2.36

 そんなわけでさぁ部屋の前まで戻ってきただ。疲れた。歯を磨いて寝よう。何時に起きるか知らんが夜は早いから体力回復と温存は必須。精神的なストレスもピークを迎えいよいよ情緒が不安定となり感情が行方不明。眠さも相まってもはや考えが定まらん。血迷いとはこういう事か、私は今常軌を逸している。およそ真っ当な人間の思考をしていない。淀み沈み、まとまらないのだ。こんな精神状態で私は大丈夫なのか。いや大丈夫ではない。大丈夫ではないが手立てがないのだからもう成り行き任せで進もう。ともかく歯を磨いて寝る。歯を磨いて寝るのだ。一旦それで現実逃避。全てを忘れて後は、なるようになれ、だ。扉を開けて部屋に入るぞ。入室……おや、富士がおらんな。自分の部屋に戻ったか? いつの間にか卓も片付いているがもしや冷蔵庫に……入っている、皿のまま。中々こまめな奴だな。独り身らしいからそのあたりしっかりしているのだろう。今日日、男であっても生活力の高さは必要だ。だらしのない人間は部屋を汚し身体を腐らす。湯浴みや歯磨きだって……歯磨き!

 歯磨きだ。歯磨きをしなければならない。いかん口の中の気持ち悪さを自覚してしまった。これは大変な苦痛。今すぐにでもブラシで汚れをこそぎ落として水に流したい衝動に駆られる。早く早く早く歯磨き。流し台へ進み使い捨てのチューブ式歯磨剤を出して乗せたブラシを口内へ。無心で、ただただ無心で歯を磨く。雑念のない純粋な心持ちが白く輝くエナメル質を形成するのだ。手を抜くことも過剰に力を入れる事もなく自然体で全体に毛先を当てていく。上、下、奥、前、表、裏、位置する歯牙を細かに仕上げ口を濯げばマウスケアは完了。脱力と禅の精神性が形となった私の歯磨きは天然理心。五輪書に記された奥義の体現である。鏡の前で口を開ければ宝玉蓮座が如し。これで今日も一日安泰。虫歯とは無縁の生活が送れる。口内環境浄化完了。畳に戻り電気を消して布団に潜り目を閉じる私。寝るぞ。

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