2.17

 ……とりあえず、蛇口を捻ってみるか。二つのハンドルがある懐かしい方式。水色マークが水。赤色マークが温水、いいや、熱湯だろう。この方式のは得てして過剰なほどに加熱された水が出てくるのだ。私は小学生の頃に林間学校で同じ班だった坂本君が火傷を負ってその威力を痛感した。軽々に触れてはならない。細心の注意を払い青色マークの蛇口を捻るのだ。よし、捻ったぞ。水の様子は普通。濁りなく、錆が出ているわけでもない。蛍光灯の明かりで反射する透き通ったクリスタルカラーが貧乏くさいが、異常の検知はない。やはり衛生面の懸念はあるものの、部屋の清掃が行き届いている事から水回りもしっかりと磨き上げているだろう。というかそうであってくれ。照美よ、信じているぞ。



 ……



 重量に従って直線に落ちゆく水、所謂ウォーター。これに手を差し伸べ、浸す。これを掬って口元に……あぁ、手洗いを忘れていた洗わなければ。隅に設置されている石鹸を使おう。あのパッケージが赤だったり青だったりする、恐らく日本で最も有名であろうメーカーの石鹸だ。泡の中に時代と文化の香りがする。歯ブラシはなくとも石鹸は置くのか! どういう了見だ! 同じ衛生用品だろう! 


 ……いかん、感情が昂ると吐き気が強くなる。血流の関係だろうか。どうでもいいか。洗おう。そして水を飲もう。掌、指、甲、爪の間、三十秒かけて念入りに殺菌作業。ついでだ、肘まで拡張して完璧なる清潔を手に入れよう。


「ダンナは潔癖症ですか」


「何故だ」


「いえ、水を飲む前にそこまで徹底して手洗いをするのも珍しいなと思いまして」


「私は潔癖症ではないが、長く手洗いをするタイプだ。笑ってくれるな」


「失礼いたしやした」



 笑うなというのに富士のやつ、まだクツクツと声を漏らしよる。まったく、困ったものだ。

 しかし今は富士よりも水。私の悪心を抑える水である。機は熟した。いつでもいける。さぁ、飲むぞ。


 ……



 ……



 ……




 ……まろやか!



 どんどん飲める喉越し。染み渡る。




「いかがですか、ダンナ。水道水でも別段気にならんでしょう」



 ……気にならないどころかだ。

 美味い。水のくせして味に奥行きがある。なんだこれは。ポリエチレンテレフタレートでパッケージしたら売れるんじゃないだろうか。



「この水、コンビニエンスストアで売ってないのか?」


「ないですね。ここで水に価値なんかつきませんから」


「……そうか」




 幾らか買っておこうと思ったが、残念だ。

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