵器だ。最も安定して運用できる、立派なアマルガムだよ」


「アマルガム? 彼女が?」


「────そんなはずありません!」


 テオが目を丸くした矢先に、エマが声を荒らげた。グインは穏やかに応じる。


「君は魔導士協会の捜査官だね。どうしてそう断言できる?」


「ここまで人間と遜色ないアマルガムなんて、ありえません。能力が高いほどコアは巨大化するものです。だからアマルガムは、能力に見合ったコアを積むためにあのサイズで妥協されたと聞いています。人間の見た目に擬態できるレベルのコアなんて、普通のアマルガムよりもずっと大きなものが必要なのに……こんな、小さな肉体に積むなんて、無理よ。ありえない。錬金術師たちが卒倒しちゃうわ。魔導士と言われた方がまだ納得できるのに……」


 言い募るうちに、エマの視線はグインから少女へと移っていた。少女は灰色の瞳でエマの視線を受け止めたが、小さく唇を結び、何も言わない。代わりにグインが答えた。


「君の疑問ももっともだ。これの仕組みは機密情報に該当し、関係者しか全貌を知らない。存在すら、軍内部でも将軍以上にしか通達されていないんだ。特別な兵器なんだよ」


「……こんな、子供の姿なのに」


「見た目だけだとも。これは人間の姿で、人間には困難な任務に就くため、特別に製造された兵器だ。我々は『ハウンド』と呼称し、他アマルガムと区別している」


「ああ、それでか!」


 グインの説明を受けて、トビアスは明るく声を上げた。彼は少女に向けてほほむ。


「ハウンドってモデルの、十一番って自己紹介したんだね。ハウンド・イレブンって」


のんねえ、どこに引っかかってるのよ! そんな特別製の秘密兵器を、どうして闘技場に? あそこには化け物と化した人間とドラッグ、それ以外にも重要な何かがあるんですか?」


 エマはトビアスの背中をたたき、グインに食ってかかった。グインは笑顔で答える。


「無論、君たちだ。アマルガムの関与が疑われる事件は他にもある。だがあの闘技場で問題になるのは錠剤の正体とその流通ルートだ。だから、刑事部にもアマルガム対策チームを作ると聞いた時に、最初の事件として相応ふさわしいのはこれだろうと我々は判断した。薬物とりしまり部ほどではないが、刑事部も薬物捜査には詳しいし、実際何人も死亡者が出ている。刑事部の捜査官が主導するのであれば、闘技場の制圧も容易だろう。そこで、潜入捜査には人間ではなくナンバー・イレブンを投入した。そのままスムーズに君たちと合流してもらうためにね」


「────ちょっと待ってくれ」


 テオは思わず口を挟んだ。脳裏にパロマ部長の言葉がよぎる。彼はチーム増員も視野に入れていると言っていた。その増員がつまり。


「アマルガムと一緒に捜査しろって言うんですか?」


「この個体についてなら、捜査の実績は十分だ。人間に紛れてどうする目的で製造されているし、ナンバー・イレブンであれば君たちの要求にも柔軟に応じる。私が保証しよう」


「冗談じゃない。アマルガムだぞ。命令されれば何でもやるさつりく兵器を、捜査になんて」


 テオは低くうめいた。気付けば半歩後ろに下がっていた。



 まぶたの裏に過去の光がよみがえる。


 山の表層をめ広がる炎は、七日七晩消えなかった。山間にある小さな集落はすぐさま燃え上がり、熱風の吹く端から建築物は溶け、家々はもろく崩れ去り、住人は逃げる間もなく炎とれきに飲まれていた。そんな中をテオは進んだ。肺まで焼けるような熱風にき込みながら、家族の名前を呼んで走り、れきの山となった実家に辿たどいて、そして。れきの隙間から垂れる、焼け焦げた腕には、誕生日に妹に贈ったブレスレットがあって。


 今なお、忘れることのない地獄絵図。

 炎と破壊の渦巻く中心にいたのが、巨大化して荒れ狂い、熱線を吐くアマルガムだった。

 燃え上がる熱塊の怪物は、敵部隊ごと、無慈悲にテオの故郷を焼き払ったのだ。


 トビアスが仲裁に入ろうとしたが、グインはそれを制してテオに顔を向けた。


「よく理解しているようだ。そう、これは命令さえあれば何でもやるし、何にでも化ける」


「っそれなら、なおさら──」


「だから君が、命令権を握ればいい。……どうかね?」


 思わぬ提案を受けて、テオの理解は遅れた。トビアスが「長官」と間に入る。


「秘密兵器の命令権を個人に預けるなんて……せめて刑事部単位とかに」


「現場責任者に命令権がなければ意味がない。これはね、ヒルマイナ捜査官。刑事部にアマルガム対策兵器を配備するに過ぎないんだ。民間だと、アマルガムへの対抗手段はアーツ・リジエクターぐらいだったが、ハウンドがいれば大抵の脅威には対処できる。君たちもどんな犯罪と闘うことになるか分からないんだ、使える武器は多い方がいい。無論、普段は武器庫にでも入れて、緊急時だけ使用するのもいいだろう。君の好きに使いたまえ」


「……それを俺が悪用するとは考えないんですか? 特別な兵器なんでしょう」


「何を言うんだ、スターリング捜査官。君らしくもない」


 テオの言葉に、グインは苦笑した。眼鏡の奥で、柔和な垂れ目が冷たく光る。


「一般人を殺すよう命令するのか? 君が? 家族がどう死んだか知った上で?」


「────知ってて、っ知った上で俺に、任せようなんてアンタ……!」


 声を荒らげたその時、テオの携帯端末から通知音が聞こえた。グインも腕時計に目をやり、「おっと」と眉を上げる。


「次の予定が迫っているな。すまない、私も仕事を抜け出してきたものでね、もう行かなくては。スターリング捜査官、あまり重く考えなくていい。今回は試験的なものだ。ハウンドとの共同捜査を人間側が受け入れられるか、テストするに過ぎない。ナンバー・イレブンも、君の望む姿形で協力する。理想的な捜査官、銃火器、日用品、使いやすいものに変えて運用してみたまえ。本格的に捜査協力することが決まったら、運用マニュアルも届けよう」


「本気ですか、グイン長官。本気で、アマルガムをうちのチームに?」


「ああ、本気だとも。これは優秀なハウンドだし、君はアマルガムの脅威を知っている。刑事部からの推薦も判断材料にしたが、一番の理由はそこだ。恐れを知る者でなければ、アマルガムは扱えない。とはいえ、使うも使わないも君の自由だ。……では、私はこれで」


 言い終えるや否や、グインは足早にオフィスを去ってしまった。テオは頭をきむしり、直立不動のまま黙っている少女を振り返る。


「お前も何か言ったらどうなんだ! こんなしろうとに預けられて!」


「特に発言はありません、捜査官。指示に従うだけです」


 あい欠片かけらもない、無機質な返答だった。エマが軽く手を挙げる。


「ごめんね、少し確認させてちょうだい。……まず、あなたのことはなんて呼べばいい? ハウンドっていうのは、あなたたちの総称よね。あなた個人の名前は?」


「識別上、ナンバー・イレブンと呼ばれることはあります」


「そう……じゃあ、イレブン」


 エマは少し言いにくそうに、少女を呼んだ。灰色の瞳は従順に次の言葉を待っている。


「あなたの今の姿は、潜入用に変身したもの?」


「いいえ、捜査官。現在の容姿は初期設定のものであり、服装も、ちようほう部として動く際に指定されたものです。何かの要望を反映したものではありません」


 少女の──イレブンの発言を受けて、テオは改めて彼女の頭の先から爪先まで見やった。十代半ばの少女としては、平均より小柄だろう。この国で銀髪は珍しいものではないが、複雑な光沢を帯びるホワイトブロンドと灰色のこうさいという組み合わせは、彼女の整った容姿と相まって目立つ。すれ違っただけでも印象に残るような姿だった。


「……この髪と瞳が初期設定とはな。どういう意図があるんだ?」


「『白は染まりやすい』と、ドクターはおっしゃいました。指揮官の要望に合わせて容姿と人格を変更できる特質から着想し、白を基調に設計されていると聞いています」


 少女はよどみなく答えた。トビアスが軽く少女に向かって身をかがめる。


「失礼な質問になって申し訳ないが、闘技場で身の危険を感じたことは? ただでさえ小柄で、女性なんだ。怖い目に遭わなかったかい?」


「若い女性の姿については、闘技場スタッフに歓迎されました。選手は全員待機所で鎖につながれ、一定距離を保ちますので、接触はありません。スタッフとの接触も最低限でした」


「そうか……それは、ええと、よかったよ。一応、安全だったんだね」


「はい。お気遣い、ありがとうございます」


 テオは思わず「へえ」とつぶやいていた。トビアスの気遣いはちゃんと伝わっているらしい。エマに脇腹を殴られてテオが息を詰まらせていると、エマが「イレブン」と明るく声をかけた。


アーツ・リジエクターを使われても平気そうだったけど、あなたにも効果はあるの?」


「アマルガムとハウンドで比較するとアーツ・リジエクターの効果はハウンドの方が小さいです。一時的に能力は制限されますが、すぐに回復しますし、身体能力までは制限されません」


「つまり、あなたにアーツ・リジエクターを使ったところで、真にあなたを制圧できない。闘技場で戦った時と同じように、人間じゃ相手にならない、そうね?」


「その通りです、捜査官」


「ありがとう、イレブン。さて、重大なことが分かったわよ、テオ」


 イレブンの返答を待ってから、エマはくるりとテオを振り返った。


「……何が言いたい?」


「あなたがイレブンに『武器庫から動くな』と命令して私たち三人で捜査に出ても、彼女が本当に武器庫でじっとしているか確認できないし、その間に彼女が暴れたら、刑事部のみんなはアーツ・リジエクターを使っても対抗できない。つまり、あなたがどんな感情を持とうが、イレブンをあなたの見えるところに置いておかないと、あなたは安心できないってこと」


「……お前はどうなんだ。専門家としては」


 まだ言ってもいないねん事項を言い当てられた上に、捜査に同行させるよう誘導されては、テオも不愉快だ。テオが顔をしかめると、エマは芝居がかった仕草で頰に手を当てた。


「私としては、国の秘密兵器と捜査できるなんて光栄だわ。色々教えてほしいなぁ」


「まぁ、エマならそう言うよねぇ。……で、どうするんだい、テオ」


 トビアスはあきがおほほみ、テオを見ていた。アカデミーでもよく見た顔だった。


「リーダーは君だ。君の決定に従うよ。何か連絡も来たんだろう?」


 テオは思わずイレブンに目をやった。彼女は変わらず静かに、指示を待つ犬と同じ顔をしてこちらを見つめている。テオは深く息を吐いてから顔を上げた。


「……らちが明かないから、この四人で動く。ロッキから報告があるらしいから、ひとまず検視室だ。だがな、イレブン。責任者は俺だ。ちようほう部でどんな仕事をしていたか知らんが、俺の指示に従ってもらう。分かったことはすぐに報告しろ。いいな」


「承りました。同行の許可を感謝します」


 テオは刺々しい声で言ったが、イレブンは涼しい顔で応じるだけだった。


「捜査官として運用するのでしたら、ご希望の容姿や人格を指定してください」


「……いや『ご希望の』って言われても、とっさには出ないが……」


「イレブンは、今の姿で動くのは嫌なの?」


 エマが尋ねると、イレブンはゆっくりとまぶたを上下させた。テオが彼女のまばたきを見たのはこれが初めてだった。


「……私たちに、そういった感情はなく、こうの判断基準はありません。ただ、どの現場でも、容姿や性別、人格の指定がありましたので、慣例として、ご提案しました」


「私は今の姿がわいくて好きだけどな。軍服も似合ってるし、真面目そうだし」


「確かに軍の作戦や潜入捜査だと、こういう姿の方がって注文はあっただろうね。でも刑事部だし、服装の規定もないし。どうだい、テオ。受け入れやすい姿になってもらう?」


 トビアスは完全に面白がっている顔で振り返った。テオは舌打ちして歩き出す。


「容姿や性格の何が捜査に影響するんだ。命令に従うならそれでいい。勝手にしろ」


「了解しました。では、現状を維持します」


 従順な返事だ。テオは胃の辺りでぐるぐると渦巻く感情に奥歯をめる。あのアマルガムが、妹と同じ年頃の少女の姿で、かかとを鳴らして後ろをついて歩いていた。その大人しさも、命令を待つ姿勢も、受け答えも、気色悪い。その白い皮膚の下に、どんな化け物を飼っているかテオは知っている。なのに。なのに。


 長身のトビアス、それに次ぐテオ、そしてテオと大して変わらない身長のエマに囲まれると、イレブンは頭一つ分小さかった。そのためか歩幅も小さく、一人だけ足音が速い。


 テオがいくら足を速めても、それに合わせて小さな靴音も速まるばかりだった。わずかに息を上げてテオが振り返ると、半歩後ろにいたイレブンがこちらを見上げている。大きな瞳。冬空を映した湖面のようなそれが、にテオを見つめているのだ。


 容赦もちゆうちよもなくぞうをぶつけるには、あまりにも彼女の外見は幼かった。


 行き場のないテオの感情はそのまま動作に反映し、検視室の扉は音を立てて開かれた。椅子に腰かけていたイスコ・ロッキが、おつくうそうに立ち上がり、年老いて白髪まみれの頭をく。


「もっと落ち着いて入ってこい、ぼう。……おお、どうしたんだ、そのお嬢ちゃんは」


 ロッキは瘦せた肩に白衣を羽織り、イレブンに目を留めた。テオは一瞬迷ったが、ロッキもまたチームで捜査する上で何度も関わることになる人物だ、隠せる相手ではない。


「……人型の、アマルガムらしい。ちようほう部から派遣された、長官お墨付きだ」


「あのデカブツの仲間に、こんなちっこいお嬢ちゃんがいるのか。よろしく頼むぜ」


 ロッキが手を差し出すと、イレブンは何度かまばたきをして、彼の手にそっと手を置いた。テオは何をやっているのかと眉をひそめたが、エマが肩を震わせながら優しく言う。


「イレブン、それじゃ『お手』になっちゃうから。ハウンドも握手していいのよ」


「ハウンドたぁ、捜査官らしい名前じゃねえか。そら嬢ちゃん、握手はこうだ」


 改めてロッキと握手をしたイレブンは、表情もなく結ばれた手を見下ろした。


「『握手』は、挨拶や親愛の情を示すために人が行うことです。私が対象になるとは、とても」


「仕事仲間になるなら、握手が正解じゃねえか? にしても冷てえ手だな。寒いか」


「いいえ、検視官。血が通っていないだけです」


「それならいい。本物のアマルガムがいるってなら話も早いな。そら、こっちだ」


 ロッキはマイペースに話を進め、検視室の奥へ向かった。イレブンは手を浮かせて立ち尽くしている。トビアスはあきがおで彼を見送り、イレブンの背中を軽くたたいた。


「気にしないでくれ、イレブン。あの人は生き物と話すの、少し苦手なんだ」


「……にしても、受け入れるのが早すぎるけどな。死人以外どうでもいいのか?」


「もう、そんな風に言わないの。……イレブン、手がどうかした?」


 エマはテオをにらんだが、すぐにイレブンの様子をうかがった。イレブンはそっと手を下ろす。


「いえ。握手をしたのは、初めてでしたので……処理に少し時間がかかりました」


「……そうなの。これから握手する機会も増えるだろうから、慣れていこうね」


 そんなやり取りをする二人から、テオは目をらした。イレブンの見た目は厄介だった。物静かで大人しい、十代半ばの少女が、人なら当たり前の行いに困惑する。その様は容易に同情を誘い、テオは「なぜだ」と叫びたくなった。憎たらしく振る舞ってくれたら、どんなに楽か。


 いらちを抑えきれないまま検視室の奥へ向かうと、検査台には二人の遺体が並んでいた。イエティジャイアントと、闘技場のしき内で発見された遺体だ。ロッキはピンセットを持つと、イエティジャイアントの銀色の拳をたたいた。かん、と明らかな金属音が響く。


「見た目と質感は完全に金属だが、構成物はこの人間本人のものだ。だが遺伝子配列として一番近いのは、ハリネズミだった。既に珍妙な構造をしているが、本家よりずいぶん弱体化していると結論付けた。まあ、疑似アマルガムってとこだな」


「正規のアマルガムとはどれぐらい異なる?」


「まず、擬態ではなく、遺伝子情報を参照した変身だ。それに、コアも持っていない」


 ロッキの説明を受けて、エマが「うそ!」と声を上げた。


自律型魔導兵器オートマトン・アーツなら必須のコアがないなんて……どうやって動いていたの?」


 映像機に向かっていたロッキは振り向かず「ああ」と簡単にうなずく。


「アマルガムのコアといやぁ、希少鉱石フォルトナイトだ。だが成分分析によると、一つも検出されなかった。つまりこいつらは通常のコアではなく、選手たちの肉体、生命エネルギーをコア代わりに動いていたってことになる。あくまで人間がメインなんだ。その証拠に、見ろ」


 ロッキは指を振りながら少し興奮した様子で言うと、半月前に亡くなった遺体の足元に回り込んだ。こちらは両足が馬の脚に変化している。だがイエティジャイアントとは異なり、変化した部分は遺体と同程度に朽ち果てていた。


「……つまりこれは、擬態して遺体に化けているんじゃなく、単に死んだ?」


「そんなとこだな。普通のアマルガムなら人間を飲み込んで自分の資材にするところだが、宿主頼りの寄生体なせいで、宿主と一緒に死んじまった。なんでこんなちゆうはんなのかってぇと、そもそも成り立ちからして、普通のアマルガムとはちと違う」


 ロッキが白いスクリーンに投影したのは、水銀のようなものが赤血球と結びついてうごめく映像だった。見ている限り、どんどん増殖しているようだ。


「証拠品の錠剤だが、これだけじゃ成分上アマルガムとは言えねえ。ただし人間の血液と結びつくことで、限りなくアマルガムに似た組織を生成する」


「だから『疑似アマルガム』か。どういう仕組みだ?」


「血液中でアマルガムに似た組織を形成し、それが空気に触れることで銀色の金属質になって、事前に得た遺伝子情報に従った生物に化ける。負傷して血液が外に出ることで、傷口周辺を硬くして守ってるつもりだろう。そして宿主が死ぬと逃げもせず一緒に死ぬ。一心同体なわけだ。それと……嬢ちゃん。確認してえから、手を貸してくれ。片手だけでいい」


 イレブンは素直にロッキに手を差し出した。彼は突如メスを取り出し、イレブンのてのひらを切る。エマが悲鳴を上げてイレブンの肩をつかみ、ロッキから引き離した。


「ちょっと何してるのよロッキ!」


「確認しただけだろ。……ふむ。出血なし、痛みもなし。これはアマルガム側の特徴か」


 手帳にメモするロッキを横目に、テオもイレブンの手を確認した。てのひらの傷はぱっくりと開いていたが、白くなめらかな断面をさらすだけで肉も血も見えず、すぐに閉じてしまう。


「……選手たちは負傷したら出血していたな。痛覚は普通にあるようだった」


「そこなんだ。疑似アマルガムはあくまで宿主の肉体を守るだけで、乗っ取らない。現時点で保護された選手はあくまで人間だ。だが別の問題があってな」


 ロッキは映像機をオフにしてメスを置き、険しい表情で紙を差し出した。イエティジャイアントの血液中から検出された成分を一覧にしたものだ。見覚えのある名称と異常に高い数値が並ぶのを見て、テオは目を見開き、トビアスは「わお」とおどけた声を上げる。


「すごいな、薬物中毒の末期患者だってもっとマシな数字だよ」


「一体どうなってる? 摂取した錠剤は一粒だけのはずだろう」


「錠剤の成分は、血液と結びつくことでアマルガム化するが、その過程で大量の分泌物を出すんだ。それがドーピング効果になるわけだが、同時に脳細胞を破壊し、すさまじい快楽をもたらす。疑似アマルガムになった肉体は錠剤一つも代謝できず、変化が出たら最後、宿主は二度と元の生活には戻れん。街に流通してねえといいが……」


 とんでもない仕組みだった。エマは留置場のある辺りに視線をやってつぶやく。


「だから選手たちがあんなにどうもうになってたのか。薬の影響だったのね」


「ロッキ、成分の検査結果を病院にも送ってくれ。医者の助けになるかも」


「あのレベルの患者を救えるとは思えねえが……ま、やっとくさ」


 ロッキは気乗りしない様子だったが、固定電話へ向かった。トビアスの携帯端末から通知音が聞こえ、メールを確認した彼は笑みを浮かべる。


「やっと朗報だ。薬を闘技場に卸していた売人を見つけたらしい。行くだろう?」


「すぐに向かう。ロッキ、後は頼む」


 振り向かないまま手を振る彼をその場に残し、テオはトビアスたちを連れて駐車場へ向かった。一つ分多い、テオたちよりずっと速い歩調の足音。


 自分が何にいらっているのかも分からなくなりながら、テオは舌打ちを堪えた。

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