一章 王女の婚約と忍び寄る陰謀 6/10


     ■


 エマたちはグリーティングカードの住所を頼りに、静かな避暑地へと進んでいた。賑やかな宿泊施設や繁華街はあるものの、明るいのはごく一部だけだ。山に向かうほど街灯は少なくなり、秋の虫が鳴いている声がする。


「この辺りって、観光地なのかい?」


「花や紅葉の季節は結構人気なのよ。山の方は静かなんだけどね」


「なるほど、だからこっちは他より暗いのか」


 山道を抜けると、開けた場所に着いた。


 目の前にあるのは立派な屋敷だ。門は開いたままになっており、いくつかタイヤの跡もある。


 捜査局のジャケットを羽織って車から降りた。懐中電灯で辺りを照らし、タイヤ跡を避けて屋敷に近付く。


 扉の前までやってくるが、人が住んでいる気配は感じられなかった。郵便受けは請求書やダイレクトメールが詰め込まれたまま埃をかぶっている。


 呼び鈴を鳴らしてみたが、返事はなかった。施錠して、完全に放置しているのだろうか。


「……鍵屋を呼びましょうか?」


 エマがそう提案すると、トビアスは肩を竦めた。


「このタイプの鍵ならそれには及ばないよ。でも、どこか開いている窓や勝手口がないか探してからでもいいんじゃないかな」


 そう言って歩き出したトビアスの後ろをエマはついていった。



 懐中電灯で照らしながら、屋敷の外周を歩く。窓はどれも分厚いカーテンで覆われ、室内は見えない。魔術の気配もなく、監視カメラも設置されていなかった。


 裏手にあるガレージは、意外にも開いたままになっていた。薪が積み上げられており、ドラム缶で焚火をしていた形跡がある。乾いて固まった泥が、複数人の足跡を記憶していた。



 ガレージから山の方へ歩いていくと、芝生も泥で汚れていた。敷地の外は舗装されていない獣道が続いており、そちらも踏み荒らされている。ここから出入りしていたようだ。


「……物凄い数の足跡ね。大人と子供が混ざってる」


「この辺りで最後に雨が降ったのは……二週間前。爺やさんが失踪した翌日だ」


 携帯端末で天気情報を確認して、トビアスが呟いた。エマは眉をひそめる。


「爺やさんから連絡がなくて、慌てて拠点を放棄したのかしら」


「分からないが、突入する理由は増えたね」


 ガレージに戻り、足跡を消さないように気を付けながら辺りを調べた。


 表から続くタイヤ跡は、車止めのブロックで止まっていた。他には薪と枝、新聞紙の束、工具、灯油タンクが置かれているぐらいだ。


 屋内に繋がっているらしい扉に鍵はなく、小さな窓が付いていた。懐中電灯で照らしながら除くと、廊下が見える。


「エマはここから頼む。僕は表から」


「分かった、気を付けてね。無線は?」


「大丈夫、持ってる」


 トビアスは無線機を見せて笑い、屋敷の表へ戻っていった。エマはそれを見送り、無線機の電源を入れてインカムを着ける。魔法小銃を構えたら、準備完了だ。



 無線でタイミングを合わせ、同時に屋敷に突入した。


 屋内は静まり返り、人の気配はなかった。だが、床も泥の足跡が大量に残っている。


 誰か隠れていないか。何か危険な物はないか。素早く目を走らせて確認を済ませた。



 奇妙な別荘だった。ガレージ近くには簡易ベッドの詰め込まれた寝室と広いだけのリビングがあり、空の段ボール箱が詰め込まれた物置と、大人数で使用する前提のシャワールームもある。別荘というより、宿舎のようだ。


 廊下の突き当りには扉があり、こちらから鍵を開けることができそうだった。


「安全を確認。廊下の扉を開けるわ」


『──了解、こちらも安全だ』


 トビアスの返事を聞いてから、エマは鍵を開け、慎重に扉を引いた。「エマ」と声をかけられるとともに懐中電灯の光を向けられ、やっと緊張を解く。


 一階の安全は確保した。次は二階だ。


「立派な応接間やキッチンはあったが、家具は全部撤去されてたよ。そっちは?」


「宿舎みたいな作りだわ。大人数で共同生活する設計の」


「鍵をかけて表からは入れないようにしていたし、秘密のビジネスでもしていたのかな」


 細かい確認は後回しにして、手早く二階も見て回った。埃が積もっているだけで、足跡はない。見る限り侍従が一人で利用していたようだ。


「……本当に誰もいないのね」


「ああ。泥の足跡も、表や二階にはない。裏にだけ出入りしていたんだろうな」


 銃を収め、改めて一つずつ部屋を見て回った。


 侍従は読書家だったのだろう。とにかく本棚が多い。書斎は背の高い本棚で壁が埋まり、浴室にまで大きな本棚がある。どれもぎっしりと本が詰め込まれ、あらゆるジャンルが揃っている印象だ。


 その中でも多いのが、アダストラの歴史を扱ったものだった。特に戦争や、失敗した革命に関する本が目立つ。


 書斎机には写真立てが置かれていた。幼いハーピシアと一緒に城の庭園で撮影されたらしい写真。そしてもう一つ、荒野で撮影された少年兵たちの写真だ。少年兵の写真はずいぶん古く、侍従の面影を残した少年が銃を抱えてはにかんでいる。


 エマは思わず写真立てを手に取った。埃が舞って小さく咳き込む。


「……これ、どこの軍隊かしら。みんな小柄だわ。十代前半より下かも」


「未成年者を戦場に出すのは国際法違反だろうに、一体どこの軍だ?」


 トビアスは顔をしかめ、エマの隣から写真を覗き込んだ。


「国旗どころか、バッジもなし。王女様と撮った写真と並べてるってことはそれだけ大事な写真なんだろうけど……経年劣化的に、本人のものかな」


「でも、彼の経歴に従軍経験なんてなかったわ。兵隊さんごっこの写真って可能性はある?」


「いやー銃や装備が本格的すぎる。少年兵だった過去を隠していたとかかな」


「……書類にはない、封印された過去かしら。調べられるといいけど……」


 エマは写真を携帯端末で撮影し、写真立てを戻した。残るは寝室だ。


 ベッドは大きな布で覆われていたから、他の家具から確認した。サイドテーブルには読みかけの本とテーブルランプが置かれ、他はクローゼットが二つ並んでいるぐらいだ。片方は防虫剤が入っているだけで何もなく、もう片方は両開き部分のみ鍵がかかっている。引き出しはどちらも開くが空だった。


「クローゼットに鍵って珍しいわね。金庫代わりに使っていたとか?」


「別荘にそんな貴重な物を置いておくかな……まあ、開けてみよう」


 そう言って、トビアスは合成義体の腕に触れた。手首の凹みに指を引っかけ、前腕のカバーを外すと、ピッキング用のツールと多機能ナイフが覗く。


「……いつも助かってるけど、合成義体をそういう使い方する人って他にいるの?」


「いるよ、もちろん。まあ確かに、こうやってツールを持ち歩いてる人は少ないだろうけど……元々は仕込み武器を入れるスペースだからね」


 トビアスは苦笑しつつ、手早くクローゼットの鍵を外した。両開きの棚を開いて、エマは目を見開く。



 そこにあったのは、祭壇だった。



 質のいいクッションに丸く磨かれたタラスカイト鉱石の原石が鎮座し、その手前には蝋で固められた血と赤く錆びた針が捧げられている。左右対称に黒い蝋燭が置かれ、背板には血で文字が書かれていた。



 ぞっとして、エマは思わず後ずさりした。背中がトビアスにぶつかり、肩を支えられる。


「ど、どうしたんだい?」


「……ごめんなさい。ちょっと、びっくりして」


「そうだね。なんだか異様だ。パワーストーンの飾りにしては悪趣味だし、血文字もどこの言語か分からないな」


 トビアスの言葉を聞いてエマは我に返った。そうだ、普通は分からないのだ。


「グラナテマっていう国の宗教で、こういう祭壇を作るの。たぶん、戦勝祈願の祭壇ね」


「長年の敵対国がここで出てくるとはね。文字の意味は分かる?」


「……『子の命は父のもの』って意味。文字通りの血縁関係ではなくて、あの国では特定集団のトップを父、それに従う人間は全部その子供、兄弟姉妹として捉えるの。この言葉をそのまま解釈すれば、トップの人間に命を捧げる宣言ね……」


 説明しながら、エマの声はどんどん小さくなった。


 そんな祭壇が、アダストラ国内にあるだなんて、明らかにおかしい。



 グラナテマ。南の方にある大国だ。広大な国土のほとんどが砂漠と荒野に占められた、厳しい環境の国。技術の発展で人工的な緑地は増加傾向にあるものの、農作物を自給するには至らず、輸入依存が顕著となっている。


 苦しんだ民は豊かさを求め、豊富な鉱物資源を武器に、幾度も戦争を繰り返して周辺諸国を占領してきた。


 大陸戦争もまた、そんなグラナテマによる侵略戦争から始まったのだ。



 男の声が耳の奥で蘇る。


『グラナテマは悲劇の地だ。この乾き切った大地に我らは追いやられた』


『かつてこの大陸は我らの物だった。豊かさは全て奪われたのだ』


『憎きアダストラ。我らの豊かさを奪い貪る下賤な者ども』


『これは聖戦だ。アダストラから我らの美しい国、豊かな国を取り戻すのだ』


 彼の声はいつも恨みで歪んでいて、被害者意識にまみれていた。



「エマ? 大丈夫かい?」


 トビアスに心配そうに声をかけられ、エマは慌てて「ええ」と応じた。


「この祭壇が、ここにあるってことは……爺やさんはグラナテマに与する人物ってことになるなと思って」


「そうだね……そんな人物がどうして城で侍従なんてできたんだろう。諜報部が見逃すわけないと思うんだけど」


「少年兵のことといい、裏を感じるわ。……別荘にまだ何かあるかも」


 エマは祭壇も携帯端末で撮影し、トビアスと一緒に部屋を出た。


 トビアスが「それにしても」と明るく言う。


「鉱石を祀ってるのはお国柄なのかな」


「そうね……昔から鉱産資源の豊富な国だから、信仰にも影響が出たのかもね」


 彼の分かりやすい気遣いに、エマは乗ることにした。懐中電灯で足元を照らしながら、二階から一階へと向かう。


「さっきの石は、アメジストにしては黒っぽいし、少し変わった石だったね」


「たぶん、タラスカイトだと思うわ。竜の毒液がマグマと接触して、噴火と一緒に地表へ急上昇したら結晶化するの。グラナテマでしか産出されていない、珍しい石よ」


「……もしかして毒がある?」


「ふふ、私も小さい頃はそんな想像して怖かったなぁ。鉱石として見つかる頃には、時間と熱ですっかり無毒化されてるんですって」


 そんな豆知識を話しながら、一階を見て回る。トビアスの言う通り家具はほとんど撤去されており、侍従が使用していたのは書斎と寝室、浴室だけのようだった。


 残るは廊下の扉で仕切られた、宿舎らしき謎の区画だ。


 泥の足跡は、ガレージから物置や寝室を行き来していた様子だった。壁の日焼け跡や埃の濃淡を見るに、多くの物を動かした形跡もある。侍従の失踪を知って、慌てて出ていったというところか。


 ガレージや物置に放置された空き箱はほとんどが食糧や日用品だったが、中には銃火器を入れていた箱もあり、エマたちは背筋を冷やした。


 一体、どんな集団がここを利用していたのか。


 リビングは重たそうな本棚と使い古された暖炉だけが残っていた。かつてこの区画でどのような生活が送られていたのか、探ることは難しい。


 ただ、他の部屋を見て戻ってきたからだろうか、妙な臭いを感じていた。


「……これ、腐敗臭?」


「確かに……こっちからするな。本棚から?」


 トビアスの指摘に従って本棚に近付くと、臭いは強くなった。手をかざすと、本棚と壁の隙間から風を感じる。本棚の向こうは壁ではない、空洞だ。


 エマはトビアスと視線を合わせ、魔法小銃を構えた。トビアスが本棚を押す。重そうなのは見た目だけで、トビアスが片手で押しただけで本棚は壁に沈んだ。


 やはり隠し扉だ。


 壁に向かって隠し扉を押し開けると地下へ続く階段が現れ、臭いはさらに酷くなる。


 慎重に暗い階段を下ったエマとトビアスは、その先で立ち尽くした。



 クローゼットに隠されていた祭壇よりも大きなものが、部屋いっぱいに設置されていた。


 簡素な台には蝋で固められた血と汚れた針が山ほど捧げられている。


 赤い座布団に鎮座したタラスカイト鉱石の巨大な原石。


 その背後で、三つの影が縄を鳴らして揺れている。




 男が一人、女が二人。


 彼らは、全身の皮を剥ぎ取られた状態で、首を吊っていた。

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