幕間 月曜日のもふもふ
捜査局デルヴェロー支局刑事部のオフィスは、今日も慌ただしい。
テオたちも書類仕事を抱えているというのに、トビアスはデスクに突っ伏したまま動かなかった。日課のコーヒーも飲まず、朝からずっと同じ調子だ。
「……ねえ、テオ。声かけなくていいの?」
「……お前こそ何か言いたいことがあるなら言ってやれよ」
少し離れたところから、テオとエマは声を潜めてトビアスを見守っていた。彼に割り振られた書類もあるのだが、デスクに積まれてから一枚も減っていない。
「……どうせ、あれだろ? ほら……」
「……まぁ、彼があんなになるなら、間違いなく、ねえ……」
二人して溜息をついた。こういう時、言葉でしかコミュニケーションを取れないのはもどかしい。人には時に、言葉よりも必要なものがあるのだ。
「……イレブン。トビアスに『今すぐ欲しい物はないか』って聞いてきてくれ」
「了解しました」
電話対応を任されていたイレブンは、すぐに立ち上がってトビアスのデスクまで向かった。イレブンはトビアスに何を言われたのか、きょとんとした顔で戻ってくる。
「テオ。『でっかいもふもふの猫ちゃん』に擬態する許可をいただけますか」
「……天井に頭がつかないサイズなら、いいぞ」
「了解。少々スペースをいただきます」
イレブンはそれだけ言って、トビアスのデスク隣にあったウォーターサーバーやゴミ箱、観葉植物を壁際に移した。
彼女が一歩、トビアスの方へ近付く。
その爪先から黒い布がいくつも広がり、彼女の姿を覆い隠した。やがてその布の下から真っ白な猫の脚が伸び、カーペットを四本の足が肉球とともに踏みしめる。布が背中の方へ消えていく頃には、耳の先だけ黒い白猫が闊歩していた。
ただし、尖った耳は天井に擦れ、尻尾の一振りで書類が飛びかねないほど巨大である。
「お待たせしました、トビアス。『でっかいもふもふの猫ちゃん』、です」
デスク近くの床に香箱座りをして、イレブン(巨大な猫)が言った。仰け反って椅子を蹴倒しながら立ち上がったトビアスは、しばしの硬直を経て、言葉にならない声を上げながら全身で白い毛並みに埋もれる。
テオの位置からは「白い中になんだかトビアスっぽい色のものが見える」という情報しか得られなかったが、成人男性のシャレにならない本気の嗚咽が聞こえてきた。安心してコーヒーを淹れに行く。
「イレブン。悪いが午前の業務はそれだ。トビアスを頼む」
「了解しましたが、トビアスはなぜ泣いているのですか」
「話すと長いから無視していい」
二人分のマグカップにコーヒーを注ぎ、安心した顔のエマにカップを手渡した。
「ありがとう。……これで落ち着くといいんだけど」
「……久しぶりだもんな。今度こそ長続きすると思ったんだが」
ホットコーヒーを飲みながら、テオもエマも溜息をついた。
トビアスは、恋人と長続きしない。
彼も忙しい傍ら、連絡を欠かさず、交際相手には真摯に愛情を注いでいるのだが、毎回相手から別れを告げられ、こうして職場でも落ち込んでいる。どの恋人にも本気で入れ込んでいるものだから、盛大に傷付くのだった。
今回の恋人は捜査官の忙しさにも寛容で、もう一年の付き合いだった。付き合いの長さに比例して傷も大きくなるのか、トビアスの意気消沈具合は過去最大だ。
テオは隣にエマしかいないこともあって、正直に呟いた。
「別れた理由、かっこつけすぎたせいかな」
「絶対、世話を焼き過ぎたせいよ。嫌いな食べ物を克服できるメニューにこだわったとか」
「あー。親みたいってフラれたことあったもんな。それか」
猫の毛並みの谷から聞こえる嗚咽がさらに酷くなった気がした。
落ち込むトビアスなんて刑事部ではお馴染みの景色だったが、今日はやけに騒がしい。
見れば、イレブン(巨大な猫)に気付いた捜査官が、我も我もと毛並みを堪能しに集まっていた。尻尾で撮影を拒否された捜査官が幸せそうな悲鳴を上げている。
「……のどかでいいな。部長は頭の血管切れそうになってるけど」
「あの顔なら、あと十分ぐらいは大丈夫よ」
電話が鳴らない刑事部の、束の間の平和な時間だった。
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