二章 人殺しの花が咲く 3/6
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鑑識が震え上がりながら催眠ガスを流してスズメバチを回収し、やっとのことでトビアスとエマは実験準備室に入ることができた。
ビル・ハーディーの受賞に突っかかった学生は、顔を痣だらけにして棚にもたれるように倒れていた。彼は針の刺さった舌を出したまま死んでおり、口を開こうとすると蝋で固まっている。タラスカイト鉱石も、彼の頭上に位置するように棚に置かれていた。弟と関係の悪い相手を儀式に捧げているという考えは合っているかもしれない。
「……これで三人。犯行の加速が凄まじいな」
「テオの言う通り、使命感での犯行ね。でないとこんなハイペースで殺せないわ」
エマが被害者の顔に触れて眉根を寄せた。
「……頬骨が折れてる。これじゃ、殴った方も無傷とはいかないわよ」
「相当な怒りを感じるね。……そういえば彼はスズメバチに刺されていないな。主人は襲わなかったってことか」
「蜂を操る魔導士としては、立派なことね。相手が悪かっただけだわ」
トビアスは遺体をエマに任せ、スズメバチを確認した。どのスズメバチも針に血が付着している。全員で犯人を刺したのだ。それでも犯行は止まらず、第三の被害者が出た。
「……この数のスズメバチに刺されて平気だったのか? マジかよ……」
「捜査官、これを」
鑑識に呼ばれ、トビアスはそちらに歩み寄った。床から何か採取したらしい。色の付いた液体のりと、それに飲み込まれた黒い粒に見える。
「これは……粘液と、種?」
「植物性のようで、とても粘着力があります。種はおそらくクサリヒルガオかと」
「……そうか、これで種を相手にくっつけるんだ。で、魔力に反応して芽吹くと」
「出入口から射出したようです。これはその時床にこぼれたものですね」
「ありがとう、引き続き頼むよ」
トビアスは他にも準備室にないか見ていたが、エマが動きを止めていることに気付いて歩み寄った。彼女は被害者の指先を見ている。
「どうしたんだい、エマ」
「ああ……被害者の爪に、泥が詰まってるのよ」
彼女の傍にしゃがみ込み、トビアスも被害者の手を確認した。確かに両手の爪に泥が詰まっている。土いじりをした後であれば、指そのものがもっと汚れているはずだ。遺体を見ていたトビアスは彼の首元に目を留める。
「……痣になってる。手で首を絞められたな」
「必死で抵抗した結果が、この爪だと思うのよ。でも、泥が爪に詰まるなんて」
「確かに……泥だらけの相手だったら目立ちそうだな」
遺体を鑑識に預け、トビアスとエマは管理室へ向かった。今回は屋内での犯行だ、監視カメラに姿が映っているかもしれない。
敷地内にある監視カメラの映像を確認すると、階段でフロアを移動する男が映った。帽子を目深にかぶっていて人相は分からないが、学生や研究員らしさはない。擦り切れたスニーカーとジーンズは砂と赤黒いシミで汚れており、薄いジャケットは季節外れだ。
彼は実験準備室のある方へ進み、一時間も経たないうちに階段を下りていった。彼の全身を拡大すると、服が穴だらけになっている。
「……スズメバチにこの数刺されて平気ってどうなってるの?」
「いや本当にね……しかし、彼はどうして被害者にここまで攻撃的になったんだろう」
「彼の何かが犯人を怒らせたのね。……でもそんな攻撃的な人にも見えないわ。ねえ、手元をアップにしてくれる?」
エマが頼むと、警備員は不思議そうに男の手元を拡大した。鞄の持ち手を握りしめる左手と、何かをこらえるように浮かせた右手。どちらにも怪我はない。
「無傷だわ。返り血だけのようね」
「服に泥が付着しているわけでもないし、どうなってるんだ?」
トビアスは監視カメラの映像のコピーを受け取り、管理室から出た。
「奇妙な男だが、問題は次の標的がいるのかどうかだ。でも一方的にライバル視してた学生が陸軍のコンペで受賞するような研究成果を横流しできるとも思えない」
「弟の関係者を三人襲って、学内ではたぶんもう終わりよね。となると残りは……」
「コンペだ」
「陸軍に問い合わせなきゃね」
携帯端末を取り出しながら、トビアスとエマは駆け出した。
■
トム・ハーディーの関わっている緑化事業の主催企業へ出向くと、滝のような汗を流す担当者がテオたちを迎えた。
「……トム・ハーディー氏が参加している緑化事業を主催されているとのことでお話を伺いたいのですが」
「はい! はい、ええ、なんでしょう、捜査官が来るだなんて、ええ」
「ハーディー氏が弟さんを連れてクサリヒルガオを採取しに行ったと聞きましたが、詳細を伺えますか」
「詳細、はい、ハーディー氏はチームメンバー三名を選び現地へ向かいましたので、弟さん以外の四名については出国手続きなどをこちらでさせていただきました。弟さんはボランティアセンターの方が手続きをされたと伺ってます、はい」
担当者は呼吸が浅く、早口で答えながら目を泳がせていた。イレブンのような分析能力がなくたってこの男が怪しいとすぐに分かる。
「……本当にあなたが担当者なんですか?」
「はっ……はい、ええ、その、はい、実際の手続きは私がやっておりまして」
「では責任者は」
「その、えー、申し訳ございませんが本日は出社しておらず……」
担当者があからさまに狼狽した様子で応じた。
つまりこの男は会社のなんらかを庇うために差し出された生贄だ。
テオとイレブンがアイコンタクトをしたのは一瞬のことだった。テオはわざとらしくテーブルを殴って身を乗り出す。イレブンが携帯端末で音声の録音を開始したところだった。
「ぇひい?!」
「じゃあ俺たちがどんな話を聞きに来たかお分かりだよなぁ? 全部吐いてもらおうか」
「ハーディー兄弟が亡くなった件に関して御社には説明責任があるはずです」
対照的に詰めるテオたちを相手に、担当者はシャツの色が変色するほど汗を掻いてタオルに顔を埋めた。彼は何度か深呼吸すると、顔を上げて怒鳴る。
「こっちはねえ!! ちゃんと契約書にも同意書にもサインもらってるんですよ!! 現地で何があっても、事故っても死んでもこっちは責任取らないって契約になってるんです!! 私だってびっくりですよ、まさかチームが全滅だなんて!!」
「全滅なんだな? 全員死んだんだな? 出国した五人は生きて帰らなかったんだな?」
「そうです!! その通りです!! おかげでうちはもう大混乱なんです!! 採取チームは殺されるし、弟さんは爆撃に巻き込まれたようだし!!」
テーブルにタオルを叩きつけて担当者は吐き捨てた。頭に血が上りやすい男で助かった。テオはそのまま肘を突いて言う。
「実を言うと、トム・ハーディーはボランティアのヘリで生還しているらしいぜ」
「え?! し、しかし、そんなはずは……」
担当者は途端に顔を真っ青にして立ち上がろうとした。テオは彼の腕を掴んで引き留め、湿った感触が残る手をハンカチで拭く。
「最初から聞かせてくれ。トム・ハーディーとの付き合いは長いのか?」
「……もう五年になります。彼の研究は素晴らしかった。学生時代から我々は彼にアプローチして、協力を得ることができたのです。難しい土地の緑化を引き受けた時も、彼は適切な植物を選んでくれました。彼は魔導士協会に所属すると魔力を持った植物も扱えると知って勉強し、一年前に認定を受けたんです」
担当者は流れてくる汗を拭い、深く溜息をついた。
「今回引き受けた土地も、そんな彼の知恵を見込んでのことでした。ですが突然、植物の変更を提案されて」
「メールを見たよ。それがクサリヒルガオだな?」
「はい。初めて聞く植物でしたし、風妖精がいるとても危険な場所にしか生息していない植物らしくて、頼むから別の植物にしてくれと再三お願いしたのですが、聞き入れてもらえず、現地に協力者が来るから大丈夫だという一点張りでした」
ここまでは矛盾はなさそうだ。テオは続けて尋ねる。
「その協力者について、何か聞いていないか」
「普段は別の大陸で輸入業者をやっていると聞きました。その一環で、妖精への対抗策もあると。魔術の心得もあると聞いて、それならと送り出しました。ただ、採取場所は外国で、難民キャンプもある。何があるか分からない以上はと、同意書にサインをいただきました」
「……では、具体的な対抗策は知らない?」
担当者は少し悩んだ後に、テオたちを自分のオフィスへ案内した。
「モニター用に、採取チームと音声記録を共有していました。データが残ってます」
「彼らが山に採取しに行ったのはいつだ?」
「あちらに到着した翌日の昼ですから……六日前ですね」
採取チームの音声は、「今から採取ポイントへ向かう」という宣言から始まっていた。登山を前に少し高揚した様子の声と、「気を付けてくれよ」と見送る青年の声が入っている。
「弟さんは難民キャンプに残り、ハーディー氏を含む四名が山に登りました」
「彼らの装備に問題は?」
「出国前に検査していますが、特に問題はありませんでした」
しばらくはのどかな登山が続くためか、担当者は音声を早送りした。やがて問題のポイントらしいところで止める。
「手掛かりが音声しかないのですが、ここで妖精対策を行ったようです」
そう言って再生されると、男が「そろそろ用意しなきゃだな」と言いながら何かを操作したようだった。小さなケースを開閉する音と着火音。その後に、鈴虫の羽音に近い高音が、細く長く響いていく。
何の音なのか、しばらく耳を澄ませているとイレブンが言った。
「……この高音は、妖精に周波数を合わせた誘導音です。妖精をわざと誘っている」
「妖精対策なのに? 逆に危険なんじゃ……」
テオの疑問に対し、最悪の形で答えが返ってきた。
甲高い少女の断末魔が響く。ガラスの砕ける音。男たちの動揺する声。
凄まじい風が吹き荒れて音声は不明瞭になっていった。そのうち、男が絶叫を上げる。
聞き取れる言葉は少ない。「風」「切られた」「助けてくれ」それぐらいだ。
男の叫び声が一気に遠ざかり、肉の断たれる音がいくつも聞こえてくる。
やがて誰かが「アマルガムだ!」と叫んだ。彼らを助けに来たのか。だがすぐに大混乱に陥り、この音声記録を残した男が「え?」と気の抜けた声をもらす。
物凄い風の音。それしか聞こえない。
『なんで? 俺、なんでこんな、空? え? あ、ああ、落ちる、落ち────』
恐怖に我を忘れた絶叫が響く。彼の叫び声は、音声が途切れるその瞬間まで続いていた。
人間が高所から落下して亡くなる、その瞬間までの記録だ。
「……音声はここで途絶えています。魔導士協会に協力を依頼したこともあって、調査チームを送るのに時間がかかり、現地入りしたのは昨日です。遺体は三人分しか見つからず、ハーディー氏と思われる血溜まりがあるだけでした。それで、採取チームは全滅したと判断しました。弟さんとも連絡が取れないまま、難民キャンプは戦闘区域になってしまい……」
「なるほどな。現場の写真を見せてくれ」
支援チームが撮影したデータを確認すると、確かに遺体は三人分だった。高所から落下してひしゃげた遺体、細かく切り刻まれた遺体、水筒に詰め込まれた遺体、そして致死量の血溜まりだ。
一人の腰にはランタンをさげていた形跡があった。ランタンはすっかり割れているらしく、ガラスの破片もある。ただ、遺体の近くには見たことのない部品も転がっていた。そこだけ拡大してみると、イレブンが携帯端末に表示した画像と並べてくれる。
「魔力吸引機と似ています。比較画像は猟師の罠用ですが」
「……確かに。これを使ったから風妖精に何かあったのか? 音声記録の途中にあった叫び声は女のものだった」
「魔法生物は魔力の塊です。魔力を吸われてしまっては、存在していられない。誘導音で容器に入ったところを魔力吸引機で殺害する仕組みでしょうか」
「つまり彼らは、妖精対策になると思い込んで妖精を一人殺し、同族の恨みを買って殺されたってことか? 協力者と称してとんだ詐欺だな……」
担当者が急いでメモに残す傍らで、テオとイレブンは顔を見合わせた。
「しかしトム・ハーディーについてはどう見る? クサリヒルガオを採取していることは確かだよな」
「それも重要な問題ですが、彼らを救助しに来たらしきアマルガムのその後が不明です」
「そもそもアマルガムがどうしてこの場所に? 難民キャンプの護衛だったのか?」
「……陸軍に問い合わせることが多そうですね。トビアスたちと足並みを揃えた方がいいかもしれません」
イレブンの提案ももっともだ。テオは彼女に向かって頷き、担当者に頼んで音声記録と現場写真のコピーを受け取った。
「クサリヒルガオって植物は、確かに今回の採取場所にしか生息していないのか?」
「少なくとも国内では未確認です。だからこそ彼らは危険を承知で採取しに行ったんですよ」
「他に代替しそうな植物はないのか」
担当者は「うーん」と大きく唸った。
「ハーディー氏も頭を悩ませていましたが、他の植物はどうしても虫などの天敵や養分の取り合いなど問題が多くて。その点、クサリヒルガオは魔力さえあればそれでいいという性質がよしとされました」
「魔力さえあればいいっていうのは? 水を吸わないからか?」
「はい。クサリヒルガオは周りの土地に緑を増やすことで生き物を集め、そこから魔力を得るという方法で増えているらしいんです。魔力がない場所には根を伸ばさないのですが」
そう言われてみれば、被害者に生えたクサリヒルガオは被害者の遺体で留まっていた。魔力に反応してツルを伸ばしているだけで、根は伸ばしていない。
テオは少し気になって尋ねた。
「クサリヒルガオだが、普通の人間に付着した場合、発芽するか?」
「あー……くっつき続けると、発芽するでしょうね。血には魔力が宿るって聞きますし、実際クサリヒルガオで畑を作る時は、一滴の血を捧げるらしいんですよ」
担当者が顔をしかめた。イレブンが尋ねる。
「種と接触が続くと危険、というわけですか」
「ええ。普通の種も、水を吸わせて一定の温度を保って、発芽条件を整える時間が必要でしょう? それと同じで、クサリヒルガオも魔力を吸うまで少し時間がかかるんですよ。ハーディー氏は植物の成長速度をいじれるので、いつもすぐに発芽させてましたけどね」
「それ、本当か?」
テオが思わず口を挟むと、担当者は驚いた顔で頷いた。
「え、ええ。本人は『植物を育てることしかできない』って卑下してましたけど、立派な魔法ですよね」
「……興味深い話をありがとう。何か思い出したらこちらに連絡を」
テオは担当者に名刺を渡して、イレブンを連れてその場を後にした。
「つまり種が相手にくっついた時点で、ハーディーは相手を殺せるってことだな」
「もしも大量殺人に発展したら危険ですね」
ひとまずトビアスたちと合流しようと、テオは携帯端末を取り出した。
■
トム・ハーディーはひたすら走っていた。朝からずっと走っているはずなのに、不思議と疲れは感じない。これも使命感の賜物だろうか。
本当なら、今頃は家に帰ってクサリヒルガオの可能性を弟と二人で話しているはずだった。両親亡き後、自分を慕って成長した大事な弟。絶望に打ちひしがれて駆け出した彼の顔が瞼の裏に蘇る。
弟の顔を思い出すだけで、ハーディーの大して筋力のない脚は無尽蔵に動き続けた。重い使命感と強すぎる怒りが、ハーディーのあらゆる感覚を麻痺させて走らせ続けている。
兄として、魔導士として、一人の植物研究者として、ここまでの怒りを覚えたことはない。ハーディーは内臓が煮えて神経まで焼き切りそうな怒りに震えていた。そんなに怒ることができるのかと我ながら感動するほどの憤怒だった。
電気銃に代わる安全な拘束手段を考えるほどに、優しい弟。なのにその発明は人殺しに使われてしまった。ハーディーは今、弟の優しさを裏切った大罪人を罰するためだけに走っていた。
これは償いだ。ハーディーの愚かさによって招かれた犠牲、その全てに対する償いだ。
悪意に鈍感だった己が憎い、己を騙した奴が憎い、弟を裏切った奴が憎い。
(憎い、憎い、憎い!)
ハーディーは嗚咽しながら走り続けた。目を爛々と輝かせて呟く。
「せめてあいつの血を、捧げるんだ、ビル、お前を裏切った奴は許さない……」
怒りに燃える復讐者を止める者はいなかった。
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