第13話 親子
立ち並ぶ尖塔も、モザイク壁画に彩られた大聖堂も、金縷に煌めく宮殿も変わらない。
それでも、充満した臭いは、死の臭いだけは覆い隠すことが出来なかった。
「どうしたんだね、諸君。フォークが進んでいないようじゃあないか」
ネグローニの乾いた声が響く。
大広間に広げられた宴の席には、贅を尽くした豪華な料理が並ぶ。
しかし、それらを楽しむことができるものはいない。
圧倒的な恐怖を放つ主菜のために。
「食べてあげないと可哀想じゃあないか。みんな、友達だったんだろ」
「ロースト!ロースト!」
「丸焼き!丸焼きぃ!」
ネグローニの道化役をつとめる二人のマスコット族、バクシーとルコックが寄木細工の床の上で笑い転げる。
長机の中心には、中年男性の丸焼きが乗せられていた。
苦悶の表情を浮かべたまま絶命した哀れな男は、肛門から巨大な鉄の串を刺されて、直火で焼かれたようだ。
悪鬼のような兵士を引き連れて宮中にやってきたネグローニは、抵抗するミハエル将軍と武力衝突し、宮殿から追い出すことに成功した。
続いてゾエ皇后とマヌエル皇子を幽閉し、二人は三日とたたぬうちに死体となった。
ヨハネス皇子を伴って現れたネグローニは、ゾエとマヌエルが宮殿の窓から落下して不慮の死を遂げたと述べ、ヨハネスの皇帝即位と自身の
多くの廷臣達が勇気を振り絞ってネグローニを糾弾したが、その全てが残忍な方法で殺害されるか、よくて腕や脚を失った。
ネグローニは新帝ヨハネスが蒼い顔をしてちょこんと座る玉座の横に、玉座よりも遥かに大きな純金の椅子をしつらえて座っている。
その左右には後宮の女官達が首輪だけをつけた赤裸の姿で侍っていた。
彼女達は衆目に晒されて辱められた後、
おし黙る廷臣達の中から、一人の小柄な男が立ち上がった。
「このような無法が許されるものか!逆賊ネグローニめ、このオイゲンがお前を討つ」
オイゲン将軍は西方軍管区の一つ「テマ・バイアクヘー」長官である。
「ほう、どうやって?」
ネグローニが指を鳴らすと、固く閉められた大広間の扉が轟音とともに打ち破られた。
煙の中に、身の丈八尺はあろうかという女戦士が、巨大なハルバードを手にして仁王立ちしている。
やや丸い顔に大きな目、整った目鼻立ち、ぽってりとした唇。
美女と言っても過言ではないが、異様な背の高さの印象が強すぎる。
まるで下着のように露出の激しい鎧も、六つに割れた腹筋や鍛え抜いた大腿筋、上腕二頭筋に目がいくので、あまり淫靡な印象はなかった。
「ジナイーダ、推参!」
廷臣達がざわめく。
「“鬼殺し"のジナイーダだ」
「都に戻ってきていたのか」
オイゲンの養女ジナイーダは、女性ながら剛力無双の戦士として知られていた。
“鬼殺し"の異名は西方に出現した
オーク兵達が剣を手に飛びかかり、一人の剣がジナイーダの腹を斬りつけた。
しかし、
ネグローニは身を乗り出して笑った。
「
ジナイーダはハルバードをぶん回すと、オーク達は挽肉のようになって潰れた。
一人の廷臣の頭も巻き込まれて打ち飛ばされてしまったが、ジナイーダは気にする風でもない。
「さあ行け、我が娘よ。逆賊を討ち取るのだ」
ハルバードを手に大股で近づくジナイーダに、ネグローニは言った。
「お前のようなやつを待っていた」
ぴたりとジナイーダの足が止まった。
「どういう意味?」
「な、何をやっているジナイーダ!はやくやってしまえ」
オイゲンは急に始まった問答を打ち切ろうと必死だ。
「そんなくだらぬ小物の手下はやめて、私の右腕になれ」
「へぇ。あたしがアンタの味方になったらさ、なにかくれるわけ?」
ネグローニは椅子から降り立った。
「世界の半分を、お前にくれてやる」
ジナイーダはしばらく黙っていたが、おもむろに振り返った。
「ごめんなさいね、こっちのが面白そう」
「ちょ、ちょ、何を言っているのだ?!ジナイーダ」
ジナイーダはクルクルとハルバードを回すと、自身の養父であるオイゲンの頭を打ち飛ばした。
そして、ネグローニの前にひざまずいた。
「宰相ネグローニは皇帝ヨハネスの名において、ジナイーダを
ヨハネスは目の前で起きた惨劇に吐き気を堪えるのが、やっとの様子だった。
「汝のよきようにせよ。もう、朕は室で休む」
皇帝が退室すると、ネグローニも人払いをして、大広間は兵士達によって封鎖されてしまった。
廷臣達は、陰鬱な面持ちで円柱の立ち並ぶ回廊をとぼとぼと歩いていく。
廷臣の筆頭であるオーウェンは暗澹たる気持ちで呟いた。
「あんな怪物じみた女がネグローニの護衛についてしまったら、誅殺の機会などもはやない」
「そうお気を落とさずに。暴力装置というものは、えてして暴発するものですよ」
そう言いながら去っていくのはゼノン将軍であった。
ゼノンは逃亡したミハエル将軍とは行動をともにせず、ちゃっかりとネグローニの部下に収まっていた。
この狐も信用ならん、とオーウェンは鼻を鳴らした。
宮殿を出ると、そこには胸元を大きく開いた煌びやかな着物の男がオーウェンの馬車に寄りかかって待っていた。
「浮かない顔だね、父さん」
「そのだらしない着物はなんだ、モルフェウス。また、女のところをほっつきまわっていたのか」
モルフェウスと呼ばれた男は髪をかきあげた。
亜麻色の髪が陽光に透き通る。
肌白く、目鼻立ちはまるで大理石の彫刻のようで、造物主が本当にいるとしたらきっと彼の自信作であろうというほどの美男子だ。
「人聞きが悪いなあ。俺はご婦人方の心の隙間をお埋めしてさしあげていただけさ」
「お前のような遊び人が跡取りで、私の心の隙間は広がるばかりだよ」
「そう言わないで、父さん。俺の顔が役に立つときだって、あるかもよ」
モルフェウスは父オーウェンの手を取って馬車に乗せる。
新たな火種を乗せて、馬車は石畳の上を走り出した。
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