三章 あなたの役に立つということ 18


     18


 杖を支えに歩く度、スーツの内側で左膝の機械関節が小さく音を立てる。


 テオはイレブンの手を借りてソファー席に腰かけ、深く息を吐き出した。瓦礫に潰された左脚の代わりとなった合成義体は、まだ体に馴染んでいない。


「……大変だな、これは」


「車が運転できるだけよかったじゃないか。これから二か月、リハビリ頑張りなよ」


 合成義体の先輩としてトビアスがしかめ面で言った。エマはその隣で苦笑する。


「でもまさか、三人とも死にかけるだなんてね。トビアスも危なかったわけだし」


「それも、全員運よく助かっただけってのがな……」


 テオは肩を竦め、四人分の飲み物を頼んだ。



 今回の事件で亡くなった犠牲者の墓参りを終えて、テオたちは事件現場の一つとなったバーを訪れていた。事件が解決した後で謝罪したトビアスに、夫妻は「これからも店を贔屓にしてくれたら気にしません」と笑ったためだ。


 あの日中将の血で染まったソファー席は、今は常連客たちが座ってスポーツの話題で盛り上がっている。店は日常を取り戻しつつあった。



 グラスを手にしたトビアスがテオたちの顔を見やった。


「では、使命に生きた善き人々に」


「献杯」


 テーブルの中央で、そっとグラスを触れ合わせた。



 イザーク城での失踪事件に端を発した一連の事件は、無事に解決した。


 中将たちが命懸けで作ったグラナテマ出身者のリストと、ギフェルと助祭の証言を照合し、該当者の身柄は全て確保された。取り調べや追加捜査によって汚職や恐喝、その他犯罪行為が明らかになった者が多く、世間はまだ大騒ぎだ。



 グラナテマ軍からの命令は第二王女の暗殺が最後だった。それ以降は全て、助祭が司祭の言葉を騙って行わせたものだ。


 宣託などありはしなかった。全ては助祭がもう一度祖国からチャンスを得るため、そして関係者を守るために行わせただけに過ぎない。彼はギフェルに依頼し、信者たちに「逆らえば司祭による罰が下る」と思い込ませた。そのせいで、刑務所に囚われたままの司祭に侍従も信者も怯え続けたというわけだ。



 ギフェルは、自分が関わった人間の名前を列挙し、彼らを脅迫するために残した証拠も全て提出した。「借りは返す」と言った通り、彼女はテオたちが捜査していた事件について自分の持っている情報を何もかも明らかにしたのだ。


 彼女は捜査局から国際警察に引き渡された後は脱走し、再び行方をくらませたらしい。あくまでテオに借りを返しただけのようだ。左脚と交換になったが、悪くない返礼だった。



 ドアベルが鳴る。バーカウンターにいる店主と何か話したらしい客は、まっすぐこちらに向かってきた。諜報部長官のベネディクト・グインだ。


「長官」


「やあ、諸君。お疲れ様」


 彼は相変わらず人のよさそうな顔で笑い、テオたちに軽く片手を挙げて見せた。トビアスとエマは顔を見合わせて立ち上がる。


「私たちは、席を外した方がいいですか?」


「ああ……そうだね。個人的な話もしたいから。お気遣いありがとう」


「どうぞどうぞ。……じゃあ、また後で」


 トビアスとエマは微笑み、グインに席を譲ってカウンターへ向かった。テオは手だけで礼を伝えてグインに目をやる。テオとイレブンの向かいに座ったグインは、注文を聞きにきた店員に断りを入れてこちらに顔を向けた。


「解決、見事だったね。左脚の具合はどうかな」


「ありがとうございます。まだちょっと、他人行儀ですね」


 グインは「そうか」と微笑んで頷いた。その頬には、少し疲れがある。



 逮捕者が続出し、陸軍もまた混乱に陥った。特に諜報部は長官であるグインを中心に大規模な立て直しが行われている。厳しい身辺調査を経て新体制に移行するとのことだ。


 その中で、テオたちにも変化があった。


 特捜班の解散が決まったのだ。


 もともとグインの要請で組まれたチームだ。事情が変われば、テオたちも変わる。



 グインはテーブルに紙を置いてテオに差し出した。


「アマルガムの運用を大きく見直すことになった。明日、公式に発表する予定だ」


「議会の要請に応じるんですか」


「まあ、妥協案というものだね」


 テオは紙一枚にまとめられた運用案に目を通した。隣からイレブンも覗き込んでくる。



 アマルガムには必ずオペレーターが同行し、その位置は常に司令部モニターに表示される。同行者や追跡のためのコストを理由に運用数も自然と縮小され、さらに把握しやすくなるだろう。議会の要請に応じる形を取りながら、アマルガムの流出を防ぐのだ。



「これで新たに流出することは防げるし、もし流出しても迅速に対応できるはずだ」


「じゃあ、今流出しているアマルガムについては……」


「通信機器を利用して不定期にハウンドの統制信号を流し、こちらで回収する。君たちがアマルガム関連の事件を解決してくれたおかげで、この半年で委員会を納得させられるだけのデータは集まったからね。ようやく許可が下りた」


「……俺たちはそのデータ集めのために使われただけってことですか?」


 目を据わらせたテオに、グインは「そんなことないよ」とにこやかに応じて続けた。


「市井に流れたアマルガムは脅威になるという証拠を得られたし、君たちのチームが関わることで事件も解決できた。協力してくれて本当にありがとう」


「いえ、捜査官として、できることをやっただけなので……」


 テオは咳払いして、意識してグインを正面から見つめ直した。


「チームが解散するということは、イレブンは陸軍に戻ることになりますよね」


 なるべく平然とした声を装ったつもりだった。だがどうしても耐え切れず視線が落ちたその時、グインが言った。


「いいや?」


 グインの答えは簡単なものだった。テオは目を丸くして顔を上げる。


「ど、どういうことですか? イレブンの任務は、終わったんじゃ……」


「アマルガムが関わっていなくても、凶悪な事件というものは起こる。特殊部隊が出動しても手に負えないような規模のものが。今回だって、悪魔召喚に成功してしまったわけだ。ハウンドが対処できたからいいものの、君たちだけであれば全滅していた可能性もある」


「それは、そうですが」


「だからね」


 グインは笑みを深めた。


「ナンバー・イレブンには引き続き、捜査局で勤務してもらうことが決定した。我々としても、いざという時に捜査局と連携できる関係を維持できれば心強い。今回の事件のようにね。人の手に負えない凶悪事件が発生した時は、是非頼むよ」


 楽しそうに言うグインに、テオは「はあ」と気のない返事をすることしかできなかった。かなり身構えて尋ねたというのに、拍子抜けだ。テオはついイレブンに視線をやる。


「……お前、知ってたのか?」


「あなたの入院中に概要は聞いていましたので」


 イレブンもきょとんとしている。グインは明るく笑った。


「最初はどうなるかと思ったが、君がハウンドを気に入ってくれて何よりだよ、スターリング捜査官。君はいい使い手だ。いずれハウンドがより人々にとって一般的な存在になった時、頼もしい先輩になるだろう」


「……特別なことは、何もしていません」


 イレブンが来た初日の態度を知られているだけに、テオの返事はどうしても小さくなった。グインは穏やかに目を細める。


「そうは言うけどね。過度に人間扱いして幻滅する者も、むやみに兵器として濫用する者もいる。君のように、圧倒的な力を手に入れた上で使いどころに悩み続けることができる人間は、意外と少ないよ。デフォルト人格のハウンドと良好な関係を築く人間もね」


「……褒め言葉ですか? 嫌味ですか?」


「はっはっは、素直に褒め言葉として受け取ったらよろしい!」


 グインは気安く笑って続けた。


「ナンバー・イレブン、君の判断は正しかったね」


「恐れ入ります」


「実直で、嘘がつけない。まさしく、私好みの人間だ。デジレもそういうところを気に入ったんだろう」


 グインの語尾が、ほんのわずかに切なくにじんだ。亡くなった中将を偲び、テーブルに沈黙が落ちる。だがグインは「おっと」と微笑んだ。


「失礼したね。時間を作ってくれて感謝するよ。これからも頑張ってくれたまえ」


「ご足労おかけしました」


 席を立つグインを見送ろうとイレブンも立ち上がるが、グインはそれを断って軽い足取りで店から出ていった。テオは思わず尋ねる。


「……お前の判断って何のことだ?」


「特捜班を作ると決まった際、長官がメンバー候補を見せてくださったのですが……その中にテオの書類がありましたので、主人として推薦しました」


「お前が? あの時点じゃ、ろくな会話もしてないのに……」


「あなたがどういう人間か、把握するには十分でしたので」


 動揺するテオを見上げて、イレブンは簡単に言ってのけた。


 最初の出会いは数分程度。それも、テオの意識は朦朧としていて、その時のことを悪夢として脳の片隅に仕舞い込んでしまった出会いだ。だというのにイレブンは、そのあまりに短い邂逅を抱きしめて、ここまで来てしまった。テオを自分の主人に推薦してまで。


 本来のハウンドはあんなものではない、と能力を証明するために過ぎない行動だとしても、イレブンの行いはそれだけでは済まないと思わされる。博士が「最も優れたハウンドだ」と誇るほどの能力を持つ彼女が、一介の捜査官の相棒なんてものにわざわざ収まっている事実に、意味を持たせたくなってしまう。


(……これで、感情はないなんて、なぁ)


 胸の奥がぎゅっと詰まる。言葉にするのは少し難しい。たぶん、健気だとか、いじらしさだとかを感じて。


 テオは黙ってイレブンの頭を撫でた。きょとんとしていた彼女は、テーブルのグラスを見てテオに尋ねる。


「何か、追加で頼みますか。グラスが空です」


「ああ……お前も飲むか?」


「そうですね。たまには」


 珍しいな、とテオは素直に目を丸くした。


 外食の時、イレブンはあまり注文しない。テオもイレブンから「食事を必要としない身で注文しても無駄ですので」と最初に言われて以来、自分だけ食事をすることにあまり躊躇わなくなった。


「飲みたい気分?」


「『献杯』とは、故人に対して敬意を表して杯を捧げること、です。故人の数だけグラスを空にすることを意味しているのではないのですか」


「そんな厳格に定められたものじゃないが……まあでも、いいな、たまには」


 テオが頷くと、イレブンはグラスに残っていた酒を飲み干した。


「ハウンドが酔った人間の演技するの、大変そうだな。アルコールも平気だろ?」


「そうですね、影響はありません。指定された性格に合わせて、目的に沿った演技をする程度です」


 そう言う彼女の頬は白いまま、特に変化はなかった。細い指先がグラスを持て余している。


「……アルコールを摂取する場は、私たちには少し、処理が多い。異物混入の対処のみならず、酔った演技をする時も、グラスやカップを持つ時でさえ、性格に合わせた行動を取る必要がある。純粋に、タスクが多いのです」


「なるほど? カップの持ち方で性格とか、育ちが出るよな」


 テオは首を傾げた。そういうテオはカップの持ち手につい指を通してしまうタイプだ。イレブンはきっと持ち手に指を添えるだけなんだろうな、と想像する。イレブンは店内の喧騒に溶けそうな声で言った。


「指定された人格がない、ということは、カップの持ち方一つ、決まっていないということです」


 彼女の言葉に、ひやりと背筋が冷える。思わず姿勢を正したが、イレブンはテオに構わず続けた。


「カップの持ち方、返事の仕方、表情の作り方、その全てに性格は現れる。でも、私には何もない、何も指定されていない、空っぽです。そんな曖昧な状態で一緒に仕事をすることを、あなたは『構わない』と判断した」


「……負担だったか?」


 テオは恐る恐る尋ねたが、イレブンはけろっとした様子で答えた。


「いいえ。ただ、初めてのことでした。私は望まれた姿で振る舞ってきましたが、私のままで、相棒とまで呼んだ人間は、あなたしかいなかった」


「……お前は誰の相棒にだってなれたよ」


「あなたほど愚かで無鉄砲で命知らずの主人はいなかったものですから」


 酷い言われようだが、テオは一つも言い返せなかった。イレブンは小さく微笑む。


「でも、私はそんなあなたの瞳に、人間の善性を見たのです」


「……大袈裟だよ」


 そう応じるテオの声は掠れていた。笑い飛ばすには、彼女の瞳はあまりにも真摯だった。


 よい捜査官でいよう、妹がヒーローと呼んでくれた通りの人間でいよう。そう思って努力し続けていた。だがイレブンにそこまで言われるほどの人間だとは思っていない。


 強く否定するのは難しく、かといって正面から受け止めるには面映ゆい言葉だった。


「……あなたより優秀な指揮官はたくさんいました。けれど」


 グラスを置いたイレブンは、体ごとテオの方を向いて言った。


「あなたは、良い主人で……良い、相棒です」


「……本当に?」


「もう少し自分の命を大切にしてくださったら、という条件付きで」


「努力するよ。……約束する」


 自分の胸に手を当ててテオが言うと、イレブンは疑うように目を細めた。そこへ、店主が声をかけにくる。彼は空いたグラスを取り上げて微笑んだ。


「おかわりは?」


「あー……フェリシア・ブルーを二人分、頼めるか」


「あいよ! フェリシア・ブルーね!」


 店主は頷いてカウンターに戻っていった。彼の手がメスカルとリキュールの瓶を並べるのを見ていると、イレブンが尋ねる。


「思い入れのあるカクテルなのですか」


「いや……でも、お前に贈るなら、このカクテルだと思って」


「……レモン味は好物ではありませんよ」


「わかってるよ」


 テオはつい笑ってしまった。彼女が何かとレモン味を選ぶものだから、てっきり好物なのだろうと勘違いしていた時期がある。ではなぜだろう、と考えているらしいイレブンを、テオは微笑ましく思いながら眺めた。


 常連客と話をしていたらしいトビアスとエマも、新しいグラスを手に戻ってきた。エマはホットワイン、トビアスはジンジャーエールだ。甘くスパイシーな香りが漂う。


「長官ったらもう帰っちゃったのね」


「一杯ぐらい付き合ってくれるかと思ったよ」


「顔を見て話したいことがあるってだけだったからな」


 残念そうな顔をする二人に、テオは長官の話をざっくり伝えた。特捜班が解散するとだけ聞いていたエマもトビアスも、イレブンが残ると知ると嬉しそうに顔を綻ばせる。


「よかった、陸軍に帰っちゃったらもう会えないと思ってたのよ」


「じゃあこれからは、アマルガムに限らずやばい相手はイレブンにお任せって感じかぁ」


「今回みたいに悪魔が出ることはそう頻繁にないだろうが……まあ、頼もしいよな」


 三人の視線がイレブンに集まるが、イレブンは目を丸くしていた。想定外のことを言われて処理落ちしている顔だと察してテオは尋ねる。


「二人とはこれでお別れだと思ったか?」


「……見知らぬ他人として振る舞った方がよいかと」


「そんなの寂しすぎるわ……これからも一緒に捜査したり遊んだりしましょうよ。妹離れできない姉の気分だけど」


 エマが眉を下げて言った。トビアスも苦笑する。


「チームは解散しても、イレブンは刑事部にいるんだろ? じゃあ僕たち引き続き同僚じゃないか。他人のふりなんてやめてくれよ」


「……基本的に人間関係は任務区切りだったものですから、つい。擬態していない状態で出会うと、任務が終わっても関係が途切れないのですね」


「あーそっか、いつもは任務単位で姿が変わるから……」


 思わぬ影響にテオも驚く。イレブンにとっては研究者や陸軍関係者以外で親交が続くのはテオたちが初めてになるのだろうか。


 エマも同じ考えに至ったようで、グラスを手にそわそわとし始めた。


「ねえ、もしかして改めて乾杯すべきなんじゃない?」


「……まあ祝い事ではあるか」


 テオが首を傾げると、イレブンも同じように首を傾けた。やがて店主がグラスを二つ持ってくる。


「お待ちどおさん! フェリシア・ブルーだよ」


 テーブルに置かれたのは、目が覚めるほど鮮やかな青のカクテルだ。カクテルグラスのふちには砂糖が積もり、テオのグラスには灰色の、イレブンのグラスには青の砂糖菓子の花が浮いている。


 店主が立ち去るのを待って、トビアスは意味深にテオに笑いかけた。


「君がフェリシア・ブルーを頼むとはねえ」


「……なんだよ。いいだろ別に」


 テオはグラスを手に睨んだが、トビアスは「だってさぁ」とエマに視線をやった。エマも面白がる顔で笑う。イレブンはといえば、どう飲むものなのか分からない様子でグラスを色んな角度から見ていた。


「結婚式の定番カクテルよね。サムシングブルーにちょうどいいからって」


「初日のギスギスからここまで進歩するとはね……なんか泣けてきちゃったな」


「言ってろ。こいつには欠片も通じてねえぞ」


 二人してにこにこするものだから、テオは眉根を寄せた。イレブンはさっぱり分からない様子できょとんとしている。エマがそれを見て首を傾げた。


「あれ? イレブン、カクテル言葉にはあまり興味なかった?」


「そちらは別の担当がいますので……花言葉でしたら多少は」


「あ、それならカクテル言葉の由来が分かりやすくていいかも。このカクテルはメスカルってお酒がベースなんだけど────」


「もういいだろ乾杯するんだろ早くしろよ」


「照れるな照れるな!」


 エマは声を上げて笑い、イレブンは首を傾げるばかりだった。トビアスがジンジャーエールのグラスを掲げる。


「では、改めてイレブンよろしくねということで、乾杯!」


「かんぱーい!」


 今度は明るくグラスが触れる。テオは顔をしかめたまま、甘口のカクテルに口を付けた。ふと目をやると、イレブンがこちらを見上げている。


「どうした」


「あなたの瞳、たまにそうなります」


「……『そう』って?」


「星みたいに、青の中に灰色が浮かぶのです。私の姿が反射するから」


 イレブンの表情と声はいつもと変わらず、ただ事実を指摘したに過ぎないようだ。


 そういう彼女は、灰色の瞳にテオの髪が映り込んで埋火のようになっている。冷たい陶器人形のような姿に、一点だけ灯る火。


 この温度のない、感情のない兵器に、熱を与えたいなどという願望はテオにはないが、そうやって彼女に傾倒していく人間もいただろうと容易に想像できた。


 アルコールで思考がよそに流れたテオに、イレブンは続けて言った。


「フェリシアの花言葉は『幸福』ですので、私にとって『幸い』なことを考えました」


「……それが、俺の瞳に、お前が映ること?」


「はい。カクテル言葉は幸福的な意味合いだろうと推測したのですが、違いましたか」


 そう言って、イレブンはわずかに首を傾げた。エマとトビアスが息を殺して見守っていることは察していたが、テオはすぐには答えられなかった。


 このカクテルを贈った意味を律儀に考えていたのかと思うと、頬が緩む。テオはイレブンの柔らかい髪をぐしゃぐしゃと撫でまわした。


「それでいいよ、意味」


「『それで』は妥協の言葉です」


 イレブンは乱れた前髪をそのままに、納得いかない様子で首を傾げていた。



 フェリシア・ブルーのカクテル言葉は「君ありきの人生」だ。


 メスカルの原材料はリュウゼツラン。数十年に一度しか咲かない花に人生を重ね、フェリシアの花言葉が「幸福」であることから、カクテル言葉は定められた。生涯に一度の幸福とは君との出会いだ、君がいる人生のなんと素晴らしいことかと謳う、美しいカクテル。



 ぴったりだろ、とテオはグラスに隠れて笑った。まだ難しい顔をして考えているらしいイレブンをエマはなだめ、トビアスは楽しそうに見守っている。


 アマルガムに壊された人生がアマルガムに救われるというのも皮肉な話だ。だが大事な人たちがこうして健やかに笑っていて、振り向いたイレブンが瞳にテオの姿を映すことを、テオも幸福と呼んでいいと思っている。

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アマルガム・ハウンド 捜査局刑事部特捜班 駒居未鳥/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko

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