幕間 迷子騒動


 買い物を終えてテオが店を出ると、子供の泣き声がした。迷子だろうか。辺りを見回してもそれらしい子供の姿は見えず、テオは眉根を寄せる。


(……事件性がなければいいんだが……)


 子供はよく泣くものだ。そして同時に、何かと狙われやすい存在でもある。ただ親とはぐれただけならばいいのだが。


 イレブンとの待ち合わせ場所に向かって歩いていたテオは、ふと、泣き声も近付いてくることに気付いた。


 見れば、無表情のまま買い物袋を抱えているイレブンと、顔を真っ赤にして泣きじゃくる幼い女の子が並んで立っていた。通行人がたまに視線をやるものの、イレブンはじっと立っているだけで、女の子はイレブンのスカートをきつく握りしめて離さない。女の子が力一杯抱きしめているせいで、クマのぬいぐるみは首が折れてしまっていた。


 イレブンはテオに気付くと歩み出そうとしたが、スカートを握った女の子がさらに激しく泣くため、同じ場所に立ち尽くすばかりだった。テオは慌てて駆け寄る。


「どうしたんだ、その子」


「迷子のようなのですが、質問に答えることができず、ずっと泣いています」


「そうか。よく保護したな」


 テオはイレブンの頭を軽く撫でてから、女の子と目線を合わせてしゃがんだ。


「お嬢ちゃん、もう大丈夫だよ。このお姉ちゃんと一緒に待っていてえらかったね。このバッジ、見たことある?」


 ぱっと目の前に捜査官バッジを出すと、気を取られた女の子がしゃくり上げながら視線を移した。涙でぐしょぐしょに濡れた目をまたたかせる。


「……おまわりさん?」


「そう、よく知ってるね。その子は君のお友達? 可愛い子だね」


 抱いているクマのぬいぐるみを示して言うと、女の子は小さくはにかんだ。


「……いちばんのなかよしなの」


「そうなんだ。じゃあ今日は、お友達と二人でおでかけかな?」


「ママといっしょ」


「じゃあ、ママと一緒にどのお店に行ったか分かる?」


 そこまで尋ねると、女の子は首を横に振って、また目に涙を浮かべた。テオは彼女に聞こえないように溜息をつき、笑顔を作る。


「ママと約束していたことがあるんじゃない? ママが見えなくなったらこうしなさいって、言われたことないかな?」


「ない……」


「ないか。そうか。じゃあ、例えばママは、赤いスカートをはいていた?」


「ううん、きいろのおズボン」


「そっか。じゃあ、白いシャツを着ていたんじゃない?」


「うん。あのね、レースがひらひらしててね、おむねにビーズがきらきらしてるの」


「ママの髪は、どれぐらいの長さ? このお姉ちゃんより長い?」


「ううん。えっとね、ここまである」


 そう言って、女の子は自分の肩辺りを示した。これで母親の特徴は聞き出せたが、問題はどうやって居場所を特定するかだ。周りの店に一つずつ聞いてもいいが、下手に動くと母親と入れ違いになる可能性もある。


 どうするかな、と思案していたテオの肩が叩かれた。イレブンが囁く。


「遺伝子情報を頼りに母親を探すことは可能です。許可をいただけますか」


「……この人混みの中でも大丈夫なのか?」


「はい。外見の手掛かりもありますし、範囲も狭いので」


 この程度のことで乱用していい能力ではなかったが、女の子が再び不安そうに涙ぐんでいるし、そろそろ通行人の視線も痛くて、テオは渋々頷いた。


「分かった。頼む」


「許可をありがとうございます。……レディ、少しよろしいですか」


 イレブンはその場に買い物袋を置いて片膝を突いた。スカートを握り締めていた女の子の手を握って外し、頭を撫でる。


「私が今からあなたのお母様を連れてきます」


「ほんと? ママがどこにいるかしってるの?!」


「静かに。魔法が消えてしまいます」


「まほう……?」


「お母様を見つける唯一の魔法です。他の人に知られては消えてしまいますから、この人と一緒に、静かに、待っているのですよ。できますね、レディ」


 イレブンの言葉で、女の子ははっとした様子で自分の口とクマのぬいぐるみの口を塞いで頷いた。それを合図にイレブンが駆け出す。


 彼女の長いホワイトブロンドの髪が人混みに消える。それを見送ってやっと女の子がテオに尋ねた。


「おねえちゃんは、まじょのおまわりさんなの?」


「……まあ、そうかな……」


 きらきらした幼い目を裏切ることもできず、テオは苦笑して頷いた。


 小さな子供の掴みどころのないお喋りに相槌を打っていると、慌ただしい足音が聞こえた。顔を上げると、買い物袋を腕にさげた女が血相を変えて駆け寄ってくる。女の子はそれを見て途端に笑顔になり「ママ!」と声を上げた。


「ママ、どこいってたのー?」


「それはこっちの台詞よ! ああもう、本当に無事でよかった! 捜査官さん、うちの子を保護してくださってありがとうございます。もう、なんてお礼をしたらいいか……」


 娘を抱き上げ、女は涙目で言った。恐縮しきりの彼女を宥め、女の子には「お母さんから離れないように」と言い含め、親子を見送る。


 それを静かに眺めていたイレブンは、二人分の買い物袋を抱えてテオを見上げた。


「子供の相手に慣れているのですね」


「……別に。故郷じゃ、年下の子の面倒を見るのは当たり前だっただけだ」


 正面から言われてしまうと少し恥ずかしい。テオは咳払いして「それより」とイレブンを見つめ返した。


「保護者探しのためだけにやってよかったのか、遺伝子情報での捜索なんて」


「髪の毛を一本いただいただけですし、取得した情報は既に削除しました。個人情報保護の観点からも、ハウンドの運用においても、問題はありません」


「……俺いつか怒られるんじゃねえかな、偉い人から……」


 テオは荷物を受け取ろうと手を伸ばしたが、イレブンは腕を動かして荷物を遠ざけた。一歩踏み出すと、彼女は一歩遠ざかる。


「……おい」


「持ちます」


「俺の格好がつかんだろう」


「つきます」


「つかない」


「つきます」


「だから……おいイレブン走るな! 荷物を持たせろ! こら! イレブン!」


 テオを無視して走り出すイレブンを慌てて追いかけた。

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