一章 王女の婚約と忍び寄る陰謀 7/10


     ■


 翌日。


 侍従長から許可を得たテオは、城の者たちが仕事に出る午前中を利用して失踪者の部屋を探っていた。


 勤続年数の短い侍従たちや使用人は四人部屋。近衛兵は二人部屋。王女の爺やである侍従は一人部屋。他人の目がある部屋ほど隠し場所は少なく、テオが目当ての物を見つける時間は短かった。


 棚で隠した壁や着替えの中、二重底を作った引き出し、それら全てを暴いてテオは顔をしかめた。



 失踪した六人の部屋からは、蝋で固めた血と赤く錆びた針、そして親指ほどの大きさはあるタラスカイト鉱石の原石が見つかった。


 侍従の別荘にある祭壇で確認された物と同じだ。



 エマが魔導士協会に所属する専門家に連絡を取ったところ、これらはグラナテマで戦勝祈願のために使われる物らしい。


 神に見立てた鉱石に、自分の血とそれを流すために使った針を捧げて、献身を示す。流れた血の分だけ祖国は勝利を得られる、という考え方が基礎にあるそうだ。


 失踪した六人全員がグラナテマの戦勝祈願を行っていたことを意味する。


 第二王女を長年にわたって支え続けた侍従までも、だ。



 テオはすぐにトビアスに連絡した。


「あったぞ、全員だ。そっちは?」


『歯の治療痕と遺伝子情報の鑑定によって、遺体の身元は特定された。最初に失踪した三人だと確認できたが、彼らは死後二か月が経過している。……夏季休暇で帰省したその日に殺害され、全身の皮を剥ぎ取られたんだ』


「ぞっとするな。……グラナテマは長年の敵対国だ、ろくな文化交流もない。研究者がいるだけ奇跡的だ。そんな国の宗教を信じる六人が偶然城で働いているとは思えない」


 テオが言うと、トビアスは「つまり」と唸った。


『六人ともグラナテマの人間で、城内で何か行動を起こしたが、失敗して姿を消したってことだ』


「おそらくな。だが、グラナテマ出身の人間を諜報部が見落とすとは思えない」


 テオは壁にもたれ、思わず呟いた。



 失踪した最初の三人が別人だったと、気付くことは難しい。他人に似せた精巧なマスクなどいくらでも作れるこの時代に、殺して皮を剥ぎ取って入れ替わるなんて前時代的な手段を選ぶだなんてテオだって想像できなかった。


 また、血や針が見つからなかったことも仕方ない。諜報部は失踪理由を特定するために部屋を調べただけだ。テオも「彼らは他人にバレたら舌を噛み切って自害するような秘密を隠している」という前提で探さなければ見つけることはできなかっただろう。


 最初の三人は死体の皮を奪って潜入した。では残りの三人──使用人と侍従と近衛兵は、諜報部による審査をどのようにして潜り抜けたというのだろう。


 王族に仕える者たちは厳しい身辺調査を経て、安全を確認してから登用される。使用人であってもだ。たとえ本人がどれだけ善良であろうと、他国のスパイとして利用されかねない要素が一つでもあれば、安全のために必ず排除される。



 諜報部による厳しい調査を掻い潜ることのできる凄腕の工作員だとしたら、それもまた疑問が残る。


 そこまでの腕を持つ三人が、なぜ今まで潜伏を続けてきたのか、説明ができないのだ。行動する機会はいくらでもあったはずなのに、彼らは王族を害することなく失踪した。


 特に第二王女から爺やと慕われている侍従だ。彼がグラナテマに与する機会はいくらでもあったのに、第二王女は一つも傷を負っていない。



 テオはトビアスたちに捜査の続行を頼み、中将に連絡した。


 侍従が所有する別荘で発見された遺体と祭壇、失踪した六人が共通して所持していた物、そして失踪したはずの三人が二か月前に亡くなっていたこと。全て報告すると、中将は息を飲んだ。


『では二か月も前から、グラナテマの工作員が潜伏していたのか』


「おそらく。殺害してでも潜り込むというのは相当です。グラナテマが強硬手段を取るほどの理由についてご存じですか?」


 テオが尋ねると、中将は低く唸った。少し電話が離れ「人払いをしてくれ」と指示してからしばらくして、彼は口を開く。


『……ハーピシア姫の侍従について、明確に、グラナテマ側の人間と分かったのか?』


「はい。彼が第二王女に攻撃しなかったことも事実ですが、彼の別荘で祭壇は作られ、三人の遺体が捧げられていた。それに、彼は第二王女から婚約の話を聞いて、夏季休暇の初日に婚約を破棄するよう迫る脅迫状を書いているし、帰省した三人は偽の同窓会に呼び出されて殺害された。侍従から情報が漏洩していなければできないことです」


 中将は深く長い溜息をついた。彼の苦悩を物語っていた。


『……おそらくだが、婚約相手の国を知って阻止に動いたのだろう』


「それほどグラナテマにとって重要な国なのですか?」


『その国の水資源を狙って、グラナテマは何年も戦争を仕掛けている。今回の婚約はグラナテマの侵略に備え、同盟関係を強化するために持ち掛けられた。グラナテマの動きは年々活発になっているからな。両家は合意し、姫と皇太子殿下の婚約は決まった』


 中将はそう語り、低く唸った。


『……だが問題は、殺害してまで入れ替わったのは三人だけという点だ。特に姫の爺や。彼が何年も城で勤務できたのは、由緒正しい家柄で優秀な成績を収めたからだ。工作員として生まれるかもわからん姫の婚約に備えて、何十年も城で潜伏していたとは思えん』


「俺もそれは疑問でした。諜報部の調査を掻い潜る手段があるんでしょうか?」


 電話の向こうで、中将が渋面を作っているのが声だけで伝わってくる。テオはエマたちが見つけた写真を思い出して尋ねた。


「侍従には少年兵だった過去があるかもしれないんですが、諜報部で調べることは可能でしょうか」


『少年兵?……そうか、もしかしたら……分かった、改めて六人の素性を洗ってみよう。城には他にもグラナテマの息がかかった者がいるかもしれん。くれぐれも注意してくれ』


「了解。また追って報告します」


 通話を切ってから、テオは細く息をついた。次の相手が一番躊躇われる。


 だが、話を聞かなければならない相手だ。


「……イレブン、今いいか? 王女に確認してほしいんだが────」


     ■


 イレブンが通話を終えて部屋に戻ると、ハーピシアは硬い表情で立ち尽くしていた。


「何か分かったのね?」


「……捜査官から報告です。ハーピシア様、どうぞおかけください」


 ハーピシアは引き結んだ唇を震わせ、ソファーに腰かけた。イレブンは水を注いだグラスを彼女に渡してから隣に座る。


「まず、ご依頼された筆跡鑑定の件です。簡易的な鑑定ですが、三人の捜査官が全員、同一人物の筆跡であると判断しました」


「……そう。いえ、私も予想していたことだもの、平気よ。でも、彼は本当に優しい爺やだわ。なぜ彼があんなことをしたのか、何度考えても分からないの」


 ハーピシアは顔をしかめた。置き去りにされた子供と同じ表情だった。イレブンは続ける。


「その動機に関して、質問と報告がございます。殿下はショックを受けるかもしれません」


 事前に宣言すると、ハーピシアは手を浮かせた。その表情には『不安』が強い。イレブンはハーピシアの手を両手で握った。人は接触で落ち着くことがあると学んでいる。


「侍従が殿下に送ったカードには住所が書かれていましたね」


「ええ、彼の育った家だと聞いているわ。年明けの挨拶がしたいと私が我儘を言ったら、住所を教えてくれて、毎年カードを贈り合っているの」


「その家で、三人の遺体が発見されています」


「っまさか、爺や?!」


 顔を真っ青にして、ハーピシアはイレブンの手に爪を立てた。イレブンは彼女の手を握り直して言う。


「侍従は依然捜索中です。発見された遺体は、最初に失踪した三名です。ただし彼らが亡くなったのは二か月前、夏季休暇で帰省したその日だと判定されました」


「なんですって? では、休み明けに来たのは……」


 ハーピシアの手が震える。彼女は愕然とした様子で言葉を失った。


「我々は、何者かが彼らを殺害し、入れ替わって城に潜入したと見ています。被害者は全員寡黙で、他人との交流がほとんどない人物でした。この殺害には夏季休暇までにちょうどいい人物を三人選び、帰省先で罠を仕掛ける必要があります。夏季休暇よりも前に殿下の婚約を知っていなければ、そもそも計画すらできないのです」


「……まさか……」


「殿下に送られた脅迫状と同じです。誰よりも早く殿下の婚約を知り、城内で別人が入れ替わっても問題のない人物を選ぶ機会がある人間は、現状、侍従のみです」


「────嘘よ」


 ハーピシアは声を震わせ、イレブンの手を振りほどいて立ち上がった。


「嘘よ、そんなことありえないわ!」


 彼女の目と口元には色濃い『動揺』があり、『驚愕』に頬が強張っていた。イレブンもソファーから立ち上がる。


「殿下、他に実行可能な人間がいない以上は────」


「お黙りなさい!! 爺やが私を裏切るものですか!!」


 激高したハーピシアは金切り声を上げ、グラスを持っていた手を振り上げた。制止する間もなく顔に水を浴び、イレブンは片手で目元を拭う。


 ハーピシアは肩で息をしてイレブンを睨んでいた。だが彼女の呼吸が落ち着くにつれて、顔を濡らしたイレブンと握りしめたグラスを見比べ、彼女は震える手でグラスを戻す。彼女の顔からは血の気が引いていた。


「ごめ、ごめんなさい、イレブン、ごめんなさい。私ったら、なんてことを……」


「いいえ、ハーピシア様。ただの水です、問題ございません」


「何か……ああ、ハンカチ。ハンカチなら……」


 ハーピシアは酷くうろたえた顔でハンカチを取り出し、そっとイレブンの頬に当てた。濡れても本当に問題なかったのだが、イレブンは大人しく身を任せる。


 顔を拭き終える頃には、ハーピシアの方が水をかぶったような顔をして立ち尽くしていた。


「……制服まで濡れてしまったわ。本当にごめんなさい」


「私こそ、申し訳ございません。不躾な報告でした」


「いいえ、いいえ……お前は自らの職務を果たし、私の言いつけを守って、分かったことを報告したのだもの。謝る必要など、一つもないわ……」


 そう言いながら、ハーピシアの目には涙が浮かび、薄い唇は噛み締めてなお震えていた。


 イレブンは彼女と目を合わせながら、ハンカチを握る手を包む。


「ハーピシア様。侍従とは幼い頃からご一緒に過ごされたはず。その彼が別人と入れ替わっていたら、きっとハーピシア様が最初にお気付きになられたことでしょう。何か変わった点はございましたか」


 イレブンが尋ねると、ハーピシアはくしゃりと顔を歪めた。その拍子に涙がこぼれ落ち、ハーピシアはイレブンの腕の中に崩れるようにしてソファーに座り込む。


「……もし、もしそうであったら、どんなに……っ」


「では、侍従は────」


「爺やの態度も仕事ぶりも、紅茶の味も、何も変わらなかったわ。物心ついた時から、ずっと同じ。私の、優しい爺やのままだった。なのに、なのに……っ!」


 ハーピシアはイレブンの手を握って泣き崩れた。子供のように泣く彼女の肩に手を置き、イレブンはじっと彼女の呼吸を数える。乱れた呼吸が落ち着いたのを見計らって尋ねた。


「殿下。侍従について教えてください。彼の家にはグラナテマという国で信仰されている宗教の祭壇がありました。彼から、グラナテマについて聞いたことはありませんか」


 ハーピシアはハンカチで濡れた目元を押さえ、泣き腫らした目を伏せた。


「……爺やから聞いた地名は、紅茶の産地ぐらいだわ。戦争の話は避けていたの」


「では、彼がいつもと違う行動をしたことはありますか」


「……そうね。一つだけ……直接関係があるかは分からないのだけど」


 ハーピシアは、すんと鼻を鳴らしてベッドに目を向けた。


「……私ね。侍従と女官が姿を消して、使用人まで消えたと聞いて、それから数日は眠れない夜が続いたの。不安で仕方なくて、食事も喉を通らなくなっていたわ」


 彼女はベッドを見つめ、やがて寂しそうに笑った。『懐かしい』を映した目だった。


「見かねた爺やが、珍しくハーブティーを淹れてね。私が眠るまで見守ってくれたの。毎晩ずっとよ? 乳母だってそこまで甘やかさないのに。……でも失踪した夜は、私にハーブティーを渡して、そのまま巡回に出たの」


「侍従が巡回に出るのは、通常の業務に含まれますか」


「いいえ、もっと若い侍従の仕事よ。それに巡回は夜十時からのはずなのに、爺やが私の部屋を出たのは九時過ぎだった。……何かがおかしいと思ったの」


 じわりと、また彼女の瞳に涙が浮かぶ。


「嫌な予感がして、私、眠るまで傍にいてって我儘を言ったわ。爺やは私の我儘を必ず叶えてくれるから。でもその時爺やは『申し訳ございません、行かねばならないので』と言って、部屋を出ていったわ」


「理由は一切、おっしゃらずに」


「そうなの。爺やが巡回に出なければならない理由を考えていたら、さらに眠れなくなってしまって。我慢できずに女官を呼んで、爺やを見てくるように言ったわ。九時三十分ぐらいだった。でも同じ部屋から出て尾行するなんて、無理な話よね。女官はすぐに見つかって、爺やから『早く寝なさい』と叱られたのですって。……いっそ自分で追いかければよかったわ」


 ハーピシアは苦笑して言った。イレブンはそれを制する。


「いいえ、殿下。その後に何かがあって侍従は失踪したのですから、お部屋で過ごしていて正解でした。女官の報告を受けた後はいかがでしたか」


「女官が戻ってきたのは、九時四十分ぐらいだったわ。その後は、窓が揺れるほど強い風が吹いて、眠れなくて……朝まで起きていたのがバレてしまってからは、軽い睡眠薬を処方してもらって、次の夜からきちんと眠るようになったの」


 イレブンはハーピシアの手からハンカチを取り上げ、代わりにぎゅっとその手を握った。


「お話を聞かせてくださり、ありがとうございます。細かい時間までよく覚えていてくださいましたね。きっと捜査の助けになります。女官の名前を伺ってもよろしいですか」


 イレブンはハーピシアにそう言って、すぐにテオに報告した。


 ハーピシアの話に証拠はない。しかし女官の証言と食い違う以上、確認が必要だ。



 女官は侍従と「偶然会った」と証言し、王女は「女官に侍従を追わせた」と証言している。


 つまり片方が何かを庇って嘘をついている、ということだ。

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