二章 人殺しの花が咲く 2/6
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研究棟の裏手にある小さなスペースに、立ち入り禁止テープが張り巡らされる。
その内側で、エマとトビアスは遺体と向き合っていた。
医者の卵だった少女は、腹部からツルを広げたクサリヒルガオに覆われて横たわっていた。脚や衣服は整えられ、瞼も閉じられており、手も胸元で重なるようにされている。少し離れたところに鞄と飲み物が落ちており、亡くなってから運ばれたようだ。
家で倒れていた男とは異なり、彼女に対する思いやりを感じさせた。整えられた遺体とヒルガオを見ていると寒気が止まらず、エマはすぐに鑑識を呼ぶ。
「争いになった形跡はないし、遺体も大切にしてる。怨恨の線はなさそうね。例の儀式もこの子にはやってない」
「検死じゃ、前の子は蝋で窒息させられたっていうのにな……二人で何が違うんだろう」
少女の遺体を鑑識に預け、エマとトビアスは少し離れたところで顔を見合わせた。少女の携帯端末にはロックがかかっておらず、すぐに確認することができた。
亡くなる前、彼女は親友とメッセージを送り合っていたようだ。恋人と数日会えなくなり、寂しく思っていたところを親友に慰められていたらしい。可愛らしいスタンプとともに、親友は少女が喜びそうな情報を送っていた。少女からの返事は入力途中で止まっている。
「……被害者は親友から『カフェで学生証を見せたら割引してもらえる』と聞いてカフェに行き、その帰りにここで襲われた。可哀想にね」
「恋人ともメッセージのやり取りはしてそうだけど、誰だろう」
メッセージアプリの履歴を確認すると、一人気になる相手がいた。
ビル・ハーディー。海外ボランティアに出た弟だ。彼女は彼と交際関係にあったらしい。
「……最後のやり取りは、出国前。もう一週間も経つのね」
「弟の恋人だったのか……親友に話を聞いてみるかい?」
「そうね。何か知ってるかも」
エマはメッセージ画面の背景を眺めた。仲睦まじい恋人たちのツーショットだった。
捜査局の捜査官であることを明かして連絡を取ると、少女の親友は医学部キャンパス前にあるカフェまで来てくれた。親友の身に起こったことを想像して真っ青な顔をした彼女は、自分の腕を抱えるようにしながら話に応じる。
「二人は、外国語ディベートサークルの仲間なの。ビルは農学部で、私と友達は医学部」
「ビルが誰かとトラブルを起こしたことはある?」
「全然。彼、すごくいい人だもの」
「じゃあ……この人に見覚えはないかしら」
第一被害者の写真を見せると、彼女は顔をしかめた。
「……やだ、ビルにお金をせびってた人だわ」
「有名な人なの?」
「この人、大学の名前を使って詐欺事件を起こしたの。それで退学になったはずなんだけど、ビルが色んな賞を取ったって聞いて、じゃあ賞金があるはずだって急にやってきたのよ。すごく嫌がらせもしてた。最低な人よ」
思わぬ関係にエマが驚いていると、トビアスが尋ねた。
「実際、ビルは賞金をもらっていたのかい?」
「そうだけど、遊べる金額じゃないわ。本や海外への旅費に消えたんじゃないかな」
「……彼、海外によく行くの?」
「ええ。学会に出たり、サンプルを採取しに行ったり、現地調査したり、たくさんね」
想像よりもアクティブな青年のようだ。エマは続けて尋ねる。
「今回の海外ボランティアについて、何か聞いてる?」
「詳しくは知らないけど、お兄さんと一緒に行けるって喜んでたわ。でも、電波がなくて連絡が取れなくなることは残念そうだったかな。いつも海外に行くと、たくさん写真を送ってくれるの。でないと、彼女が寂しがっちゃうから」
「……大事な恋人だったのね」
「ほんとに。……可愛い二人だった。残念だわ」
親友は濡れた目元を手で拭い、軽く息を吐いた。エマはそんな彼女をなだめて尋ねる。
「お兄さんのトム・ハーディーについては何か知ってる?」
「ご両親が亡くなって、お兄さんがビルの面倒を見てたって聞いたわ。自慢のお兄さんに憧れて、ビルも植物学を研究するって決めたんですって」
「兄弟は専攻も一緒かしら」
「そうらしいわ。教授から『ハーディーって単語は、優秀な学生って意味かい?』って冗談言われたんですって。それから、お兄さんは特殊な植物を研究していて、魔導士協会にも認められたの。去年、私たちも一緒にお祝いしたわ」
思わぬ情報にエマは目を丸くした。
「トム・ハーディーは魔導士なの?」
「うん。大した魔法は使えないって謙遜してたけど、面白い植物をたくさん知ってるの。例えば、魔力の量に応じて成長する植物の種。占い程度だよって言われたけど、私とビルが握っても芽を出すのが精一杯だったのに、友達は綺麗な花を咲かせたの。びっくりしちゃった」
エマにも覚えのある植物だった。子供たちの素質を調べるテストに使う種で、魔導士の素質を持つ人間が握ると花を咲かせるのだ。花の色や形によって得意な魔術の方向性まで判明するため、指導者たちは重宝している。
それからしばらく話をして、礼を言って被害者の親友と別れた。
残ったエマとトビアスは二人して唸る。
「……弟に嫌がらせをした男は儀式を行い、弟の恋人は丁寧に扱って儀式も行っていない。弟との関係性を重視しているのかしら」
「弟くんの関係者と居場所を明らかにするのが先決だな」
急いで農学部の研究棟へ向かうと、弟のビル・ハーディーと親しい間柄にある教授と話すことができた。
聞けば、海外ボランティアへ向かう際に持ち込む苗選びも手伝ったそうだ。
「とても乾いた土地ですが、幸い水源が近いとのことで、土壌の保水力を向上させる植物と一緒に畑を作ればよいと考えましてね」
「それで、クサリヒルガオを?」
「ええ。クサリヒルガオは不思議なことに、風妖精の支配域にしか生息していないんですが、ちょうどキャンプ地近くの山に風妖精がいるとのことで採用したんです」
「でもそれは、風妖精からヒルガオを盗むも同然ですよね? 危険では?」
エマが尋ねると、教授は厳しい表情で頷いた。
「はい。それはもちろん、私も指摘しました。ですがキャンプ地で協力者と合流できるとのことで、私もそれならばと、強くは言いませんでした」
「……協力者? どんな方ですか?」
「さぁ、そこまでは……。ただ、お兄さんの伝手だそうです」
エマは「そうなんですね」と相槌を打った。自然と小さい声になった。
風妖精は遊び好きで好奇心旺盛だ。他の妖精よりも積極的に人間に関わってくるため、人間の死亡事故が非常に多い。風妖精にとっては単なる遊びでも、人間がそれに巻き込まれたら命はないのだ。そんな彼らの対策を知っている協力者が本当に存在するだろうか。
トビアスに目配せすると、彼は頷いて携帯端末を取り出し、テオに知らせに行った。
「ビルとトラブルを起こした人物に心当たりはありませんか?」
「うーん、彼は誰からも好かれていましたからね……でも一度だけ、男子からいちゃもんをつけられたことはありましたよ。彼の受賞に文句があったみたいで」
「文句だなんて、何があったんですか?」
「ビルは陸軍主催のコンペで優秀賞を取ったのですが、そのすぐ後に男子学生が『自分の研究の方が評価されるべきだ』とビルを怒鳴りつけたんです。ビルのお兄さんが間に入らなかったら、もっと大きな騒ぎになっていたんじゃないかな」
教授は苦笑して肩を竦めた。
「同じ農学部からコンペに出るとなって、彼は相当ビルを意識していたみたいでした。ビルの方は『知らない人から怒られた』って怯えてましたけどね」
「どんな研究だったか分かります?」
エマが尋ねると、教授は携帯端末を操作して資料を見せてくれた。コンペティション本番前に学内で行った研究発表のものだ。件の学生の名前と発表資料が表示される。
「蜂の群れを指揮して指定対象を攻撃させる魔術です。彼、魔導士見習いだったんですよ。コンペで受賞して、魔導士協会の認定に向けて実績を作りたかったみたいでね」
「あー……いますよね、そういう子。なんか焦っちゃうんでしょうね……」
エマは苦笑して頷いた。魔導士協会の認定は実績よりも人間性を重視するはずだが、たまに勘違いする人間はいる。
携帯端末を返すと、教授は心配そうな顔をして言った。
「ニュースで、難民キャンプが空爆されたって知った時は血の気が引きましたよ。ビルからは未だに連絡がないし、無事だといいんですが……」
「何か約束を?」
「帰国したらクサリヒルガオの効果を記録と一緒に提出してくれるって話だったんです。クサリヒルガオと他の植物の共生関係はあまり資料がないので、私もデータが欲しくて」
「……そうだったんですね。避難状況をこちらでも確認してみます。ご協力ありがとうございました」
エマは教授に礼を言って、研究室から出た。
「トビアス、もしかしたら次の標的が分かったかも。学生だし今は講義中かしら」
「履修登録を確認した方が早いかもな」
エマとトビアスは二人して駆け出した。
■
通話を終えたテオが部屋に戻ると、ボランティアセンターの担当者がイレブンと世間話をしているところだった。
「お待たせしました。ビル・ハーディー氏が参加した難民キャンプでのボランティアについてお話を伺いたくて。あなたは、現地に行かれたんですよね」
「はい。……ビルくんにはグラナテマ難民キャンプが危険であることは詳しくお伝えしましたが、彼はそれを承知でボランティアに志願してくださいました」
「そんなに危険な場所だったんですか?」
「グラナテマという国は、それだけリスクが高いのです」
担当者は深刻な表情で続けた。
「彼らにとって、国民とは祖国のために死ぬまで奉仕する者。つまり、国外へ避難した者はもはや国民ではなく、裏切り者として抹殺対象になってしまうのです。グラナテマの難民がいくつもキャンプを作りましたが、残らず、グラナテマは滅ぼしてきました」
「そうでしたか……彼はよくボランティアに志願しましたね」
「はい、本当に。彼のように専門知識があり、志のある若者を迎えることができて、我々も誇らしかったです。だからこそ、ともに避難したかったのですが……」
担当者は俯いてしまった。テオは尋ねる。
「……亡くなったんですか?」
「凄まじい爆撃でしたから、亡くなっていると思います。ボランティアは全員避難ヘリに辿り着いたのですが、ビルくんだけお兄さんの制止も聞かずにキャンプに戻ってしまったんです」
「戻った? どうしてまた」
「それが、よく分からなくて……ヘリは、キャンプから離れた丘で待機していました。他に避難してくる人がいないか丘の上から見ていたんですが、ビルくんが急に血相を変えてキャンプに引き返したんです。お兄さんがすぐ追いかけましたが、結局そのまま……」
テオは思わず眉根を寄せた。
「兄弟の会話は聞こえましたか?」
「『俺の植物がこんな場所で』とは聞き取れたのですが、それ以外は分かりません。それで私もキャンプの方を見たら、キャンプのある地面だけ緑に染まっていたんです。雑草が点々と生えているのが精一杯の土地だったのに、突然緑のネットを広げたようでした」
「植物の見た目ですが、これではありませんでしたか」
イレブンはそう言って携帯端末の画面をテオと担当者に見せた。
再生されたのは、陸軍が撮影した実験模様の映像だ。
武装した兵士が五人いる部屋に、パイプ爆弾が投げ込まれる。爆弾が破裂した瞬間、網状の植物が一気に展開され、兵士たちは皆植物に絡め取られた。破裂から捕縛まで、わずか十秒。その効果を体験した兵士たちは満足そうに笑っており、実験を見守っていた青年──ビル・ハーディーは、嬉しそうに拳を作っていた。
ビルの姿を見て担当者の目に涙が滲む。担当者は目元を拭い、頷いた。
「……この植物だと思います。広がり方がよく似ていますし、ビルくんが動揺するぐらい、重要なものだったのでしょうから」
「動画内にあったパイプ爆弾ですが、難民キャンプで見た覚えは?」
「いいえ。持ち込まれた物資はボランティアが全て目を通していますが、危険物はありませんでした」
「物資というと、食料とかそういう?」
テオの質問に対して、担当者は「そうです」と頷きながら携帯端末を取り出した。
「食料、水、衣類が主です。他は本やマッチ、蝋燭でしょうか」
「蝋燭? 照明ですか?」
「いえ、彼らの祈りに必要だと聞いています。昼と夜の二回、祭壇に蝋燭を灯して、家族揃って祈りを捧げるそうです」
物資を全て撮影していたらしく、担当者はすぐに画像を見せてくれた。確かに白い蝋燭がぎっしりと箱に詰まっている。その大きさがパイプ爆弾に近かった。
「この蝋燭、誰が持ち込んだんですか?」
「今回のボランティア募集と同時期に、企業から支援物資を募りましたので、その中の一つです。寄付してくださった企業の名前を控えています」
キャンプで配布した物資と支援者のリストのコピーを受け取り、テオは続けて尋ねた。
「避難できた難民の方にもお話を伺いたいのですが、連絡は取れませんか」
「それが……避難できたのは、我々ボランティアだけなんです。難民の方にも避難を呼びかけたのですが、テントから出てくる人がいなくて」
担当者は沈痛な表情で答えた。テオは目を丸くする。
「難民は誰も逃げなかったってことですか? 呼びかけた時の状況は?」
「避難指示が出た時にはもう、遠くに爆撃機が見えていました。私たちは急いでヘリに向かって走りながら、テントの外から避難を呼びかけました。どれも簡易なテントなので、外からの声は絶対に聞こえたはずなんです」
「難民の人たちは、みんな屋内に?」
「はい。ちょうどお昼頃で、皆さんはお祈りのためにテントに集まっていたので」
聞けば聞くほど奇妙な話だった。イレブンが尋ねる。
「ビル・ハーディーの兄ですが、どんな様子でしたか」
「……避難するために我々がお兄さんを引き止めたものですから、とてもショックを受けていました。ヘリでずっと泣いていましたし、空港に着いて帰国手続きをする間も思いつめた様子で、心配でした。カウンセリングの提案をしたのですが、『これから知人に会うから』と断られてしまって、名刺だけお渡ししました」
その知人というのが、第一被害者の男だったのだろうか。テオは担当者に礼を言って部屋を後にした。
「……ヤドリギオリが難民の足止めをしていると気付いた弟は引き返し、兄は周りに止められて避難した。目の前で弟を失ったことが犯行の引き金かな」
「問題は、ヤドリギオリの出処ですね。陸軍でもまだ実験段階で、正式採用されていません。誰かが難民キャンプに持ち込んだはずです」
「それだ」
テオは思わず呟いた。
「一人で帰国した兄は、弟の研究成果が誰から流れたか知りたいんじゃないか? 金目当てに売ったと見て第一被害者を疑い、次に弟と親しい第二被害者を襲ったのかもしれない。魔力を失って死ぬまでどれぐらいかかる?」
「四十パーセントの魔力を失うと肉体的な損傷が始まりますから、クサリヒルガオの性能次第では一時間前後で失血死するのではないでしょうか」
イレブンは淡々と告げた。
「魔力と血液は密接に関係します。体内の魔力量が減ると肉体を傷付けて出血させ、より効率よく魔力を消費できるようにするそうです。クサリヒルガオを植えられた被害者も同様に魔力を失った後に失血して亡くなったと見てよいかと」
「……ありがとう、参考になった。あえて即死しない手段を取って、拷問してるつもりなのかもしれないな。感情ではなく、使命感での殺しだ」
テオは携帯端末を取り出した。
使命感で殺人を犯している場合、その使命が果たされるまで犯行は止まらない。おそらくハーディーは弟の研究成果を流出させた人間を突き止めるまで関係があると見た人間を殺し続けるつもりだ。
端末の向こうでトビアスが「はい」と短く応じる。テオはすぐに告げた。
「──トビアス、犯人はトム・ハーディーの可能性が高い。被害者は『クサリヒルガオを植える』という拷問で殺害された」
■
「……そのようだね」
携帯端末を耳に当てたまま、トビアスは呟いた。
件の学生がどこにいるか突き止めるべく彼の履修登録を確認して、トビアスたちは実験棟に駆け付けた。そこまではよかった。
実験準備室の扉の前に立っているだけで、物凄い数の羽音が聞こえる。
狭い部屋ではスズメバチが何十匹も飛び交い、とても入れる状況ではなかった。床には一人の男が倒れている。全身をクサリヒルガオに覆われているだけでなく、顔面を何度も殴打された形跡があった。
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