第1話 角帽党
後アルカディアの天啓元年、今から千二百年前のことである。
一人の少女があった。
少女らしからぬ長剣を履いているほかは、身なりはいたってみすぼらしい。
髪もばっさりと短くしているし、化粧もきわめて薄い。
しかし、その目には凛とした輝きを宿し、やや太い眉には意志の強さが、紅い唇にはやがて花開くであろう美が、柔和な表情にはその人格の根底にある優しさが見えた。
少女は目前を流れる大河、このメガラニカ大陸を貫く大河フリソスを眺めていた。
河の色は金色に近い黄色である。
かつて大戦争の末に黄金の嵐が吹き荒れ、ほとんどの文明は黄金色の砂に変わってしまった、その砂が沈殿したためにこんな色をしているのだ、と少女の母は語ったが、そんなおとぎ話を信じている人は稀である。
ただ、美しい、と少女は思った。
「おい、小娘。そんなところでぼうっとしてると浮浪罪でしょっぴくぞ」
少女が振り向くと、厳しい表情の兵士が二人、こちらを睨んでいた。
一人はクロエと同じ
「ああ、すいません。もうすぐ渡し場に行こうと思っていたんですけど、ここのが見晴らしがいいので。もう行きますね」
「氏名と出身を言え。警戒強化中だ。おまえが
指導者が魔道士で、信者たちが魔道士特有のとんがり帽子、すなわちエナンを被っていることから角帽党と呼ばれていた。
少女は人間の兵士の居丈高な態度に内心ムッとしたが、答えた。
「クロエ・ペルシカ。ペルシカ村の出身です」
「職業は?」
「お針子です。色々な人のところを渡り歩いて、針仕事をしています」
兵士は胡散臭そうに腰の剣を眺めた。
「おい、この物々しい剣はなんだ。ずいぶん豪奢な飾りがついているな?どこかで盗んだものじゃあないのか」
「これは物心つく前に亡くなった父の形見です。断じて盗んだものではありません。護身に持っているだけです」
決然とした態度に人間の兵士はやや気圧された。
落ち着いた表情のドワーフの兵士が問う。
「船を待っていると言ったね?その目的は」
「母のために
ドワーフの表情が和らいだ。
「確かに都からの、アムルタからの船ならば薬も積んでいるであろうの。して、御母堂は長く患っておられるのか。それに、あれを買うとなるとかなりの額が必要になると思うが、用立てられるのかね」
万歳丹はエルフ達の作る貴重な万能薬であるが、非常に値がはる。
「母はむかしは頑健そのものの人でしたのに、一昨年から臥せっております。早く良くなってほしいの。いかに値が張るといっても、今年の給料の大半を費やせば、買えないことはないと思ってます」
ドワーフ族の兵士は笑顔を見せる。
「今どき珍しい親孝行な娘さんじゃあないか。相棒、もう良いだろう。お嬢さん、行っていいぞ……」
「ありがとうございます!」
頭を下げて言うが早いか、クロエは駆け出した。
百米ほど先の渡し場に、都アムルタからの船が見えたからだ。
◇
「万歳丹!これで万歳丹ください!」
船の中の薬売りはクロエの差し出した巾着袋を改めると渋い顔をした。
「お嬢さん。これっぽっちじゃあ、万歳丹は売れないよ」
「そ、そんな。一粒でも何とかなりませんか」
薬売りはため息をつく。
「角帽党が暴れ始めて以来、船の旅も危険になった。輸送にも金がかかるんだ。残念だったな」
クロエはおもむろに剣に手をかける。
薬売りはヒッと引き攣った声を出す。
しかし、クロエが差し出したのは刃ではなく剣の柄に嵌められた、蛸のような紋様の描かれた青い宝珠であった。
「これもつけます!」
薬売りはためつすがめつその宝珠を見ていたが、ほうこれは、なかなか、などと独り言を言っていた。
「よし、なんであんたがこんな掘り出し物を持っていたのか気になるところだが、万歳丹を売ってあげよう」
薬売りは小さな陶器の壺を差し出した。
◇
旅籠に泊まっていたクロエがパチパチという音で目を覚ましたのは深夜のことだった。
「なんだ、この音」
二階の客室の窓を開けて、外を見ると、外の家々が紅蓮の炎に包まれている。
パチパチという音は家屋に火花の散る音であったのだ。
「逃げろぉー!角帽党が来たぞー!」
往来で叫んだ勇気ある男性が、背後から頭を割られて地に伏すのが見えた。
斧を手にした角帽教徒が、狂気じみた雄叫びを上げた。
「王冠から角帽に!王冠から角帽に!」
ザッザッという足音と共に、角帽を被った黒い影が炎の中にゆらめいた。
かつては智慧の象徴であった魔道士の角帽は、今や恐怖の象徴であった。
逃げなくては。
クロエは懐の万歳丹をぎゅっと握り、旅籠を飛び出した。
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