一章 王女の婚約と忍び寄る陰謀 2/10
────二日前。
捜査局デルヴェロー支局にオフィスを構える刑事部は、夜勤シフトの者以外にはテオを始めとしたアマルガム犯罪特捜班ぐらいしか残っていなかった。
自律型魔導兵器アマルガム。その詳細は機密情報として明らかにされていないが、戦艦級の主砲を担いで戦場を進む姿は何度か報道されている。彼らは戦場でしか運用されていない戦略兵器だが、なんらかのルートで流出していた。
無論、そんな巨大兵器が市街地を闊歩していたら大騒動になっているはずだが、彼らを悪用する連中というのはどうにも小賢しく、彼らを隠すことに長けている。アマルガムの、命令に忠実で周囲の物に溶け込むように擬態する性質は、犯罪に転用されると途端に厄介なものとなった。
テオたちは、そんなアマルガムを犯罪捜査の面から確保するために組まれた特別捜査チームだ。アマルガムを追跡するアマルガムという、特殊な人型兵器のイレブンを加えて、基本的に四人で動いている。
とはいえ、事件がなければテオたちも刑事部の一員として通常の捜査に参加していた。
その日は一つ事件を解決し、部長に報告書も提出して、あとは帰るばかりとなっていた。
「まったく、酷い目に遭ったよ……」
トビアス・ヒルマイナが首を押さえて呻いた。彼の豊かな栗色の髪は抵抗する犯人に掴まれたせいで酷く乱れ、髪を束ねていたリボンもくたびれている。エマ・カナリーは苦笑し、トビアスの首に湿布を貼った。彼女の細い肩を、柔らかな金髪が流れていく。
「髪を掴まれるだけで済んでよかったじゃない。危ないところだったのよ?」
「……いやまぁ、ちょっと無理した覚えはあるけどもさ」
トビアスは湿布を左手で押さえ、口を尖らせた。彼の左腕は肩から先が合成義体に代替されており、犯人が振り回したナイフは彼の機械関節に刺さったことで取り上げられた。ちょうど関節の隙間に刃先が挟まったから無事で済んだものの、少しでも狙いが逸れていたらトビアスは今頃胴体を滅多刺しにされていただろう。
テオは想像しただけで寒気がして、スーツの上から腕を撫でた。
「……これを機に髪を短くしたらどうだ? 何度目だよ、犯人に髪掴まれるの」
「絶対に嫌だ。僕の美学なんだぞ、この髪は」
トビアスは思い切り不満そうな顔をしたが、テオも顔をしかめて彼を指差した。
「お前の美学なんぞ知らん。髪一つで殉職率を上げるなんて馬鹿らしいと思わないのか?」
「髪を引っ張られたのがエマでも同じこと言ったのかい君は!」
「ああ言うね。でもエマはそんな無茶をしないから言う機会がない」
「もー、私を挟んで言い合うのやめてちょうだいよ」
エマが呆れながらブラシを取り出し、トビアスの髪を整え始めた。
「トビアスのこの髪型も長いわよね。アカデミーで初めて会った頃にはもう結んでたし」
「ザバーリオ……僕の故郷で昔流行ったんだよ、ロングヘア。試しに伸ばしてみたらしっくり来ちゃってさ。すっかり僕の定番になったんだよね」
「それで犯人に髪掴まれて殺されかけてたら世話ねえよ」
「君は本当にうるさいな」
「テオも素直に『心配した』って言えばいいのに、どうしてそんな言い方するの」
やいのやいの言い合う三人を、イレブンは静かに見守っていた。だがふと、彼女がエレベーターホールを振り返る。
「イレブン? 誰か来たか?」
テオは思わずイレブンの視線の先を追った。ちょうどエレベーターが到着し、刑事部オフィスに向かってくる人影が見える。
こんな時間に誰か、と顔を出したテオはぎょっとした。
デジレ・コルモロン中将。豪華客船に潜入した際に協力してくれた諜報部所属の軍人だ。
イレブンが陸軍式の敬礼をする隣で、テオも慌てて敬礼した。トビアスとエマも緊張した様子で姿勢を正す。コルモロン中将は鷹揚に片手を挙げてそれを制した。
「夜分にすまんな。君たちに、貸しを返してもらおうと思って。一つ協力してもらいたい」
「それは、構いませんが……まさかアマルガムが?」
にわかに緊張感の増すテオたちを見て、中将は厳しい表情を浮かべた。
「今はまだ、『可能性がある』としか言えんが……少々、困ったことになっていてな」
長い話になると察して、トビアスがコーヒーを淹れに行く。テオは彼に手振りで示してから、中将を会議室に案内した。
扉を閉め、念のため会議室の窓もブラインドで塞ぐと、ソファーに腰かけた中将は重く溜息をついてから口を開いた。
「イザーク城に王族の方々がお住まいなのは知っているかね?」
「そりゃあ、もちろん……一族代々、ずっとイザーク城で暮らしていると聞いています」
テオは眉根を寄せて頷いた。
アダストラ国が王制を廃止して百年以上経つが、国民の王族に対する関心は依然として高い。少し前にテレビで王族特集を組まれたばかりだ。首都の東にあるイザーク城は、歴史ある建造物としてもよく話題になる。
中将は頷き、深刻な様子で頷いた。
「その城で、忽然と人が消えている。この一か月だけで六人だ」
「六人は多すぎる……まだ、ニュースにはなっていませんよね」
「ああ。今は内密に処理されている」
中将は額を拭い、険しい表情をした。テオたちも緊張が増すばかりだ。
「ハーピシア第二王女殿下の婚約が、もうすぐ発表される。そんな時に事件の話はできんと、侍従長が独断で内密にしたそうだ。それに、最初は勤めて日の浅い女官や侍従が姿を消したことで、すぐに戻ってくると様子見していたらしい」
「……侍従も女官も、由緒ある名家の出身ですよね? そんな人間が簡単に職務放棄をするとは思えませんが……」
トビアスがコーヒーを配りながら言うと、中将はカップを受け取って答えた。
「数年に一度あるかないか、といった具合だが、そういうこともあるそうだ。長年世話をされる側だった人間が世話をする側になると、最初は王族に仕える名誉を喜んでいても、不慣れな生活に嫌気が差すようでな。侍従長は実家に連絡するだけに留めて、公にはしない方針だった」
「……では、今回もそのつもりで様子見を?」
「ああ。最初の一週間で男女三人が抜け出した時点で侍従長たちも過去の事例とは違う雰囲気を感じ取ってはいたんだが、実家にも戻っていないと連絡を受けてようやく事件として捉えたという次第だ」
失踪事件は、何よりも初動が重要視される。人間が姿を消して無事に帰ってくる確率は、失踪から二十四時間も経てばゼロに等しい。
様子見を選んだ侍従長を責めることはできないが、子供を勤めに出した家族の気持ちを思うとテオは言葉が出なかった。
中将は軽く息を吐いて気を取り直し、捜査ファイルをテオたちに渡した。
「六人が姿を消した時の状況と、場内の見取り図だ。それから、場内で働く者たち全員のアリバイもまとめている。家に一時的に戻った者もいるが、そちらは諜報部の捜査官たちが見張りとして残り、常に連絡を取れるようにした。城に入ってすぐに調べたが、魔導兵器の反応はない。事件性も、本当にアマルガムが関与しているかも分からない状態だ」
「でも、一か月で六人が自発的に姿を消すっていうのも奇妙な話ですからね」
「そうなんだ。……失踪したと思われる現場を調べたが、六人ともこれといった証拠がない。全員、蒸発したように消えている。これが人間による拉致の類だとしたらその道のプロだし、アマルガムによる仕業だとしたら現在どこにいるのか見当もつかない。お手上げだよ」
中将の表情は険しかった。
「アマルガムの反応は現在も城内で確認されていないが、最悪の事態も想定して捜査にあたってもらいたい。諜報部とは違う視点での捜査を期待しているよ」
「了解です。城内を調べることは可能ですか?」
「ああ。国王陛下が速やかな事件解決をお望みでな。君たちのために客室も用意してくださっている。そこを捜査拠点にして、真相を明らかにするまで滞在して構わないと仰せだ」
「ありがたい。全力で捜査にあたります」
「よろしく頼む。必要な情報があれば私に連絡してくれ」
中将とテオが連絡先を交換していると、中将は少し迷った様子でエマに顔を向けた。
「すまない。女性捜査官に頼みたいのだが、ハーピシア殿下の女官として傍についてもらうことは可能だろうか」
「女官って、王女様のお世話係ってことですよね? 他の女官さんはどうしたんですか?」
エマが目を丸くして尋ねると、中将はすぐに頷いた。
「失踪した者がハーピシア殿下の周囲に集中していてな。彼女の爺やが失踪して以来、殿下付きの女官が皆実家に戻ってしまったんだ。今は女官長が兼任して殿下の身の回りの世話をしているが、付きっ切りというわけにはいかない。殿下がお一人で過ごす時間はどうしても多くなってしまっている」
「……今回の失踪に犯人がいれば、王女様が標的になってもおかしくないですもんね。確かにちょっと心配か」
トビアスが深刻な表情で呟いた。エマもはっとした顔をするが、すぐに苦悩に呻く。
「いやでも私みたいな素人が王女様のお世話なんてできるのかな……」
「諜報部から女官役を派遣することもできそうですけど、それは?」
「最初に試したんだが、殿下は身辺警護を受け入れてくださっても、女官としては諜報部の捜査官を追い払う一方でな……」
中将も困り果てた様子だった。護衛と女官はどう違うのか、テオもすぐに思いつかず首を捻る。
「……何かトラブルでもあったんですか?」
「それが、殿下も詳しくは教えてくださらない。婚約発表を控えた中で謎の失踪が続き、爺やまで失踪した上に、長年仕えていた女官たちも城を出てしまって、精神的に参っているだろうに。女官は、殿下の無防備になる時間をお守りする存在だ。だからこそ最優先で女官役を送ったんだが……」
身近だからこそ捜査官を拒絶してしまうのか、あるいは明らかにされていない事情があるのか。テオたちには想像もできなかった。
だが、アマルガムと接触する可能性があるとすれば、選択肢は自ずと絞られる。
テオはイレブンの肩に手を置いて中将に言った。
「でしたら、イレブンを推薦します。器用な奴ですし、第二王女が何を問題視して女官を拒んでいたのかも探れると思います」
「それは……そうかもしれんが」
中将は意外そうな顔でテオを見てから、イレブンに目をやった。彼は「しかしなぁ」と唸る。
「……ナンバー・イレブンがどれだけ器用かは私も目にしているが、殿下の女官としてハウンドを配置するのは、少々気が引けるな」
イレブンは中将とテオを交互に見るばかりで、何も言わなかった。
ハウンド。それは、人の姿を取ったアマルガムだ。
通常のアマルガムを遥かに上回る性能を持った彼らは、主人に絶対の忠誠を誓う兵器だ。同時に、他のアマルガムの存在を察知して追跡する猟犬でもある。
要人の護衛として兵器を置こうと提案しているも同然だったが、テオとしてはイレブン以外に適任者はいないと確信していた。
それを察したか、中将はじろりとテオを見やる。
「責任者としては、どうかね。テオ・スターリング捜査官」
「……一介の捜査官と第二王女を並べるべきではないという指摘は百も承知ですが、イレブンは何度も俺の命を救っていますし、護衛対象を守り抜くという点で、彼女ほどの適任者はここにいません。平和祈念式典襲撃事件の際も、豪華客船での戦闘の際も、民間人を救助しながらアマルガムを排除した実績もあります。第二王女の護衛も、女官としての役目も、イレブンであれば務まると確信しています」
「では、そのハウンドに殿下の命を預けても問題ないと、そう言っているのだね?」
まばたきもなく中将はテオを見据えてそう言った。言葉を間違えたら終わりだと、言われずとも理解する。テオは浅い呼吸を整え、中将を見つめ返した。
「はい。俺は他のハウンドを知らないし、アマルガムなんて命令を過大解釈して暴れる化け物にしか見えていない。それでもイレブンだけは信用しています。アマルガムに対処する上でも、第二王女の言葉にしない事情に応じる上でも、イレブンに任せて間違いないです」
意識して、テオもまた中将を睨み返す。中将はしばらくテオの顔を覗き込むようにしていたが、ふと頬を緩めた。
「ずいぶん、ほだされたじゃないか」
「かっ、閣下、それは────」
「君の選択を尊重しよう。一時は私の姪だったわけだしな。女官としての身分も申し分ない」
豪華客船に潜入した時のことを持ち出されて、テオは咳払いをした。中将の姪として無邪気な令嬢を演じたイレブンは、そんなことがあった形跡一つ見せずにきょとんとしている。
中将は笑って立ち上がり、イレブンを見下ろした。
「猟犬を見れば、主人がどんな人間か分かる。ハウンドはそういう風にできている。馬鹿が付くほど実直な男がここまで信用するんだ、ハウンドもきっちり仕事はこなすだろうと私も期待できる。指摘はあるか、ナンバー・イレブン」
「いいえ、閣下。おっしゃる通りです」
涼しい顔で応じるイレブンの隣で「俺もしかして馬鹿にされてるのか」とテオは顔をしかめたが、中将は声を上げて笑った。
「では頼んだぞ。急ですまんが、早速明日から捜査を開始してくれ」
「……了解。何か分かり次第、報告します」
テオが言うと、中将はこちらに背を向け、軽く片手を挙げて会議室から出ていった。
残されたテオたちはソファーにもたれ、緊張からの解放感から溜息をつく。テオはやっとコーヒーを口に運んだ。少しぬるくなっていた。
「中将ともあろうお方が連絡もなしに直接来るとはな……」
「それも、とびきり責任重大な事件を抱えてね」
エマもコーヒーを飲み、リラックスした様子で髪を掻き上げた。彼女はふとテオに目をやってにやりと悪戯っぽく笑う。
「それにしても、見直したわ。あのテオが中将相手に、あんなに強くイレブンを推すなんてね」
「最初は一緒に捜査するのにさえ抵抗してたのにねえ。仲良くなって何よりだよ」
トビアスまで嬉しそうな顔で頷くものだから、テオは居心地の悪さに肩を竦めた。
「……別に、こいつの能力は認めてただろ。割と、最初から……」
「認めてたんですって! よかったわねイレブン!」
「やめろってそのノリ」
イレブンの頭を撫でるエマを構わず、テオは捜査資料を開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます