2.8

「そういうわけだ。婆ちゃん、もう一本ビール貰うよ。ダンナのグラスが空になっちまったからね」



 本当だ。自分でも気付かぬうちに飲み干してしまっているし、瓶の中身もなくなっている。話している最中、思案のひとときにすっかり全部喉を通り過ぎてしまったようだ。まったく身に覚えがない。恐ろしい。



「そう世話をお焼きになるなら、ウチの昼太郎も面倒みてくれませんか。いい歳してまだ独り身なんだから」


「なんだい。昼君はまだ嫁をもらってないのかい。とっくに一児や二児や三児をこさえてるもんかと思ったよ」


「それが全然。浮いた話もなくって。あぁでも最近照美ちゃんと……」


 話している途中、「できてるよ」との大声が差し込まれ婆さんが引っ込んでいく。恐らく声の主が婆さんの息子である昼太郎という男なのだろう。中々通る、いい声だ。



「すみませんねダンナ。つい世間話なんぞしてしまいまして」


「私は構わない。それより富士、酌などしなくとも良いから貴様も飲め。都度都度に注ぐのも注がれるのも煩わしい事に気付いた。"おっとっとっと""まぁまぁまぁまぁ"の文化が廃れた理由も分かる」


「さいでございますか。じゃ、いただきますので、ダンナも好きなようにいただいてください。ここの会計は私が持ちますから」


「いや、ここは払わせてもらう。私が誘ったのだから私が金を出すのが筋だろう」


「そんな水臭い。私の方が歳上なんでございますから顔を立ててくださいよ。あ、顔を立てるって意味は分かりますか」


「失敬だな。その程度の慣用句分からないでか」


「おっとすみません。ダンナは未だ掴みどころがないものでして。あ、掴みどころがないってのは……」


「それも分かる。富士、貴様はさては私を馬鹿にしているな」


「滅相もございやせん」



 富士の奴、一方的に無礼講を働いてくれる。これは是が非でも俺が払わねばならぬが、どうして言いくるめてやろうか。口は向こうの方が達者故、骨が折れそうだ。ふぅむ。奴は顔を立てろと言う。では、私の顔を立てねばならぬ状況に追い込めば良いのか。さて……



「ごめんくださぁい」



 思案の最中、扉を引く者あり。目をやれば歳の頃二十代半ばの女。痩せてはいないが肥えてもいない。女性特有の柔らかさが際立つ安産型の体躯。控えめにいって魅力ある、女らしい女だ。



「あら、賑やかですね。珍しい」



 少しばかり失礼な発言を述べつつ入店。この女は誰だろうか。私が知る由もないが。

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