二章 人殺しの花が咲く 1/6


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 テオは料理が好きではない。その準備と作業と片付けが面倒だ。エナジーバーとコーヒーで済むならそれが一番だとすら思っている。


 ただ、イレブンが「食事は人間の基礎だそうです」と繰り返し言うので、自分の基礎がエナジーバーの粉末とコーヒーの海で崩れる前にそれっぽいことをやってみようと重い腰を上げたというだけのことであって。


 チン、とオーブントースターが音を立てる。


 食パンにケチャップを塗ってハムとチーズを重ねただけの簡易ピザトーストから、食欲をそそる匂いが漂った。


 行儀よくソファーに座ってテレビに目をやっているイレブンを見ながら、テオはピザトーストとコーヒーだけの朝食に手を付けた。朝のニュース番組が流れている。



『──続いてのニュースです。戦場で運用されている自律型魔導兵器アマルガムですが、運用数縮小に関する取り決めが議会で決定されました』



 テオは驚いて顔を上げた。トーストのハムとチーズが皿に滑り落ちていく。


 議会は「アマルガムが支えるから要らぬ戦闘が増え、戦線拡大に繋がっている」と指摘し、治安維持や危険戦闘区域の作戦に必要な数のみ運用すべきだとして、陸軍にアマルガムの運用数縮小を呼びかけている。


 だが陸軍にとって、アマルガムはアダストラの民を守る主戦力だ。アマルガムがいるからこそ生身の兵士を送らずに済んだ場所もある。


 議会と陸軍の衝突は激しさを増し、ついに議会が動いたということらしい。


 資料とともに詳細が流れていくのを見て、テオは顔をしかめた。


「……こんなの陸軍は受け入れるのか?」


「受け入れるでしょう。議会が世論を味方につけてしまえば、陸軍も動きにくくなります。ある程度の妥協案を提示し、落ち着くところに落ち着くでしょうね」


「そういうものか……?」


 兵器本人がすました顔でニュース番組を眺めているものだから、慌てているテオの方がおかしい気までしてきた。ばらばらになったピザトーストを食べ終え、コーヒーを飲み干す。


「アマルガムの時代が終わり、別の兵器が台頭するだけのことですよ」


 イレブンは静かに言った。テオは思わずその横顔を見つめる。


「……ハウンドも?」


「私たちは人間に必要とされて生み出された。であれば、人間が必要としなくなる日は必ず来るものです」


 それはいつかイレブンが終わりを迎えることを意味するというのに、声はいつもの淡々としたものだった。彼女はテレビへの興味を失った様子で立ち上がり、空になった皿とカップを取り上げた。カップを持った手で口元を示される。


「ケチャップ、付いていますよ。そろそろ身支度の時間では」


「……タイムキープまで完璧なんだな」


「あなたの生活は規則正しいので」


 行儀悪くケチャップを舐め取って洗面台に向かう途中、携帯端末が着信を告げた。


 事件だ。暢気な朝から一気に捜査官の頭に戻り、テオは急いで支度を済ませた。


     ■


 デルヴェロー市内にある国立総合大学。その周囲は学生需要を見込んだ集合住宅や飲食店、昔からある商店でひしめいている。


 現場となったのは、そのさらに外側に広がる住宅街にある一軒の家だった。



 テオは車から降りると、すぐにイレブンを連れて立ち入り禁止テープに近付いた。見張っていた警官に捜査官バッジを見せ、中に入る。


 先に現場に着いていたエマとトビアスが振り返り、互いに「おはよう」と手短な挨拶を済ませた。


「事件の概要を頼む」


「家主が不在のはずなのに玄関扉が開いているという通報があった。駆けつけた警察は室内で倒れた男性の遺体を発見したが、家主ではない。遺体には身分証明になる所持品もなく、身元は現在捜査中だ。家主とは連絡が取れていない」


 トビアスが説明すると、エマがビニール手袋をテオとイレブンにも手渡した。


「警察の話じゃ、遺体はヒルガオに覆われてるって話よ」


「ヒルガオ? あの、ツルが伸びる植物でいいのか?」


 警察が動揺したとしても、とっさに出てくる植物ではない。テオは眉をひそめて家の中に踏み込み、その意味をすぐさま理解した。



 玄関から入ってすぐのリビング。その中央で、男が仰向けに倒れていた。


 彼は全身をツル植物に覆われ、白いヒルガオの花をいくつも咲かせている。


 楚々と揺れる花と死体の恐怖に怯えた表情はちぐはぐな印象を与えていた。



 床に出血の跡はない。男が横たわっていたラグはぐちゃぐちゃになり、押さえつけられたらしい腕には手形の跡が残っていた。暴れるのを押さえつけられて亡くなったようだ。


「……ヒルガオに殺傷能力はないよな? 毒性があるのか?」


「毒性ってあくまで種を誤飲した場合じゃなかったかしら……」


 交わす会話も現実逃避気味だった。テオとエマが遺体の傍らに膝を突く中、イレブンとトビアスは室内を調べている。エマは顔をしかめてヒルガオを手で押しやった。


「……全身の血を抜かれたみたいな顔色ね。どれだけ怖かったことかしら」


「だが、外傷は見当たらないな。まさか本当にヒルガオだけなのか?」


 テオはツルを掻き分け、根本を探した。エマが腹部を指差す。


「ここから生えてるわ。まさかシャツに根を張ってる?」


「いや、貫通しているようだ。服がめくれな────エマ、手が」


 エマが驚いた顔で手を浮かせる。その指先に向かってヒルガオがツルを伸ばしていた。テオが引っ張るとツルはすぐに千切れてしまうが、ぞっとして言葉が出てこない。


「……今、私の手にだけツルを伸ばした?」


「ああ……俺もこれだけ触ってるのに、さっぱりだ」


 テオも自分の手を浮かすが、ツルは追ってこない。気になって、テオはすぐにイレブンとトビアスを呼び寄せた。


「遺体がどうかしたかい?」


「いや、このヒルガオの性質を確認したい。二人ともこのツルの部分に触ってくれ。短時間でいい」


 トビアスは不思議そうな顔をしていたが、イレブンは大人しくツル植物に触れた。トビアスも利き手だからだろう、合成義体の左手を遺体に伸ばす。


 イレブンとトビアスの指に、ツルがするりと絡みついた。


 トビアスは「うわっ」と声を上げて手を離し、イレブンはじっとツルを見つめている。その視線の先で、新しくできた蕾が開いていった。


「……魔力を、吸収されている感覚があります」


「そうか……だからだ。トビアスも右手なら大丈夫じゃないか?」


「……本当だ。こんなヒルガオ初めて見たよ」


 トビアスの右手には、ツルは絡まない。確定だ。このヒルガオは一定以上の魔力に反応している。だから魔導士のエマ、魔導兵器のイレブンに反応し、トビアスの合成義体にもツルを伸ばす。


「つまり、彼は……魔力を吸い取られて、死んだのか?」


「それでやけに血の気がないのか。魔力が吸い取られるって血を抜かれるのと同じだよね?」


 トビアスがエマを振り向いて尋ねると、エマはすぐに頷いた。


「魔力と血はほぼイコールだもの。彼、亡くなるまで相当苦しんだはずだわ」


「だが、早めにこのヒルガオの性質が分かったのは収穫だ。彼は俺とトビアスで調べるから、エマとイレブンは室内を頼む」


 エマは「了解」と短く応じてイレブンを連れて離れた。トビアスが溜息をつき、遺体の顔を見やる。


「……ずいぶん若い子だ。どうしてこんな目に遭ったんだか」


「見た目は大学生ぐらいだよな。最寄りの大学に問い合わせてみるか?」


「それもありだね。日焼けしてるし、よく鍛えてる。ラグビーとかやってるかもな」


 テオは家に入ってきた鑑識にヒルガオについて共有し、写真を頼んだ。邪魔にならないように離れようとしたテオの腕をトビアスが掴む。


「テオ、これ」


 緊張した顔のトビアスに示されたものを見て、テオは眉をひそめた。


 男の口を開くと、舌が金の針で貫かれていた。喉の奥は蝋で固まっている。


「……グラナテマの戦勝祈願を連想するが、だとしたら鉱石は?」


「彼を祭壇に捧げたとすると、きっとリビング全体を祭壇に見立てたはずだ」


 トビアスは立ち上がり、きょろきょろと辺りを見回した。やがて、彼は玄関の上を指差す。


「あった。タラスカイト鉱石だ」


 見れば、濃い紫の石が釘を使って吊るされていた。テオは舌打ちする。


「……延長戦か。やってくれるじゃねえか」


「爺やさん、城にいる仲間については話してくれたんだよね」


「城内で働いていたグラナテマ関係者は全員逮捕された。ただ、別荘で髪や瞳の色を変えるのが当然だったそうだし、偽名で動いているだろうから、城の外で動いている奴らまでは把握していないとのことだ」


 タラスカイト鉱石というらしい石は、相当高い位置に飾られている。突然この家に来た人間が飾るにしては、あまり選ばない位置だ。鉱石を吊るしてから被害者を呼んだと見る方が自然だろう。


 そうなると、家主が一気に怪しくなる。


「……この家の持ち主は?」


「トム・ハーディー。男性、三十三歳、独身、弟ビルと二人暮らし。植物学の研究者で、専門は植物生態学。現在は緑化事業に協力し、国内外で活動しているそうだ」


「弟はどこに?」


「こちらも連絡が取れない。SNSによると、海外ボランティアに出てるみたいだね」


「……兄弟揃って、何があったんだかな」


 テオは鑑識に声をかけ、遺体を運んでもらった。ヒルガオはやはり男の遺体から芽生えたようで、床には何も残っていない。


 軽く駆けてくる足音がした。振り返ると、イレブンが奥から戻ってきたところだった。


「お二人とも、こちらへ」


 呼ばれるまま、テオとトビアスは家の奥へ進んだ。廊下の壁には贔屓のスポーツチームや選手のポスターが飾られ、家族と友人の写真もある。


 イレブンとエマが調べていたのは書斎だった。本棚やメモ、植物のスケッチで埋め尽くされた部屋で、棚には小さな標本がずらりと並んでいる。


 パソコンの画面を見つめていたエマは、テオたちに気付くと立ち上がった。


「トム・ハーディーのパソコンよ。弟さんは携帯端末だけ使っていたみたい、使用料の請求書が来てたから。……不用心なお兄さんで助かったわ」


「不用心って?」


「暗証番号を付箋に書いてモニターに貼ってたのよ」


 ハーディーの警戒心のなさにテオは言葉を失い、何も言わずにメールを確認した。


 パソコンでのメールは主にボランティア団体など関係者とのやり取りに使用しているようだった。緑化事業を行った現地代表からのお礼に対する返事も多い。


 テオはそのうちの一つに目を留めた。



『緑化事業に使用する植物の再検討について』



『──つきましては、先日の会議で決定された使用植物の変更を提案します。土地の保水力が極めて低く、従来の手法では植物が根付きません。水が不要で、高い気温と強烈な日差しにも耐え、極度に乾燥した状態でも育つものでなければ困難です。加えて──』



『──以上のことから、クサリヒルガオの使用を提案します。常緑多年草で、水ではなく魔力を吸収して育つ点が特徴です。この植物の素晴らしい性質として、土壌の保水力を向上させ、他の植物の養分を奪わない点が挙げられ──』



 メールに添付された画像は、白いヒルガオの花だった。遺体に咲いていたものと同じだ。


 その後のやり取りも確認すると、ハーディーは彼の活動を支援する団体の協力を得てクサリヒルガオの採取に向かったようだった。詳しい場所や日程を見た限り、一週間前には現地入りしている。


 メールに記載された日程を見たトビアスが呟いた。


「弟がSNSで投稿していた海外ボランティアの日程と重なってるな。一緒に行動していたのかもしれない」


「……だがそうなると、緑化事業に繋がる植物を採取して、こっちに戻ってきて、それを殺人に使った上に兄弟揃って行方をくらませたことになる。弟については何か分かったか?」


 エマを振り返って尋ねると、彼女は肩を竦めた。


「色んなトロフィーを取った優秀な大学生って印象よ。陸軍主催のコンペで優秀賞も取ってる」


「そりゃすごいな。題材は?」


「ヤドリギの一種を使った拘束具の開発。設置から十秒でヤドリギの檻が完成し、範囲内にいる相手を無力化するの。電気銃より安全な拘束手段を作ることが目的だったんですって」


「……立派な大学生だ。その上に海外ボランティアとは」


 テオはメールに記載されていた日付と採取予定場所をメモし、ふとメールのアカウントが複数あることに気付いた。一つは兄、もう一つは弟のアカウントだ。暗証番号を見やすい場所に置いていたのは、兄弟でパソコンを共有していたからだろう。


 弟のアカウントに切り替えると、大学生らしく履修登録や課題に関するメールが多い。この家から最寄りの国立総合大学に在籍中の学生だ。メールの中には、海外ボランティアへの申し込み手続きと思われるメールも含まれていた。


 彼が応募したのは難民キャンプでのボランティアだった。アダストラと同盟関係にある国が募集したもので、グラナテマから逃げてきた難民が暮らすキャンプらしい。


 やり取りを確認した範囲では、キャンプ地でも収穫できる作物の提案が喜ばれ、「是非現地に」と誘われたようだ。


 目に留まったのは、その場所だ。


 兄が植物採取に向かった山の麓に、弟のボランティア先がある。


 二人はおそらく自分たちの目的地が近かったから、予定を合わせて一緒に向かったのだろう。


 だがその難民キャンプは現在戦闘区域となっており、同盟国への攻撃とみなしてアダストラからも陸軍が出動している。複数のアマルガムも投入されていると報道されていた。アダストラ国民の被害など、詳細は不明だ。


 ボランティア団体の事務局をメモし、テオは立ち上がった。


「トビアスとエマは、大学への確認を頼む。もしかしたら弟と被害者に接点があるかもしれない。俺とイレブンで、兄弟を支援していた団体に話を聞く」


 了解、と手短に言葉を交わして、テオたちはすぐさま行動に移した。


     ■


 大学病院の向かいにある喫茶店は、多くの客で賑わっていた。病院関係者や学生だけでなく、通院などのために病院に来た客もおり、利用者はとても多い。


 深刻な顔を突き合わせて話し込むテーブルがあれば、上司の愚痴で笑い合うテーブルもあり、それぞれが憩いの時間を過ごしている様子だった。


 そんな店内で、一人の男は飲み物に手を付けた様子もなく座っていた。帽子を深くかぶり、緊張した顔で口をつぐんでいる。


 男は客の顔をじっと見つめていたが、次に入ってきた客の顔を見て肩を揺らした。


 真面目そうな少女がレジの列に並ぶ。彼女は携帯端末を見ていて、男の反応には気付かなかった様子だった。やがて順番が来て、彼女は店員に医学部の学生証を見せる。


 彼女は飲み物を買うと、店員に笑顔で礼を言って店から出ていった。男はすぐさま彼女を追いかける。


 医学部キャンパスに戻っていく彼女の少し後ろを歩き、男は肩に引っ掛けた鞄の持ち手を握り締めた。彼女が建物の陰に入った途端、男は走り出す。


 男の足音を聞いて、少女は驚いた顔で振り返った。

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