一章 王女の婚約と忍び寄る陰謀 4/10
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女官室にハーピシアからの呼び出しが入ったのは、ちょうどイレブンが着替える頃だった。
イレブンが真新しい女官の制服に袖を通すと、女官長が頷いた。
「サイズはちょうどよさそうですね。普段のお召し物と比べると動きにくいこともあるかもしれませんが、その辺りはいかがですか?」
「特に問題ありません。こちらをお借りします」
「何よりです。ではご案内いたします」
女官長は微笑み、イレブンを連れて女官室から専用の通路に出た。
広大な城の敷地内を素早く移動するために、城の地下は女官と侍従のみが通る専用の通路が張り巡らされている。城塞時代に作られた地下通路で、女官室も元は兵士たちの詰め所だったそうだ。
「……この通路を使った拉致、失踪という可能性はありますか」
「出入口は常に近衛兵が固めていますし、誰かが必ず行き来する通路ですから、人目を避けるのは無理でしょう」
女官長の言う通り、すれ違う侍従や女官の姿は少なくない。角の向こうから平均より速い靴音が聞こえて、イレブンは女官長の手を引いて足を止めさせた。
「どうされましたか?」
「いえ、少しお待ちを」
靴音に混じって陶器とトレーが擦れる音も聞こえてくる。イレブンが女官長の前に出ると、女官がちょうど足早に角を曲がってくるところだった。
彼女は驚いた顔をするとともに足をもつれさせ、トレーに並んでいたティーセットが浮く。
複数人の声が上がった。
イレブンは片手でトレーを奪って浮いたティーセットを受け止め、転んだ女官を肩と腕で支えた。少々音は立てたが、幸いこぼれていない。
「レディ、お怪我はありませんか」
「えっ……え?! あ、あ、ありがとうございます!」
女官は顔を真っ赤にして姿勢を正し、イレブンからトレーを受け取った。女官長が咳払いをする。
「……落ち着いた振る舞いを心がけるようにと指導しているはずですが?」
「はい! 申し訳ございません! 本当に、あの、し、失礼いたします!」
注意された端から女官は大急ぎで走っていく。また転びはしないかと見送ったイレブンに、女官長が小声で言った。
「新人が失礼いたしました、イレブン様。お許しいただけますでしょうか」
「はい、構いません。……移動を急ぐ事情があるのでしょうか」
「……特にないはずなのですが、同僚がいなくなった分を埋めようと空回りしていて」
気を取り直して、第二王女の部屋へ向かう。その道中、イレブンは再び女官長に尋ねた。
「先ほどの女官は失踪した三人の同期なのですか」
「はい。彼女は北棟で勤務していまして、最初に失踪した女官と交流があったと聞いています。失踪するほど思い悩んでいたのに気付かなかったと自分を責めていて……西棟と北棟を兼任する女官が出る度に、穴埋めをしようと熱心に働いています」
「……なるほど。お話を伺うと捜査の助けになるかもしれません」
イレブンは女官の名前をテオに送り、先を急いだ。
通路を抜けて西棟に出ると、近衛兵が目で応じた。第二王女の部屋は廊下の突き当りだ。
案内してくれた女官長に礼を言って、イレブンは一人でハーピシアの部屋へ向かった。教えられた回数だけ扉を叩く。
「ハーピシア様、イレブンでございます。お呼びでしょうか」
「……お入りなさい」
投げやりな声が少し遠くから聞こえた。
部屋に入ると、ソファーとローテーブルが視界に入った。小さなキッチンが作られ、クラシカルなカップボードにはティーセットが並んでいる。隣の棚に入っているのは菓子とティーキャディーだろう。本棚には海外の本も並び、王女の教養が窺える。
隙間の開いた扉から顔を出すと、寝室だった。小さなデスク、花柄のランプ。大きな窓の傍には長椅子が置かれ、外を眺められるようにできている。
肝心のハーピシアはゆったりとしたワンピース姿で、靴を放り出してベッドに仰向けで倒れていた。脚でも引っ掛けたのか、倒れたゴミ箱から丸められたちり紙が溢れている。
ぼんやりと天井を見上げるハーピシアの目は、真っ赤に充血していた。
指摘した方がいいか。しかし彼女の表情は『憂鬱』と『拒絶』が占めている。
「ハーピシア様。ご用件をお伺いします」
イレブンはそれだけ言うに留めた。ハーピシアは視線だけ寄越して、すぐに天井に向かって溜息をつく。
「……お茶が飲みたいわ」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」
イレブンは隣の部屋に戻り、棚からティーキャディーとポットを取り出した。どれも整然と並べられている。
このキッチンは、ハーピシアが爺やと慕う侍従の管轄だった。ハーピシアが紅茶を好むようになったのは侍従の影響らしい。イレブンが教わった紅茶の淹れ方も彼のものだ。
茶葉を蒸らしている間に部屋を確認したが、盗聴などの危険性はなかった。寝室に窓が一つあるだけで、通気口も見当たらない。ハーピシアの部屋は安全と見ていいだろう。
紅茶を淹れて部屋に戻ると、ハーピシアは仰向けのままだった。
(……よほど疲れているらしい)
イレブンはトレーをテーブルに置き、紅茶を注いだティーカップを持ってベッドに歩み寄った。この様子だと紅茶を飲むためだけにベッドから出るのも億劫だろう。
「お待たせいたしました。どうぞお召し上がりください」
ハーピシアはイレブンに促されるまま起き上がり、乱れた髪をそのままにしてカップに口を付けた。ピンクブラウンの長い髪がカーテンのように彼女の表情を遮っている。彼女はすん、と鼻を鳴らすと、目と鼻の周りを赤くして涙を滲ませた。
においは、記憶を呼び起こす。もしかしたら侍従を思い出したのかもしれない。
「侍従の淹れるものには敵いませんが、お口に合いましたでしょうか」
イレブンが声をかけると、ハーピシアは息を飲んで素早く目元を拭った。咳払いをして表情を改め、じろりとイレブンを見上げてくる。
「悪く、ないわ」
「恐れ入ります」
「お前は普段、捜査官をしているのでしょう? なぜ私の女官になったの?」
「中将が捜査依頼のためにお越しになった際、護衛兼女官として対応可能だった捜査官が、その場では私だけだったためです」
率直に答えると、ハーピシアは思わずといった様子でティーカップをソーサーに戻した。大きく目が見開かれ、アンバーの瞳がこぼれ落ちそうだった。
「それだけ? では、その場に居合わせたから、お前が来たということ?」
「はい。無論、ハーピシア様の身の安全を第一に考えた結果でございます」
イレブンは事実を伝えたつもりだったが、ハーピシアは「そう」と小さく呟き、また紅茶を飲み始めた。黙ってそれを見守っていると、彼女はまた口を開く。
「お前にとって、私が第二王女かどうかなんて関係なさそうね」
「なぜ、そのようにおっしゃるのですか」
「そういう目をしているのよ」
ハーピシアはイレブンを睨んで言う。否、眉と口元に力を入れて、威嚇している。
実のところ、彼女の発言は正しかった。
イレブンにとって、人間は主人とそれ以外でしかない。主人が大事にしている人間を、イレブンも大事にしているだけだ。
とはいえそのまま伝えるわけにもいかない。イレブンは慎重に言葉を選んだ。
「ハーピシア様が第二王女であろうとそうでなかろうと、事件が解決するまではお傍でお守りいたします。それが私の職務ですので」
嘘偽りなど一つもなかった。イレブンの言葉を聞いて、ハーピシアは少しだけ口元から力を抜く。しばらく見守っていると、彼女は紅茶を飲む度に力が抜け、やがて沈んだ様子で眉と口角を下げた。
「……皆、お前ぐらい正直であればよかったのに」
「他の方は違っていたのですか」
「臨時で来た女官は誰もが、何かを隠して、私や私の部屋をじろじろ見回していたわ。『ハーピシア様のために』『お心を支えるために』などと言って……どれも嘘ばかり」
勘のいい王女だ。
イレブンは声に出さずにそう認識した。
女官として送り込まれたのは諜報部の捜査官だ。並の演技力ではない。だが真相を明らかにしようと焦っていた彼女たちとその動きに、ハーピシアは不信感を持ったのだろう。
(下手な嘘よりも真実のみを伝えた方がいいか)
イレブンが報告方針を定めていると、ハーピシアは紅茶を飲み干して溜息をついた。
「……おかわりをちょうだい。爺やには及ばないけれど、お前の紅茶もなかなかのものよ」
「光栄でございます」
紅茶のおかわりを注いでいると、それを眺めていたハーピシアが尋ねた。
「……ねえ。イレブンという名前は、コードネームか何かなの?」
「いいえ。施設で十一番目の者でしたので、イレブンと名付けられました」
「……複雑な生まれなのね」
ハウンドの存在を伏せると、途端にイレブンの背景は曖昧になる。ティーカップを受け取ったハーピシアは、イレブンの瞳を覗き込んで呟いた。
「……綺麗な灰色。生まれつきなの?」
「はい」
応接室の時と同じだ。ハーピシアの眼差しには『懐古』がある。
「以前、お前と同じ瞳を見たわ。鋼と同じ色の、静かな眼差しだった」
「……キョウダイが多いので、その誰かでしょうか」
「秘密よ。でも、いつか聞かせてあげるわ」
少女らしく笑ったハーピシアは、すぐに『不安』で表情を曇らせ、俯いた。
「私に護衛が必要ということは、女官たちが家に戻ったのは正しかったということ? いなくなった彼らは、何か、恐ろしい目に遭ってしまったの?」
「……殿下。まだ捜査中ですので、私からは何もお伝えできません。ですが、捜査に進展があり次第、必ずお伝えいたします。特に、殿下の爺やについては」
ハーピシアは弾かれたように顔を上げた。紅茶がカップの中で揺れる。
「そう。是非、そうしてちょうだい。私にとって、家族同然なの」
「承知いたしました」
イレブンが応じると、ハーピシアは少し落ち着いた様子で紅茶を飲んだ。こくりと、彼女の細い喉が動く。その間にゴミ箱を立ててゴミを入れ直していると、「イレブン」と小さな声で呼ばれた。
「その……お前は、安直に騒ぎ立てることをしないわよね? 秘密にしてくれるわよね?」
「ハーピシア様がお望みでしたら」
「……爺やについて、一つだけ気になることがあるの。でも、失踪と関係があるか分からないし、騒ぎにはしたくなくて……内緒で調べてもらえるかしら」
「もちろんです、殿下」
ハーピシアは『苦悩』に眉をひそめ、サイドチェストから二つの紙を取り出した。
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