三章 あなたの役に立つということ 13
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「……アウトだな」
「アウトですね」
オフィスで並んでモニターを覗き込み、テオとイレブンは呟いた。
不動産会社に話を聞きに行くと、絞り込んだ五か所のうち石灰石鉱山だけ所有者と連絡がつかなかった。
この石灰石鉱山は、閉鎖されてから十年以上経っている。所有者は石灰工業会社から資産家に変わっているのだが、一向に手付かずのまま放置されていた。山の麓に工場や市街地が広がっているだけで、山は私有地として誰も立ち入らない。
試しに資産家の名前をリストで検索すると、案の定一致した。彼もまたグラナテマ国教の子だったのだ。
テオは椅子にもたれ、資産家の記録を眺めた。彼はかつて戦場で保護された少年兵だ。
「……イレブン、リストに掲載された報告書はどれぐらい読んだ?」
「全て一通り確認済み。最終の日付は二十年前、エマの報告書です」
「元少年兵はどれぐらいいる?」
「リスト掲載者のうち、六割が子供。エマ以外は全員元少年兵で、戦争犯罪の証人として保護されています」
テオは思わず唸った。イレブンがモニターからテオに視線を移す。
「……どいつもこいつも『偉大なる父』に忠実だな、とは思ったんだ。でも彼らが元少年兵なら、洗脳の賜物かもしれない」
「通常、支配者から離れると洗脳は解ける傾向にありますが」
「国を離れて新しい家族を得ても、先にアダストラにいる奴らが洗脳を引き継いでいたら、ずっと任務を遂行しようとするんじゃないか?」
「……命令されて、あえて証人として保護された可能性ですか」
フロア内で鳴っている電話や機械の音がやけに大きく聞こえる。テオは細く息を吐き出した。
「裏切り者と呼ばれたのはエマだけだった。だから、そういうことだろ」
「では、彼らが証言した戦争犯罪の加害者というのは……」
「奴らの裏切り者、失敗した者に対する攻撃性は異常だ。負けた戦の指揮官辺りを処分するついでに差し出したんじゃないか」
重く感じるこめかみを押さえ、テオは呟いた。
「……問題は連中の目的だな。エマを狙う理由は司祭の呪いを解くためだろう。だが呪いを解いたところで、司祭が監獄にいる限り彼らの指導者は戻らない」
「スパイ容疑者を牢屋内で殺害する相手です。司祭を脱獄させるぐらいのことはやるのでは」
「脱獄なぁ……軍事刑務所から抜け出した奴は歴史上いないらしいが……」
テオは軍事刑務所の連絡先を調べようとして、ふとイレブンに言った。
「……軍事刑務所ってところは戦犯を収容しているだけあって、物理的にも魔術的にも非常に厳重だ。そこから囚人を救い出したい。ただしその囚人は一つの部屋から決して出られず、常に監視され、誰とも面会できず、魔術も使えない。考え得る手段は?」
「爆撃機の使用は可能ですか」
「それは一旦なしにしてくれ」
イレブンはしばらく沈黙してから、ぽつりと呟いた。
「食事に仮死毒を混ぜて死亡手順に従わせるか、移動の魔術でしょうか」
「毒はともかくとして……魔法で移動させるって、どんな妨害があっても可能なのか?」
「座標の指定と対価の用意ができれば可能ですよ。召喚術だって、目に見えない別軸の世界から精霊や悪魔を呼び出すのですから」
「刑務所から囚人を脱獄させることと悪魔の召喚が一緒……?」
とんでもないカルチャーショックで思考が止まったが、テオは気になったことを尋ねた。
「対価の用意って簡単にできるものなのか?」
「移動の魔術で求められる対価は、移動する物の質量、移動距離、障害物の厚さ、座標間にある妨害魔術のレベルなど様々な要素で決められます。魔導転送機が発展して個人の移動が衰退したように、魔力以外にも必要なものが多い魔術で……」
そこまで説明したイレブンは、はたとテオに目をやった。
「つまり、必要要素の把握に十年、準備に十年かかってもおかしくないわけです」
「……ありがとう。色々噛み合って二十年目の今動いたって感じか」
やはり刑務所に連絡した方がよさそうだ。携帯端末を握ったテオは、見計らったようなタイミングでかかった着信に目を丸くする。トビアスだ。
「テオだ。どうした?」
『エマが襲われた』
さっと血の気が引くのを感じた。イレブンが近付くのを見てスピーカーに切り替える。
「犯人は?」
『やむなく射殺した。それから、警備を担当していた捜査官も襲われてる。幸い軽傷で済んだけどね』
「……そうか。いや、無事でよかった」
テオは意識して細く長く息を吐き出し、冷静さを取り戻した。
「エマだが、病院での処置はまだ必要か?」
『本当は今日まで入院なんだけど、なんとか退院できるようにエマと叔父さんが説得してるところ。上手くいけばエマも捜査に復帰するよ。叔母さんたちにはセーフハウスで待機してもらおうと思ってる』
「それがいいだろうな……エマだが、その、様子はどうだ? 捜査に復帰すると言っても、家で因縁の相手に襲われたわけだし」
テオが言うと、トビアスは「そうだな」と悩んだ様子で答えた。
『責任を感じているし、復帰を歓迎できるほど回復してはいない。魔術も使えないそうだ。ただ、相手は病院まで暗殺を試みに来るぐらいだし、どこにいても同じなら一緒に捜査する方がいいと思う』
「……そうだな、間違いない。でもいざとなったら叔母さんたちと一緒にセーフハウスに放り込んでくれ」
『全力で抵抗されそうだが、了解』
通話を終え、テオは気付けば額を手で押さえていた。セーフハウスは、刑事部で被害者の安全を確保するために借りている物件だ。その場所は刑事部所属の捜査官の間で共有しているが、グラナテマがもしそれを知っていたら。
「……病院を占拠しなかっただけよかったと考えるべきかな」
「そうですね。……私がエマの護衛につきましょうか」
「いや……トビアスと捜査官で対処できたから、このまま任せたい。ギフェルが本当にアマルガムを待機させているか分からないし……」
気を取り直したところで、疲れた顔のロッキがやってきた。吹けば飛びそうなほどくたびれている。
「よう、お疲れさん」
「お疲れ。どうだった?」
「いやはや、ひでえもんだぜ」
ロッキは検視結果の紙をテオに渡して、デスクに腰かけた。
「骨格からして、十代後半。気胸を起こしてるし、肺は一部が線維化していた。おそらくじん肺症だろう。栄養状態が悪く、肩関節に合成義体の重みによる変形が見られた」
「なるほどな……この頭部の火傷っていうのは?」
テオが検視結果を示しながら尋ねると、ロッキは嫌そうな顔をした。
「……マズルフラッシュによる火傷だ。長期間にわたって何度も火傷を作ってる」
「何度も?」
「捕虜が似たような傷を作っていたが、空砲をこめかみで撃って脅すんだ。それに、胴体は殴られた痕も多い。恐怖と暴力で支配して、兵士に仕立て上げたんだろう」
ロッキはそれだけ言うと、「やってられん」と言い残して煙草を片手に出ていった。無理もない。テオでも十分気が滅入る。
「……じん肺症になるほど、鉱山に潜伏してるってことか? それに、かなり時間をかけて訓練したはずの兵士を、なぜあっさり使い捨てる?」
「今回は儀式も行っていません。時間の都合か何かでしょうか」
「しかし、何をそこまで焦るんだ。奴らにとってタイムリミットでもあるのか」
「考えられる可能性としては、人的資源の枯渇でしょうか。じん肺症を起こしている人間は彼一人ではないでしょう。動ける人間に限りが出ているのでは」
しばらく二人で話していると、エマの家を一緒に調べた鑑識が走ってくるのが見えた。彼はテオを見て「どうも」と愛想よく笑う。
「例の蝋燭の成分表と、内部構造のスキャン画像です」
「ありがとう、助かった」
印刷された紙を受け取り、テオは早速スキャン画像を確認した。確かに蝋燭の中に複数の針と種らしきものが入っている。影になっている部分は火薬だろう。
「……ギフェルの証言と矛盾はないな」
「はい。点火すると消音の魔術が発動し、火薬が爆発してヤドリギオリを展開し、針を飛ばす仕組みです。現在は無力化し、他の現場で見つかった針と同じものか調べています」
鑑識が画像を指で示しながら説明した。それに頷き、テオは続けて尋ねる。
「この蝋燭を作った男ってのは?」
「先日から無断欠勤が続いています。家にもおらず、音信不通だそうです」
「……逃げ足だけは速いな。引き続き頼むよ」
「了解です!」
テオは鑑識を見送り、イレブンにも分析結果を見せた。
「ギフェルの発言は裏取りが難しいが、蝋燭については本当だったみたいだな」
「そうですね……彼女が嘘をついた点は『アマルガムを不老不死サービスにパッケージ化して売る』のみです。他の発言では、嘘をついていませんでした。本人の思い込みかどうかまでは判断できませんが」
「……お前の分析を信用してるよ。でも、嘘を言わなくても真実は隠せる。それに、例えばギフェルが術式の解釈を歪めているかどうかは俺たちに確かめようがない」
テオは眉根を寄せた。ギフェルの証言を信じるしかないが、鵜呑みにしていいとも思えない。このままグラナテマに集中したいものだが。
イレブンは分析結果から顔を上げ、テオに目をやった。
「人的資源が限られている状況はこちらも同じです。どうしますか」
「……そうだな、できることからやるしかない。まずは刑務所に確認する。イレブンは、アマルガムを回収できたかどうか聞いてみてくれるか? なんの知らせもないのが気になる」
「了解しました。少し席を外します」
イレブンが携帯端末を手にラボから出ていく。テオは軍事刑務所に連絡し、簡単に事情を伝えた。
「……というわけで、グラナテマ国教の『偉大なる父』と呼ばれた司祭についてお伺いしたいのですが、面会を希望する人はいましたか?」
『収監直後は、面会希望者が殺到しましたよ。国内外の魔導士とジャーナリストが詰め寄せましたが、全てお断りしています。当時は本当に、大騒ぎでしたよ。信者からと思われる殺害予告や不審物騒動が相次ぎましたし、刑務所の前で司祭を解放するよう抗議活動をする者たちもいました』
「では、今は落ち着いている?」
『はい。静かなものです。面会希望者もここ数年来ていません』
責任者は穏やかに応じるばかりだった。考えすぎだったのだろうか、テオは悩みつつ尋ねる。
「では、施設見学者はいませんでしたか」
『ああ……そちらは、年に何度かいらっしゃいますね』
「名前を伺ってもいいですか? 最近の人から順番に」
少し困惑した様子だったが、責任者は名簿を読み上げた。綴りを確認しながら名前を入力してグラナテマ出身者のリストと照合すると、二人の名前が一致する。一人はギフェルが協力者として名前を挙げた諜報部の捜査官、もう一人はトム・ハーディーの弟ビルの研究に関わっていた陸軍所属の研究者だ。
「その二人、何か熱心に確認していることはありませんでしたか?」
『ええと、そうですね、お待ちください、何せずいぶん前のことですから……許可書の記述によると、監視システムの見学にいらしています。二時間ほど見学したようです』
「……なるほど」
テオは口元に手をやった。おそらくこの二人は、移動の魔術に必要な要素を探りに来たのだ。
「妙な質問かもしれませんが、セキュリティなどのシステムを大きく見直す予定はありますか?」
『いえ、ありませんよ』
「じゃあ……建物の建て替えとか、囚人の移動とかは?」
『ああ、それでしたら……司祭の再封印を予定しています』
これだ。テオは息を飲んだ。
「……いつのことですか」
『明日にでも、週明けにでも、まあ近いうちに。先週、軍から要請がありましてね……封印なんて二十年も経てば綻ぶ部分もありますし、納得といいますか』
「それだけ警戒してるんですね、彼を」
『私も記録でしか目にしていませんが、とても強力な魔導士です。万が一にも彼が自由の身になれば、何が起こるか……考えただけで恐ろしいですよ』
テオは相槌を打ち、礼を言って通話を終えた。
グラナテマが行動を急いだのはこれが理由だ。再封印する前が司祭を解放するチャンスだと考えたのだろう。
「テオ、報告です」
顔を上げると、イレブンが戻ってきたところだった。
「ハウンドがコアの回収に向かいましたが、アマルガムは見つかりませんでした。『賢者の石』の情報を登録し、追跡させています」
「……改めて話を聞かなきゃいけないか」
テオは席を立ち、イレブンを連れて会議室へ向かった。
会議室では、魔導士が四人がかりでギフェルを箱に閉じ込めている。封印の魔術を使ったまま微動だにしない姿はよくできた人形のようだった。リーダーに声をかけ、ギフェルを解放してもらう。
箱からソファーに落下したギフェルは、バネが仕込まれているような勢いで跳ね起きてイレブンの背後に飛び込んだ。
「なんでこんな厳重に封印されなきゃいけないんだ! 人を危険物扱いして!」
「実際に危険物なんだから当たり前だろ。聞きたい話があるから座れ」
テオがソファーを示すと、ギフェルは不服そうな顔でイレブンを覗き込んだ。
「天使ちゃん、アタシがそんなに危険に見える?」
「はい」
「……天使ちゃんが言うなら仕方ないか……」
ギフェルは渋々といった様子でソファーに浅く腰かけた。テオはその向かいに座り、イレブンは近くに立ったままテオたちを見ている。
「……ギフェル。お前が教えてくれた場所を調べたが、三体のアマルガムは見つからなかったそうだ。本当はどこにいる?」
「え?! そこにいないならアタシは分かんないですね……」
「イレブン?」
「嘘です」
「嘘じゃない嘘じゃない!! 本当に分かんないの!!」
ギフェルが喚く度に手錠ががちゃがちゃと騒ぐ。テオは眉間を押さえて言った。
「じゃあお前、アマルガムに何を命令したか言ってみろ」
「そりゃあ、その……『ここで待機してね』って……」
「もっと正確に」
声を低めて強く言うと、ギフェルは目を泳がせ、指同士を重ねて言った。
「……『ここで待機してね。この血の持ち主の言うことも聞くんだよ』って……」
「血の持ち主ってのは誰だ」
「司祭の長男を名乗ってる人がいてさ。今の過激派を仕切ってる人で、たぶん助祭なんだけど……その人が上手いこと使ってんじゃないかなーとか、あはは……」
乾いた笑い声をもらすギフェルを、テオとイレブンは黙って見つめた。ギフェルがどんどん小さく縮こまる。
「だって! こんなことになる前に渡した奴だから! 『賢者の石』なんていう超貴重品もらったらどれぐらい対価払えばいいか分かんないし! あとでいくらでも仕入れられると思ってたから!」
「組織的犯罪を行ってる奴らにアマルガムが三体渡ってそんな言い訳通じると思うか?」
「思わないけどぉ……まあでも、彼ら戦争しに来たわけじゃないし、まだ動かないんじゃない? 助祭はアマルガムを司祭に捧げる気みたいだったしね~」
ギフェルは顔を上げて答えた。一秒以内に振る舞いが変わるせいで、彼女がどんな人物なのかテオは未だに把握できていない。
「第二王女の暗殺未遂までして戦争をしに来たわけではないなんて信じられるか」
「でも本当なんだって。アダストラにいる彼らはその辺のギャング程度の武装しかできてないよ。魔導士もほんの数人しかいないのに返り討ちにされるレベルだし」
「……工作部隊なのに?」
「本国からしたら捨て駒だよ。成功したらラッキー、失敗しても情報だけ回収して始末すればよしって感じだね。命が鉄より軽いもん、あの国。きっとあの人たち、第二王女暗殺に失敗して、いよいよ本国から見切りつけられるって焦ったんだろうなぁ」
言葉を失うテオを気にせず、ギフェルは続けた。
「だから見てみたくなったんだよね。ああいう盲目的な人たちって、人生が終わった時も信仰持ち続けていられるのかなって」
そう言って、ギフェルは一瞬怖気を震うほど暗く笑った。
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