アマルガム・ハウンド2 捜査局刑事部特捜班

一章 白砂に埋もれた遺骸 1/2


 彼には忘れられない光景がある。燃え盛る炎。赤く輝く貴石。


 砂をけ、やっとの思いでつかみ、初めて炎の中から救い出した少女の手。



「浮かない顔ね。考え事?」


 黒いオペラグローブに包まれた指先を重ねて、少女は尋ねた。彼女はホワイトブロンドの髪を潮風に揺らし、黒いハイヒールのかかとを鳴らす。声をかけられた男はためいきで応じた。


「そういうお前は、楽しそうだな」


「こんな貴重な場を楽しまない方が、無粋ではなくって?」


 彼女は灰色の瞳を輝かせてほほんだ。すれ違ったきゆうが頰を染めて足を止めても、彼女は気にも留めず男に歩み寄る。濃紺のプリーツドレスが柔らかく風になびいた。


 ブリッジの手すりにもたれた男は、背中を丸めたまま甲板に目をやった。


 飾り立てられた甲板には、夕方の穏やかな時間を楽しんでいる者たちの姿がある。家族連れやペアの客が、ドリンクを片手に音楽と波の音を楽しんでいるようだった。船上のバカンスだというのにカジュアルな服装ではなく、パーティー用にドレスアップした者が多いのは、メインホールでのウェルカムパーティーに合わせてだろうか。その中に自分も混ざるのかと思うと、男は今から憂鬱で再度ためいきいた。


「楽しめると思うか? いつボロが出るかも分からんってのに」


「その辺りは、その軍服と、堅物そうなお顔がごまかしてくれるわ」


 男は思わず自分のかつこうを見下ろした。アダストラ国陸軍の礼服。袖の階級章で、すぐにちようであることは伝わるだろう。場慣れした振る舞いをする方が違和感を持たれるかもしれない。


 少女は笑みを深め、男の肩にもたれて腕をからめた。


「潮風を楽しむのもいいけれど、そろそろメインホールに行きましょう? 私、あなたとパーティーに出席するのが楽しみだったの」


「……ここに標的の姿は?」


「ないわ。みんな、満ち足りた様子だもの。客としては不足ね」


 一見、二人はなかむつまじく見つめ合う男女でしかなかった。少女は淡々と続ける。


「ジーノ・カミーチャが狙うには、喪失感が足りないわ」


「……確かにな。幸せそうで、何よりだ」


 男は低い声で応じ、少女と腕を組んで歩き出した。すれ違うきゆうあいよく笑みを交わす少女を見て、男は小さくつぶやく。


「……しかし人格を指定しただけで、ここまで変わるものかね」


「それが私たちハウンドよ。相棒の人格も指定したらどう?」


 少女はにこやかに答え、潮風に乱れた髪をさっと直した。


 客船のメインホールでは、大勢の客が交流を楽しんでいた。客船の航行ルートにある三か国から、旅好きの一般人のみならず、政財界の要人たちも集まっている。礼服、ドレス、軍服、それぞれの持つフォーマルなよそおいで出席した参加者たちに、男は目を凝らした。


 船内で必ずジーノ・カミーチャを確保する。そのためだけに、二人はその場に踏み込んだ。



 ────一週間前。



 一心不乱に駆け抜ける足音が、トンネル内に反響した。息を切らし、激しく肩を上下させた男は、被害者から巻き上げた金がふところからこぼちるのも構わず、擦り切れたスニーカーで地を蹴る。それを、銃を握ったテオ・スターリングもまた全力で追いかけていた。


「止まれ! 止まらないと撃つぞ!」


 テオは怒鳴りつける。トンネルを抜けてしまえば、フェンスを乗り越えて高速道路に逃げ出す可能性があった。だが怒鳴ったところで男は止まらない。テオは仕方なくその場で膝を突き、狙いを定めて引き金を引いた。


 鋭く響く銃声。


 弾丸は確かに男の膝下を撃ち抜いたが、血の代わりに飛んだのは機械部品だった。


「合成義体か!」


 テオは舌打ちし、すぐさま駆け出した。男は転がる寸前の体勢でなお走り、薄暗闇のトンネルから明るいしに向かっていく。男の乾いた笑い声。ここまで来れば逃げられると、男は確信していた。


 だが男はしを踏みつけた瞬間、上から降ってきたものに潰されるようにして地面に倒れ込んだ。状況を理解できずに手足をばたつかせた男は、必死でナイフを取り出す。だがその手は反撃に出る前に、かかとできつく押さえつけられた。抵抗しても無駄と悟ったか、男は全身から力を抜いて大人しくなる。時折き込みながら、必死で息を吸う男にようやく追いつき、テオも一息ついて無線に触れた。


「……犯人は確保した。トンネルの東口だ。車を頼む」


 地元警察に連絡し、テオは男を押さえつける人物に目をやった。


 きやしやな少女だ。線の細い肢体には少年じみた未成熟さがあり、大の男を容易に制圧できる体格にはとても見えなかった。ホワイトブロンドの髪は、しを受けて複雑な光沢を帯びている。引き締まった脚は柳のような細さだが、男を的確に押さえつけて離さない。男の武装を解除させ、少女は灰色の瞳でテオを見上げた。


「お疲れ様です、テオ」


「お前もよく山道を通って追いついたな。……助かったよ、イレブン」


 少女は──イレブンは、まぶたを上下させて応じると、男を引っ張って立たせた。テオが彼の両手に手錠をはめていると、しを浴びて立つイレブンを見た男が、ぼうぜんと口を開いた。彼のふところからは変わらず紙幣が散らばっている。


「アンタ、天使様か? 羽はどうしたんだ?」


「馬鹿なこと言ってないで、さっさと来い」


 テオは男を引っ張り、トンネル東口まで来たパトカーに向かった。痛みにおおな悲鳴を上げる男を黙らせ、地元警察に引き渡す。イレブンは大人しくその半歩後ろを歩いていた。


 男がパトカーに押し込まれたのを見届け、テオはイレブンを振り返った。テオの肩先にやっと頭が届く背丈の彼女は、いつもテオを見上げる形になるが、今日も灰色の瞳はひたむきにテオを見つめていた。その変わらなさに、テオはあんを覚える。


「動きに支障はなさそうだな。やっと全快ってところか」


「はい、お待たせしました。本日以降、通常業務に戻ります」


「そりゃあ、何よりだ。……改めておかえり、イレブン」


「ただいま戻りました、テオ」


 ちょうどいい高さにある頭をでてやると、イレブンはされるがままに言った。


「これは、何の『でる』ですか」


「なんだろうな。……お疲れさん、かな」


 乱れた髪を指先で整え、イレブンはテオの言葉の意味を考えているらしい。その姿が久々のように感じられて、テオは小さく笑った。


 犯人の男が彼女を天使だと勘違いしたのも無理はない。精巧な人形のように整った顔立ちに、珍しいホワイトブロンドの髪と灰色の瞳。十代半ばの、きやしやで中性的な肢体。どこを取っても同じ人間とはとても思えない。


 それもそのはず、彼女はアダストラ国の生んだ自律型魔導兵器オートマトン・アーツアマルガム、その特別製だ。その存在を知る者たちは「ハウンド」と呼称して他アマルガムと区別し、秘密兵器として各分野で運用しているという。彼女は、そんなハウンドの十一番目だ。現在は捜査局刑事部に属し、本来戦場で運用されているはずのアマルガムが絡む犯罪の捜査を行い、そして。


 テオにとって、唯一無二の相棒を務めている。



 この春。長らく大陸戦争に関わっていたアダストラ国では、全国各地で同じ日に平和祈念式典が開催された。テオたちの勤務地であるデルヴェロー市も同様だ。


 だがその平和祈念式典は、過激派宗教団体ローレムクラッドによる襲撃を受け、多数の犠牲者を出して幕を閉じた。ローレムクラッドは武装した兵士だけでなく、独自に開発したアマルガムを連れて街を襲ったのだ。テオたちは市民を一人でも多く救うべく奔走し、そしてイレブンは、アマルガム全てを破壊するためのおとりとなり、焼却炉で燃え尽きた。


 とはいえ彼女は特別製。焼却炉の炎程度では破壊できず、ぼろぼろの状態ではあったものの、無事にテオと合流した。信じられない事態にテオは気絶寸前だったし実際眩暈めまいを起こして動けなかったが、ハウンドとはそういうものらしい。


 ただ、イレブンは全損したこともあり、自身の再生能力だけではとても間に合わず、すぐに捜査に復帰することはできなかった。一度研究所に戻って専門家による修復作業を受け、経過観察を経て、今日ようやく本格的に復帰できた形だ。



 時は過ぎ、暑さは増す一方。

 ここデルヴェロー市にも、夏が訪れていた。



「しかし、とんでもない男だったな」


 テオは自身の車に戻りながらつぶやいた。半歩後ろからイレブンも言う。


「彼がアマルガムに関与していないだけ、『マシ』というものに該当するのでは」


「かと言ってなぁ……この事件、たちが悪すぎる」


 テオは被害者や遺族に思いをせ、どう報告したものか悩み、ためいきいた。



 イレブンの復帰初仕事となった事件は、少々複雑だった。


 トンネルで逮捕した男は、無許可で養子縁組の仲介を行い、実際には存在しない乳児との縁組を整え、手数料と称して被害者から金銭を詐取していた犯人だ。


 金を受け取りにのこのこと現れたこの男は、「乳児のため面会はガラス越しに」と説明し、立体映像だけを見せて、何組もの家族をだましている。行政管理の養子縁組で子供を引き取れなかった家族は、わずかな希望に踊らされ、深く傷付いていた。


 十分に悪質な詐欺だが、それだけでは話が終わらなかった。



 犯人が被害者と関わるのは、養子縁組の仲介を行う場のみ。被害者を犯人に引き合わせたのは、共犯の夫婦だ。彼らは「うちの子供も、彼の仲介で養子に迎えた」と話して被害者から信用を得た上で、詐欺に巻き込んでおり、悪質だ。


 だが二日前、その夫婦は遺体となって発見された。


 第一発見者は、共犯の夫婦と会う約束をしていた家族だ。夫婦の遺体は損傷が激しく、特に妻は腹を食い破られており、養子の赤ん坊は消えていた。当初、地元警察は獣による犯行を疑ったが、遺体から唾液等は検出されていない。



 食い破られた遺体。しかし検出されない唾液。


 話を聞いた時、テオたち特捜班の脳裏に嫌な記憶がよみがえった。


 春にデルヴェロー市の平和祈念式典を襲ったアマルガムは、人間を見つけては捕食する性質を持っていた。そのため、遺体が見つからず、空のひつぎを埋葬する遺族は多かった。



 今回も人間を捕食するアマルガムが関わっているのかとテオたちは警戒していたが、そのアマルガムはまだ見つかっていない。


「……一度オフィスに戻るぞ。改めて情報を整理したい」


「了解しました。エマたちに連絡します」


 テオがハンドルを握って車を発進させると、イレブンは携帯端末を取り出した。彼女にも連絡手段が必要だと、最近になってようやく持たせてはみたが、彼女の手付きは覚束ないままだ。テオは、不器用に操作する横顔を見て、つい笑みを浮かべた。こちらの方が早いと電話しなくなった辺り、彼女の成長がうかがえた。


「お前にも苦手なものがあると安心するよ。今度は到着前にメールが届くといいな」


「携帯端末側の問題です。合成義体の指でも操作可能なのに、アマルガムの肉体には対応していないなんて、変です。人間の指に擬態しても反応しないだなんて……」


 テオは「はいはい」と雑に受け流し、角を曲がった。魔導士によるハッキングが問題になって以降、携帯端末の魔術対策は大幅に強化されたが、アマルガムにとってはそれが大きな障害となっているようだ。魔導兵器による操作防止策によってメール作成を阻まれ、また最初からやり直す羽目になったイレブンが呟く。


「……携帯端末と融合すれば、私もスムーズに操作可能ですが」


「あくまで人間として使いこなしてくれ、頼むから」


 魔導兵器の思わぬ弱点に、テオは声を上げて笑った。



   ■



 捜査局デルヴェロー支局の刑事部オフィスに戻ると、トビアス・ヒルマイナとエマ・カナリーが先に資料を広げていた。テオたちと同じくアマルガム犯罪特捜班に属する二人は、笑顔でテオたちをねぎらう。


「おかえり、無事で何よりだ」


「収穫は少なそうだがな。……犯人の家からおうしゆうした証拠品は、これで全部か」


 トビアスは証拠品ボックスを並べ終え、捜査資料の広がるボードを振り返った。


「そのようだ。……彼から少しでも話を聞けたらいいんだけどね。この事件、謎が多すぎる」


 ボードに張り出された写真やメモを見やって、テオもうなずいた。


「養子縁組を求める家族をターゲットにしていた詐欺の主犯は、ハベル・プライス。実際には存在しない乳児との養子縁組をあつせんし、高額な仲介手数料を取っては逃走を繰り返していた」


 一見善良そうな顔立ちの男だった。アダストラ国の全体地図には、彼の足取りが点々とピンで示されている。毎回場所を変えていたため、管轄の地元警察も変わり、それぞれの詐欺事件が全て一人の犯人によるものだとは思われていなかったのだ。


 エマはブロンドの髪と魔導士協会のケープを払い、調書をめくった。


「プライスは捨て子の里親探しをよそおい、被害者に接触した。けれど、面会場所で子供に会えると被害者に話しておきながら、実際にはガラス越しに立体映像を見せただけ。被害者は面会時の撮影も許可されていたことから、まさか見せられたのが単なる映像だとは疑いもしなかった……」


「プライスは独身、結婚歴なし。子供もおらず、医療施設での勤務歴もない。そもそも、元は投資家を相手にした詐欺師で、捜査局からマークされない範囲内で詐欺を繰り返していた。全国を転々として痕跡を消すノウハウはあっても、乳児を調達する手段はなかったはずだ。そこで、共犯者の存在が疑われたわけだが……」


 トビアスは息を吐き、鑑識の撮影した写真をボードに張った。ブラウエル一家の写真と、無残にもまみれになって倒れた姿の夫婦が並ぶ。


「夫はブレフト・ブラウエル、自営業の整備士で、元福祉局勤務の清掃員。妻はミシェル、専業主婦。まず夫ブレフトが、養子縁組の支援活動団体をかたって被害者に接触。次にミシェルが自身の子供を連れて現れ、被害者たちと友好関係を築いて、信用を得る。それから養子縁組の話を持ち出し、『プライスという男が助けてくれる』と仲介した。被害者が望めば、プライスの指定場所での面会にブレフトも同席し、被害者からの信用を高める。プライスと協力関係にあるブラウエル夫妻を疑うのは必然だったが……」


「問題は、ブラウエル夫妻が迎えたっていう養子ね」


 エマは難しい表情で、ミシェル・ブラウエルの抱く赤ん坊を見つめた。


「この養子縁組詐欺、少なくとも半年は続いてるわ。なのに、被害者は全員『ミシェルには首が据わったばかりの赤ちゃんがいた』と証言している。それって生後三か月ぐらいよ。半年間も成長しない赤ちゃんなんていないわ。しかも人形ならともかく、ちゃんと反応して、その赤ちゃんを抱いてあやした被害者までいた。だから皆、本物の養子だと信じたわ」


 トビアスも首をひねって写真を見やった。


「映像に使われた赤ちゃんは、産まれたばかりだった。夫妻が自身の養子として被害者に見せた赤ちゃんとも年齢が合わないし……どうなってるんだかね」


「プライスが全部指示していたなら話は早いんだけど……」


 エマは深くためいきき、額を押さえた。


「……ブラウエル夫妻の子供は、まだ見つかっていないわ。特徴からして、その子がアマルガムだとは思うけど……第一発見者も、赤ちゃんは見ていないのよね」


 困り顔のエマの隣で、トビアスもうなずいた。


「そうなんだよ。しかし、第一発見者になった家族も可哀かわいそうに。養子縁組について改めて話を聞こうと思ったら、あの現場だろう? 警察も、彼らが錯乱したと判断してもおかしくない」


「だが実際は、俺たちには覚えのありすぎる惨状だったわけだ」


 テオはデスクにもたれ、眉根を寄せた。


「食い破られた傷跡。獣のようなみ口だが唾液は検出されない。……前回の捜査で、山ほど見た事例だ。捜査局を通じて全国に特徴を伝えていて正解だったな。地元警察が半信半疑で連絡してくれたおかげで、俺たちが捜査できる」


「とはいえ、まずは赤ちゃんを見つけないと話にならないわけだけど……」


 エマは真剣な表情で、イレブンを振り返った。


「アマルガムが赤ちゃんに擬態するのは、そう難易度の高いことじゃないのよね?」


「はい。クーイングと、首、表情、指の動きなどを再現する程度なら、平均的な乳児のサイズでどうできます。コアも小さくて済むでしょう」


 イレブンは端的に答えた。アマルガムのほとんどは、戦艦主砲をかつぐほど巨大だ。小型化が難しいのは、多機能を支えるとコアがどうしても肥大化し、本体もそれに合わせたサイズになるからだという。


 だが、そもそも戦闘技能を持たず、最低限、特徴的な動きを再現するだけであれば、乳児サイズまで小型化できる。


 問題は、そんなアマルガムを、一般人であるブラウエル夫妻がどうやって入手したか、だ。


 イレブンが静かに口を開いた。


「ローレムクラッドは、最初は研究所から持ち出されたアマルガムを増やし、実験や『賢者の石』製造を経て、アマルガムの増産に成功しました。今回の乳児もどこからか入手したものと推測しますが、そんな小さなコアでどうするアマルガムは、外部に出回っていません」


「……しかし夫妻の経歴的に、アマルガム関連の知識や技術はない。ローレムクラッドのように、誰かが増産しているのか、あるいは……」


 テオは思わずうめいた。


 ローレムクラッド。ある一人の男が抱いた幻想を現実のものとするために誕生した、宗教団体だ。大陸統一主義を掲げ、この大陸を神にささげるために信条の異なる者、挙句はその信者をも踏みにじってアマルガムを増産し、何千もの人命を必要とする禁忌『賢者の石』にまで手を出した。その男は結局、多数の死傷者を出しながらもイレブンの手によってほうむられた。


 もしも。もしもローレムクラッドの生み出したアマルガムが、何かの形で残っていたら。


 それこそ、悪夢の再来である。


 テオはきつく眉をひそめ、地図を振り返った。


「全国を飛び回るプライスとは対照的に、ブラウエル夫妻は自宅周辺と、被害者との面会場所の往復が主だ。その経路をたどっても、アマルガム入手の手がかりは得られなかった。夫婦は医療関係者とも軍事関係者ともつながりがなく、養子を迎えたという公式な書類も存在しない」


「詐欺師であるプライスとどうやって知り合ったのかも謎なんだよな。だからこそ、長いこと共犯関係を続けてもバレなかったわけだが……この二人のうそと本当が気になるんだ」


 トビアスが手帳を開いて続けた。


「ブラウエル夫妻は、被害者とプライベートな話をする時に、必ず同じ話をしている。『子供をうしなったつらさから、養子縁組を考え、この子を迎えた』……たとえうそだとしても、何度も繰り返している話だから、事実に基づいた話であることに間違いはないと思う。実際、二人は三年前に実子をくしているし、ミシェルに他の出産記録もないからね。仲介したのがプライスじゃないだけで、本当に誰かから養子として迎えたんだろう」


「だとしたら……プライスから夫妻について話を聞き出さないとね。協力関係になるにあたって、彼にだけは何か話しているかもしれないし」


 エマが表情を明るくしたが、トビアスは「いや」と厳しい顔をした。


「それは、この養子縁組詐欺を、プライスとブラウエル夫妻、どちらが先に言い出したかによって変わるだろうね。プライスが何か知っていればいいが……」


「どうして? 養子縁組用にアマルガムを量産してる可能性もあるし……」


 不思議そうな顔のエマに、テオは言った。


「プライスが先に言い出したなら、ブラウエル夫妻の他にも協力者がいるはずだ。お前の言うようにアマルガムを量産しているなら、養子として本当に赤ん坊を渡してもいいだろう。だがブラウエル夫妻が先に言い出した場合、プライスはアマルガムについて知らず、夫妻に重大な秘密があるかもしれない」


「それに、ミシェルの動きが気になるんだよね。彼女は確かに赤ちゃんを被害者たちに見せているんだけど、被害者全員が赤ちゃんに触ったわけではない。ミシェルは希望者の中でも、実子を何らかの理由でくした家族に限定して、赤ちゃんを抱かせた。あくまで、自分が見ている前で、短時間だけね」


 トビアスが手帳を閉じて言うと、エマは首をかしげた。


「……自分と同じ経験をした夫婦には優しくしていた?」


「もしくは、そういう夫婦に子供を抱かせることで、何かを確認していたのか」


 そこまで言うと、トビアスは「もっとも」と苦い表情を浮かべた。


「夫妻が殺害された今、プライスから話を聞くしかないんだけどね。彼は金が欲しいだけの小悪党だ。養子縁組なんて、複雑な詐欺をする必要はないはず」


「もしかして夫妻は、自分たちと似た境遇の人を、詐欺を通じて集めたかったとか?」


 エマの言葉を受けて、沈黙が満ちる。テオはしばらく悩んだが口を開いた。


「トビアスは、刑事と一緒にプライスの取り調べを頼む。エマは証拠品から、改めてプライスとブラウエル夫妻のつながりや……万が一も考えて、ローレムクラッドとのつながりがないか調べてくれ。俺とイレブンで、ブラウエル夫妻の家を調べてくる。夫妻の素性や、アマルガムの足取りを少しでも探りたい」


「了解。なんとしてでも手がかりを吐かせてくる」


 トビアスは力強く応じ、取調室へ向かった。その場はエマに任せ、テオはイレブンを連れてオフィスを出る。休んでいる暇はない。車に向かいながら、テオはイレブンに尋ねた。


「ハウンドとしては、どうだ。追跡できると思うか」


「肉体に合わせて、コアも非常に小さい個体です。感知距離も短く、困難かと」


 イレブンは簡単に答えた。


 自律型魔導兵器オートマトン・アーツは必ず、動力源であるコアを持つ。アマルガムの中でも特別製とされた「ハウンド」である彼女には、コアを回収するための追跡機能がある。だがコアの反応というのはその大きさに左右されてしまい、今回のように小さいコアが相手では、追跡も容易ではない。やはり地道に、足取りを探るしかないようだった。


「今回のアマルガムも、現場からとっくに離れているだろうな」


「ローレムクラッドのアマルガムは、下水道を利用していました。今回のアマルガムも家の周囲に似たようなものがあれば、さらに距離を稼いでいる可能性があります」


「……少し、移動理由を考えよう」


 テオは一旦足を止めた。見上げてくるイレブンを見つめ返す。


「ローレムクラッドは、作戦開始までの間、デルヴェロー市内にアマルガムを隠しておきたかった。だから、市内に張り巡らされた下水道を利用し、アマルガムを街中に配置した。だが、今回のアマルガムは? 何のために移動する?」


「今回の個体が、ブラウエル夫妻の殺害を任務にしていたと仮定すれば、指定された待機場所まで戻るためかと、推測します。ただ、今回のケースでは待機場所が予測できません」


「指揮官のところに戻っているとか? ローレムクラッドの場合は、ジム・ケントという明確な主導者がいた。だが今回は、そういった存在がいるのかすら分からない」


「夫ブレフト、妻ミシェル、いずれかを指揮官としていたのであれば、指揮官を殺害したことになり、アマルガムの行動原理に反します。しかし他に指揮官がいたとしたら、それが誰なのか、待機場所としてどこを指定したのか、判断材料がありません」


 少し気になって、テオはイレブンに尋ねた。


「アマルガムは通常、指揮官を殺害しない?」


「はい。命令遵守の性質上、指揮官は重要な護衛対象です」


「じゃあ、例えばだが……指揮官が何らかの理由で死亡した場合はどうする?」


「戦場であれば、指揮官が死亡または命令不能の状態になった際、アマルガムの付近に居合わせた軍人で最も階級の高い者や、私たちハウンドに指揮権が移ります。前線基地や合流地点など、決められた座標に移動して次の命令まで待機する事例も多いです」


「指揮官が死んだ後の行動もある程度決まっているなら、話は早いな」


 テオは車に乗り込み、シートベルトを締めた。カーナビの目的地にブラウエル家の住所を指定する。


「夫妻の家で、移動の痕跡及び指揮官と想定される人物を探る。アマルガムも何も見つからなければ……陸軍に連絡して、付近に軍人やハウンドがいるかの確認だ」


「了解しました」


 イレブンの簡潔な返事を聞きながら、車を発進させた。テオは興味のおもむくまま尋ねる。


「今のうちに、俺が死んだ場合の話もしておいた方がいいか?」


「無意味な仮定です」


「はは、そうかい」


 彼女らしい返事に、テオはつい頰を緩めた。



   ■



 トビアスが取調室に入ると、ハベル・プライスはびくりと肩を震わせ、縮こまった。トビアスは彼の表情を見ながら、ブラウエル夫妻の遺体の写真を並べる。プライスはおお退き、派手に手錠を鳴らした。


「おい! なんだよそれ! 気持ち悪い……」


「君の詐欺を手伝っていた、ブラウエル夫妻だよ。口封じに殺したのかい?」


「違う! 俺は殺しなんかしない! 金が欲しいだけだ、人殺しなんか……」


「まったくひどいものだね。ここまで夫妻を傷付けた挙句、


 トビアスがにらみつけると、プライスは「違う!」とひときわ大きく声を張り上げた。


「俺にだって超えちゃいけねえ一線はある! 殺しは、それも赤ん坊は、絶対なしだ!」


 プライスの顔には汗がにじみ、両手は動揺に震えていた。息が上がり、せわしなく肩を上下させた彼は、震える手で遺体の写真を押しやり、距離を取る。


 彼は何人もの被害者を出した詐欺師だ。だが、反応は本物らしく見える。


(単純なミスリードのつもりだったけど、ここまで否定しないってことは、養子の行方どころか、夫妻の殺害についても本当に何も知らないかもしれないな……)


 トビアスはしばらく彼の様子を観察してから「そうかい」と向かいの椅子に座った。


「君なりの、良心ってものがあるらしい。で、本物の子供を売買したことは?」


「あるわけねえだろ! 俺の主義じゃねえ! 俺はっ……俺は、仕事の時に、本物は仕入れねえ主義だ。……それらしいにせもの一つで、金をかっぱらってきた……」


 自分で言っていてむなしくなったのか、プライスの言葉は途中から力を失い、弱々しい声になった。今のところ、彼の言葉にうそはない。実際、彼は架空の商品を売りつける詐欺を繰り返していた。今回はそれが、存在しない乳児の養子縁組を仲介するという、少しひねったものになっただけだ。


 しかしその一点が、今回は重要な問題となっている。


「……君の言葉を、僕は信じよう。それで、ブラウエル夫妻が殺される理由に、心当たりはあるかい? ブラウエル夫妻に攻撃的な態度を取った被害者は?」


「そんなもん、あるわけねえだろ。金に困っただけの、普通の三人家族だった。被害者だって、俺のことはともかく、あの夫婦のことは信用していた」


「普通の家族は詐欺に加担しないけどね……どうやって仲間にした?」


「仲間にしたというか……ああいや、どう言ったら……」


 プライスは落ち着かない様子で爪を弾き、目を泳がせた。遺体の写真を見る度にすくみ上がる。彼は今、詐欺師ではなく、一人の人間として、困惑していた。


「……プライス。ブラウエル夫妻との出会いを教えてくれるかい? 最初から」


「出会いは……ブレフトは、俺がだました女の、兄貴だった。どうやったか知らんが、俺を見つけて、それで、やつの困っている問題を解決したら、妹に被害届は出させないと言った」


 思わぬ事情に、トビアスは目を丸くした。手帳にメモして続きを促す。


「ブレフトの方から君に接触したんだな。困りごとというのは?」


「福祉局で、ブレフトが処理をミスったと言ってた。養子縁組の審査で落ちた夫婦がいたんだが、その審査を通ったことにしちまったらしくて……その夫婦が迎えられる養子はいないし、そんなミスが上司にバレたらクビになると、やつ狼狽うろたえていた」


「……それで、詐欺師を頼るのかい?」


「俺が養子縁組詐欺を仕掛けたって形で問題を片付けられるように、協力を頼まれたんだ。そしたら、俺は金が手に入るし、やつと夫婦は詐欺師にだまされた被害者になって、ミスを隠せるし、お互い利益があっていいだろうと」


「ずいぶん必死だったんだね」


で、路頭に迷う暇なんてないだろ? 俺は、金が入るなら万々歳だし、やつあせる事情も理解できた。それで、協力することにした。グループでの詐欺は初めてだったし、養子縁組の仕組みなんざ知らなかったが……いつもと基本は変わらねえ」


 プライスはそう語って、額の汗を拭った。


「ただ、説得力が欲しいから、子供を撮影した映像を頼んだ。立体映像なら、窓ガラス越しに見るって形にすれば相手に疑われねえ。養子に迎えられる子供がいると、相手に信じてもらう必要があったからな。やつは全面的に協力すると約束して、映像を提供した」


「では映像は、あくまでブレフト側が提供したものを、ずっと使っているんだね?」


「ああ。福祉局の業務で撮影する機会があって、本物の乳児室を撮ったものだって話だった。映像の一部をループさせておいて、客が入ったタイミングで、看護師が赤ん坊の様子を見に来た場面を流すんだ。そしたら、窓ガラス越しに客が赤ん坊と面会できるって仕組みよ。……映像が本物なだけあって、疑うやつはいなかった」


「乳児室の場所や、撮影した時期なんかを聞いたことは?」


「いや、これがあるから使ってくれと、渡されてそれっきりだ。実際、それだけで詐欺はくいったし、あまり深く聞こうとも思わなかった」


「なるほど、分かったよ」


 トビアスはあいづちを打ち、エマに「映像、本物」と連絡した。さらに素知らぬ顔で尋ねる。


「直接会ったのは、ブレフトだけかい? その家族には?」


「ああ、奥さんのミシェルと、息子のバジルだろう? 会ったのは、少し前に一度だけだな。産まれたばかりだと聞いてた赤ん坊が、俺が見た時は立派に親の顔を追いかけて、何かしやべろうって声を出してて、感動したよ。だが、奥さんは普通のいい人って感じで、ブレフトも詐欺については伏せていたようだから、俺はちょっと、ひやひやしたな」


「では……ミシェルの方はあくまで、本当に養子縁組を仲介していると思っていた?」


「直接確認するのもやぶへびだから、聞いたことはないが……悪いことをしてるって雰囲気はなかった。ブレフトも『妻には詳しく話していない』と言っていたし、知らなかったと思う」


 プライスは居心地の悪そうな様子で言った。


「……俺は、うそみてえにくいったものだから、味を占めた。やつは自分のミスを不問にされたが、同時にバレたくない秘密も抱えちまったからな」


「職場に真相をバラされたくなければ、協力しろと脅したのかい?」


 プライスはまた額を拭い、「そうだ」と渋い顔でうなずいた。


「……ブレフトを使えば、いくらでも客を見つけられるからな。だが俺は、ブレフト経由で客に名刺を渡して、連絡してきたやつだけ相手して、金を取ったら逃げるのを繰り返して、分け前をブレフトに渡してきただけだ。決して、断じて、殺しはやってねえ」


 語気を強めて、プライスは言う。トビアスは「ふうん」と軽く流して再び尋ねた。


「確認だが、ブレフトの仕事は、養子縁組を希望する家族の対応なんだね?」


「ああ。福祉局で書類の管理をしていて、養子縁組を希望する客の受付もしていると聞いたし、実際、やつの紹介で客は来てる。みんな、福祉局のロビーで落ち込んでたら、ブレフトが慰めて、俺の名刺を渡してきたと言っていたし……」


「では君は、ブラウエル夫妻と行動を共にしていたわけではないんだね?」


「ああ。ブレフトと会うのは、客との面会や、金を渡す時だけだし、ミシェルとバジルには、一度会ってそれっきりだ。家に行ったこともねえ」


「……ご協力ありがとう。担当の刑事が来るから、彼に詐欺の詳細を話してやってくれ」


 トビアスは取り調べを終え、刑事と交代した。マジックミラー越しにプライスの様子を確認しつつ、捜査ファイルを開き、眉根を寄せる。


 ブレフトはなぜ噓を重ねたのだろう。確かにブレフトは福祉局で勤務していたが、彼は清掃員であって、書類の処理には関わっていない。そしてバジルというのも、くなった実子の名前だ。プライスは、自分が見たのはミシェルの実子で、養子だとは思ってもいない様子だった。ブレフトがプライスに接触した時期、ミシェルに出産した医療記録はない。


「……ブラウエル夫妻に裏があるな、これは」


 トビアスはためいきき、取り調べの結果をテオに送った。



   ■



 エマは証拠品ボックスに囲まれ、頭を抱えていた。全ての証拠品、全ての書類に目を通したが、プライスにローレムクラッドとのつながりはない。詐欺師としての長年の経験から、彼は証拠を残さないよう徹底していた。被害者の証言がなければ、彼とブラウエル夫妻のつながりも明らかにならなかっただろう。


「……プライスの線からこれ以上探るのは無理ね。となると、こっちの映像か……」


 トビアスいわく、本物なのだという映像。エマはそれをもう一度頭から再生し、じっと目を凝らした。映像から乳児室の場所や撮影時期を特定できればいいのだが。


 プライスはブレフトの言葉を信じ、本物の乳児室を撮影したものだと認識している。彼の発言が正しければ、撮影された場所や看護師、乳児は実在するはずだ。


 映像は立体的に再生されるもので、正面以外から見た時の奥行きまで再現されるが、カメラが捉え切れなかった部分は断ち切られてしまう。プライスが窓ガラス越しに面会させたのは、撮影した映像の違和感に気付かせないためだろう。特に養子縁組が目的の被害者たちは、乳児に注目し、部屋そのものは気にしない。


「……技術的にも、魔術的にも、本物の映像だけど……何か気になるのよね」


 部屋に窓はなく、室内に置かれた物や看護師の服装からは季節が分からない。看護師も名前が分からず、マスクや制服で人相や体格もはっきりとしなかった。ただ、看護師は片腕に合成義体を使用した女性で、ブラウエル夫妻でも、親類縁者でもないことは確かだ。乳児の名前や誕生日が記載されているものも見当たらない。


 看護師は撮影者に気付くと、乳児を抱き上げ、笑顔でカメラに向けて見せてくれる。そこで一度映像を止め、エマは首をかしげた。


「……『わいい赤ちゃんですね。撮ってもいいですか?』『ええ、もちろん。構いませんよ』……そんなことあるかしら。プライバシーだし、看護師側だってそんな……」


 言葉にした途端、エマは気付きとともに「ああ!」と自分の額を打っていた。


「そうか! そうよ! 親御さん相手なら看護師さんだって笑顔で見せてくれるじゃないの! 馬鹿ねもう私ったら早く気付きなさいよもう!」


 エマは深くためいきき、もう一度自分の拳を額にぶつけた。ごつ、と鈍い音がする。詐欺のために用意したのではない。三年前に、実の息子が産まれた時の映像を提供したのだ。


 生後三か月でくなった息子の、貴重な映像。三か月後にくなると、まだ誰も想像していなかった頃の、大切な記憶だ。


 エマに子供はいないし、身近で子育てをしている知人もいない。だが、産まれてたった三か月でこの世を去った我が子の大切な映像を、詐欺師に渡せるだろうか。


 エマは急いでテオに連絡した。これが本当にブラウエル夫妻の子供を撮影したものであれば、家に映像の原本があるはずだ。

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