第10話 賢者エナン

 寝台に臥せっていたエナン、角帽党の教祖である賢者エナンは、目を押さえて苦しみ出した。

目のついた角帽の魔導器が破壊されるようになってから、この苦しみは断続的に続いている。

しかし、側近である天魔道ラザロから見ても、今日の苦しみ様は尋常なものではなかった。


「ギアラが、ギアラが身罷った。殺された。なんということだ……」


「地魔道ギアラが……」


賢者エナンが言うからには、二大幹部のうちの一人であるギアラが死んだというのは確実なのだろう。

幹部達に配布した角帽は、魔力の増幅装置としての機能の他に通信機としての力もあった。

しかし、そのために角帽が破壊されるたび作り手であるエナンへ、破壊の衝撃や痛みが伝わってしまうのである。

賢者エナンは日々衰弱が進んでおり、限界が近づいていることは誰の目にも明らかであった。


「ラザロや、ラザロ、近う」


「は、エナン様。ラザロはここにおります」


エナンは目から血の涙を流していた。


「もう、何も見えぬ。何も聞こえぬ。……ラザロよ、そこにもしいるならば聞け。汝に後事を託す」


愛弟子であるラザロは、エナンの手を取って哭泣した。


「何を弱気なことを申されます」


エナンはゆっくりと目を閉じた。


「闇がこの国に迫っておる。しかし、民はあまりに愚かで、脆弱だ。我々、知恵ある魔道士マゴスが教え導いてやらねば滅ぶというのに、力が及ばずこの国をまとめきることが出来なかった。無念である……無念である。願わくば我が悲願を成就し、闇を打ち払わんことを……」


エナンの身体から熱が失われていった。

賢者ソフォスエナンの最期であった。

角帽教徒達は反乱を継続したが、魔導器の力の根源が失われたことにより、ラザロ以外の魔道士はまともに魔法を使えなくなったため、次々と撃破されていった。

やがて天魔道ラザロも討たれ、各地の角帽教徒は降伏するか山賊や盗賊に変わり果てて、天下を揺るがした「角帽党の乱」は終結したのであった。


 「アンキルス県の県尉メリアルケスねぇ」


面白くなさそうにゲインは鼻面をかく。


「役人に任ぜられたのに不服があるの?」


角帽党の乱が概ね鎮圧された後、都アムルタでは論功行賞が行われた。

騎士ゼノンや騎士ダモクレスは将軍ストラテゴスに昇任したが、クロエは県の警察力を担う下級の役人、県尉に任じられたにすぎなかった。

クロエは拝謝してこの仕事に就かんとしたが、ゲインはこの待遇に不満があるようであった。

また、義勇軍も解散するように命令を受け、二十人ばかりを残し、その他の者はみな官軍の正規兵として吸収されてしまったのも、彼の不機嫌の種であった。


「お上は俺たちのことを信用していないんだ」


「例えば、家の中でも刃物を肌身離さず持っている者がいたら、そいつは危ない奴だろう。軍を手放すことで信用を得たのだと考えるんだな」


憤るゲインをユスフがたしなめる。


「あれ、なんだろう」


人だかりの中を車輪のついた檻が進んでいく。


「罪人を護送する檻車だな」


野次馬が石を投げつけたり、口々に罵ったりしている。

檻車はクロエ達の方へ向かってきた。

その檻の中の人物を見て、クロエは思わず檻に駆け寄った。


「ルシウス先生!どうしてこんなところに」


檻車にはやつれきった恩師ルシウスが閉じ込められていた。


「わしにもわからん。戦地で良民に狼藉を働いていたという身に覚えのない容疑で、この有様じゃ」


「護送中だぞ!容疑者にみだりに話しかけるな!」


護送の兵士達はクロエを押し除ける。

ゲインが唸ってパルチザンに手をかける。


「姉御、こいつらやっちまって先生を助けましょう」


「駄目!仮にも官命で逮捕された者を暴力で助けるなんて、朝廷に弓引くことになる!」


クロエが強い口調で止めるので、ゲインも仕方なく矛をおろした。


「知り合いに偉くなった人がいるわけだから、そういう伝を使ってみるのはどうだろう」


ユスフの冷静な意見に、まだ都に留まっている騎士ダモクレス改めダモクレス将軍の下を訪ねることとなった。

ダモクレス将軍はルシウスの逮捕を聞いて、ある人物への怒気をあらわにした。

彼はルシウスを陥れた人物を知っているのだと言う。


「ネグローニ将軍が上奏を行なったのは知っているか?私達が助けたことの口添えをしてくれたのだと思って、お礼を言おうとすら思って、調べたのだ。ところが、私や君たちのことは何も書いておらず、ルシウス殿のありもしない不始末についての告発文だったというではないか。きっと、助けた時の態度が気に食わず、陥れてやろうとの魂胆なのだろう。性格の捻じ曲がったやつめ」


ダモクレス将軍はルシウスの名誉回復のために動くことを約束してくれた。


 数週間後、恩師は解放されることとなった。

牢獄から出されたルシウスはしかし、変わり果てていた。


「ルシウス先生、脚が……脚が」


ルシウスはまともに歩行できなくなっていた。

彼は取り調べの際に石抱きをさせられて、足の骨がくだけてしまったのだ。


「なに、お前たちが名誉を回復してくれたのだから、こんな怪我は……」


ルシウスは激しく咳き込み、血を吐いた。

不衛生な牢獄で、肺を病んでしまったらしい。

クロエは懐から母に渡すはずだった万歳丹エリクサーを取り出し、ルシウスに飲ませた。


「おお、胸の痛みが嘘のようになくなったぞ。お前にはなんと礼をいっても足らんな」


「でも、脚は……」


万歳丹はほとんどの病に効くが、癌や怪我には効果がない。

飲ませたところで、彼の脚は元には戻らない。


「良いんだ。わしのやることは終わったということだ。わしは田舎に隠居するよ」


ふらふらと帰ろうとするルシウスを見かね、クロエ達はルシウスのために馬車を手配し、彼の故郷まで送り届けることにした。

馬車の中で横たわるルシウスを見て、クロエは涙をこぼした。


「なに、お前たちのような真っ直ぐな若者がいれば、世の中はきっと良くなる。後は頼んだぞ」


クロエがルシウスと会うことはこの後、二度となかった。

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