二章 人殺しの花が咲く 4/6
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エマとトビアス、そしてテオとイレブンは駐車場で落ち合い、深刻な顔で向かい合った。陸軍に連絡したが担当者が不在だとかで折り返し待ちだ。
「魔導士協会に問い合わせると、トム・ハーディーの使用魔術は確かに『植物の成長促進』だったわ。本人が謙遜するのも納得の効果範囲の狭さだけど、クサリヒルガオと組み合わせると最悪ね」
「凶器に選んだのも納得だな。現時点の問題は、次は誰を狙うつもりなのか、トム・ハーディーたちのもとに現れたアマルガムはどうなったのか、そしてボランティアのヘリで帰国したトム・ハーディーは何者なのか……」
テオの言葉を受けて、トビアスが腕を組んで唸った。
「遺体を確認できていないわけだけど、出血量からすると自力で難民キャンプに戻ったとは思えない。しかも、怪我したのは六日前で帰国したのは昨日だろう? 本人だとしたら大した回復力だし、スズメバチに刺されても平気なことにも納得だけど……本人じゃないならじゃあ、誰なんだって話だ」
「可能性としては」
イレブンが口を開いた。
「アマルガムがトム・ハーディーを捕食し、本人に成り代わっている場合が考えられますが、だとしたら行動に整合性がありすぎますね」
「……遺体を食ったら本人に変身できるのは、今までもあったよな。そんなに整合性を失うのか、擬態した奴って」
「アマルガムによる人間の擬態は再現性が低いのです。今年の春に遭遇したアマルガム・ニーナが分かりやすい例ですが」
そう言われて、エマは灯油と炎の記憶が蘇った。
妻の死を受け入れられなかった夫の執念が引き起こした悲劇。妻ニーナを捕食して彼女の姿になったアマルガムは、人間とはまったく異なる価値観に従って夫の願いを叶えようとしていた。人間として、あまりに歪んだ姿だ。
「人間の情報量は、アマルガムには多すぎる。アマルガムが擬態して六日間、弟に違和感を持たれず行動して帰国手続きに応じたとは、少々考えにくいのです」
「いや、でも、そしたら爪の間にあった泥の説明が付く。アマルガムの肉体って、コアから離れると泥になるんだったよね? 被害者が犯人を引っ掻いた時、爪の間に残った組織が泥に変わって残ったんだ。スズメバチにあれだけ刺されても平気だったのも納得がいくだろ?」
トビアスの言うことももっともだった。犯人がアマルガムであれば、現場に残った奇妙な証拠も説明できるのだ。彼を見上げたイレブンが尋ねる。
「では、アマルガムを動かした主人は誰でしょう」
「……ああ、そうか。六日間のどこかで陸軍と接触していたら命令権が移行するのかな」
「今年の夏から命令系統の見直しが入っていますから、一般人よりも軍人の命令が優先される設定です。……難民キャンプでの戦闘にすぐに応じることができるぐらいですから、元々配置されていたとは予測できますが」
「グラナテマ難民キャンプは、グラナテマから攻撃されるってのがボランティアセンターでは常識のようだった。陸軍でもそういう認識だったのかもしれないな」
テオが顔をしかめて言う。エマもつい眉間に力が入ってしまった。
「酷いわ。逃げなきゃいけないような国にした方が問題なのに」
「それはそうだな……悪い、電話だ」
テオは携帯端末を耳に当て、その場を離れた。エマたちで話を続ける。
「帰国したハーディーが何者であれ、採取チームを追いかけたアマルガムがいることは事実なのよね。軍人さんがそんな命令出すかしら」
「ボランティアは他にも出入りしていたし、その出入り全てにアマルガムを同行させるわけにはいかないだろうから、わざと送り出した人はいるよね。怪しいのは協力者かな?」
エマとトビアスが難しい顔をしていると、イレブンが言った。
「元は他の大陸で輸入業者をしている人間だと担当者は証言していますが、その経歴も今となっては怪しいものでしょうか」
「いや、人を騙すためには真実と嘘を織り交ぜるものだ。たぶんその協力者に関しても真実はあるはず。誰にも怪しまれていないってことは相当な手練れだ。絶対に前科がある。……別の大陸ってことなら、国際警察に問い合わせてみようかな」
「あら? あなたそんなところともツテがあるの?」
「昔、ちょっとね」
かっこつけてウインクして見せてから、トビアスも電話のためにその場から離れた。困った人たちだこと、とエマは笑って現場で撮影した写真に視線を落とす。
白い、ヒルガオの花。それが遺体を飾り立てる。
血の気を失った青ざめた肌に寄り添う白が、目にしみて少し痛かった。
ヒルガオを見るとどうしても同じ景色が浮かぶ。
日の差す窓辺。そこから見えるヒルガオの白い花。ベッドに横たわった母がエマの髪を撫でて微笑む。どんなに部屋を暖めても、母の指先は冷え切っていた。
優しく子守唄を歌うのと同じ声で、彼女は「約束よ、エマ」と言った。結晶の魔術を見せたエマの手を握って、母は自分の心臓の位置を示していた。
「……エマは、ヒルガオが嫌いですか」
突然尋ねられ、エマは驚いてイレブンを見下ろした。灰色の瞳が、真摯にこちらを見つめている。腕に触れようとして中途半端に浮かんだ手を、彼女はそっと下げた。それがなんともいじらしくて、エマはつい彼女の小さな手を握って軽く振る。
「そう見える?」
「少し。あなたが何かを嫌うという事象は、珍しい」
「そうだったかな。どれぐらい珍しかった?」
興味本位で尋ねると、イレブンは少しだけ目を逸らした。
「……テオが笑う回数より少ないです」
「んっふふ、そ、あはははっ! そうなの? そっかぁ、ふふふ」
思わぬことを聞いて、エマは堪えきれず笑ってしまった。確かにテオは無愛想だけれど、笑わないわけではないはずなのに。
「ヒルガオを見る度に、あなたは『懐かしい』と『嫌悪』が同時に現れるので、捜査に支障が出る前に『寄り添う』が必要ではないかと、推測しました」
「そうだったんだ。……ありがとう。イレブンに隠し事なんてできないわね」
まだ笑いの余韻を残して、エマは細く息を吐き出した。これがたとえ捜査効率向上のための声かけだとしても、イレブンの行動を優しさとして受け入れる程度には、エマは彼女に気を許していた。
(……素敵な女の子で、頼もしい兵器なのよね)
テオとトビアスはまだ通話中で離れている。ここにはエマとイレブンしかいない。だからだろうか、エマは自分で思っていたよりも軽い口調で話し始めていた。
「ヒルガオ、お母さんは好きだったけど、私は嫌いだったのよ。本当にしぶとい花じゃない? お母さんが寝たきりになっても元気に花を咲かせてるもんだから、嫌いになっちゃって。お母さんに言われて、棺にヒルガオを入れたけど、本当はそれも嫌だった」
繋いだ手を、軽く前後に揺らす。イレブンの手は冷たい。なのに、母と最後の別れをする時に握った手とは違っていた。これが、無機物と死者の違いなのかもしれない。
「……だから、遺体とヒルガオを見ると、お母さんを思い出して、少しつらい」
「そうだったのですね」
「おまけにグラナテマがまた関わってるじゃない? うんざりよ。私があの国を嫌ってるのは、もう分かってたわよね」
「はい。声が少し、変わりますから」
エマは「そうよね」と小さく笑った。本当に、彼女に隠し事はできなかった。イレブンの手を、もう少しだけ強く握る。
「お母さん、優秀な魔導士だったのよ。でも、父に目をつけられて、グラナテマに連れていかれて、お母さんの人生めちゃくちゃだわ。……娘の私を可愛がってくれたことが、今でも信じられないぐらい」
「……だから、あの国のことが」
「嫌い。大っ嫌い。だって私が産まれた時、お母さんまだ二十歳よ。大人になって振り返ると、本当、気分が悪くて」
そう吐き捨てたエマを咎めているのか、なだめているのか、どちらとも取れるような力で、イレブンの手が優しくエマの手を引いた。
「……では、グラナテマの戦勝祈願にすぐ気付いたのは」
「私の家にもあったから。……私とお母さんはやってなかったけど、家にいた人は針と血を捧げてたの。戦場に行かない人間の義務だって言ってね」
「本来は、死体を捧げるような儀式ではなかったのですね」
「そうなの。……でも、この二十年で色々変わったのかもしれないわ」
自分より小さな手を握っていると、当時八歳だった自分と手を繋いでいる気分になった。グラナテマでどんな変化が起こったのか、エマが知る由もない。けれどあの時母の遺体の傍に横たわった自分は、もう二度とグラナテマに関わりたくないと思っていた。
だが、現状ではそれも難しい。エマがどれだけ無関係を主張しても、生まれで判断されてはどうしようもなかった。
「……連中のことは、さっぱり理解できない。今もあんな国滅びればいいと思ってる。でも私がそう考えてるって、信じてくれない人がいるかもしれないのよね」
「それは……中将の調査の件でしたら、テオもトビアスも、話せば理解を得られます」
「ふふ、そうね。二人とも、優しいからね……でも、二人には内緒にしたいな」
エマは目を伏せた。悲劇に見舞われて家族を喪ったテオと、両親と気遣い合うばかりに微妙な間柄となっていたトビアスに、自分の家族の話をしようとは思わなかった。たぶん話せば二人のことだから、同情はしてくれただろうけれど、知らない方が命拾いすることもある。
エマはイレブンの視線に気付き、ぱっと笑って見せた。
「イレブンだから話せるってこともあるのよ」
「……それは、何よりです。兵器ですので」
「いつも頼りにしてるわ、イレブン。可愛い猟犬さん」
うりうりと頭を撫でてやると、イレブンは軽く目を細めて受け入れた。ぴょこんと跳ねた髪を撫でるエマに彼女は尋ねる。
「お母様はどちらに埋葬されたのですか」
「叔母の家がある地域よ。小さな墓地があるからそこで、水晶の棺で眠ってるの」
「ではきっと、『寂しい』もグラナテマへの『恐怖』もありませんね」
「そうね。穏やかに眠っていてくれたらいいな」
足音を聞いて振り向くと、トビアスが戻ってきたところだった。
「えーと、どうかしたかい? なんだか楽しそうだ」
「息抜きさせてもらってたの」
「はい。息抜きです」
「ええ? そっか、息抜きも大事だからね」
トビアスは笑って受け流し、手帳に目をやった。
「ハーディーの協力者かどうか確証はないけど、最近こっちの大陸に移動したと思われる武器商人がいるらしい。戦争請負人と言ってもいいレベルの凄腕だ。依頼があれば誇張なしになんでも用意してくれると評判でね。国際警察も逮捕を急いでるんだってさ」
「……そんな人が、ハーディーに声をかけるかしら。優秀な人なんでしょうけど、武器商人を動かすほどのものは持ってないでしょ?」
「そこなんだよね。やっぱり違うかな……」
三人で顔を見合わせていると、テオが足音荒く戻ってきた。
「中将が標的を絞り込んでくれた。コンペの審査員として参加していた軍人二名と研究者二名は無事を確認。トロフィーを渡した陸軍大佐は既に退役していて連絡が取れていない。これから家に向かう」
「場所は?」
「メッセージで送った。急行する」
エマたちは急いで車に乗り込んだ。
■
ハーディーは薮を掻き分け、岩を掴み、木の根に足をかけて、壁にしか見えない急勾配の坂をよじ登った。大学からひたすら直進し続けて、目的地はもうすぐだ。
迂回したのは進行方向に大きな建物がある時だけだった。ハーディーはフェンスや塀をよじ登り、花壇を踏み越え、道路も私有地も構わず横切って、直進し続けた。不思議と他のルートは頭に浮かばず、直進し続けられる程度には疲労も不可能も感じない。
妙だと思う自分と、当然だと思う自分がいる。空港から家に戻って以来、ハーディーは怒りと使命感に突き動かされてここまで来た。胸の内から湧き上がる感情だけに突き動かされ人はここまで行動できるのかと感動まで覚える。どうりで世界から戦争がなくならないわけだ、誰しもこんな怒りと使命感を抱えていたら、誰も争いなんてやめられない。
平和の実現なんてはなから無理だったのだ。
(ビル、お前の志は立派だったけれど、人間が愚か過ぎたんだ)
瞼の裏から弟の顔が離れない。もうあの子の笑顔を思い出せなかった。なぜ、どうしてと嘆き、奉仕の精神から親切にした相手が死を免れないと知った恐怖と絶望、兄として遠ざけてやりたかった全てに顔を歪めた弟の顔を、ハーディーは忘れられずにいる。
握りしめた鞄も服も泥だらけだ。だが手放すことはできない。できそうにない。
ハーディーは道なき道を突き進み、背の高い草と低木の隙間から転がり出た。目の前には柵で仕切られた敷地と、立派なログハウスがある。
ハーディーは「やった」と声をもらしていた。
以前、彼のインタビューが掲載された時に、彼の住むログハウスの写真が公開されたのだ。カーテンや庭の飾りは当時と変わっていない。
ハーディーは歓喜に震える足で踏み出した。鞄をきつく握りしめ、崖の方へと歩いていく。
見晴らしのいい崖際にベンチを置いた初老の男は、マグカップを片手に景色を眺めてくつろいでいた。無遠慮に踏み込んできたハーディーを見て彼は顔をしかめて立ち上がる。
「誰だね、君は」
「トム・ハーディーです。あなたに聞きたいことがあります、大佐」
「もう退役した身だ。答えられることなどありはせんよ」
拳銃を手に取ろうとする大佐を見て、ハーディーは反射的に水鉄砲を取り出した。
切り刻まれた仲間と焼き払われた難民、そして裏切られた弟の最後の声が耳の奥でこだましている。
「水鉄砲? そんなもので何をしようと言うんだ」
「今に命乞いすることになる」
怪訝そうな顔をした大佐に向かって、ハーディーは玩具の引き金を引いた。
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