幕間 王女と猟犬の内緒話


 揃いの三つ編みにして、寝間着も色違いを着て、ベッドに並んで腰かけたイレブンとハーピシアは、じっと砂時計を眺めていた。砂が全部落ち切るまで、もう少し時間がかかりそうだ。


「……結婚しても、こうやってゆっくり紅茶を淹れる時間なんてあるのかしら」


「お相手の国にも紅茶を飲む習慣がありますから、お二人でくつろぐ時に淹れて差し上げたらよろしいかと」


 侍従愛用の砂時計の中で、青い砂がさらさらと零れ落ちていく。ハーピシアは、イレブンの肩に頭を預けるようにしてもたれる。


「……捜査が終わっても、残ってくれてありがとう。このまま一人で過ごしていたら、少し参ってしまいそうだったの」


「殿下の心は、添え木が必要な状態だそうです。今晩の添え木は、私が務めます」


「ふふ、頼もしいこと。……添え木という表現、私は好きだわ」


 ハーピシアは柔らかく笑い声を漏らして続けた。


「……目が回りそうな夜だったわね。私ったら、何も知らないのだもの。こんな身近に敵国の工作員がいたことも、あの鳥がずっと守ってくれていたことも」


「殿下に悟られぬよう、彼らも懸命だったからこそです」


「……爺やも、必死で隠していたのかしら」


 イレブンが身じろぎすると、ハーピシアは起き上がってこちらに向き直った。『寂しい』が彼女の顔中に広がっていた。


「……私、未だに分からないの。彼の本当の姿は、優しい爺やと、敵の工作員、どちらだったのかしら。私の前では本当に、誰よりも優しい爺やだったのよ」


「彼の本性は私も未確認です。しかし彼は、あなたを殺すことができる機会の全てを、あなたを慈しむために使いました。それが、何よりの答えではないでしょうか」


 ハーピシアは目を見開いた。何か言おうとした唇を噛み、俯いてしまう。


「……優しい爺やが、大好きだったの」


「はい」


「……怖い夢を見た時に、真っ先に駆け付けてくれる爺やが、大好きだったの」


「はい」


「……たとえ誰かにとっては怖い工作員でも、まだ、大好きでいてもいいのかしら」


「もちろんです、殿下」


 イレブンは短く肯定した。ハーピシアが顔を上げ、涙に濡れた目を向けてくる。


「彼は国益を問わず、あなたを慈しんだ。ならば殿下も、国益を問わず、彼を心の中でどう扱うのか、決めても構わないはずです」


「……お前を嫁ぎ先に連れていけないだなんて、残念だわ」


 ハーピシアはそう言って、小さく笑った。一粒だけ涙が頬を転がり落ち、彼女は視線を砂時計に戻す。


「紅茶を淹れるって、こんなに時間がかかるのね。爺やはあっという間に用意してくれていたような気がするのに」


「今回は茶葉が大きいものを使用していますから、その分、時間がかかりますね」


「そういうものなのね。……爺やにもっと紅茶について聞いておけばよかったわ。話すこともできずに、もう会えないだなんて」


「捜査官であれば、面会の機会はあります。私から侍従に頼みましょうか」


 イレブンの提案に、ハーピシアが驚いた顔で振り向いた。


「そこまでしてもらっていいのかしら」


「今夜はまだ、私はあなたの女官です。ハーピシア様」


 呆気に取られた顔をしたハーピシアは、すぐに笑ってイレブンにもたれた。


「では、爺やに紅茶の淹れ方と、茶葉に合わせた時間を尋ねてちょうだい。それから、茶葉の配分も知りたいわ。爺やのオリジナルブレンドがあって、私のお気に入りなの」


「かしこまりました。書面でまとめていただきましょう」


「お願いね。私、嫁いだ先でも爺やの紅茶を飲みたいの。それで、女官や子供たちにも淹れ方を教えるのよ。そしたらきっと、寂しくないわ。爺やも、喜んでくれるかしら」


「はい、きっと」


 砂時計の砂が、さらさらと流れる。その音が聞こえるほど静かな夜だった。


「……寝間着姿で紅茶を飲んで、ガールズトークで夜更かしだなんて。悪いことをしている気分で楽しいわね」


「そういえば、聞きたいことがあるとおっしゃっていましたね」


「そうなの、今のうちにお前に聞いておかなければいけないと思って。どうしたら皇太子殿下に恋をしてもらえると思う?」


「対策会議ですか。夜が明けてしまいそうです」


「お前はまだ私の女官なのでしょう? 夜明けまで付き合いなさい」


 ハーピシアがくすくすと笑う。そこに、王女の重責の影は見えなかった。



 この会話を知る者は他にいない。その安心感が、王女の心を軽くする。


 秋の夜は、恋を語るには少しだけ短い。

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