2.3

 考えてもみれば外で酒を飲むなど随分久方ぶりの余興。食通でも酒飲みでもないし、独り身でふらりとお邪魔仕る気力もこれまで湧かなかったものだから食事などはでき合いで済ませて手を抜いていた。"たまには"と思わない日もなかったが、結局物臭が勝ちいつもの弁当屋で日毎適当に手に取るルーティン。なんて事はないが、長年続くと寂しいものがある。なるほど、そうなると、俄然楽しみになってくるこの後の食事。富士もいるから「一人だがいけるだろうか」と配慮する必要もない。食事が日常の心行かしとなるなど通俗が過ぎどうにも自嘲を禁じ得ぬが、それもまた行脚の一環と心得ている。私はテレビジョンで芸能人が観光地へと赴き、食事処で逸品を食しては味の感想をレポートしているところを見て聞いているのだ。彼の地に行けば彼の地の物を口に入れるのが人々の慣いとなっているのは明白。ならば右に倣えでその教えに従うが吉。風土、風俗を体感するうえでも、食事はその土地由来のものを口に入れるべきだ。ふむ。そうなるとこれはもはや食というより文化体験といっても過言ではなく、通俗どころかむしろ高尚な趣であるようにも思える。そうか。そうなるか。そうなると、襟を正さねばなるまいな。気を引き締めると同時に、ネクタイも締め……しまった、ネクタイは先程燃やしてしまった。おのれ、あの親切な人がいなければ「まあいいや」で火などつけなかっただろうに。いや、他責はいけない。やったのは俺だ。自己の責任として、重く受け止めよう。しかしなんだ、あれこれと言葉を重ねたが、食事くらいで肩の力を入れるのも違うな。気楽にいこう。気楽に。


 一転二転としながら富士の案内に身を任せて未知の土地の往来を進行。パターン化された日本の開発事業は古より継承される民族的風景を奪ったとも聞くが中々どうして個性はある。少なくとも一つの街の中でしか生きてこなかった私には得意な所が幾つか見受けられ新鮮。家屋の意匠がこれだけ違うと異国に足を踏み入れたみたいな錯覚が起こる。特に傾斜が鋭い屋根と複数の硝子が差し込まれた窓が目を惹く。降雪と断熱と対策だろうか。そしてよく見れば平たい屋根も混在している不可思議。公共の手が入っている道路はどれもアスファルトとコンクリートの冷たい様式だが民家は特徴的で面白い。こうした発見はこれまでなかった。素直な心持ちでインタレスティング。



「こちらでございます」


「あぁ、着いたか。案内してありがとう。存外早かったな」



 辿り着いたのは木造平家の一戸建て。地元に根付いてうん十年の雰囲気。なるほど、異文化。

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