三章 あなたの役に立つということ 10
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テオとイレブンが取調室に向かうと、マジックミラーの向こうで既にクロエ・ギフェルと弁護士が待機していた。初老の弁護士は苛立った表情で腕組みをしており、ギフェルは退屈そうに手錠の鎖をいじっている。コートとショールを奪われ、留置場の作業着姿になった彼女は、羽をむしり取られた鳥のように華奢だった。
テオが気になっているのは、弁護士が来た時のギフェルの表情だ。弁護士の駆けつける速さからして事前に用意しておいたのだと思ったのに、彼女は煩わしそうに一瞥したきり、ろくに返事をしない。連携を取るべき相手に取る態度ではなかった。
マジックミラー越しに二人の様子を眺め、テオは呟いた。
「どうだ、イレブン」
「クロエ・ギフェルに魔術的な所持品なし。アマルガムによる替え玉でもありません」
「……丸腰の割に落ち着いてるのが気になるんだよな。無策で逮捕されたわけじゃないと見たんだが。周囲には?」
「敵性存在、確認できません。彼女から危害を加えることはないかと」
イレブンの報告に淀みはない。考えすぎだろうかとテオは眉根を寄せた。
そこへ、少し遅れてトビアスがやってくる。
「弁護士について報告だ。ギフェルが逮捕される一時間前に、ベルクールが弁護士に電話をかけてる。だが、彼はベルクールではなくギフェルの弁護についた」
差し出された紙を受け取ると、ベルクールの携帯端末に残っていた通話履歴だった。確かに弁護士の名前がある。
「そのベルクールに弁護士は?」
「いない。彼は取り調べに素直に応じているそうだ。ギフェルが自分に従っただけだと主張してる」
「へえ。忠実なことだな」
テオは鼻を鳴らし、その場にトビアスとイレブンを待たせて一人で取調室に入った。
ギフェルが顔を上げると、彼女のストレートボブの黒髪が揺れた。テオを見て彼女は愛想よく笑う。対照的に、弁護士は不機嫌そうな顔で顎を上げた。
「ずいぶん遅かったですね」
「失礼、追加の報告を受けておりましたので。弁護士さん、あなたはヴェンデル・ベルクールから連絡を受けていたそうですね。本当は彼の弁護を担当するはずだったのでは? 彼は弁護士なしで気丈に取り調べに応じていますよ」
「まさか。彼から弁護を頼まれていませんよ」
「ではなぜ彼女のもとに駆け付けたんですか? 彼女はまだどこにも連絡していません」
テオが言うと、弁護士は口元を歪めるように笑って見せた。
「そういう約束なものですから」
「へえ? まったく連中にいくら積まれてるんだろうな」
テオはそう言って椅子に腰かけた。弁護士の顔から笑みが消える。
「何の話をしているんだか」
「結構、まずは事実確認だ」
テオは弁護士に構わず捜査資料を開き、ボイスレコーダーを置いて録音を始めた。
「クロエ・ギフェル。お前はトム・ハーディー率いるチームに対して、妖精除けと称して妖精殺しの罠を提供し、彼らが妖精に殺されるよう仕向けた。そして、難民キャンプを防衛していたアマルガムのコアに細工し、トム・ハーディーに擬態するよう指示している。その際、戦勝祈願の儀式についての知識も与えた。ご指摘は?」
「な────」
「捜査官。依頼人が逮捕された理由は国内での監禁罪のはずです。無関係な話はよしていただきたい」
ギフェルが笑顔で返事をしようとしたが、すかさず弁護士が口を挟んだ。ギフェルは椅子にもたれ、露骨に面白くなさそうな顔をする。
テオは「そうだな」と短く応じて捜査資料をめくった。
「ギフェルはトビアス・ヒルマイナ捜査官を追って店に入り、彼の首に電気銃を使用して昏倒させている」
「事実無根だ。そんな証拠は出ていない」
「ベルクールが中将を殺害した現場に乗り込んだギフェルは、ヒルマイナ捜査官を犯人に仕立て上げることを提案した。彼女の指示でバーの店主は証拠隠蔽に協力させられている。ギフェルはヒルマイナ捜査官の銃を使って店主の妻を撃ち、負傷した彼女を連れ去って監禁し、引き続き店主を脅して従わせた」
「依頼人は犯人に脅されていただけだ。彼女が銃で撃った証拠もない」
弁護士はギフェルの発言をことごとく遮って言った。ギフェルは吸った息を溜息として吐き出すばかりだ。
「ベルクールは彼女をどのように脅しているんだ? 恐喝の疑いがあるのであれば、そちらも捜査が必要だ」
「彼女は書類を偽造して入国していまして。それが露呈し強制送還されることを恐れてベルクール氏の要求に応じたのです」
「事実なのか? ギフェル」
テオが視線をやって尋ねると、ギフェルは口を尖らせた。
「……茶番だよね。困っちゃう」
「だよな。お前次第だが、取引したっていいと思ってるぜ」
ギフェルの目が輝いた。弁護士が身を乗り出す。
「捜査官、事実確認はもう終わったはずです。依頼人がこれ以上話すことはない」
「その依頼人は乗り気だが? 弁護士って奴は顧客が得するように動くもんだよな。捜査官側から取引を持ち掛けるなんて滅多にないラッキーだろ? それを止めるなんてさ……アンタ、誰が得するように動いてるんだ?」
「だが────」
「黙ってて」
発言を続けようとした弁護士の脚を、ギフェルが蹴り飛ばした。彼女は口元に笑みを浮かべてテオを見つめる。
「聞かせて、捜査官」
「……お前の持っていた『賢者の石』についてだ。あれ、手に入れるのに相当苦労したんじゃないか?」
「そんなことないよ。貰い物だし」
あっけらかんとギフェルは肯定した。弁護士の顔が強張っていく。
「だが、お前は商人で、魔導士だ。『賢者の石』にどれほどの価値があるか知ってる。それを持っているだけで罪に問われるほど、希少価値のあるものだ。何せ、『賢者の石』の裏には、何千人もの死がある」
「……そうらしいね」
「そんな代物を受け取って、生半可な仕事をするわけにはいかない。お前の目的ってのがあるとはいえ、少しはサービスしてやったんじゃないか? 例えば、犯罪に不慣れな男が、自分の秘密が暴かれるのを恐れて、感情的に殺人を犯そうとしているものだから、別の奴を犯人に仕立ててやろうと協力した、とかな」
「でたらめだ!」
弁護士がデスクを殴りながら怒鳴った。彼は法廷でもこんな態度を取るのだろうか。テオもギフェルも似たような白けた顔になっていた。
「全て彼の指示だというのに、ふざけたことを。取り調べはここまでだ。我々は出ていかせてもらう」
「……だ、そうだが。ギフェル、知りたくないか? お前が受け取った『賢者の石』に、お前が連中にサービスしてやるほどの価値はないってこと」
ギフェルは目を見開き、弁護士は呆気に取られた顔をしていた。
「な、何を言ってるんだ君は。『賢者の石』はとても貴重で────」
「出ていって」
弁護士の方を見向きもせずにギフェルが言った。
「取引の話に弁護士はいらない。出ていって」
「っ身の程知らずの女め!! 裏切るつもりか?!」
本性をさらして怒鳴る弁護士に、ギフェルは大きく溜息をついてから振り向いた。愛想の欠片もない、冷めた表情だった。
「アタシは姉妹じゃない。お分かり? さっさと帰れよファザコン野郎」
「……このことは報告させてもらうからな」
弁護士は奥歯を噛み締めて吐き捨て、足音荒く取調室から出ていった。ギフェルは椅子に座り直し、嬉々としてテオに向き直る。
「取引してくれるって本当?」
「お前次第だがな」
「一個だけお願いしたいことがあるんだ。それだけ叶えてくれたら全部話すよ」
手錠をした両手を合わせ、ギフェルが「お願い!」と繰り返した。テオは眉根を寄せる。
「お願いっていうのは?」
「アタシが用意したアマルガムを壊した女の子がいたでしょ?」
ギフェルは人懐っこい笑みを浮かべた。
「その子と会わせてよ。その子だったら、聞かれた質問に全部正直に答えるからさ」
「……少し待て」
テオは立ち上がり、部屋から出た。扉を完全に閉めてからイレブンのもとへ戻る。トビアスは不在だった。彼女はテオが口を開く前に言う。
「報告します。トビアスは弁護士を追跡中です。蝋燭を持ち帰ったボランティアと連絡が取れたため、鑑識が証拠品を押収に向かいました」
「助かる。他には?」
「……クロエ・ギフェルの分析ですが」
イレブンはギフェルに視線を戻して言った。
「テオの発言に対し、肯定的な反応をしていました。表情と身体に矛盾もなく、こちらの仮説はほとんど認められました」
「……だから弁護士はギフェルの発言を許さなかったんだろう。正しいと認められたら、動きにくいと踏んだのかもな」
テオもギフェルを見やった。彼女はわくわくとした様子で扉の方を向いて体を揺らしている。
「ここで素直にお前に会わせてやるべきか少し悩むな」
「テオや弁護士の発言でグラナテマ国教に対する信頼が揺らいでいるタイミングですから、このまま話を聞いてもよいのでは」
人間の分析において、経験則に頼るテオと膨大な統計データに基づく計算から判断するイレブンでは勝負にならない。テオはイレブンの頭に軽く手を置いた。ぽふりと柔らかい髪が押さえられる。
「……分かった。ギフェルの目的と、グラナテマ側の情報を主に引き出してくれ」
「了解。把握しました」
イレブンは簡単に応じて取調室に入っていった。ギフェルは彼女を見てぱっと表情を明るくする。
「本当に来てくれた! 嬉しい! ありがとう!」
「私と話がしたいと聞きました」
「そうなんだよ~! ぜひとも君に会ってみたくて!」
イレブンが椅子に座ると、ギフェルは笑顔で身を乗り出して言った。
「ジム・ケントが惚れ込んだ天使ってやつはどんな女の子なのかと思ってさ」
テオはぎょっとして、イレブンでさえ軽く目を見張った。ギフェルは手錠を鳴らしながら頬杖を突き、楽しそうに笑みを深める。
ジム・ケント。新興宗教の教祖に収まることで望む全てを手に入れようとした男。そして。
イレブンを「天使」「イヴ」と呼び、心酔した男。
「国際手配された者同士で集う会があるのですか」
「まさか~! ビジネスの関係があったってだけだよ」
「彼とは、どのような取引をしたのですか」
「待って待って! 先にアタシの質問に答えて! そしたら君の質問に答えるから!」
イレブンとギフェルの会話は滞りなく続く。狼狽しているのはテオだけだった。
ギフェルは「じゃあ最初の質問ね!」と無邪気に笑った。
「ジムの言ってた楽園って、ぶっちゃけ実現可能だった?」
「いいえ、物理的に不可能でした。仮に実現したとしても、彼はやがて虚しさから楽園を破壊したでしょう」
「どうして? 理想の楽園なわけでしょ? それで虚しいって思うものかな」
きょとんとするギフェルに、イレブンは冷静に答えた。
「望みを汲み取って動くものに囲まれると、最初は快適でも、次第に不快になるそうです。人は慣れる生き物ですから、ある程度の『予想不可能』がなければ飽きて嫌気が差すのだとか」
「はーん? なるほど。大した自信だね。飽きるほど望みを叶えてくれるってこと?」
「そのように造られていますので」
「じゃあ、アタシの望みも分かる? 当ててみてよ」
ギフェルはわくわくとした様子で両手の拳を口元に当てた。イレブンはすぐに答える。
「他人の人生が壊れる様を見たい」
テオは眉をひそめ、ギフェルの顔を見つめた。両手で隠れた彼女の口元は、笑みを深める一方だ。
「ひどーい。アタシが人でなしみたい」
「そういう人間はたくさんいます。他人が酷い目に遭う姿を見ると、何もしていない自分がとてもえらくなった気がして、満たされるのです。自分を変えるより他人を酷い目に遭わせた方が楽なので」
「アタシもそういう、よくいる人間ってこと?」
口を尖らせ、ギフェルは不満そうに言う。イレブンは構わず続けた。
「統計的に、あなたは特別変わった人間ではない。しかし仮面を必要とするあなたのコンプレックスの大きさは、平均以上かもしれません。他人が綺麗に見えて羨ましくて、自分が惨めでたまらない。あなたが武器を売って戦争を引き起こす理由の一つです」
「え~? そこまで言う?」
「病める者も健やかな者も、富める者も貧しき者も、戦争となれば皆等しく死ぬ。だからあなたは、戦争が好きです。とても多くの人生が、致命的に壊れるので」
ギフェルの顔から笑みが消えた。それだけで、ぞっとするほど冷たい横顔になる。
「自分はこんなに不幸なのに、世の中どうして幸せな人間で溢れているのだろう。でもそんな幸せな人間たちも、戦争が起きれば殺し殺されみんな不幸になって死ぬ。戦争を機に幸せになった人間も、あなたの客になれば地獄に落ちるだけ。それらを観測して、自分が生きていると実感して、優越感に浸る。それがあなたの喜びです。だから、あなたの望みは『他人の人生が壊れる様を見たい』に集約されます」
ギフェルは黙ってそれを聞いていたが、やがて喜色満面で口を開いた。
「すごい! アタシ、前に君と会ったことある?」
「これが初対面です」
「すごいすごい! どこでそういうのが分かるの? 人相とか?」
「分析手法はありますが、あなたが悪用してしまいそうですので、内緒です」
「ちぇっ、そんなところまで分かってるんだ」
ギフェルは口を尖らせたが、一瞬だけだった。すぐに楽しそうに笑う。カフェの一角で談笑しているかのような、リラックスした態度だった。
「そんなあなたですから、ジム・ケントに『賢者の石』そのものではなく製法を教えることも予想はできます。『賢者の石』を作るために、さらに多くの人間を殺すためです」
「……うん。続けて」
「あなたは製法販売後、ジム・ケントがどのような不幸を迎えたか興味を持ち、彼のその後を観測していた。だから、アマルガムのコアに細工する時にその反省を活かしたのです」
「アタシ、そういうマメなタイプに見える?」
首を傾げて微笑むギフェルに、イレブンは身動き一つせず応じた。
「擬態の性能向上や指揮権の固定は、目的のために必要とされる側面があります。しかし信号の遮断は、ジム・ケントが私の統制信号を受け付けて敗北したことを知らなければ、優先して施そうとはしないのではないでしょうか」
「…………へぇ」
イレブンとギフェルが見つめ合う。
しばらくすると、手錠に繋がれた両手を軽く浮かせてギフェルが言った。
「降参。アタシから話すことあるのかなってぐらい言うじゃん」
「恐れ入ります」
「ねえねえ、君みたいな子ってあと何人いるの? 好きな食べ物や殺され方はある?」
「私の代わりはたくさんいますし、個人的な好悪は定められていません」
「つめた~い。じゃあこれが最後の質問ね」
ギフェルは心底おかしそうに笑って首を反対側に傾けた。
「そんなに色んなことに気付くのに、どうして命令を疑いもせずに従うの?」
ギフェルの目が光る。純粋な好奇心からの質問のようだった。イレブンはゆっくりとまばたきをして、静かに答える。
「そうであれ、と望まれたからです」
眩しいほどにシンプルな答えだった。ぶれないやつ、とテオは苦笑する。ギフェルも笑って、脱力して椅子にもたれた。
「なぁにそれ~。人間のこと、馬鹿らしいと思ってそうなのに」
「愚かで非効率的な生命体だと認識していますが、それは守らない理由になりません」
「うーん、博愛って感じの無関心さが天使っぽくていい。ジムの言うことにも一理あるね」
「ありません」
「っはは! 可哀想なジム!」
ギフェルの笑う顔が歪む。恍惚と嘲笑う顔だった。それを両手で覆い、次に顔を上げた時には、愛想のいい笑顔に戻っていた。
「じゃあ次は天使ちゃんの番ね! なんでも聞いてよ」
ギフェルは機嫌よく質問を受け付ける。テオも改めて二人の会話に集中したが、そこへ携帯端末が振動した。トビアスから着信だ。
「どうした?」
『弁護士が襲われた。犯人の車を緊急手配してる』
緊迫した報告に、テオは息を飲んだ。
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