1.3
「もし、ダンナ」
知らぬ男の声に晒される。見れば中年。中肉中背で身形は山小屋に住むマタギのようである。不審者だろうか。わざわざ成人済みの男をターゲットにする不審者がいるのか。可能性は低い。となれば寸借詐欺などの恐れがある。警戒せねばなるまいが、無視というのも良心が痛む。返答をして、徳を上げておくのも悪くはないかもしれん。減る物でもなし、一言二言の語らいくらい興じてやろう。後はなるようになれだ。
「なんだ」
「いいえ、先程スマートフォンをぶん投げていらっしゃった姿が大変剛気なものでしたから気になりまして、ご挨拶をと」
「あれは窓を開けた拍子にスマートフォンが風に飛ばされたのだ。意図せぬ事故であり、投げたわけではない」
「しかし、見事なオーバースローでございましたが」
「周りに蠅がいたので追っ払っていただけだ」
「では、そういう事にしておきましょう。ところで、どちらへ」
「海」
「海」
「そうとも海だ。私は海へ行くのだ」
「そうですか、海に……」
「いけないか」
「いえ、結構な事でございます。しかしこの電車は……」
「いい。皆まで言うな。私も薄々わかっている。見当違いなんだろう。路線が」
車内の案内図を見れば分かる。この車両が向かうは日本アルプス聳える内陸部。海とは真逆だ。
「左様でございます。海へ行くなら……」
「皆まで言うなと言っただろう。私は自由なのだ。好きなようにさせろ」
「なるほど、やはり剛気な方だ。今時珍しい気風の良さ。惚れ惚れする。うん、私はダンナが気に入りました。もしよろしければ、御同行に預かりたい」
「いいとも。旅は道連れというし、勝手にするがよい」
「さすが、潔い。私、富士兵衛と申します。ダンナはなんとお呼びすれば」
「好きに呼べ」
「左様でございますか」
勢いで妙な奴を拾ってしまった。内心、不安である。
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