三章 あなたの役に立つということ 11


     11


 取調室から飛び出した弁護士を追って、トビアスは駐車場まで来ていた。彼は苛立った様子でどこかに電話をかけながら歩いており、尾行に気付いた様子はない。


 弁護士は通話を終えて車のキーを取り出した。近くの車が開錠のランプを点滅させる。このまま帰るつもりだろう。トビアスは車のナンバーだけ控えようと踏み出した。


 そこへ、別の車から降りて来た黒装束の者たちが弁護士を取り囲んだ。弁護士はぎょっとした顔で目を見開き、トビアスは急いで車の陰に隠れる。


 男たちは似たような背格好で、意図して特徴を消しているようだった。やがて一人が言う。


「どこへ行く? 貴様の仕事はまだ終わっていない」


「……クロエ・ギフェルの件か? 私の助けなど不要と言うから帰るところだ」


「帰れと言われて帰るのか。子供のようだな」


「私の仕事は終わったんだ! 依頼人に断られた場合の指示もなかった以上、私のすべきことはない。失礼」


 弁護士は相手を肩で突き飛ばすようにして輪を抜けた。瞬間、弁護士は周りの男に掴みかかられて地面に引き倒される。


「なんだ貴様ら! ぼ、暴行か、傷害か? 捜査局の駐車場で犯罪行為とは大胆だな!」


 弁護士の喚く声は、明らかに強がりで震えていた。殴りつける音がしてトビアスは拳銃を抜いて立ち上がる。


「動くな! そこまでだ!」


「っそ、捜査官!」


 弁護士が半泣きで叫んだ途端、黒装束の男たちが一斉にこちらを向いた。弁護士に馬乗りになっている男が一人。それ以外は全員トビアスに向かって両手を上げた。


 大人しく従ったわけではない。


 言い知れぬ違和感。きりきりきり、と微かな駆動音がする。


(────合成義体か!)


 トビアスはすぐさま柱の陰に飛び込んだ。弾丸の嵐が掠めていく。


 合成義体に仕込まれた銃だ。普通の銃とは装弾数が違うからタイミングを計れない。だが相手の弾が尽きるまで待つわけにもいかない。


 トビアスはどんどん削れていく柱の陰で拳銃を握り直した。


 銃声が鳴りやまない中、男が朗々と唱える。


「父よ、愚かな子をお許しください。子の全ては父のために、子の全ては国のために」


「離せ! 離してくれ!」


「血は大地に還り、鉄の礎となり、国のための刃となる」


「やめろ! 離せ! やめっおご! あがっ、あえ?」


「グラナテマに栄光あれ」


 弁護士が絶叫した。トビアスは合成義体の左腕を伸ばし、外装や関節が抉れるのも構わず天井に銃口を向ける。


 音を立てて照明が砕けた。灯りの少ない屋内駐車場だ、あっという間にその場は暗くなる。


 襲撃者たちが一瞬動きを止めた隙に飛び出す。一人の胴を撃つが相手の対応が速い。


 肩を銃弾が掠めていくのを感じながら、トビアスは車の陰に滑り込んだ。相手を見ずにもう二発撃ち込んだところで、複数人の足音がする。奴らが動いたのだ。


 急いで立ち上がると、彼らは弁護士を残して車に乗り込んでいった。トビアスが胴を撃った男も血を流しながら車に向かう。


「俺も、たのむ、手を」


 車は既に動き出している。よろめく男が手を伸ばしたが、助手席にいた男は彼を無造作に撃ち殺し、車はそのまま走り出してしまった。


 トビアスは逃走した車二台のナンバーを記憶し、弁護士に駆け寄った。彼は涙と鼻水と血で顔をぐしゃぐしゃにしながらトビアスに這い寄る。地面に落ちた金色の針と蝋燭がいくつか押し退けられて転がった。


「あ、あふけ、あふけへ、ひは、ひはが……」


 弁護士はだらりと垂れ下がった舌をさらしてトビアスにすがりついた。


 その舌には、金色の針が刺さっている。


「……すまない。すぐ救急を呼ぶから、安静にね」


 針のせいで舌を戻せず口も閉じられず、弁護士は舌を垂らしてすすり泣く。彼の肩を叩いてなだめ、トビアスは置き去りにされた黒装束の男に近付いた。仰向けに倒れ、ぴくりとも動かない。どす黒く染まった覆面を剥ぎ取ったトビアスは、顔をしかめた。


 呆然と目を見開いたまま倒れた男は、どう見ても十代の少年にしか見えなかった。


     ■


「じゃあ次は天使ちゃんの番ね! なんでも聞いてよ」


 ギフェルは軽く身を乗り出し、目を輝かせた。『興味』の比率が高い表情だ。自分を暴かれたことに対する『恐怖』や『怒り』が存在しない。あるのは、理解を得られたという『喜び』だ。


 イレブンはじっとギフェルの顔を見つめた。


 彼女はただ心底から、理解者を求めていたのだ。しかし長い間それを得られることはなく、自分以外の人間を不幸にすることで、戦争という大きな流れに抗えず流される人々を眺めることで、自分を慰めることを選んだ。ただそれだけの人間だ。


 イレブンは捜査資料を広げ、順番に尋ねることを選んだ。


「アマルガムに細工した件から順にお伺いします。コアの細工方法は誰かから教わりましたか。それとも独学でしょうか」


「師匠が専門家だから、子供の頃から魔導兵器いじって遊んでたんだ。プロメトギアも師匠から教わった。アマルガムも同じ魔導兵器だし、コアにさえ触れたら術式にアクセスして操れると思って」


「接触方法は」


「二年ぐらい観察してたけど、アマルガムって敵対国の兵士と兵器しか攻撃しないでしょ? だから近付くだけならアタシでも大丈夫だと思って、グラナテマ難民キャンプを張ってた。前、別のキャンプにアマルガムが派遣されてたことがあったから」


 ギフェルはにこにこと上機嫌で答える。イレブンはギフェルの顔から首、手へと視線を移した。表情と身体言語に矛盾なし。脈や呼吸にも乱れはない。


 問題ないと判断してイレブンは質問を続けた。


「アマルガムは全部でいくつ入手しましたか」


「五体だね。いつバレるかひやひやしたよ!」


「アマルガムを入手した動機は何ですか」


「簡単に言うと仕入れだね。常勝アダストラのメイン火力ってことで、初登場の時から話題になってさ。アタシがいた大陸でも熱視線だったわけ。前線の補給ライン維持は常に課題になるのに、それを解決しちゃったんだもん。すごい需要だよ~」


「でもあなたはアマルガムの擬態能力向上を選んだ。兵器目的の入手ではありませんね」


 イレブンの確認じみた質問に対し、ギフェルは微笑んだ。


「鋭い。そう、アタシが欲しかったのは兵器じゃなくてスワンプマンだからさ」


 端的な答えに、イレブンは瞼を上下させた。



 スワンプマン。アイデンティティとは何かを問う思考実験だ。


 ある男が沼の近くで落雷により亡くなった。同時に沼も落雷を受け、死んだ男とそっくり同じ男──スワンプマンが現れる。死んだ男と同じ細胞、同じ性格、同じ記憶を持つスワンプマンは、「危ない、死んだかと思った」と安堵して、死んだ男のその後の人生を歩む。この時、死んだ男とスワンプマンは同一人物と言えるだろうか。



 トム・ハーディーは、まさにこの思考実験と似た状況に陥っている。


 彼は風妖精に殺された。だがその直後、アマルガムが彼の遺体を捕食し、トム・ハーディーに擬態した。アマルガムはトム・ハーディーとして難民キャンプに戻り、弟と過ごし、別れ、復讐へと走り出した。テオが動揺を誘うまで、アマルガムは自身をトム・ハーディーだと認識して疑っていなかった。



 ギフェルは確かに、トム・ハーディーのスワンプマンを手に入れたのだ。


「アマルガムをスワンプマンとして活用する理由は」


「兵器運用に限界を感じたっていうのと、あの不死性と擬態能力を別なことに活用したかったから。不老不死サービスって形でパッケージ化して売って、それに釣られた富豪をアタシの下僕にできたら最高じゃん!」


 ギフェルは楽しそうな笑顔で言い切った。だが、目元にあるのは『嫌悪』だ。不死性に対して、彼女は負の感情を抱いている。


(……彼女の喜びには、他人の死が必要。であれば、死なない兵器による兵士の代替は、不幸が減って面白くない、だがスワンプマンが欲しいことは真実……)


 イレブンは絶えずギフェルの表情を分析しながら尋ねた。


「グラナテマ国教との出会いはどのようなものですか」


「あー……あれは出会いというか、衝突というか」


 ギフェルは椅子にもたれ、上の方に目をやって言った。


「グラナテマでは昔から『賢者の石』を作る実験が繰り返されてるって噂があってさ。真相を確かめに行ったんだ。二十年前に、五十万人の死者を出したっていう地域までね。噂の祭祀場は今でもグラナテマ国教の人たちが守ってて、まあ普通に追い出されちゃったんだけど、これは余計に怪しいと思ってさ。その場にいた最年長の信者から脳を奪ってやった」


「……脳を、ですか。記憶ではなく」


「だって何十年分かの記憶をチェックするの大変でしょ? それなら脳だけ持ち出して嘘を言えないようにして気になること全部喋ってもらった方が早いよ。こっちの大陸にはないのかな。脳をケースに入れてセットすると知ってること全部吐かせる機械っていうのがあるんだ」


 イレブンは記憶領域にある知識を確認してからようやく口を開いた。


「それは極めて冒涜的であるとして、国際的に使用を禁じられているものでは」


「まずい。内緒にして」


「話を続けましょう。あなたが信者から脳を奪った後、何が起こりましたか」


 とりあえず続きを促すと、ギフェルは苦笑して言った。


「……ベテラン信者の脳なだけあって、大当たりだった。彼は『賢者の石』を作る儀式が成功した現場に立ち会ってたんだ。アタシは『賢者の石』の製法とグラナテマにしかない魔術を一気に手に入れた。でも早速自分で試そう! とはさすがに思えなくて、ジムに製法を売ったんだ。君に心酔して、人間をやめたくて必死だった彼にね。君の言う通り、アタシはジムの末路が気になってこの大陸に来て、グラナテマの奴らに捕まった」


「殺人の件で追われていたのですか」


「脳を抜き取った時点で何が目的かバレてたから、もう血眼で追われてたみたい。取引に応じるって形でやっと延命してもらえた~温情~」


 緩く語ったギフェルに、嘘をついている様子はなかった。イレブンがグラスに水を注いで差し出すと、彼女は笑顔で「ありがと!」とそれを飲む。まったく無警戒だった。


「前払いに『賢者の石』をもらったし、仕事内容も普通に面白そうだったから、それで不問にしてくれるなら喜んで! って仕事を引き受けたんだけど、アタシがグラナテマ難民キャンプに用があるって知るといきなり追加で頼み事されちゃって」


「追加依頼ですか」


「そう。難民の血を捧げるよう言われてさ。奴らの戦勝祈願って『針を血で染めること』が唯一絶対条件なのね? それで、トムを調べるうちに知った弟くんの発明を使って、難民全員を一気に捧げられる素敵アイテムを作ってもらったわけ」


「協力者をこちらに記載してください」


 イレブンが紙とペンを差し出すと、ギフェルはすぐに名前を書き込んだ。諜報部捜査官と、もう一人の男。携帯端末で調べると、花火業者の男だった。


「……寄付企業は名前を貸しただけだったのですね。なぜ花火業者に協力を」


「サイレント花火っていう、着火すると一定範囲内に消音の魔術を発動して、騒音を起こさずに遊べる花火があってさ。それを応用して、着火すると消音の魔術が発動して、もう少し燃えるとヤドリギオリと針が炸裂する蝋燭を作らせたんだ」


「それを使って、祈りの習慣がある彼らを罠にはめた」


「その通り。お祈りのために祭壇に集まった家族は、ヤドリギオリで逃げられず針に刺され、助けを求めることもできずに爆撃を受ける。これで、『儀式に捧げた上で殺せ』って要望を叶えることができたわけ」


 ギフェルはそこまで語ると、少し疲れた様子で椅子にもたれた。


「それで、トムのスワンプマンを作ることにしたんだ。どうせ実験はするつもりだったし、アマルガムに細工してトムに妖精殺しの罠を渡せば、あとは見守るだけでいいからね」


「では、戦勝祈願の儀式をさせた理由は」


「スワンプマンにもともと持ってない記憶を持たせたらどんな影響が出るか確かめたかったんだ。トムは儀式の記憶なんて当然持ってないでしょ? でもちゃんと『裏切り者を捧げる』って法則まで認識した上で実行してくれた! 大成功だった」


 ギフェルはそう言うと、また水を飲んだ。


 彼女の中には、不死性に対する嫌悪とスワンプマンへの憧憬がある。人の不幸を喜びとする上で不死を嫌うことは成立しているとイレブンは判断したが、問題は彼女がスワンプマンに憧れる理由だ。


(……憧憬。憧れ、心密かに期待すること。彼女はスワンプマンに何かを期待している。彼女は他の人間に不幸になってほしい、死んでほしい、それを見ていたい。……その裏には、自分だけが生きていたい、不幸を見届けたいという欲求がある。だから、スワンプマンを……)


 イレブンが表情分析を続けていると、ギフェルが首を傾げた。


「『賢者の石』なんていうめっちゃ貴重なアイテム手に入れたわけだし、まあちょっとぐらいサービスしてもいいかな~って思って色々してたんだけど、そこまでの価値がないって本当? 本物だったのに?」


「あなたが受け取った『賢者の石』はかなりの粗悪品です。既にアマルガムを五体入手していることから、魔力残量から見てアマルガムを細工できる回数はあと二回でしょう」


 率直に伝えると、ギフェルは目を剥いて声を荒らげた。


「すっくな!! マジ?! 待ってじゃあその二回が終わったらどうなるの?」


「『賢者の石』は消滅します」


「詐欺じゃん!! 裏切られた!! ねえアタシ天使ちゃんサイドに寝返っていい? 奴らについて知ってること全部話すから!」


「……いいでしょう。お話だけ先に伺います」


 イレブンが短く応じると、ギフェルは身を乗り出して声を潜めた。


「グラナテマ国教は父と子の組織だけど、母がいたって知ってる?」


 初めて聞く話に、イレブンは静かに耳を傾けた。

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