アマルガム・ハウンド 捜査局刑事部特捜班

駒居未鳥/電撃文庫・電撃の新文芸

アマルガム・ハウンド 捜査局刑事部特捜班

一章 檻より見上げた星 1/2


 彼女には忘れられない光がある。青い瞳、青いまなし。

 到底、彼女に向けられるはずのない、良心に満ちた光。



 破れた天井から夜空を見上げた少女は、何光年も離れた過去の光に手を伸ばした。暗闇の彼方かなたで、青い星がまたたく。伸ばされた手は、透き通るように白い。小鳥に手を差し伸べるようなその仕草は、室内のよどんだ空気にそぐわぬ清らかさを伴い、稚く指先を月光にけた。


 彼女の横顔に、表情はない。冬空の雲と、同じ色の髪。その間からは、獣のとがった耳がのぞく。タンクトップの裾からは豊かな毛並みの尻尾が覗き、ぱたりとコンクリートの床をたたいた。銀色の毛並みは彼女の髪と異なり、金属質な光沢を持つ。


 きやしやな少女と不釣り合いな獣の耳と尾。だがその姿は、室内で目立つものではなかった。


 冷たく月の光が差す室内には、いくつもの人影がうごめいていた。そのどれもが、半ば人間の姿を失い、銀色の部位に侵食されつつある。彼らは一様に、鎖で壁につながれ、頭と手足を振りたくり、唾液が垂れるのも構わずわめき散らし、目が合った相手を威嚇する。己の獣性に振り回されてなお、自分はまだ人間だと、周囲に訴えるように。


 だが少女は、その灰色の瞳に幾つもの星を映すだけだった。室内の様子などまるで目に入らない。何せ、彼女には全てがどうでもいい。とおえも、うなり声も、少女の関心事ではない。


 どうせ彼らも、次の夜には死ぬ。死ぬまで戦わせる見世物が開幕すれば、敗者は死に、勝者はとらわれ続けるだけだ。少女は静かに、自分の出番を待っている。


 ただ、美しい青、少女にとって忘れられない光をまぶたに仕舞い、彼女は目を閉じた。



   ■



 けたたましく目覚まし時計が鳴る。はじかれたように天井を見上げたテオ・スターリングは、いつの間にか止めていた息を深く吐いた。汗にれた額を拭い、深呼吸する。


 大陸戦争の前線から退いて二年がっても、テオの一日は悪夢から始まる。



 科学と魔術が手を結び発展したアダストラ国。大陸の中でも資源に恵まれたこの国は、長らく大陸全土を巻き込む戦争のちゆうにあった。対立関係にあった近隣諸国と停戦し、条約締結に動いたのもここ一年のことで、なかなか情勢は落ち着かない。


 テオが軍人として戦った期間は長くなかった。しかしその中でも、歴史的な大規模戦闘となったアルカベル戦役は、忘れられない。テオにとって最後の任務となった戦いだ。


 アルカベル市を主戦場とし、市の象徴だった大鐘楼がはらわれたのを機に、戦闘は昼夜を問わず一か月続いた。厳しい戦いはテオから多くの仲間を奪い、悪夢となっていまだにさいなむ。



(……今更思い出したところで、何もできないっていうのに)


 テオはこわった体で無理に起き上がった。洗面台に向かう間も、まぶたの裏には爆撃による黒煙とつちぼこり、吹き飛ばされていく仲間の遺体がよみがえり、破裂音が鼓膜の奥でこだまする。


 顔を洗い、鏡をのぞき込んだテオは顔をしかめた。青い瞳は悪夢によどみ、薄くくまができている。れた前髪をげると、その暗い赤毛と相まって乾いた血を洗い流したことが思い出される。土気色の腕が落ちたかと思って振り返れば、汚れたシャツが洗濯籠からはみ出ていた。


 寝ても覚めても、悪夢は離れてくれそうにない。


 テオはためいきを堪えきれないまま、のろのろと朝の支度を進めた。そういえば、とテオは眉根を寄せ、ネクタイを締める。


 戦場の記憶とともにテオの脳裏によぎるのは、若い兵士の姿だった。


 アルカベル戦役の際、テオの属する一三三部隊は陽動作戦を終えた直後、爆撃によって壊滅した。生き残ったのはテオだけだった。そのテオもれきに挟まって死のふちに追いやられたが、そこに駆け付けた兵士がいたのだ。


 武装と中性的な声のせいで、性別や人相は分からなかった。だが兵士はぎわよくテオをれきから救い出し、さつそうと肩を貸して歩き出したのだ。小柄できやしやだが、人間を運ぶのに慣れていた。きっと看護学校から従軍した生徒だろう。


 だがその兵士はテオを爆撃からかばい、若い身空でこつじんになった。


 テオもまんしんそうだったが、使命感から、そしてあまりの申し訳なさから、頭と胸部だけとなった兵士の遺体を抱え、基地まで走った。兵士には識別票がなく、何より、仲間を全てうしなったテオにとって、自分を救った相手まで見捨てることはできなかった。


 だが、テオはその後を知らない。テオが病院のベッドで意識を取り戻した時には既に、必要な処理は全て終わっていた。兵士の身元どころか、埋葬場所すら分からない。


 記憶は曖昧だ。だが悪夢は、毎晩鮮明に、テオに地獄を思い出させる。


 爆撃を受けて吹っ飛ぶ仲間たち。れきに埋もれるテオ。そしてテオを救う兵士が必ず現れ、テオをかばって必ずこつじんになる。だが奇妙なことに、遺体を抱き上げたテオに向かって、兵士は「撤退してください」と繰り返すのだ。「逃げてください」「私に構わないで」と。


 そして悪夢は必ず、その兵士を別のものへとすり替える。ひび割れたぼうじんヘルメットは黒焦げの頭部へ、焼け焦げた戦闘服は当時流行のワンピースへ。長く伸ばした赤毛は見る影もなく、れんな指は骨すら残らず崩れてなお、テオにすがりつく。


「兄さん、どうして? どうして兄さんは生きているの? 私を見殺しにしたのに」


 涙でれた恨み言が炎に飲まれ、テオの鼓膜を揺らし、眩暈めまいを起こす。



 気付けばテオは、玄関扉の前で立ち尽くしていた。しん、と静まり返った部屋には当然、誰もいない。全ては悪夢で、過去のことだ。だがテオは、その沈黙にひどく責め立てられる心地で、家の外へと逃げ出した。


 ヘザー。故郷に残し、両親を任せた妹。自分より少し明るい赤毛と、青い瞳の少女。戦火に巻き込まれ、逃げる間もなく焼け死んだ、可哀かわいそうな、まだ十代半ばの。


 テオは全てを振り切るようにして車に乗り込んだ。五年ってなお惨劇はまぶたの裏から離れず、そこに戦場での記憶が重なって、テオの頭はいつもぐちゃぐちゃにされる。


 車窓を流れる街並みには、保護者に手を引かれて歩く子供の姿がある。商業施設を見ながら楽しげに笑い合う若者の姿がある。馬鹿なことだと分かっていても、テオはそこに妹の姿を探さずにいられなかった。償う先も恨む先もない現状、テオにできるのは愚かな回想ばかりだ。



 それでも時は過ぎ、一日は巡り、犯罪は起きて、テオの仕事が始まる。



 テオは深呼吸して意識を切り替え、デルヴェロー市立図書館へ踏み込んだ。空襲をまぬがれた建物は戦前と変わらず、静かに人々を迎え、英知の森へと誘う。暖色でまとめられたロビーには新刊や絵本のコーナーが作られ、家族連れが本を選んでいた。専門書を片手に議論する若者と老人の姿があり、静かに一人の時間を満喫する者もいる。


 テオが守るべき、平和な市民の日常がそこにあった。


 彼らをほほましく見やり、テオは入場ゲートへ向かった。図書館利用者とは異なる列に並び、職員に捜査局のバッジを見せる。


 職員は笑顔のまま、黙って魔導転送機トランジツトのレバーを下げた。テオがてのひらを押し当てて生体認証を終え、一歩踏み出すと、景色は一変する。職員が立っていた場所と同じ場所で、警備員が敬礼してテオを迎えた。


「おはようございます、スターリング捜査官」


「ああ、おはよう。今日もご苦労さん」


 テオが進むロビーは、ぬくもりにあふれた図書館から打って変わり、灰色が基調の無機質なビル内に変貌していた。安全保障のためによって隠された捜査局デルヴェロー支局には、今日も多くの捜査官が出勤し、同じだけの捜査官が飛び出していく。


 テオは迷いなく歩みを進め、刑事部のオフィスに入った。挨拶を交わした捜査官たちは、最近増えた『面強盗』事件について話しながら、入れ違いにオフィスから出ていく。


 テオはブラインドの隙間からデルヴェロー市の街並みを見やった。人通りと交通量は変わらず、工事の進展もうかがえる。撃墜された戦闘機が突っ込んだ商業ビルも、来月には新装開店できると聞く。市内には、日常が戻ってきつつあった。


 軍の通信施設等があることからデルヴェロー市も攻撃対象になっていたが、豊富な避難経路とシェルターが功を奏し、建物の被害に比べて死亡者は少ない。それでも、市民には癒えない傷が残り、治安の悪化は確実に進んでいる。暴行事件は絶えず、窃盗事件も数えきれない。昨日も少年グループが窃盗の現行犯で捕まったばかりだ。


 失ったものを数えながら日々を過ごしているのは、何もテオだけではない。分かっていても、窓ガラスに映った表情があまりに暗く、テオは顔をしかめてブラインドを閉じた。


「……仕事の時間だ」


 声に出して切り替え、テオはデスクを振り返った。ちょうどオフィスの扉が開く。


「おはようございます! はいおはよう! おはよう! おっ今日のネクタイいいね!」


 にぎやかに入ってきた男に向かって、多くの捜査官が笑顔で挨拶を返す。若々しいブラウンの髪をげ、明るいグリーンの瞳を輝かせた優男は、軽やかにテオのもとへやって来た。


「やあ、おはようテオ! 今日も辛気臭い顔だね!」


「元からだ。放っておいてくれトビアス」


 テオがためいき混じりに応じると、トビアス・ヒルマイナは肩をすくめてコーヒーをれた。


「アカデミーにいた頃から変わらないな、君は。僕の後輩で君ほどぶつちようづらの多い人間はいない。警察犬たちを見習いたまえよ、彼らのあいきようは世界一だ」


「余計なお世話だと何度言えば……」


 テオは反射的に声を荒らげたが、オフィスに入ってくる新たな人影に気付いて口をつぐんだ。金髪を揺らして出勤したエマ・カナリーは、魔導士協会に認められたあかしであるケープをひるがえし、紫の瞳をテオたちに向けた。トビアスが笑顔で彼女を迎える。


「おはよう、エマ。昨日まで、雪山へ出張だったんだろう? どうだった?」


「ウェンディゴと派手なダンスパーティーになったわ。雪の夜に花火もいいものね」


 そう笑って、エマは腰のホルスターの上から魔導小銃カタラを軽くたたいた。アダストラ国内では魔導士による犯罪も多く、協会認可を受けた魔導士も刑事部にいる。その中でもエマは銃火器の扱いにけ、テオの頼もしい同僚だった。だがふと、テオは規約を思い出して尋ねる。


「エマ、出張から帰ったばかりなら休暇命令が出るはずじゃ?」


「部長から聞いてない? 私、戻ったらすぐオフィスに来るよう言われたけど……」


 覚えがなくてテオが首をかしげると、オフィスに顔を出した刑事部部長リノ・パロマが手招きをした。有無を言わさず部長室に戻るのを見て、テオは顔をしかめ、エマは苦笑し、トビアスは扉を開けて手で示す。また急な命令か、捜査か、その辺りだろう。


 テオたち三人をデスク前に呼び寄せたパロマ部長は、指を組んで真剣な顔をした。


「急に悪いな。捜査局から要請があって、うちで特捜チームを組むことになった。アマルガムの関与する犯罪に集中して対応する特別チームに、君たちを任命する」


 アマルガム。その単語にテオは目を見開き、エマは「部長!」と声を上げた。


「アマルガムって、自律型魔導兵器オートマトン・アーツですよ。管轄は陸軍か、魔導士協会のはずじゃ?」


「そりゃ百も承知だ! だがアマルガムの関与する犯罪は凶悪化しやすいと、報告が出ていてな。陸軍ちようほう部も動いているが、凶悪事件となると刑事部の管轄でもある。陸軍を始めとした専門機関と協力して、アマルガムに対処しなきゃならん。それに、局長直々の要請だ」


 パロマは両手を広げてそう言うと、捜査ファイルを人数分テオに渡した。トビアスが言う。


「……アマルガムはそもそも、戦場限定で運用されているはずですよね。命令に忠実なのが強みのはずです。それがどうしてまた、犯罪に関与するんです? 戦車の攻撃にも耐えて、戦艦主砲をかついで進むような巨人ですよ。横流しできるとはとても思えませんがね」


 トビアスの言葉ももっともだった。


 自律型魔導兵器オートマトン・アーツ。魔術と科学の融合によって生まれた戦略兵器群。その中でも、アマルガムというのは画期的な存在だった。泥人形に似た色合いで簡素な人型を取り、戦艦級の主砲をかつぎ、どんな地形、どんな攻撃にも耐えて進攻し、一切の補給を必要としない巨大歩兵として、最前線で重宝されている。もう十年以上人間の代わりに主戦力をになっており、大陸戦争での戦死者減少に貢献してきた。ただ、敵国への情報ろうえいを避けるためか、陸軍の厳重な管理下で情報規制が取られ、詳細は伏せられたままだ。


 それだけの代物が、せいで犯罪に関与しているとはとても思えなかった。第一、巨大歩兵が街を歩いていたら、市民はすぐさまパニックになるに違いない。


 パロマはり上げた頭をで、深くためいきいた。


「……経路は不明だが、アマルガムが秘密裏に流出しているのは確かだそうだ」


 エマが「そんな」と短く息をんだ。パロマの表情も深刻だ。


ちようほう部でもアマルガムは捜索追跡しているが、彼らにも限度がある。そこで、君たちには特捜班としてチームを組んでもらい、犯罪捜査の面からアマルガムにアプローチする形を取ることになったわけだ。報告がない時は他の事件を担当することもあるかもしれないが、基本はアマルガム犯罪に集中してもらう。リーダーは君だ、スターリング捜査官」


 思わぬ指名を受けて、テオはどきりとして顔を上げた。他二人の視線を感じる。


「俺ですか? 捜査官としては、ヒルマイナの方が……」


「確かに君は刑事部じゃ若いが、検挙率は大したものだし、従軍経験があるだけに根性もある。局長からも評価されているよ。まったくノウハウのない捜査になるが、ベテランのヒルマイナ捜査官、魔導士のカナリー捜査官と協力して、真相を明らかにしてもらいたい」


「……ベストは、尽くします」


「捜査の状況次第では、チームの増員も視野に入れている。健闘を祈るよ」


 それを最後に、テオたちは部長室から出ることになった。テオは思いもしなかった事態に頭痛を覚える。戦場にいるはずのアマルガムが、一体どうやって民間で事件を起こすというのだ。だが確かに手元には捜査ファイルがあり、テオたちの今日の仕事は決まってしまった。


 オフィスに戻ると、トビアスが「ふむ」と腕組みをした。


「しかし、アマルガムか。僕も報道以上のことは知らないんだよね」


「興味を引かないように、ほとんどの情報は伏せているもの。仕方ないわ」


「それよりトビアス、エマ。二人は納得しているのか? 俺がリーダーなんて……」


 気になってテオが尋ねると、トビアスとエマは不思議そうな顔をした。


「パロマ部長の言葉が全てじゃないかい? 君の判断は僕も信用しているよ」


「たとえミスしても、そのためにトビアスがいるわけだし、魔術的なアプローチは私ができるもの。あなた、自分でどんどん決めちゃうし、リーダーの方が動きやすいわよ、きっと」


「……簡単に言ってくれるが、そういうものか?」


「そういうものよ。さっ、事件の確認といきましょう。チームの初捜査よ」


 気合いを入れ直し、テオたちは捜査ファイルの資料に目を通した。



 報告されたのは、デルヴェロー市内にある違法闘技場だった。


 違法闘技場そのものは珍しくない。戦禍によって物流は滞り、多くの者が職を失い、金と物資の偏りはいまだ解決が遠く、一部地域ではその日暮らしの者が増加傾向にある。その中でも体力自慢の行きつく場所が、違法闘技場だった。空き地やはいきよを無断占拠して行われる格闘大会で、選手の勝敗に金銭を賭け、場合によっては多額の賞金が出ることもあって人気だ。


 だがくだんの違法闘技場では、出場している選手の様子がおかしいと報告があった。


 選手の肉体が一部銀色に変わっている。それだけでも奇妙なのに、銀色の部分は必ず別の生き物の部位に変形しているのだと言う。


 化粧や作り物の類とは思えない、と報告書には記載されていた。隠し撮りされた写真では、確かに頭がいのししになった選手と、両腕がかにばさみになった選手が戦っている。様々な姿に変貌した選手たちは、人間離れした戦闘を繰り広げ、一方が死ぬまで戦い続けるそうだ。


 異形たちによるさつりくショー。それを見て、観客は興奮し、熱狂する。


 この選手たちが、アマルガムではないかと疑惑を持たれていた。



 テオは捜査ファイルを閉じ、エマに目を向けた。


「……魔術の専門家として、どうだ。アマルガムの可能性は」


「見た目だけなら、可能性はあると思うけど……精巧な合成義体ってことはない?」


「いやーそれはないだろう。手足ならともかく、この猪の頭なんて無理だ」


 トビアスが口を挟み、写真を指で示して言った。ちょうど猪の選手が負けたシーンだ。


「本物の毛皮ですらないし、このかにばさみで粉砕された頭部を見た限り、機械部品や動力源もない。合成義体でこれを作るのは無理だ。合成義体ユーザーとして断言するね」


「……だとしたら、これ、妙だわ」


 エマは資料と写真を眺め、難しい顔をした。


「アマルガムは特殊な兵器なの。再生能力が高く、補給要らず。そして何より、死なない」


「……だが、この闘技場だと、選手は死ぬまで戦わされる」


「本物のアマルガムなら死ねないわ。正確には、動力源であるコアが破壊されるまで再生できるから、頭が潰れたぐらい平気なはず。それに、見た目も気になる。銀色なのはこの際置いておくとしても、生き物の部位になっているのはなぜ?」


 エマの疑問は続く。テオはその勢いに少しひるみながら資料をめくった。


「アマルガムなら、本物の人間にも化けられるってことか?」


「いいえ。アマルガムの擬態能力は精々、周囲の環境に紛れる程度よ。負傷状態から再生するために身を隠そうとして、接触している砂利や草に擬態するの。表面の感触まで再現するから、タコやカメレオンよりはいけど、ほら、新聞にも載ってた泥人形みたいな、ああいう簡単な形しか取れないのよ、基本はね。生き物への擬態は難しいの」


「……じゃあ、銀色なのも、生き物の部位を再現しているのも、本来は妙なんだな」


「そう。だから合成義体を疑ったけど、そうじゃないんでしょう? でもアマルガムとしては、矛盾の塊だわ。……どうなってるのか、見当もつかない」


 エマは困り果てた顔で言った。テオは眉根を寄せてうなる。


「そんな連中を試合に出すメリットは何だ? 違法闘技場だってのに、話題性を求めるのもおかしい。実際、こうして報告されて捜査の対象にもなっているわけだ。……目的が見えん」


「案外、アマルガムがいまーす、っていうアピールに過ぎないんじゃないかい? 調べに来た人間が目当てで、わなを仕掛けている、とか」


 トビアスは明るく言ったが、その目は真剣だった。テオは顎を引いて応じる。


「……管轄の市警と協力して、一気に制圧するしかないな。わなならなおさら、潰すに限る」


「ま、本当にアマルガムがいたとしても、だ。指揮官を押さえたら制御できるんだろう? 命令には忠実だって聞くし」


 トビアスが言うと、エマはすぐにうなずいた。


「そうね。強力な兵器の分、自律型とはいえ知能は低く設定されてるもの。……でも、運営側にを起こされたらたまらないし、一応アーツ・リジエクターの使用許可をもらってくる。アマルガム対策の特別チームだもの、融通してくれるに決まってるわ」


 エマはそう言い終えるやいなや、部長室に駆けていった。行動の早さはアカデミー時代から変わらない。テオはわなだった場合の武装を考えていたが、トビアスがつぶやいた。


「……本当にアマルガムだったとしても、冷静に頼むよ、テオ」


 テオは思わず顔を上げた。トビアスは案じる目付きでこちらを見下ろしていたが、保護者ぶったその視線がやけに居心地が悪く、テオは舌打ちする。


「お前こそ油断するなよ。今度は右腕がくぞ」


 テオが視線でトビアスの右腕を示すと、彼は合成義体の左拳で右肩をたたいた。


「その時は、ロケット弾を撃てる腕にしてもらうさ。……一人で立ち向かうんじゃないよ」


「……分かってる。甘く見るな」


 視界の端で、炎と黒煙の幻がちらつく。テオはそれを振り払って、準備を始めた。



   ■



 闘技場が開くのは、夜九時だった。


 春先は、まだ夜風が冷たい。テオはコートの襟を立て、帽子をぶかにかぶり、顔を見られることのないように気をつけながら周囲の様子をうかがった。街灯の少ない方へと、人々が通りを流れていく。ろうにやくも貧富も問わず、奇妙な熱気を伴い、ぞろぞろと廃工場へ向かっていた。表通りから離れ、店もない寂れた地域としては、異様な人通りだ。


 テオたちは市警と協力し、客として闘技場に潜入することを選んだ。運営スタッフがいると思われる裏口側はトビアスとエマに任せ、テオは単身、正面から会場に入る。


 外観こそ朽ちかけた廃工場だが、扉を潜るとそれらしく整えられていた。人気選手のポスターやこの数日間の成績表が掲示される中を歩き、テオは客席へと足を進める。


 場内では重低音の目立つ音楽が鳴り響き、ミラーボールが輝き、小規模の売店もあった。客席代わりにリングを囲むのは階段状に組み立てられた簡素な足場で、座り心地は悪い。リングといっても、単に天井まで伸びたフェンスで仕切られた四角い空間だ。フェンスには選手の入場口だけがあり、現在はじようされている。リングの床では濃淡の異なる血痕が目立っていた。


 このリングでどれだけの選手が死に、雑に扱われてきたか、想像にかたくない。


 テオは鼻の頭にしわを寄せるようにして顔をしかめた。


 会場内はほこりっぽく、カビくさい。換気はあまりされていないのか、煙草たばこの煙がまって天井付近は白く煙っていた。客席を見ても、テオのように周囲を気にしている人間はいない。葉巻や飲食物などを取り出し、それぞれが好きに時間を潰している。


 こんとんとした客席は、やがて誰からともなく始まったコールに合わせて、試合開始に向けて団結していく。よいさつりくショーを間近に控え、すでに興奮した様子の観客たちは、早くも異様な盛り上がりを見せていた。


「血だ! 血だ! 殺せ! 殺せ! やっちまえ! ぶちのめせ!」


 観客たちは慣れた様子で声を張り上げる。まったく不愉快なことだと、テオは鼻を鳴らした。そこへ、場内放送が入る。客席は暗くなり、リングだけが明るく照らされた。


『お集まりの皆さん、よいもご来場まことにありがとうございます! 本日も血沸き肉躍る素手での戦い、その命尽きるまで終わらないデスマッチを開催いたします! まず始めに対戦しますのはこの二人! 赤コーナー! 北海が生んだ人間兵器、右フックで心臓までぶち抜く男、イエティジャイアントォォォォォォッ!』


 ぱっと照明が向けられ、選手用の通路から大男が現れた。白いガウンを脱ぎ捨てた上半身は傷だらけで、顔面も傷痕で大きくゆがんでいる。野太い歓声に応じるように、大男は両手を挙げて歯のない口で笑って見せたが、その拳は銀色に染まり、無数の針に覆われていた。


『青コーナー! リングを縦横無尽に駆け回り、玉座まで最速で駆け上がる期待の新星、パンツァーパンサァァァァァァッ!』


 反対側の通路からは、今度は細身の選手が現れた。こちらも大歓声で迎えられるが、彼には聞こえていないだろう。両耳は重度の火傷やけどで塞がっていた。黒いガウンを脱いだ背中にも、痛々しい火傷やけどの痕がある。両膝から下は銀色の光沢を帯び、肉食獣を思わせる脚に変形していた。どちらも人気選手のようで、二人が向き合っただけで観客は大声援を送る。


『では賭けを開始します! イエティジャイアントの勝利に賭ける方は赤のチケットを、パンツァーパンサーの勝利に賭ける方は青のチケットをご購入ください!』


 チケットを抱えたスタッフに金を持った手が殺到する。観客たちにとって異形の選手は慣れたものなのだろう。誰も疑問を抱く様子はない。


 テオはじっと選手たちを見つめた。やはり、変形は部分的だ。合成義体のカバーをそれらしくしたものとも考えられる。アマルガムだと判断するにはまだ早い。


 テオは仲間たちに待機するよう合図を送り、静観することを選んだ。


 ここまで勝ち上がってきた選手だ。当然、慣れた動きで、相手を殺すつもりで急所を狙う。そこに体格差やハンディキャップというものはなかった。結局、パンツァーパンサーが隙を突いてイエティジャイアントの目を潰し、喉を蹴り潰し、ひるんだところでこんとうさせた。


 だが、それでも試合は終わらない。


 観客のコールが鳴りまない中、パンツァーパンサーが相手の頭をつかんでコンクリートの床にたたけ、イエティジャイアントの息の根を止めてやっと、試合終了のゴングが鳴った。


 歓声に沸く場内で、テオは介入のタイミングをうかがった。観客たちの異様な興奮を思うと、銃声一つでひるむどころか暴徒化しかねない。まず選手が試合を中断できるかどうか。


 どうする。テオが悩んでいる間にも、二試合目が始まってしまう。コンクリートの血痕はおざなりに拭われただけで、休憩時間は大変短いものだった。試合展開はとても早い。


(……選手によって、変化の具合に差があるのはどうしてだ)


 テオは眉根を寄せて思考を巡らせていたが、そうしているうちに三試合目が始まった。熱の入ったアナウンスが響く。


『続いて第三試合、ここで早くも登場だ! 赤コーナー! 我らのキング、憧れのチャンピオン、現在負けなし三十連勝! 血れた仮面、マッドブラッドリィィィィィィッ!』


 フェンスで仕切られたおりが狭く見えるほどの巨人が入場する。その姿が現れただけで、場内が揺れるほど観客は盛り上がった。男の背中は銀色に染まり、甲殻類のような表皮と化している。鉄仮面には返り血がこびりつき、赤びのまだら模様を作っていた。


 人気選手とはいえ、相手次第では介入のタイミングもあるだろうか。テオは青コーナーに目をやり、そのまま動けなくなった。


『対するは、青コーナー! 闘技場の小さな紅一点、しかし早くも既に三連勝! 美しくれんなルーキー、フラフィーハウンドォォォォォォッ!』


 下卑た笑い声と歓声、口笛が響く。耳が腐りそうな掛け声まで飛ぶが、そんな中を涼しい顔で、十代半ばにしか見えないが進む。素足のまま、血痕も気にせず。


 雪のような少女だった。ホワイトブロンドの髪は頰を柔らかく流れ、瞳もまた色素が薄く、陶器に似た白い肌は血の気を感じさせない。整った顔立ちと相まって、精巧な人形のようだ。ただ、彼女もまた例外なく、異形と化していた。髪の間からはとがった耳がのぞき、腰の辺りでは豊かな毛並みの尻尾が揺れる。耳と尾はやはり銀色で、金属質な光沢を帯びていた。それさえ除けば、柳のようにしなやかで、少年じみた未成熟な肢体だ。舞台で踊るにしてもきやしやだろう。この闘技場で三連勝した選手の肉体とはとても思えない。


 チケットは飛ぶように売れ、予想外の試合に観客は大盛り上がりだった。


 テオは動揺のあまり動けなかったが、急いで襟の内側に隠した無線機に触れた。


「……あれだけ小柄なら、彼女も相手に密着しないはずだ。選手同士の距離が開いたところで、トビアスは犬、エマは仮面にアーツ・リジエクターの照射を」


 二人が返事をする間もなく、鋭くゴングが鳴らされた。


 先に動いたのは巨漢、マッドブラッドリーだった。風を切る拳の音が客席まで届く。少女、フラフィーハウンドは軽やかに拳を回避し、相手と一定距離を保って様子を見ていた。マッドブラッドリーの重い拳が次々と放たれるが、フラフィーハウンドはまばたき一つせず避けていく。れたマッドブラッドリーがほうこうし、鋭く拳を突き出した。



 次の瞬間、少女はまで跳躍していた。



 テオは思わず、四メートルを優に超える高さの天井を見上げた。客席もどよめき、マッドブラッドリーも信じられない様子で少女を振り仰ぐ。


 少女が天井を蹴ると、滞留していた白煙が一気に散る。彼女は宙返りの要領で小さなかかとを振り落とした。マッドブラッドリーはすぐさま右腕を盾にし、左腕での反撃に備える。


 だがかかと落としを受け止めた右腕からは鈍く重すぎる音が響き、巨漢の膝はあつなく折れた。一握りで折れそうな脚から繰り出されたかかと落とし一つ。たった一撃で、マッドブラッドリーが膝を突いたのだ。


 マッドブラッドリーがひるんだ隙を逃さず、フラフィーハウンドが肉薄する。彼の膝を突いて前屈した姿勢を利用し、がら空きの胴体に彼女の拳が沈んだ。見た目からは想像もできないほど重い打撃音。波打つ肉よろい。マッドブラッドリーの巨体が浮かぶ。


 悲鳴、どよめく声。マッドブラッドリーが血を吐く。フラフィーハウンドは追撃せずに後ろへ退き、マッドブラッドリーの拳は宙を殴った。既に、彼に勝者の余裕はない。背中を包む銀の甲殻がめきめきと音を立てて肩に広がり、殺意がみなぎる。


 一体、何を見せられているのかと、テオはがくぜんとした。


 折れそうなほどにきやしやな少女だ。しかし彼女の一撃は何倍とある体格差を物ともせず、相手を圧倒する。息一つ乱さず、表情一つ変えず、汗一つかずに。


 男のほうこうがびりびりと鼓膜をしびれさせた。マッドブラッドリーが怒りに任せて突進する。両腕を広げた巨体は今やリングを埋め、壁のようにフラフィーハウンドに迫った。逃げ場はない。しかしフラフィーハウンドはわずかに髪を揺らしたかと思うと、マッドブラッドリーの肩に手を突くようにして宙返りし、彼を飛び越えた。


 虚をかれたマッドブラッドリーが肩越しに振り返る。それよりも速くフラフィーハウンドの回し蹴りが背中に決まった。むちのようにしなる脚が、甲殻ごと背骨を折りかねない威力でたたき込まれる。マッドブラッドリーの巨体はそのままフェンスに突っ込んだ。


 フェンスは金具を吹っ飛ばしながら観客席に向かって大きくゆがむ。悲鳴が上がり、その場からわらわらと客が逃げ出した。歓声とブーイングが入り混じり、観客席は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。


 不意に、がしゃん、とフェンスが音を立てた。


 マッドブラッドリーが、金網を握り潰し、引き千切りながら立ち上がる。


 その体表は銀色に激しく泡立ち、肉体はさらに膨れ上がっていた。


 テオはすぐさま立ち上がり、天井に向かって引き金を引いた。銃声が響く。


「そこまでだ! 全員動くな! 両手を頭にやって膝を突け! さっさとしろ!」


 地元警察の者たちが一斉に飛び出し、観客たちを制圧する。トビアスとエマもアーツ・リジエクターをリングに向けて照射した。紫電の弾丸が飛び、音を立ててはじける。テオは逃げ出そうとした観客を席に突き飛ばし、リングへと目を向けた。


 マッドブラッドリーは抑制の魔弾を浴びた瞬間、もんの悲鳴を上げて崩れ落ちた。能力が制限されたためか、彼の肉体は変形を止め、銀の甲殻は背中へと縮んでいく。


 一方、フラフィーハウンドが苦しむ様子は見られなかった。彼女は、獣の特徴を髪と衣服の隙間に仕舞っただけで、動じた様子すらない。だがふと、彼女は顔を上げた。近くにいるトビアスではなく、テオを見上げている。


 唇を薄く開き、彼女はわずかに目を丸くした。テオは思わず彼女を見つめ返したが、何か言葉が出るでもなく、彼女は従順に両手を頭にやり、その場に膝を突いた。トビアスが手錠を取り出して彼女に近付く。


 瞬間、フラフィーハウンドは素早く身をひるがえし、トビアスの襟元に手をやった。エマとテオはほぼ同時に銃口を彼女に向けたが、無線から中性的な声が聞こえる。


『お話があります。このまま裏口へ』


 彼女の声だろう。トビアスと何を話したのか、少女は大人しく手錠に両手を預け、他の選手や観客たちと同様に会場を出ていく。テオはトビアスを見やったが、彼も硬い表情で首を横に振るだけだった。その場の対応は市警に任せ、テオも裏口へと向かう。


 人の気配も遠い裏手にテオたちがそろったところで、不意に、少女はトビアスからするりと離れた。トビアスが目を見開く。細い手首を拘束していたはずの手錠は、鍵のかかったままトビアスに握られていた。少女はゆっくりと振り返る。


「失礼しました。人目のある場所では話せないものですから」


「……この闘技場の選手じゃないのか? お前一体────」


 少女が素足で踏み出すと、かつりと硬質な靴音が響いた。爪先からあふれた黒い布が走り、脚から順に巻き付いていく。それが彼女の首元まで覆う頃には、黒いスカートが膝で揺れ、タンクトップ姿からワンピースタイプの陸軍制服の姿に変わっていた。



「私は陸軍ちようほう部所属ハウンド、イレブンです。ご協力、ありがとうございました」



 テオは一瞬、言葉に詰まった。死んだ妹ととしの変わらない見た目をして、素早くかかとを合わせ、美しく敬礼する彼女の仕草は、テオに比べてずっと年季が入っていた。

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