一章 王女の婚約と忍び寄る陰謀 10/10
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夜のイザーク城に、緊急車両が殺到する。保護された六人は救急車に乗せられ、テオを襲った女官はパトカーに押し込まれた。諜報部と捜査局の人間が右往左往する姿を眺め、テオはやっと一息つく。
襲撃に気付く間もなかったトビアスとエマは血相を変えて駆け付けて以降、テオに代わって諸々の対応をこなしてくれていた。
さくさくと草を踏みしめる音がする。テオの隣にやってきたイレブンは、まだ煤けた制服姿のままだった。
「アマルガムの引き渡しは?」
「無事に完了しました」
「お疲れさん。すぐ着替えると思ったよ」
「それが、殿下が『今夜は是非泊まっていってちょうだい』とおっしゃるものですから。その時に着替えて、制服も女官長に渡せばいい、と」
「ははっ、そりゃいい。王女のメンタルケアも大事だ。今夜は、傍についてやってくれ」
庭の縁石に、並んで腰かける。イレブンと一緒にいると、不思議と風や空に意識が向きやすかった。彼女が物静かだからだろうか。
「……正直、お前があの場に駆け付けるのは意外だった。てっきり王女から離れないかと」
「王女を守る人間は他にいても、アマルガムに対処できる人間がいません。そうであれば、私が追跡して対処すべき事項です」
「ああ、優先順位をつけるとそうなっちまうのか」
冷静な答えに納得していると、イレブンが続けた。
「あなたが無事で何よりでした。別行動をすると、こういうことも起こるのですね」
「……お前の前じゃ情けないところばかりかもしれないがな。俺だってちゃんと訓練を受けた捜査官なんだぞ。ある程度の相手なら戦える。人間の範疇に入ってりゃな」
「テオの戦闘力を低く見積もっていました。上方修正しておきます」
「俺のことなんだと思ってんだよこいつ……」
膝に頬杖を突いて、テオは不貞腐れた。まったく気にせずイレブンが言う。
「女官がテオを襲撃したことは予想外でした。自ら正体を明かす行動をするとは」
「……連中の目的は婚約破棄だ。発表という期限がある以上は、結局どこかで行動を起こさなきゃいけなかったんだろう。今回の女官も俺たち捜査官を排除しようってよりは、自分が襲撃犯になって強引に事件収束を狙った印象だ。俺はどっちかっていうと、コアが砕けてなお王女を守ったアマルガムに驚いたよ」
素直にテオの考えを伝えると、イレブンは「そうですね」と平坦な声で応じた。
「コアが壊れながらも『アダストラの民を守る』という命令を実行した。戦場の外にいるアマルガムは、今までの研究では確認できなかった事例がいくつも観測されています」
「……なんか感心しちまうよ。アマルガムって一途だな……」
テオは思わず呟いていた。
半年前にハーピシアを救ったアマルガムは、彼女が城に戻ってもなお命令に従い続けた。アダストラ国民に対する攻撃に反応して駆けつけ、結果的に彼女の暗殺を阻止してきたのだ。失踪者が殺されていなかった理由はひとえに、ハーピシアの望みは自国民の守護であり敵の殲滅ではなかったためだろう。
いつ肉体が崩壊してもおかしくないというのに、王女の願いを叶えるためだけに城の上空でずっと待機していたのかと思うと、テオは気が遠くなる。
イレブンも似たようなものだ。かつて彼女は、テオの致命傷を覆い、基地まで走り切れるように支え続けた。今もテオの精神的な傷を覆っている。テオは言葉にして頼んでいないのに、灰色の瞳はいつしか探るような目付きをやめて、ただ静かにテオを見守るばかりになった。
彼らの献身は、果たして「兵器だから」の一言で片づけていいのだろうか。
「……使用者への愛ってやつを感じるよ、お前らアマルガムには」
「人間は、そういう物語を好む傾向にありますね」
イレブンはぴしゃりとそう言い放った。こんにゃろ、とテオは彼女の頭をぐしゃぐしゃに撫で回し、戻ってきたトビアスたちを迎えた。
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翌日。
諜報部から連絡を受けて、テオとイレブンは侍従の病室を訪れた。
他の六人が諜報部の取り調べを拒む傍らで、彼だけは「第二王女を守った方とお話ができたら」という条件で応じたのだ。肝心のアマルガムは陸軍が回収したため、代理としてイレブンが呼ばれた次第だ。
諜報部の捜査官が同席する中、侍従は人のいい笑みを浮かべた。
「この度は、ご迷惑をおかけしました。姫様を守ってくださり、ありがとうございます」
「……あなたは最初から、王女を暗殺する気はなかったですよね」
テオが言うと、侍従は目を閉じて頷いた。
「グラナテマの工作員として働いたことは否定しません。ですが、『爺や』と慕ってくださるあの方に刃を向けることは、到底できませんでした。姫様は、私にとっても宝なのです」
「……それでも、動かざるを得なかったんですね」
侍従はシーツに包まれた膝で両手を重ね、「そうです」と穏やかに口を開いた。
「……四人が暗殺任務に失敗し、他の者たちは焦っていました。このまま任務を遂行できなければ、我らが父は、決して私たちを許さないだろうと」
「……『父』というのは、あなたの上司ですか?」
「はい。名前は誰も知りません。グラナテマにとって益のある人材は他国から拉致し、使えないと判断されればグラナテマの民も殺す……そんな厳しいお方です」
諜報部捜査官が急いでメモする傍らで、テオは眉をひそめた。とても「厳しい」で片付けられるような人物ではない。
「では、あなたが動いたのは最終手段だったのでは?」
「おっしゃる通りです。……ハーピシア様は、純粋に私を慕ってくださった。その立場を使い、姫様を亡き者にせよと、二人が言い出しました。私の次に失踪した近衛兵と、あなたを襲った女官です」
「だからあなたは、他の侍従より早く巡回に出た?」
テオが尋ねると、侍従は微笑んで頷いた。
「そうすれば誰かに会えるだろうと思いましたし……聡明な姫様は、すぐに怪しんでくださった。ただ、あの女官が駆けつけて任務を遂行するよう念押しして、人払いを始めてしまった。私は急いで自首しようと近衛兵を探したのですが、声をかける前に、背後から布とは違う何かに覆い隠されてしまいました。気付いたら、こちらの病院に」
「……なるほど、そういうことでしたか」
テオは静かに相槌を打った。
これ以上の取り調べは諜報部の管轄になるため、テオはせめてと思って侍従に声をかけた。
「何か、こちらで叶えられる希望はありませんか」
「そうですね……では、姫様に手紙を書いてもよろしいでしょうか」
侍従はそう言って、寂しそうに笑った。
「これから諜報部の方に全てお話ししますが、それが終わる頃には私の命はないでしょう。ですからせめて、姫様に今回のお詫びと、婚約のお祝いをお伝えしたくて」
諜報部の捜査官に目をやると、彼はすぐに頷いた。テオは病室にある便箋を侍従に手渡す。
「王女に、グリーティングカードを送っていましたよね」
「ええ。年越しの時に私が城にいないからと、姫様が寂しがってくださって。……馬鹿正直に別荘の住所を書いたのも、早く楽になりたかったからかもしれませんな」
侍従はしみじみ呟いて、便箋にペンを走らせた。最初から伝える言葉は決まっていたのだろう。その筆跡に迷いはない。
ずっと黙って傍らにいたイレブンが「あの」と声をかけた。
「この場で申し訳ありませんが、紅茶の淹れ方や茶葉の配分もまとめていただけませんか」
「もちろん構いませんが……それはまた、どうして」
侍従はきょとんとした顔で尋ねる。テオも気になって視線をやると、イレブンは表情を変えずに応じた。
「ハーピシア様が、嫁ぎ先でも爺やの紅茶を楽しみたいとお望みです」
淡々と語られる、王女の小さな我儘を聞いて、侍従は目を見開いた。やがて彼は眼がしらを押さえ、何度も頷きながらペンを執る。
「……そうですか、そうですか。いくらでも書きますとも。まさかこんな爺の紅茶を、お嫁入りのお供にしてくださるだなんて……はは、本当に、姫様は……」
侍従の声は震え、彼はやがてペンを取り落として両手で顔を覆った。痩せた背中が丸くなり、嗚咽に浅く上下する。
テオは思わず、まだインクの乾いていない手紙を見下ろした。
そこには、姫が産まれた時からその成長を見守ってきた爺やの、素朴な愛情と祝福の言葉が書き連ねられていた。
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