第16話 選択肢

 私は宰相ネグローニの急使である、妨げればどんな目に遭わされるかわからないぞ、と各地の関所の門番を脅して逃避行を続けるゼノンであったが、遂にある関所で先に指名手配の触れが届いており、お縄となってしまった。


「このテオドロスが恩賞を手にしたあかつきには、みんなにもうんと賞与を弾んでやる。前祝いだ、飲もう」


関所の尉であるテオドロスは部下たちを集めて大いに宴会を始めた。

その夜、縛られているゼノンの耳元で囁く声があった。


「ゼノン殿、逃げましょう。番兵たちは酔い潰れています。私はこの関所の隊長、テオドロスです」


「願ってもないことだが、何の得があって、このような事をするのかね」


「損得ではありません。私は宰相ネグローニの振る舞いを聞いて、怒りを覚えておりました。ですから、ネグローニを討とうと志を立てたあなたを逃がそうと思うのです。私も当然罪に問われますから、同行します」


こうして二人は関所を後にした。


 「テオドロスよ、この先に我が父の恩を受けた郷士のランブロスが住んでいる。一夜の宿を求めたいと思うが、どうか」


テオドロスはその人物を信用できるのか、と疑念を口にしたが、結局は他に当てもないので行くこととなった。

ランブロスの屋敷に着くと、彼はゼノンが追われていることを知っていたが、匿ってくれるという。


「ここでゼノンの若旦那を売るようじゃあ、男がすたるってもんよ。俺は晩酌の酒を買ってくるから、好きにくつろいでてくれ」


二人を客間に通して、ランブロスは出かけていった。

安心していた二人だったが、台所のほうからなにやら刃物を研ぐような音が聞こえたため、再び気を張り詰めて耳をすます。


「……暴れられると厄介だ……手足を縛って」


「……一息に喉元を……仕留めないと……」


ゼノンはテオドロスに小声で囁く。


「ははぁ、君の懸念が的中したよ。ランブロスはあんなことを言っておきながら、私たちを殺すつもりなんだ」


「しかし、証拠もなくそう決めつけるのは」


「殺るか殺られるかだ。躊躇している時間はないぞ」


ゼノンの合図で二人は台所に乱入し、ランブロスの家人たちを次々に血祭りにあげた。

ところが、台所の奥には手脚を縛られた豚が転がっていた。

テオドロスは青ざめる。


「しまった。さっきの会話は、この豚の話だったのか。我々は早合点をして、とんでもないことをしてしまった」


ゼノンは平然と返す。


「ま、やってしまったものは仕方ないさ。ひとまず死体を隠そう」


 死体を隠した二人はランブロスの屋敷を後にした。

しかし、二人は酒を買い込んだランブロスと橋の袂で鉢合わせしてしまった。


「もう出発するというのか。なにかあったのかい」


「こんなことがあったんだよ」


ゼノンは短剣を抜き放つとランブロスの心臓を一突きにした。

悲鳴をあげる間も無くランブロスは絶命し、その場に崩れ落ちた。


「な、なんてことを!」


「ここで鉢合わせたのは幸運だった。コイツが家に帰って死体を見つけたら流石に役所に訴え出るだろう」


ゼノンは胸の短剣を抜くと死体を引きずって川に投げ入れた。


「ゼノン将軍、あなたはどうかしている。こんな事はまともな人間の所業ではない」


「ふん。私は何か問題に突き当たったとき、まともな人間とやらが躊躇するような選択肢、殺すとか排除するといった選択肢を、平常心で選ぶことができる。普通の人間よりも行動の自由が広いのだ」


テオドロスは憤然として言った。


「私は着いていく人を誤ったようだ。役場には言わないが、ここでお別れです。あなたは天に背いている。上天のアザト神は必ずや、あなたを滅ぼすだろう」


そう言って踵を返すテオドロスの背中に、熱い衝撃が走った。


「滅ぼされるものか。俺が天に背いても、天が俺に背くことは許さん」


テオドロスの背中に短剣が刺さっていた。

テオドロスは薄れゆく意識の中で、このまま倒れたらこの悪鬼のような男に応報できない、という事だけが強く燃え上がった。

テオドロスは派手に悶え苦しむ演技をして、橋から川へと自ら落ちた。


こうして多くの屍を築きながら自らの郷里に辿り着いたゼノンは、各地の騎士に檄文を発して反ネグローニ連合を集めたのである。

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