一章 白砂に埋もれた遺骸 2/2



   ■



 ブラウエル家の前で車を降り、テオは捜査官バッジを警官に見せた。相手はすぐに敬礼し、立ち入り禁止テープを持ち上げる。短く礼を言って、テオはイレブンを連れて現場に入った。


 デルヴェロー市郊外にある、山沿いの閑静な住宅街。その中でも隣近所から離れたところに建つ一軒家で、夫妻は暮らしていた。二階建ての家も庭も、丁寧に手入れされている。季節の花が咲き、庭先のベンチで夫妻がくつろいでいる様子を容易に想像できた。


 玄関の扉を確認すると、警察の報告通り、押し入られた形跡はない。第一発見者の証言によれば、呼び鈴への応答がなく、玄関はじようされており、庭に面した窓から室内を見てようやく、遺体となった夫妻に気付いたと言う。朝刊はダイニングテーブルにあったことから、少なくとも朝刊の配達時間までは、夫妻は生きていた。二人の死亡推定時刻は朝九時とされている。


 テオは玄関から中に入り、ビニール手袋を着けた。


「イレブン、アマルガムの反応は」


「屋内、周辺ともに感知できません。安全です。脱出経路を探ります」



「頼む。発見でき次第、報告してくれ。俺は一階から見ていく」


「すぐに戻ります」


 イレブンが先に駆けて行くのを見送り、テオは順番に部屋を見て回った。


 警察が現場を保存してくれたおかげで、家は遺体発見当時のままとなっている。


 夫妻が遺体として発見されたリビングでは、テレビがいていたらしい。家族のだんらんは、何を切っ掛けに破壊されたのだろう。ソファー横の揺り籠は倒れ、それを起点にソファー、ローテーブル、ラグと広範囲に血が飛び、どす黒く変色している。


「……殺し目的ならやり過ぎだし、捕食目的なら残し過ぎか。アマルガムの目的は何だ?」


 前回の事件で学んだ特徴を念頭に置き、テオは捜査ファイルをめくった。夫妻の遺体は激しく損傷していたが、遺体の中で完全に失われているのは、妻の下腹部のみ。特定の部位だけ選んで食べたのだとしたら、妻に何か秘密があるのではないか。


 検視官のイスコ・ロッキいわく、夫妻の肉体は健康そのものだった。傷口は獣のみ跡に似ており、唾液は検出されていない。アマルガムの捕食によって殺された被害者によく見られた特徴だ。妻ミシェルは下腹部を食われているが、前回の被害者とは異なり、体の外から食い千切られた形になっている。ローレムクラッドが利用したアマルガムとは別個体だろうか。


 出血の量からして、アマルガムも返り血を浴びているはずだが、血はラグで拭われたのか、フローリングに血痕はない。リビングからの足取りは不明だ。そちらはイレブンに任せ、テオは夫妻の生活を探る。


 穏やかな生活だ。夫婦二人と、幼い子供。マントルピースとその周辺にはたくさんの写真が飾られ、夫婦はくした子供も養子に迎えた子供も、同じぐらい写真に残している。二人の子供は兄弟のように似ていた。


 ただ奇妙なことに、キッチンにミルクや哺乳瓶はなかった。乳児がいるとは思えないほど、整った室内だ。いくら夫婦ともに家にいる時間が長いとしても、れいすぎる。


 テオが廊下に戻ると、ちょうどイレブンと鉢合わせした。


「裏口などはありませんでしたが、バスルームの窓が開いていました」


「分かった。一応、確認しよう」


 テオはまずバスルームを確認した。確かに小さな突き出し窓が開いている。小柄なイレブンでは手が届かないほど高い位置にある窓で、換気用と思われた。


「……アマルガムなら、高さや幅は関係ないか」


「はい。壁伝いに移動できますし、柔軟な肉体にすれば、隙間から出られます。この窓から逃げたと仮定し、検証する形で、脱出経路を探ることは可能です」


 念のため物置も確認すると、庭の手入れ道具やシーズンオフの物が収納されていた。他にも、タンクに入った水や缶詰などの備蓄も保管されている。


「……おむつがないな。必需品だろうに」


「洗濯室にも、おむつらしき布はありませんでした。……夫妻は、人間の子供ではなく、アマルガムで再現した乳児だと自覚した上で、育児を行っていたのでしょうか」


「ここまで何もないなら、そうだろうな。……どんな気持ちだったんだか」


 物置の棚にある物品を確認していたテオは、ふと瓶を手に取った。緑っぽい粘着質な液体が入っているようで、蓋を開けると青臭い。


「……手製のなんこうっぽいな」


「薬草学の知識がありそうな経歴ではなかったはずですが、独学でしょうか」


「……いや待て、ラベルの形跡がある。一文字しか分からんが……キから始まる薬売りの店で買ったものだな。こっちの、粉薬もそうか」


「民間療法としては、一般的な代物です。危険性はありません」


「……一応、証拠品としておうしゆうしよう。違法なものがあったら困る」


 証拠品入れに薬品を入れ、箱に入っていた乾燥した植物や謎の粉末も、恐る恐る袋に入れた。


「養子縁組の話を聞きに、家に被害者が訪れていたって話だが、その割には、赤ん坊を育てていると分かりやすいようによそおうことはしなかったんだな」


「被害者は、自分たちを迎えるために片付けたと認識したのではないでしょうか。あるいは、全て二階にあると、判断した可能性も」


「……まあ、人は見ようとしたものしか見えないか。二階へ行こう」


「アマルガムの脱出経路の検証は、後程にしますか」


「ああ。今はこの夫妻の素性を明らかにしたいし……夫妻を殺害するって命令を遂行した後なら、アマルガムもすぐに次の犯行に移ることはないだろう」


 物置を後にして、テオたちは二階へ続く階段を上がった。


「トビアスの取り調べによると、ブレフト・ブラウエルはプライスに対し、清掃員でも整備士でもなく、福祉局の職員と偽って詐欺を行っていた。養子縁組詐欺について妻ミシェルには隠していた様子だし、何か秘密がある。……バックにいる人物が、アマルガムの本当の指揮官だろうか」


「プライスは何も知らず、ただ利用された詐欺師です。夫妻の関係者が指揮官に該当すると仮定しても、親族以外に、表に出ていない交友関係を探る必要があります」


「そこが問題だ。秘密を隠すとしたら、どこだと見る? 俺は書斎に一票」


「では、寝室の可能性を提示します」


 テオは二階の突き当りにある部屋から調査を始めた。本棚や机、一人掛けの椅子の置かれた書斎だ。夫ブレフトの作業部屋だったようで、ひだりき用の工具が並び、整備中の時計がある。棚には帳簿や数々の部品が放り込まれていた。書棚には技術書の他に、悲しみとの向き合い方や鬱病に関する本もあり、子供をうしなったことで夫妻がどれだけ傷付いたかがうかがえた。


 ただ、どちらかと言えば、鬱病の家族を支える側の立場に向けた書籍が多い。


「……妻ミシェルに、鬱状態の記録は?」


「医療記録にはありませんでした。物置の薬品から推測するに、民間療法に頼っていたため、保険が利用されず、健康状態が記録に残らなかった可能性があります」


「確かに。……医療記録から探るのは難しそうだ」


 二人がかりで書斎を調べたが、一般的な保険の約款や業務契約書など仕事に関する書類ばかりで、事件の手がかりになるようなものは見つからなかった。現金も、金庫ではなく簡易なケースに入れられているだけだ。


「……何もない、か。アルバムなんかはリビングにあったし、ここは完全に仕事部屋にしていたんだろう。……自分の稼ぎでは足りず、金も工面できず、詐欺に手を出したようだな」


 ゴミ箱には、融資審査不合格の通知書がいくつも捨てられていた。家の様子を見た限り、家計に見合わない生活水準とは思えず、ぜいたく品の類も見られない。


「……仕事は十分にある。だがそれでも金が足りなかった。何にぎ込んだんだ?」


「それに、子供に関する書類もありません。養子どころか、実子も」


「……寝室に行くか。意外と夫妻が散財している可能性もある」


 に落ちないまま、テオはイレブンを連れて寝室に入った。


 寝室にはダブルベッドこそ置かれていたが、寝具の状態からして、一人で眠っているようだった。だが化粧台やクローゼットは夫婦で使用していた形跡があり、部屋を完全に分けている様子はない。ベッドに近付いたイレブンが、枕から髪の毛を拾い上げた。


「……短いブルネット。ベッドを使用しているのは夫ブレフトの方ですね」


「ふむ……目立つブランド品や高額な時計もなし。控えめな生活だ」


 寝室も二人がかりでくまなく調べたものの、金庫や書類ケースは見つからなかった。装飾品は化粧台の引き出しに入れられ、貴重品はキャビネットの箱にまとめられている。


 ぐるりと部屋を見渡したイレブンが口を開いた。


「ブラウエル夫妻は、大切なものほど視界に入れるよう配置する傾向にあります。関係書類も、見える場所に置くものと推測できますが」


 彼女の指摘を受けて、テオは改めて寝室を見やった。


 化粧品、香水、装飾品に貴重品、全て見える場所にある。玄関では靴箱の上に鍵やハンカチが置かれ、リビングでは写真が分かりやすく飾られていた。二人の習慣だ。


「……なるほど。夫妻がどこで長時間過ごしていたかが重要だな。寝室で寝ているのは夫だけ、となると……妻は養子と一緒に子供部屋か?」


 テオは急いで、「子供部屋」とプレートの付けられた扉を開けた。


 パステルカラーでまとめられた、明るい部屋だった。柔らかいラグ、たくさんの玩具に絵本、ぬいぐるみまで置かれているが、使われていた様子はない。


 予想通り、妻は子供部屋で寝起きしているらしく、ベビーベッドとシングルベッドが並んで設置されていた。調べた限り、寝具と玩具類以外に気になるものはない。


 テオはふとベビーベッドに手を付いた。シングルベッド側の柵だけ、刃物で取り除かれた形跡があった。ベッド同士が密着するよう、手を加えたのだ。


「……柵が開くベッドもあるのに、わざわざ工具で取り除いたのか」


「この状態では、ダブルベッドを妻と子供で使用する方が、効率的です」


「確かにそうだが……思い入れの問題かな。ベビーベッドの周りだけ経年劣化が見られる」


 テオは少し離れて、ベビーベッドと部屋を見比べた。シングルベッドと玩具は、新しいものだ。だがベビーベッドや壁紙、ベッドメリーは、他に比べて色あせている。加えて、ベビーベッドは質のいいしっかりとした商品であるのに対し、シングルベッドは簡素な作りの安物だ。


「……元々、このベビーベッドは実子が産まれたのを機に買ったものだろう。思い入れが強くて、実子が亡くなった後もこのベッドを空にしたり廃棄したりできず、養子もここで寝かせた。……だが、何か理由があって、柵を外してでも母子で密着して眠る必要があった」


「詐欺被害者の証言では、妻ミシェルは必ず養子バジルを抱いていました。養子バジルを被害者が腕に抱いた時も、妻ミシェルは片時も離れなかった。一方、夫ブレフトは単独で、自由に動いている。養子……アマルガムとの距離が重要だったのは、ミシェルのみです」


 テオはベビーベッドの柵にもたれ、「ふむ」と軽く息を吐いた。


「……夫妻はアマルガムに殺害された。このことから、指揮官に該当しない。だがアマルガムは、ミシェルと密着する必要があった。……考えられる可能性は?」


「正確な状態は不明ですが……妻ミシェルの体内にコアがあった、でしょうか」


 イレブンはそう言って、シングルベッドに横たわった。細い腕がベビーベッドに伸ばされる。


「体格に準じたコアの大きさですと、本体はあまりコアから離れられません。妻の体内にコアがあったと仮定すると、妻の手が届くところまでが活動可能範囲ではないかと推測します」


「ふうん。何かそういう、距離を算出する基準でもあるのか?」


「一般的にアマルガムのコアは、デフォルトでは肉体重量の二十分の一程度。生後三か月の人間の平均体重を参照し肉体が六キロあると仮定すると、コアは三百グラム、直径三センチ程度。したがってコアから離れて動ける距離は、およそ六十センチ。女性の平均的な腕の長さに近い数値です。母子の距離が近い理由として、妥当ではないでしょうか」


 よどみなく説明されたが、テオは頭痛を覚え、イレブンに手を差し出すにとどめた。


「……専門家の意見をどうも」


「あなたが算出基準を質問したから、答えただけです」


 イレブンはテオの手をつかんで立ち上がり、灰色の瞳でこちらを見上げた。


「主要な部屋はこれで全てです。現時点では、夫妻はアマルガムと認識した上で養子を世話しており、安定した生活を送るかたわら、金銭的な問題があったと判明しています」


「夫妻が詐欺に手を出したのは金目的だとして……アマルガムは何に反応して夫妻を殺害した? 任務だとしたら、なぜ半年も大人しく赤ん坊のフリをしていたんだ。ローレムクラッドのように、何かキーワードを設定して、攻撃的になるよう細工したのか?」


 一般的な夫婦だと思っていた二人は、調べれば調べるほどに本性が分からなくなる。テオは眉根を寄せたが、イレブンは静かに言った。


「少なくとも、全部屋を回って、一つ判明しました。リビングに戻りましょう」


「リビング? どうしてまた」


「各部屋を比較した結果、寝室と子供部屋は就寝時のみ、書斎は勤務時のみ利用していたものと推測できます。つまり、夫妻は日常的に、リビングで過ごしていた」


「……重要書類はそこか。しかし、物を隠す場所はなかったと思うんだがな」


 テオはイレブンの指摘を参考に、リビングに戻った。


 ソファーセットとローテーブル、サイドテーブルが並び、テレビに向かうように配置された部屋だ。そのうち、イレブンは一人掛けのソファーに腰かける。一人掛けのソファーは布張りで、イレブンよりも大柄の人物が座った形に座面が傷んでいた。長時間座っている人物がいることの証拠だ。サイドテーブルにはコースターや新聞、本などが置かれ、くつろぐための用意がされている。揺り籠の位置からして、夫妻は揺り籠を挟む形で、それぞれソファーでくつろいでいたのではないかと思われた。


「……一人掛けのソファーに座っていたのは、夫の方だな」


「重要物品を視界に捉えるように配置する習慣があったとすれば、夫妻はこのソファーから見える範囲内に、重要書類を保管しているものと判断します」


 イレブンは言い終えるやいなや、ソファー本体や足元、近くのマガジンラックやサイドテーブルを探り始めた。テオもソファーからの視線がどこを通るか確かめながら、リビングを探る。マントルピースの写真以外に、夫妻にとって重要なものを隠すとしたら、どこだろう。


 テオはかべぎわの本棚やシェルフ、観葉植物まで確認していたが、ふと、観葉植物を横にずらして壁に触れた。モールディングの施された壁は、腰の高さで上下に材質が分けられており、下部は暗い色の木材を使用している。一定間隔で継ぎ目がわざと残されており、はばまでのアクセントになっていた。ただ、マントルピース近くの一部だけ、木材がわずかに沈んでいる。


 テオは拳で軽く壁をたたいた。一か所、他より沈んだ部分だけ音が軽く、明らかに空洞がある。何か細工があるはずだと場所を変えてたたいているうちに、かこん、と壁板が動いた。


 板の中央に軸を作り、板が縦に回転するように細工されていたのだ。開いた隠し扉の向こうは、壁の内側をくり貫いて作られた空洞で、分厚い封筒が置かれている。


「イレブン、あったぞ」


 テオはテーブルの裏側を確認していたイレブンに声をかけ、封筒を取り上げた。危険物ではないと判断し、中身をダイニングテーブルに広げる。


 中身は、三年前にくなったバジルの出生届と死亡届の控え、妊娠中の記録に使われたらしい健康記録帳、「成長記録」とラベリングされた映像媒体が複数。そして、封筒の中で最も分厚い「ジクノカグ特別支援契約」と印字された冊子だった。


「……ずいぶん分厚い約款だな。ジクノカグってのは、何の名称だろう」


 試しにテオは冊子を開いたが、とても小さな文字がぎっしりと書き連ねられており、契約者に読ませるつもりがあるとは思えない文章だった。まともに目を通そうとすると、目がちかちかして内容が頭に入って来ない。


 すると、イレブンが「失礼します」とテオから冊子を受け取った。彼女はぱらぱらと一定の速度でページをめくり始めると、すぐに約款から同意書の控えまでめくり終えた。


「内容把握完了。要約をお伝えします」


「は? え? あんな、めくっただけで?」


「ジクノカグは契約者に対し、法律適用外の医薬品及び医療サービスを提供する団体であり、契約者に対し、商品及びサービスの使用を内密にすること、どのような副作用が生じても自己責任とすることを求めています。ブラウエル夫妻は六か月前、契約書及び同意書に署名し、ジクノカグから『代替しんたい』という名称の商品を購入しています。使用に当たっては法外な使用料が発生すること、命の危険が伴うこと、禁止事項があることなどは巧妙に隠されています」


 すらすらと語るイレブンに圧倒されたテオは、思わずつぶやいた。


「……お前、そこまでできて、なんで携帯端末は使えないんだ」


「それは、端末側の、問題であり、私の問題では、ありません」


 イレブンは無表情のまま、テオに分厚い冊子を押し付けるようにして返した。テオは同意書の控えを抜き取り、署名欄を見下ろす。


「……ジクノカグ側は代表者のジーノ・カミーチャ。ブレフトはあくまで保証人で、契約者はミシェルなんだな。購入した代替しんたいの部位は……だと?」


「遺体の損傷箇所と一致します」


「おいおい、そんなこと可能なのか? コアが小さいと性能も落ちるんだろう? なのに子宮なんて……養子じゃなくて、自分で産んだってことか?」


「アマルガムは子宮内膜に擬態し、受精卵を取り込んだのではないでしょうか。それでしたら、開腹手術をせずとも体内に存在できますし、コアが母親の体内にあることも説明できます」


「一体どういう……いや待て、説明しなくていい」


 テオが素早く制止すると、イレブンは一度口を閉じ、改めて言った。


「つまり、彼女が購入したのは子宮ではなく、確実な出産です」


「……彼女に、医療機関にかかった記録はない。通常の出産とはどれぐらい異なる?」


「産卵に近いと推測します。アマルガムであれば胎盤なども不要ですし、着床後すぐに体外に出ても問題ありません。妊娠したと自覚する間もなかったのではないでしょうか」


 頭が痛くなってきて、テオは額を押さえた。テーブルにもたれて息を吐く。


「……分かった。いや分からんが、アマルガムは捕食したものに化けることができる。今回は、遺伝子情報を入手したから、実子に似ているが、コピーではない子供に擬態できたわけだ」


「人体の設計図を入手したも同然ですから、新生児までは擬態できるでしょう」


「ん? じゃあ、どうやってそこから成長するんだ?」


 ブラウエル夫妻の養子は、生後三か月ほどだと言われていた。テオが顔を上げると、イレブンは少しの沈黙を経て、マントルピースの写真を振り返る。二人分の子供の写真だ。


「……バジル・ブラウエルの成長記録を参照し、その動きを模倣して、生後三か月の乳児に擬態したものかと、推測します。それ以上成長したように見せるには有効なサンプルが得られなかった、あるいは……」


「……夫婦が、それ以上の成長を望まなかったかもしれないか」


 こればかりは、本人たちにしか分からない事情だ。テオはテーブルに広げた証拠品を見やり、堪えきれずためいきく。養子縁組詐欺が始まったのは、夫妻が契約書に署名してからだ。おそらく請求書を見て使用料を払えないと悟り、ブレフトは妹をだました詐欺師を利用すると決めたのだろう。そこまでして、夫妻は新しい子供を求めた。半年で殺されるとも知らずに。


「例えば、ローレムクラッドのキーワードのような、アマルガムを攻撃的にする条件のようなものは約款から見つけられたか」


「直接的な表現ではありませんが、禁止事項への抵触が条件ではないかと」


 イレブンは冊子を開き、該当箇所を指差した。


「契約書には『契約者が禁止事項に抵触した場合、速やかに商品を回収し、サービスを停止する』とだけ記載されています。禁止事項は、『契約関連の問い合わせ』『契約内容の第三者に対する公開』『使用商品の無断廃棄』『半年以上の支払い滞納』の四つですが、問題は『契約関連の問い合わせ』です。抽象的で、範囲が広すぎます」


「……もし夫婦が、支払い期限を延長できないか問い合わせたら、禁止事項に抵触したとして、商品は速やかに回収される。その回収方法が……アマルガムの脱走であり、契約者は口封じを兼ねて殺される、か……何にでも適用されて危険だな」


 テオはダイニングテーブルに広げたものを全て封筒に戻し、それを抱えた。立ち上がると、ずしりと、片腕が重くなったように感じる。


「……残るは、アマルガムの足取りだな」


「はい。バスルームの窓から脱走したものと仮定して検証します」


 証拠品を抱えて現場を出て、テオはすぐに裏庭へ回った。短く整えられた草を踏む。


「このアマルガムが、別の姿に擬態して逃げている可能性はどれぐらいある?」


「代替しんたいという商品、乳児、夫妻を殺害するための変異と、複数回は姿を変えています。コアの想定出力では、既に限界です。最後の姿のまま逃走しているでしょう」


「そうか、コアが小さい分、限界も早いんだな」


「はい。術式の積載量に関わるので……小さなコアでは、体力とできることが少ないのです」


「簡単な言葉に直してくれてありがとうな」


 テオは大股で裏庭に踏み込んだ。外に突き出す形となった窓が開いている。イレブンは慎重に近付くと、窓の付近で姿勢を低くした。


「……窓から抜け出し、垂直に落下しています。一定範囲の草が折れ、地面に痕跡もある。そのままいずって、……直進した」


 イレブンは静かに歩き出すと、裏庭の門扉を開け、山道へと入っていった。彼女は地面に目を凝らし、確信を持って進んでいる。


「……赤ん坊の動いた跡って、そんなに追えるものか? 足跡もないだろうに……」


「折れた小枝、砂利の動いた跡……って移動している以上、痕跡はいくらでもあります」


 その言葉通り、イレブンは時折しゃがんでは地面の近くまで顔を寄せ、低い姿勢でアマルガムの足取りを追っていた。その姿はまさに猟犬──ハウンドの名に相応ふさわしい。


 だがやがて、大きな段差に出た。大人でも安全に下りるには苦労する高さだ。元からの地形ではなく、大雨か何かで崩れたようだ。イレブンは軽やかに飛び降りると、地面を見つめてからテオを振り返った。


「ここで落下し、負傷したようです。地面がへこみ、いずった跡が乱れています」


「そのぐらいなら、再生できるんじゃないか?」


「それにしては、った跡の乱れ方が著しい。再生していません」


 山道は欠片かけらも整備されておらず、いくつもの崖があった。倒木で塞がっている場所も多く、大人でも歩くのに苦労する道だ。とても赤ん坊の体格で進めるルートではない。それでもアマルガムは直進を続け、ついには山を抜けた。


 目の前が突如開けて、テオは軽く目を見張った。小さな浜辺だ。穏やかな波が打ち寄せ、れいな砂浜が広がっている。岩場が多く、「遊泳禁止」の立て看板が傾いていた。


 テオは思わず背後の山を振り返った。ブラウエル夫妻の家は、ここからは見えない。


「まさか海に出るとは……家からここまで、三十分程度か」


「このアマルガムではさらに時間がかかったでしょうね」


「赤ん坊のハイハイの速度なんて、たかが知れてるだろうしな……」


 イレブンが歩き出すと、山道から続くいびつな溝の隣に、彼女の靴跡が刻まれる。溝はどんどん細くなり、やがていたような跡を残して、なみぎわで止まった。


 打ち寄せる波にさらされたそれは、熱で変形した樹脂人形のようだった。頭部は口と髪だけとなり、全身のほとんどが血と泥に汚れている。片方の脚は鎖鎌に似た刃を形成していたが、もう一方の足は、小さなベビー靴を履いたままだ。


 ぴくりとも動かない、アマルガムの残骸だった。イレブンはそれを両手で抱き上げる。彼女の白い指先が、崩れた肉をけて赤い輝きをあらわにした。本当に小さなコアだった。


「……何と表現していいのか。その、そいつの、危険性は?」


「安全です。どう限界を超え、もう動けません」


「それなら……いいか。歯形を傷口と照合して、血液を調べたら、後は研究所に任せた方がいいな。いくら動けないとはいえ、捜査局じゃ手に余る」


 テオは思わず、イレブンの手元を見下ろした。少女の細腕でも余る、小さなたい。汚れ、変形してなお、生後わずか三か月の幼い子供だった名残があり、どうにも気落ちさせた。


「……こいつは、どうしてここまで必死に山を越えたんだ? アマルガムに感情がないなら、何がここまでこいつを動かしたんだ」


「術式を確認します。少々お待ちください」


 イレブンは手短に応じると、アマルガムのコアに触れた。赤い光が空中に浮かび上がり、その中を幾何学模様が高速で走り出す。だがその動きは、二つの球体とそれをつなぐ直線、それをさらに埋め尽くす記号が表示されて止まった。


「展開完了。通常のアマルガムと異なり、再生、自己補給、命令遂行の三つの柱のうち、再生部分が削られています。『作る』『たくさん』の文字列が追加されていますが、意味をなさなかった結果、判断能力が低下し、どう限界を察知することができなかったと分析しました」


「……それはつまり、コアを小さくするために、機能を削ったのか?」


「推測ですが、中途半端な知識で術式に変更を加えた結果、量産の過程でコアが小さくなっただけでしょう。あるいは、ローレムクラッドのように実験をしていて、偶然商品として使えると気付いたか。いずれにせよ相手はコアを研究できる環境にあり、生産したコアを一般人に売却している。それは事実です」


「……ローレムクラッドより悪質かもな。他に手掛かりは?」


 コアの術式を見上げていたイレブンは、テオに視線を戻して言った。


「捜査に関わる報告が一点。このアマルガムは、命令遂行後、速やかに特定人物のもとへ戻るよう指定されています。その人物に向かって直進し続け、力尽きたのです」


「……人物? 座標みたいに数値化もできないだろうに、どうやって指定する?」


「個人の遺伝子情報が入力されています。髪一本、血の一滴で足りますから、難易度は高くありません。研究所で遺伝子情報を抽出すれば、捜査でも使用可能でしょう」


「……名前や人相より先に、遺伝子が分かるとはな」


 テオは息を吐き、海を振り返った。穏やかに波が打ち寄せている。


「家からその人物に向かって直進していたのなら、指定された人物もとっくに移動してるだろう。居場所を突き止めるには、まだ情報不足か」


「収穫はありました。別の角度から捜査を続けましょう」


 イレブンは穏やかに言う。テオは「そうだな」と短く応じて、砂浜を歩いた。かいすれば、車道に戻れるはずだ。イレブンは砂を踏みしめ、テオの隣に並ぶ。


「しかし、そいつの力尽きた場所がここでよかった。この辺りは水難事故も多くて、地元の連中も立ち寄らない。先に誰かに拾われていたら、また大問題だったな」


「この見た目のものを率先して拾う人間もまた、別の問題を抱えていそうです」


「違いない。……どう限界を迎えたら、アマルガムはこうなるんだな」


 テオは小さくつぶやいた。春に起こった大規模襲撃事件の際、イレブンは自分ごと敵アマルガムを焼却炉で焼き尽くしている。その時に、彼女は言ったのだ。「どう限界を無視してあなたの役に立つ」と。通常、アマルガムはそれを超過しないように動くとしたら、彼女は。


「テオ、『不安』をしていますか」


 はっとして、テオは顔を上げた。灰色の瞳が真摯にこちらを見上げている。


「逃走したアマルガムは確保し、詐欺事件、殺人事件はともに新たな手がかりも入手でき、捜査は着実に進展しています。『不安』に該当しません」


「いや……まあ、確かにそうだ。捜査は進んでる。ただ……」


 テオは言葉に迷い、意味もなく浮いた右手を、ポケットに突っ込んだ。


「……ただ、お前ももしかしたら、こうなっていたのかと、思ったんだ。焼却炉で」


「肉体を全損することはあっても、このように姿が崩れることはありません」


「そういう、想像をしたってだけだよ。仮の話だ」


 案の定イレブンにはく伝わらず、テオは苦笑した。彼女は察しがいいものの、その感覚は人間と大きく異なる。テンポの違う砂を踏む音が、軽快に響いた。


「私たちハウンドにも、終わりはあります。しかしそれは最終段階。専用処理施設で迎えることです。あなたの前で、このような姿になることはないでしょう」


「……肉体を失って、コアだけになることはあっても?」


「あなたが砂から掘り出したように、あなたの望む姿で、私は戻ります」


 テオはけなにも聞こえる言葉に一瞬目元を緩めたが、すぐさま思い直して彼女の小さな頭をわしづかみにした。


「そもそもお前が全損しなきゃいいんだよ。無事に戻るのは当然だろ。二度とするな」


「了解、今後の方針に追加します。……『不安』は終わりましたか」


 乱れた前髪の間から、イレブンが見上げた。いだ瞳からは、こっちの言葉が響いたかどうか欠片かけらも分からない。テオはためいきき、柔らかい髪をぐしゃぐしゃとでた。


「お前といると、そんな暇ねえな」


「捜査官は統計的に、一般市民よりも暇な時間は少ないです」


「またそういう……そうじゃないだろ。まったく、お前ってやつは」


 高性能な兵器のはずなのに、どうして時折、どうしようもなく抜けているように見えるのだろう。テオは苦笑し、先を急いだ。



   ■



 検視室に入ったエマは、すれ違う検視官に挨拶して奥へ向かった。ロッキが険しい顔で二人の遺体を見つめている。エマに気付くと、彼は片頰に笑みを浮かべた。


「お転婆娘じゃないか。捜査は?」


「私は手詰まりで、三人の帰りを待っているところ。時間がもったいないから、もう一度遺体を見に来たんだけど……検視は終わったのよね? 何か問題が?」


 エマが尋ねると、ロッキは「いや」と首を振ってカバーを軽く下げた。ブラウエル夫妻の遺体が顔を出す。


「……現場と遺体の状況を重ねると、夫は揺り籠にいる赤ん坊から、妻をかばって先に殺された。妻は逃げる間もなく足をまれて転倒し、おそらくローテーブルに頭を強打。そして、生きたまま腹を食い千切られ、喉をき切られて殺されている」


「……むごいわね、とても」


 エマの返事はかすれていた。ロッキも「ああ」とかすかに返事をする。


「正体はともあれ、育てた赤子に殺されるなんざ、想像もしてなかっただろうよ」


 ロッキはためいきいて、遺体のカバーを戻した。


「二人はごく普通の夫婦だ。残った臓器も健康そのもの。血液や胃の内容物を調べたが……魔導士のお前さんに、一つクイズを出そう。次の成分に心当たりはあるか?」


 ロッキはそう言って、印刷機から紙を取り上げた。


「妻ミシェルの遺体から見つかった成分は、しようが、ミズホハッカ、ガルデニアの実、アマダケクサ、ピオニアの根、スロースベアの胆汁、黒金ロバの肝臓、それから、りんかいせき。これらを一度に摂取するものは何だ?」


「……うーん、スロースベア関係なら鎮静作用はありそうね。それ以上はさっぱり」


「なんだ。お前さん、魔法薬学は履修していないのか」


「専門外なの。何の薬?」


「アーキチル水薬ってやつだ。精神的に不安定だとか、原因不明だが体に不調があるとか、そういう時に飲むもので、婦人科系の病気でも処方される。ただ、スロースベアの胆汁と黒金ロバの肝臓は、使用と所持に国から制限があってな。治癒士でも処方するには認定書が必要だ」


 エマは急いで手帳にメモした。


「認定を受けた治癒士なら、特定も早そう。ありがとう、ロッキ。捜査の参考になるかも」


「ああ。……遺族に連絡できたか?」


「それがまだなの。二人とも両親はくなってて、ブレフトには妹のアンナがいるはずなんだけど、電話に出ないのよ。家まで行こうと思ってるところ」


「そうしてやってくれ。……この二人が眠るには、霊安室は寒すぎる」


 ロッキは遺体カバーを軽く手で押さえた。優しくねぎらうような手つきだった。

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