第2話 鰐人ゲイン
クロエは焼き討ちされた町を後にして、故郷へと急いだ。
途中で荒れ果てた教会を見つけたので、夜露をしのがせてもらうことにする。
石塔は倒れ、墓石は砕かれ、壁にも矢が刺さっている。
アザト神の像も横倒しになっていた。
白い壁に書かれた黒い「王冠から角帽に」の文字が、墨ではなく血で書かれたのが乾いたものだと気付いた時、クロエは慄然とした。
教会の軒下で剣を支えに寝ていると、何やら言い争う声が聞こえてきた。
「ここには何もありません。見ればわかるでしょう。既にあなた方の仲間が荒らしていった後だ」
「何もないということはなかろう。だいいち、お前は何を食って生きていたんだ?白をきらずに食糧を渡せ!」
この教会の住み込みとおぼしき老僧と、角帽教徒数人が言い争っている。
勝手に廃教会だと思っていたが、こんなボロボロになっても僧侶がいたとは。
角帽教徒はおおむね人間族であったが、荷物を担がされている一人だけは図体の大きい
老僧は懐から何やら黒いものを取り出した。
「ひっ、虫」
若い角帽教徒が飛び退いた。
「あなた方のお仲間はこの村にやってくるなり畑の麦を全て刈り取り、女をさらい、男は皆殺しにしてしまった。さあ、コオロギでもバッタでも持っていくがいい、さあ、さあ」
少し離れたところで壊れた墓石に腰掛けていた角帽教徒が、その腰をあげた。
男は髭を蓄え、法衣を身にまとい、その角帽には一つの目が描かれていた。
「食糧ならまだある」
男の不気味な声が響く。
「
角帽教徒には位階があって、なんの術も使えない一般信徒が
これらの上に君臨するのが、
エナンは元の名は違ったということだが、角帽党の名が広まると自身の名も角帽、すなわちエナンに変えていた。
「両脚の羊がおるぞ。痩せ細ってはいるが」
魔道は住職を指差した。
両脚羊、それは人肉の隠語であった。
飢饉の中で、陰で人肉を喰らうものがあることはクロエも知っていたが、それは知識として知っているに過ぎない。
心の臓がどくどくと脈打つ。
手下の魔卒たちも戸惑っていたが、覚悟を決めたのか、斧を振りかぶった。
「やめて!」
クロエは思わず剣を手に飛び出してしまった。
クロエの姿を見て、老僧はあっ、と驚きの声をあげた。
魔道はというと、にやりと笑う。
「おやおや、肉が増えたじゃないか。こちらのほうが余程美味そうだ」
魔道は杖を指して、魔卒たちをけしかける。
クロエは進んできた一人の腕に向かって、剣を振り下ろした。
魔卒の右手の手首から先がなくなり、鮮血がほとばしる。
「あ、あ、魔道さま!バガンさま」
魔道バガンは手を押さえて泣きついてくる魔卒を蹴飛ばした。
「ふん、止めに入るだけあって、腕に覚えがあるということか。
だが、これはどうかな。我この者を不可視の鎖にて封ず!パラライズチェーン!」
バガンの帽子の目が光り、閃光がほとばしる。
クロエの身体は急に自由が効かなくなり、麻痺したようになってしまった。
その場に固まるクロエの姿を、バガンは眺める。
胸や脚を舐め回すように見て、嫌らしい笑みを浮かべた。
「肉にするのは、楽しんでからでもいいかもな。よし、ゲイン。この女を裸に剥いてやれ」
ゲインと呼ばれたリザードマンは長い鰐顔から涎を滴らせて近づいてくる。
リザードマンはしかし、クロエの前で仲間の角帽教徒に向き直ると、長い尻尾を振ってバガンの帽子を叩き落とした。
「お姐ちゃん、助太刀するぜ!さあ、鬼畜魔道士どもめ!この
「ゲイン、きさま血迷ったか」
「血迷ってるのはお前らだ、この
「あれ?動ける」
クロエは麻痺が解けたことに気づいて、剣を構え直した。
しかし、その必要はなかった。
槍を持った蜥蜴人が凄まじい勢いで、魔卒達を薙ぎ倒したからである。
「ああ、帽子、帽子」
バガンは地に落ちた帽子を拾おうとしたが、蜥蜴人はへし折れた槍の柄でバガンの首筋を突き刺した。
首を押さえてバガンは絶叫し、そのまま倒れて息絶えた。
潜入する必要……あったのかな、とクロエは思った。
◇
クロエは、リザードマンのゲインとともにうずくまっていた老僧を介抱する。
老僧はクロエを指差した。
「あなただ。あなたこそ、選ばれし者」
「へ?」
「あなたはこの荒れ果てし世界に王道を開くために天より遣わされた者です」
ゲインがかっかと笑う。
「坊さん、恐ろしい目にあったから、少しおかしくなっちまったんだな。かわいそうに」
「そうではない」
老僧はクロエに顔を近づける。
「あなたには貴い血が流れている。その血は民を救うために使われるべきものです。あなたのその剣は、王者の剣。邪智暴虐の徒を討つために振るわれるべきものです」
「私はただのお針子で、母も庶民ですよ」
「それは何かの間違いだ。私には見える」
そんな馬鹿な、と言いかけてやめる。
老僧はその潰れた目から涙を流した。
「
◇
ひたすらクロエのことを拝む老僧に別れを告げて、二人は出立する。
進む方向が同じであったので、一緒に行くことにしたのだ。
蜥蜴人のゲインは背中に沙汰袋を背負う。
中には角帽教徒の角帽が入っている。
ゲインは賞金稼ぎを生業としており、役所にこの角帽を証拠として持っていくといくらかの賞金をもらえるのだと言う。
「まさか、お姐ちゃんが隣村のひとだとはねえ。剣はどこで習ったんだ?中々の太刀筋だったが」
「母に習ったの。今はすっかり弱ってしまったけど、昔はすごい身のこなしだったのよ。ただの農家の女性とは思えないくらい」
ゲインは鼻というか口というかをポリポリとかく。
「ふーん?そいつはすごいけど……」
すごいけど、それは本当にただの農家の女なのだろうか。
ゲインは疑問に思ったが、それはクロエの故郷を訪れたらハッキリするだろう、ということで足を進めるのであった。
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