二章 人殺しの花が咲く 5/6


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 件の大佐が暮らしているのは、山の中腹にあるログハウスだった。車で山道を抜けていると、イレブンが言う。


「アマルガムの反応あり。他の個体と少し異なります」


「攻撃的か?」


「……分かりません。膜越しに見ているような、不自然に遠い感覚です」


 テオは眉根を寄せた。アマルガム特有の感覚を話す時、イレブンの言葉は少しだけテオには難しくなる。兵器と人間なのだから、感覚に差が出るのは当然のことなのだが。


 あまり整えられていない道で車体が揺れる。イレブンは窓枠に触れたままじっと行き先を見据えていたが、ふと口を開いた。


「信号。信号がない。アマルガムであれば送受信する信号がありません。もしかしたら、統制信号も届かないかもしれない」


「まずいな……制圧の難易度が上がるぞ」


 ハウンドは統制信号と称される呼びかけによって、他のアマルガムを自分の支配下に置くことができる。そのおかげで素早く制圧できるが、統制信号が使えなければ破壊するしかない。


「大佐が無事だといいが」


「……アマルガムであるという自覚の有無によっては、隙を作る方法があります」


「自覚なく擬態するなんてできるか?」


「破綻なく人間に擬態している個体です。ありえます」


 イレブンは冷静に続けた。


「自分はトム・ハーディーという一人の人間だと思い込んでいる場合、自分が化け物だと理解した時の衝撃、それにより生じる隙は大きいはずです」


「アマルガムだとちゃんと自覚している場合はどうするんだ」


「話を聞かずに破壊します」


 頼もしいことだった。ログハウスの表に車を滑り込ませ、テオたちは急いで飛び出す。イレブンが鋭く告げた。


「アマルガム反応、裏手です」


「了解、挟み撃ちだ。エマ、クサリヒルガオだが」


「植物なら凍らせればなんとかなるわ。任せて」


 二手に分かれてログハウスの外周を進むと、男の怒鳴りつける声が聞こえてきた。


 横たわった元大佐の腹からはクサリヒルガオが伸びている。男は大佐に馬乗りになり、何事か喚いているようだ。地面に放り出された鞄から蝋燭やライターも覗き、彼が儀式を行っていたことはすぐに分かった。彼がトム・ハーディーだ。


 手に持っているのは水鉄砲だけだが、もし彼がクサリヒルガオの成長を速めてしまえばそれだけ速く元大佐の命は尽きてしまう。


 どうする。テオはエマとトビアスが配置につくのを確認しながら考えた。


 エマが以前、「魔術には集中力が必要なのよね」と呟いていた。ハーディーの注意を元大佐から逸らす必要がある。


「……イレブン、お前のタイミングに任せるぞ」


「了解。待機します」


 植木に隠れてテオは拳銃を握り直した。二人のやり取りが聞こえてくる。


「ビルが生み出したヤドリギオリは! 人の命を守るためのものだった! それをお前たちは難民の命を奪うことに使ったんだ!」


「違う、そんなことは知らない!」


「嘘を言うな!! お前が、お前が流出させたんだろう、退職金欲しさに弟の発明を人殺しの道具にしやがって!!」


「本当に知らないんだ、頼む許してくれ……っ!」


 元大佐の顔は真っ青だ。もう魔力を奪われつつあるのかもしれない。テオはエマに手で合図した。エマが魔法小銃を構え、引き金を引く。


 乾いた破裂音。トム・ハーディーに着弾した魔晶火器弾によって辺りに冷気が拡散する。


 撃たれてもよろめく程度で済んだハーディーはエマに憎悪の目を向けるが、はっと元大佐に視線を戻した。凍り付いたクサリヒルガオが、その成長を止めている。


 激高したハーディーが顔を歪めて立ち上がる。


「邪魔をするな!!」


「動くな! 捜査局だ!」


 テオとトビアスが拳銃を手に飛び出すと、ハーディーはテオたちの間を忙しなく見ながら元大佐に駆け寄ろうとした。すぐさまエマの魔弾がそれを牽制し、ハーディーがよろめいた隙にトビアスが元大佐の腕を肩に担いで引きずっていく。


「ハーディー。疲れたんじゃないか」


 テオが言うと、ハーディーはわなわなと両手を震わせながらテオに目をやった。


「海外まで行って、風妖精の住処までクサリヒルガオを取りに行って、協力者に騙されて大変なことになったんだろう?」


「そう、そうだ、仲間たちが、だから彼らの分まで────」


「お前たちを助けに来たアマルガムがいたはずだ。そのアマルガムはどうしたんだ?」


 ハーディーの動きが止まった。視界の端で、トビアスが無線を通じて救急車を要請している。エマが次の弾丸を装填する姿を捉えながら、テオは続けた。


「アマルガムは、お前をどうしたんだ?」


「……どうって……助けてくれたんだ。風妖精たちから」


「どうやって?」


「あの大きな体で、立ち塞がって、そして、そして……?」


 ハーディーの声が曖昧になる。


「アマルガムは、風妖精に勝利したのか?」


「……勝利? してない……アマルガムは、細切れになって……」


「ではお前は? クサリヒルガオを手に入れる前だ。風妖精とアマルガムが接敵して、お前はどうしていたんだ?」


「どうって? どう……分からない、思い出せない」


「ではクサリヒルガオを採取して難民キャンプに戻ってからは?」


「……弟を、ビルを手伝っていた。炊き出しとか、畑作りとか……なのにあいつが!! あいつが弟の発明を使って難民を逃げられないようにしたから!!」


 ハーディーの怒りが蘇る。テオは拳銃を彼に向けたまま、じりじりと歩み寄った。


「なあ、ハーディー。分かるよ、俺も兄だから。大事な弟だったんだもんな。あの子の努力を、そんな形で踏みにじっていいはずがない」


「そうだ……そうだ、あれは、あの子の優しさだから……」


「弟は君になんて言ってキャンプに戻っていったんだ? 彼は最後になんて言った?」


「あの子は……ビルは……」


 ハーディーの目が泳ぐ。その目が、自分より少し下の高さに向けられた。おそらく弟の顔があった辺りの高さで、彼は右に左に視線をふらつかせる。


「……助けなきゃ、と言ったんだ。自分ならあれを解除できるから、と……」


「そうなのか? 解除できるものなんだな?」


「でも、もう時間がなかった。爆撃機がすぐそこまで来てるって聞いて。だから逃げようと言ったのに、彼らを残して自分だけ逃げるなんてできないって……」


「お兄さんを追いかけて同じ分野を研究するぐらいだ。弟から兄に向けた特別な言葉があったんじゃないか? 思い出せない?」


 テオは慎重に言葉を探る。ハーディーは狼狽しきった顔で手を震わせていた。


「ビル、は、ビルは、ああ、『俺は兄さんの弟だから』と言って」


「それで?」


「『これは義務だ』と、『ヤドリギオリで足止めして好き勝手するなんて許せない』とも言っていた。それが、生み出した者の、責任だと……『兄さんだって自分の研究で同じことをされたら、きっとこうしただろうから』と言って」


 ハーディーの目に涙が浮かぶ。テオは拳銃を握り直し、さらにもう一歩踏み込んだ。


「ヤドリギオリを悪用した奴と、クサリヒルガオを悪用した君。何が違うんだ?」


「違う、違う、何もかも違う!! 僕は正しいことのためにやったんだ!!」


「ではビルの恋人は? 彼女が一体何をした? 彼女に殺される理由があったか?」


 ハーディーの顔が真っ青になり、彼はぐしゃりと顔をしかめた。


「彼女は……彼女は、仕方なかったんだ……」


「じゃあ君の弟が死んだのだって、仕方なかったんじゃないか?」


「違う!! ヤドリギオリが流出しなかったら弟は死ななかった、あの子の恋人だって!!」


 彼の意識は完全にテオに向いている。エマが崖に背を向けるようにゆっくり移動する隙にテオは続けた。


「ハーディー、あと二人殺してるよな? 彼らは殺されるようなことをしたのか?」


「あいつらは金ほしさに、弟憎さに、弟のヤドリギオリを売ったんだ、でなきゃあれが流出するはずがない!! だから殺したんだ、弟の分まで、難民の分まで!!」


「じゃあ儀式は?」


 テオは尋ねた。ここに至るまで、彼はグラナテマのグの字も出していない。なのに彼は、戦勝祈願の儀式を行っているのだ。


「殺す理由があったから儀式に使ったのか? なんのための儀式だ? 君はどこでこの儀式を知った?」


「そんなの……そんなの、最初から知ってる……」


「確かに君は海外で色んな場所を緑化してきた。でもそれだけじゃこの儀式を知ることはないはずだ。うちの国のパスポートで入れる国の儀式じゃないからな。なあ。どこでこの儀式を知った? 誰から聞いた?」


「それは、それ、は……だって、儀式はやらなきゃいけなくて」


「誰がこの儀式をやれと命じた?」


 ハーディーの瞳が赤く明滅した。彼は水鉄砲を落とし、頭を抱え始める。


「誰、誰が? これはだって大事な儀式で、舌と血を、違う針と蝋を、やれと言われて、違う言われてない、言われた、ああ、痛い、割れる、違う割れた、割れたんだ頭が、上から落ちて? 違う落ちてない、落ちるのを見てた、見ていた、誰だ、違う、僕は違う!!」


「忘れたのか? トム・ハーディーは死んだ。お前は誰だ?」


 ハーディーが目を見開き、硬直する。その瞬間、イレブンは彼の懐に飛び込んでいた。彼女の白い手がハーディーの胴体に沈む。彼は全身をがくがくと震わせてイレブンの髪や肩をがむしゃらに掴んで引き剥がそうと暴れた。


「やめろやめろやめろ!! 離せ!! 僕に触るな!!」


「回収手順に従い、機能を強制停止します」


「あああああああああ!! 離せ、離してくれ!!」


「身体操作信号を切断。擬態の維持を除く全ての機能を解除」


「あ、ああ──あ、あー、あ? あ────」


「視覚情報メモリー、停止────シャットダウン」


 がくんっと手足を跳ねさせたのを最後に、ハーディーは全身を脱力させて動かなくなった。イレブンはハーディーの押し潰されるようにその場に座り込み、テオとエマは慌てて駆け寄る。


「大丈夫か?」


「はい。コアを抜き取ると肉体が損傷してしまうので、このまま現状を維持します」


 テオがハーディーの体を起こすと、彼は目を見開いたまま固まっていた。首に触れても脈はなく、呼吸もしていない。


「……死んだのか?」


「擬態以外の機能を止めただけです。アマルガムは元々、脈も呼吸もありません」


 イレブンはハーディーの胴から手を引き抜き、そう説明した。大丈夫そうだと判断したエマが鞄を持ち上げる。


「……針、蝋燭、ライター、タラスカイト鉱石、それから粘液と種。あとは携帯端末が三つ、財布が二つ……ハーディーの物と被害者の物かな」


「そうだろうな。……しかしアマルガムと儀式について尋ねた時だけ様子が変わったことが気になる。記憶が抜け落ちているのか?」


「ハーディーとしての記憶とアマルガムとしての記憶がそれぞれあるから、二人が同時に存在した時の記憶だけ曖昧になるのかな。ひどく混乱してたわよね」


 テオたちだけでどうにかなる問題ではない。テオはハーディーを背負って立ち上がった。


「イレブン、研究所に連絡してくれ。専門家に見せたい」


「了解、このまま向かうことができるよう手配します」


 連絡はイレブンに任せ、テオはエマの手助けを受けながらハーディーを後部座席に横たわらせた。彼の荷物も後部座席の足元に置いてしまう。


 やがて、サイレンを鳴らしながら救急車がやってきた。救急隊員が駆け付け、元大佐はすぐに担架に乗せられる。彼は何事か呟き、それを聞いたらしいトビアスが一度テオたちの方は戻ってくる。


「彼、なんて?」


「噂程度だけど心当たりがあるらしい。このまま病院まで同行するよ」


「私も行くわ。研究所の方はテオたちに任せるわね」


「ああ、そっちは頼む。何かあればすぐ連絡を」


 救急隊員とも話をつけ、救急車の後ろをトビアスたちの車が追いかける形になった。イレブンが通話を終えて振り返る。


「すぐに見せてほしいとのことです。このまま向かいます」


「了解。急ごう」


 テオたちも車に乗り込み、来た道を急いで戻った。ここから研究所まで、車を飛ばしても三時間かかってしまう。


「博士の、現時点での見解ですが」


 再び揺れる車内でイレブンが言った。


「通常のアマルガムを上回る性能である点が問題との指摘を受けました。コアになんらかの細工がされている可能性がある、とのことです」


「コアに細工ってお前……そんなことできる奴が存在するのか?」


「難易度は高いですが、アマルガムに接近してコアに触れることができ、正確に術式を書き込むことができればあるいは」


 簡単に言ってくれるが、まず「アマルガムに接近する」という点で人間には難しいのではないか。そう思いつつテオは真面目に条件を探った。


「……アマルガムが敵対しないってことは、アダストラと敵対する国の出身だと無理ってことだよな?」


「そうですね。……もしかしたらそこに関わっているのかもしれません」


「何が」


「『別の大陸から来た輸入業者』、です」


 テオは眉をひそめた。イレブンが今言った人物は、ハーディーの妖精対策に協力したという謎の人物のことだ。


「だが魔導兵器だろ? そう簡単にコアをいじれるのか?」


「無論、防御機構は備えています。しかし、それらを帳消しにする代物が一つだけ存在する」


「何だよ」


 テオは思わず助手席を一瞥した。



「『賢者の石』です」



 イレブンの横顔は、変わらず静かだった。

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