一章 王女の婚約と忍び寄る陰謀 8/10


     ■


 テオが件の女官から話を聞くことができた時には、もう夕方になっていた。


「昨日、侍従についてお話を伺った際、あなたは『巡回より早い時間に侍従が来たから、偶然会った』と話してくれましたね。ですがハーピシア王女によると、あなたは王女に命じられて侍従を探しに行き、彼に見つかって追い返されたとのことです。より正確な証言をお願いしてもよろしいですか?」


 テオが確認すると、女官はばつが悪そうな顔で肩を竦めた。


「……姫様のお名前を出しては、捜査の目が姫様に向くのではないかと恐れ、姫様から命じられたことは伏せていました」


「そうでしたか。信用していただけなかったこちらの落ち度です、申し訳ない。改めて、当時のことを聞かせていただけますか?」


 女官は浅く溜息をつくと口を開いた。


「ハーピシア様が不眠症であることは、他の女官たちから聞いていました。でも呼ばれるのは初めてです。その日の夜番は私だったので、呼ばれてすぐにお部屋へ伺いました。するとハーピシア様は『爺やは何か隠しているから、様子を見てきてちょうだい』とおっしゃいました。言われるまま見に行きましたが、同じ部屋から出た者同士、すぐに見つかってしまって。侍従に注意されましたので、ハーピシア様に報告するために同じ道を戻りました」


「その時、侍従に変わった様子はありましたか? 彼の巡回は珍しかったようですが」


「……特に気になることはありませんでした。失踪が続いてみんな警戒していましたし、誰か欠員が出て、代わりに早い時間から巡回を始めたのだと思いましたので」


「では、時間は覚えていますか?」


「呼び出されたのは午後九時半ごろです。十時前には女官室に戻りました」


 テオは頷きながら手帳にメモした。女官とハーピシアの証言にずれはない。こちらが真実だと見ていいだろう。


 一つ気になって、テオは尋ねた。


「侍従の隠し事について、何か心当たりは?」


「まったく何も! ハーピシア様まで何を言い出すのかと、正直呆れたぐらいです」


「……ハーピシア様『まで』というのは? 何か他にあったのですか?」


 テオが質問を続けると、女官は一瞬、動きを止めた。失言に気付いた顔だった。


「……大した噂ではないのです。ですが城内で『白い化け物を見た』と騒ぐ者がいて」


「化け物、ですか。具体的には?」


「白くて大きな怪物が舞い降りて、また一瞬で飛び去ったと言うのです。大きな鳥だったとか、巨大なモモンガだったとか、色々言われていますが信憑性がなくて。でもその噂を真に受けて、西棟の女官はみんな家に帰ってしまったものですから」


「……なるほど。失踪事件よりも化け物に怯えていたわけですね?」


 やっと事情が分かり、テオは顎を引くようにして相槌を打った。女官は苦笑する。


「ばかばかしいでしょう? 真剣な顔をして『化け物が人を攫って食っている』と噂して怯えるのです。居もしない化け物に怯えて仕事を放り出して逃げ帰るだなんて」


「西側の女官たちが避難したということは、目撃されたのも西棟ですか?」


「はい。夜に見たと主張する者がいました。でもそう言い出した者はみんな、実家に戻ってしまいまして……気になるようでしたら、目撃された場所を見てみますか? 夜九時半頃になってもよろしければ、ご案内いたします」


 女官の提案を聞いて、テオは少し考えた。



 侍従が失踪した夜、窓が揺れるほどの強風があった、と王女が証言している。


 空を飛ぶ化け物が実在しないとしても、実際に窓を揺らした物があったのではないか。それがアマルガムである可能性だってある。


 イレブンがダクトや水道管を確認し、その出入口全てが魔導抑制機の光と重なるように設置されているとしてもだ。



 テオは頷いた。


「火のない所に煙は立たぬと言いますし、調べてみます」


「かしこまりました。では午後九時半に、お部屋まで伺います」


「ご協力ありがとうございました」


 テオはそれを最後に、仕事に戻る女官を見送った。


(……しかし化け物の噂は初耳だったな)


 念のため他の者にも確認した方がいいかもしれない。テオは女官の証言をメッセージでイレブンに伝え、女官室に向かった。



 偶然その場に居合わせた女官たちに尋ねたが、誰も噂を知らなかった。



「たぶん、女官長が他言しないように言ったんじゃないでしょうか。そういう噂が広まると、王族の皆様にご心労をおかけしてしまいますし」


「ごめんなさいね、捜査官さん。お力になれなくて」


「いえ、こちらこそ休憩中にすみません。ご協力、感謝します」


 テオはそれだけ言って、女官室を後にした。当てが外れたようだ。


 ふとイレブンからメッセージが来ていることに気付いて電話する。


「帰省組にも確認してくれたんだって?」


『はい、諜報部の捜査官を通じてですが。西棟の女官は全員噂について知っていましたが、誰が言い出したかはっきり思い出せないそうです』


「……目撃者がいないのか?」


『はい。そんな化け物が見た者がいるらしい、というレベルです。信憑性はありません』


 テオは「なるほどな」と小さく相槌を打った。


「西棟の人員を減らすための工作だった可能性もあるな」


『同意します。私が調べましょうか』


「いや、西棟のダクトと水道管を調べてくれただけで十分だ。今は王女の傍にいてやってくれ。……だいぶショック受けてるだろう?」


『それは……はい、その通りです』


「信憑性の低い化け物よりも、王女の心に添え木を用意してやる方が重要だ。お前が俺にしてくれたみたいにさ、ちょっと寄り添ってやってくれよ」


『……了解しました。添え木を試みます』


 テオは小さく笑って通話を終えた。ほら、やっぱりイレブンに任せて正解じゃないか。


 そこへ、中将からメッセージが届く。内容が頭に入った途端、テオは目を疑った。


     ■


 ゲストルームに集まり、テオ、トビアス、そしてエマは顔を見合わせた。


「お疲れさん。まずは情報の整理といこう。先に二人の方から」


「了解。こっちは主に遺体と別荘についてだね」


 トビアスはホワイトボードに書き込み、エマが手帳を開いた。


「三人の死因は、過剰な全身麻酔による自発呼吸の停止。生きたまま皮を剥ぎ取られ、縄で首を縛られた。亡くなるまで本人の意識も感覚もなかったと、断定されたわ」


「……せめてもの救いだな。皮の用途は潜入のためだろうが、二か月も保てるのか?」


「合成義体のカバー製造会社に聞いてみたわ。手足の合成義体を作る時に、本人の皮膚をカバーに使用することは普通のことなんですって。見た目がより馴染みやすくなるからね。ただ、全身を使ったカバーは前代未聞ってことで驚いていたわ」


 そう言ってエマは眉根を寄せた。


「問題は顔なのよ。技術的には可能らしいけど、表情、特に口と目の開閉する動きが難しいんですって。入れ替わった後の三人が『ぎこちない笑顔』って表現されていた原因じゃないかって説明してくれたわ」


「……城の魔術対策を掻い潜って変装するためだけに、そこまでのことをするとはな」


 テオは顔をしかめた。エマはさらに続ける。


「次に別荘だけど、電気と水道の料金を確認すると、この一年ほぼ毎日使用されていた形跡があったの。平均的な四人家族が三世帯ほどで暮らしている計算になったわ」


「そんな人数が一体どこから? 交通の便は悪いよな」


「で、トビアスが思い出したのよ。密入国の支援ビジネスをしてる人たちの空き家ってそれぐらいの使用料があったよなーって」


 今から頭が痛かった。エマも同じ気持ちなのか彼女も険しい顔をする。


「グラナテマからの密入国を支援する人たちが、山の向こう側にいたのよ。密入国した人たちの半分ぐらいが山を越えられなくて亡くなってるわ。爺やさんは別荘まで辿り着いた人たちに住処を提供していたみたいね」


「……つまり別荘で見つかった、あの大量の捧げものってやつは」


「密入国した人たちが捧げたんだと思うわ。ただの戦勝祈願にしては禍々しい量をね」


 テオも現場写真を見ただけだが、相当な数が捧げられていた。グラナテマからの密入国者が一体何人になるのか想像もできない。


 テオは気を取り直して言った。


「俺はもうとっくに伝えたことばかりだが、中将から重大な報告があった」


「中将から?」


 ホワイトボードに書く手を止めたトビアスが振り返った。


「失踪した使用人と侍従、近衛兵の身元を洗い直した結果、三人とも戦場で保護された戦災孤児で、グラナテマ出身だと分かった。戦争犯罪の証人になったことで保護プログラムが適用され、それまでの経歴は全て封印の上で、新しい身分を与えられて養子に迎えられている」


「なんだって? 諜報部では共有されていなかったのかい?」


「捜査局だって共有できない極秘データだ、無理もない。名家が養子を迎えるのも珍しい話じゃないしな。……ただ、とんでもないことになったってことで、諜報部では証人保護プログラム適用対象者を洗い直して、グラナテマ出身者をリスト化してる」


「対象者全部か……想像しただけで吐きそうな作業量だな……」


 トビアスは思わずといった様子で呻いた。テオもぞっとする。


「まあな。……しかし彼らも侍従や近衛兵として登用されるぐらい努力したんだろうに、それでもグラナテマの工作員として動いたってのがな」


「彼らが望んだのか、グラナテマからアプローチがあったのか、聞いてみたいものだよね」


 ふと、エマがやけに静かだと思ってテオは彼女に視線を戻した。


 エマは口元を押さえ、血の気を失った顔で黙っていた。トビアスが心配そうな顔をする。


「大丈夫かい? 何か気になることが?」


「……いえ、ごめんなさい。集中するわ」


「そうだな……集中しよう。六人がグラナテマの工作員だと仮定したら、大人しく失踪したとも思えないし、もしかしたら別の作戦を遂行しているのかもしれない」


 テオが言うと、トビアスは腕組みをして唸った。


「いやーでもここまで潜伏した人たちだよ? 今更西棟からターゲットを移すかな」


「じゃあ、どうして失踪したのかっていう最初の疑問に戻っちゃうのよね。西棟にいる人たちは実は全員グルで、六人とも失踪したと見せかけて任務失敗を理由に消されたとか?」


「疑い出すときりがないな」


 三人で今までに得た情報を見ながら議論するが、どうしても推測の域を出なかった。


 アマルガムが誘拐した線でもう一度考えてみても、何度シミュレーションしてもダクトと水道管の出入口が魔導抑制機の真下になって犯行が頓挫してしまう。


 そうこうしていると、扉を叩く音がした。女官だ。


 トビアスとエマが二人がかりでホワイトボードをひっくり返すのを待ってから、テオは「どうぞ」と声をかけた。さすがに捜査模様を女官に見せるわけにはいかない。


「失礼いたします。例の現場のご案内に伺いました」


「例の現場って、失踪のかい?」


 トビアスが目を丸くした。テオは「違う違う」と慌てて否定する。


「城の中で『化け物を見た』って噂が流れてたんだ。西棟の女官はその化け物に怯えて実家に戻ったらしいし、信憑性は薄いが目撃現場を見せてもらおうと思って」


「ああ、なるほどね。確かに放置するわけにもいかないか」


 アマルガムの件もあるし、とは誰も言わなかったが、トビアスとエマは納得した様子だった。その場は二人に任せ、テオは女官の後ろをついていった。



 目撃者は分からず、誰が言い出したかも不明な噂話だ。


 だが西棟の女官たちはそれを信じて城から逃げ出した。そこまで不安を掻き立てるほどだから誰もが知っているのかと思ったら、今のところ西棟勤務の女官と、今テオを案内している女官しか知らない様子だ。


 明らかに怪しかった。


(……罠の危険性もある、が)


 最も守らなければならない第二王女の傍にはイレブンがいる。必要な情報はトビアスとエマに渡している。テオに何かあっても問題ない。


(……危険を冒さずして得るものなしだ)


 テオはスーツの懐に手を入れ、銃を抜く準備だけ済ませた。

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