第12話 宮中騒乱

 クロエと九頭竜騎士団が傭兵に身をやつしていた期間、帝都アムルタでは何が起こっていたか。

発端は、第十二代皇帝スカラバエウス・アルカディウスの容体が急変した事にあった。

皇帝の病床を見舞うのは皇后ゾエとその兄で大将軍メガス・ストラテゴスのポドロモスであった。


「朕はもう長くない。立太子の件であるが」


皇后ゾエは身を乗り出した。


「陛下とわたくしの愛の結晶であるマヌエルですね」


「そのことであるがな……」


ポドロモス大将軍も、口籠る皇帝の手を握って迫る。


「陛下、ご聖断を!長子相続こそが帝国の伝統でございますぞ」


その勢いに気圧されたのか、皇帝は顔を背けて咳き込み始めた。

帷の奥から生きた影のように這い出してきた一団が、寝台と見舞客を取り囲む。


「陛下が嫌がっておられます。どうか御引き取りを」


長い耳に引っ詰めた亜麻色の髪、抜けるように白い肌、中性的な尖った顔には黒目ばかりの目が光る。

美しくも、どこか不気味な、人ならざる者。

皇帝の身の回りの世話をする七人のエルフであった。

この七人は衛星のように常に皇帝の周囲に侍って隠然たる権力を振るうことから、七星官アルクトスと呼ばれ、恐れられていた。


「この大事なときに何を……」


「たとえ大将軍閣下でも、陛下の御意志に逆らうことはまかりなりません」


エルフ達は腰の刀をかちゃりと鳴らす。

宮中で唯一帯剣を許されているのも、エルフの特権である。

エルフ達は強引に大将軍と皇后を摘み出し、扉をしめてしまった。


「ああ、おいたわしや、陛下」


「陛下のお望みを叶えるのが私共の役目」


エルフの一人が皇帝の耳元で囁いた。


「陛下はマヌエルさまよりも、ヨハネス様を愛していらっしゃいますね」


スカラバエウス帝には二人の皇子がいたが、皇后ゾエとの間に生まれた長男マヌエル皇子は茫洋とした性格である一方、第二后妃マリアとの間に生まれた次男ヨハネス皇子が利発なことから、次第にその愛情はヨハネス皇子に向かうところとなっていた。

皇后ゾエは危機感を感じて第二后妃マリアを密かに毒殺したが、母を失った次男に対して皇帝は憐憫の情を感じるようになり、このことはゾエの狙いとは逆効果となった。


「おお、ニコ。そちは朕のことをわかってくれるか」


「わかりますとも。私たちは陛下の影。影は常に陛下を後ろから見守っているのです」


「そちは朕の望みをかなえられるか」


エルフはころころと少女のような高い声で笑った。


「もちろんですとも。それでは、まず邪魔者を消してしまいましょう」


 「先日参ったばかりなのにまたお召しとは、いよいよ危ないのか」


至急参内せよ、との勅命を受けたポドロモス大将軍は素朴にそう考えて支度を始めた。


「いやいや、閣下。これはエルフ共の罠ですぞ。乗ってはなりません」


押しとどめるのは、大将軍が最も信頼を寄せる部下のミハエル将軍であった。

ミハエル・アンゲロプロスは名門出身の貴族で、文武両道の貴公子と評判の人物であった。

まずまずの美男子であるが、筋骨たくましく、顎が割れていた。


「しかし、勅命であるぞ?無視するわけにも……」


「私に考えがございます。どうかお任せを」


ミハエル将軍が胸を張る。

ポドロモス大将軍は元はと言えば肉屋に過ぎず、たまたま妹ゾエが美女で後宮入りしたために大出世した人物である。

故に政治や軍事にこれといった定見というものがないので、こう言われれば部下に全てを任せてしまう。

部下からすれば転がしやすく、軍内では肉屋だ屠殺人だと影で嗤う者もないではなかったが、その人気はそう低いものでもなかった。

果たしてポドロモスが参内すると七星官の一人であるエルフのニコが宮殿の前で出迎えた。


「勅命に従って参った、陛下に御目通りを」


「その必要はない。陛下はあなたに会いたくないと仰せです。これから、ずっと、ね」


ニコは腰の刀に手をかけた。


「放てッ!大将軍閣下をお守りせよ」


ミハエル将軍の声とともに矢が四方八方から飛び、ニコの身体を貫いた。

あらかじめ大門の外に兵士を伏せていたのである。

自然寿命が人間族の倍以上で平均二百歳まで生きるエルフ族は、しかしながら外傷に対する抵抗力は人間族と変わらない。

剣山のようになったニコはその場で絶命した。

内宮への門はいつの間にやら固く閉じられ、兵士達はその先に侵入することは出来なかった。


 「もう、我慢ならん!あの能面どもめを皆殺しにしてくれる」


怒気を露わにするポドロモス大将軍であったが、宮中に軍を進めるのは諸将にも抵抗があった。


「害毒を撒き散らすエルフ共を誅滅なさるのはまことに結構。しかしながら、謀事に長けた彼らを討つには慎重をきさねばなりません。でなければ、返ってポドロモス閣下の身に危険が及びますぞ」


そう言ったのはクロエ達と共に戦ったこともあるゼノン将軍だった。


「ゼノン、確か貴様はエルフの養孫であったな。そんな事を言って、エルフの肩を持とうという腹づもりではあるまいな」


猜疑の目を向けるポドロモスの前に、ミハエル将軍が進み出た。


「この男はそんな悪辣な者ではありません。親友であるこの私が保証します。こいつはただただ臆病なだけです。な、ゼノン、そうだろ」


ゼノンの顔は一瞬引き攣ったが、気付いた者はいなかった。


「ええ、宮中に軍を進めるという大事に、二の足を踏みました。お許しを」


「ふん、新顔が出しゃばるな。下がっておれ」


ミハエルはゼノンを押し除けると、いかにも自信たっぷりに策を開陳した。


「四方に檄を飛ばし、エルフ討滅の軍を集めるのです!そして一気に宮殿を占拠し、皇帝陛下をエルフ共の手から救い出しましょう!」


この策を聞いてゼノンは顎が外れそうになった。

慎重に事を進めて七星官を暗殺すれば済む話なのに、謀を漏らして話を大きくしてどうする。


「おお、それだ!それで行こう!」


駄目だこいつら、とゼノンは思ったが、早くなんとかしないと、という気持ちにはならなかった。

こいつらが下手を打ったとき、その時にこそ浮かぶ瀬があるのだ。


 「この度のことはニコが独断で行ったこと。我々が皇后陛下の兄上を害そうなどと、そんな大それたことを考えようはずもありません。どうか我らを憐れんで、陛下からとりなしてくださいまし」


残りは六人になった七星官のエルフ達は、皇后ゾエの寝室に伏して助けを乞うていた。

エルフ達は性別がなく、子供を成す心配がないことから後宮にも広く仕えていた。

皇后ゾエにしてみれば可愛い召使いであるから、憐憫の情もわく。


「それで、どうしたらいいのだえ?」


「兄上をこちらに呼び出してくださいまし。あとはこちらでよきようにはからいますゆえ」


エルフ達は皇后の室から退出すると、またひそひそと囁きはじめた。


「これで肉屋はおわりです」


「おわりです。おわりです」


コロコロと笑い声が響く。


「でも、軍はどうするの。続々と都に向かってきてる」


「大丈夫。角帽党が掃討されてから、ずっと近くに残っていたやつを味方につけた」


「あの、北の将軍?大丈夫なの、豺狼さいろうのような男だと聞くけど」


「貪欲な者は報酬で釣れる。正義漢より、返って扱いやすい」


「それもそうね」


「そうねそうね」


 檄を読んだ各地の将軍達が都に向かってくる中、遂にスカラバエウス帝が崩御した。

まだ三十歳の若さであった。

ミハエルは鼻息荒く言う。


「今こそ、宮中に進んで奸臣たる七星官を討ち、マヌエル皇子を推戴するときです」


しかし、この一挙にポドロモス大将軍は躊躇した。

市井の肉屋から成り上がったこの男は、大将軍などと名乗っていても結局は気のいい肉屋に過ぎないのである。


「ま、まて。皇后と、妹とも相談しなければな。今後のことを話したいと呼ばれているのだ」


こうして、皇后の室に向かったポドロモス大将軍はその途中でエルフ達の待ち伏せにあい、文字通りバラバラに切り刻まれてしまった。

ミハエルは上司の無惨な最期を聞いて、いよいよいきりたった。


「私はやるぞ、ゼノン。エルフ達を皆殺しにして、このミハエル・アンゲロプロスが大将軍となるのだ。協力すれば、財務長官くらいには取り立ててやる。親友だからな」


悪気なくそう言うミハエルにゼノンは笑いかける。


「ありがとう。期待してるよ、心の友」


ミハエルの率いる郎党はたちまち宮中に押し入って、目につくエルフを片っ端から斬り殺した。

そうしてスカラバエウス帝の棺とおろおろしている皇后を見つけたものの、七星官はおろか、肝心要の二人の皇子の姿もないのであった。


 ミハエルの宮中襲撃が不発に終わる中、都アムルタの門を打ち破って侵入する軍があった。

黒い鎧のその軍の兵士達は、みな顔を黒い布で覆っていた。

旗も黒く、白抜きで山羊の髑髏が描かれていた。

それは、北方で信仰されるシュブ・ニグラスの紋章であった。

不安に怯える住民達が建物の陰から様子を伺う。

種々の宝石に彩られた黄金の馬車と、鹿の引く数台の銀の馬車がその軍に向かっていく。

銀の馬車から降りたのは七星官であった。

彼らは黄金の馬車から、皇子二人を下ろし、軍団を指揮する将軍に向かっていく。

その将軍は燃えるように赤い肌の見事な馬に跨っていた。


「テマ・ニグラス長官、ネグローニ将軍よ。ご苦労であった。私は皇室に仕える七星官のひとり……」


ネグローニ将軍は七星官の名乗りを聞かずに抜剣すると、その首をはねとばした。

ネグローニがさっと手を掲げると、一斉に兵士達が顔を覆う布切れを剥ぎ取った。

その口は耳まで裂けていた。

七星官達は驚きの声をあげた。


小鬼ゴブリンではないか!いや、ゴブリンというよりも」


「そう、ゴブリンのように矮小な、ひねこびた生き物ではない。これは悪鬼オークだ。古代にこの地上を荒らしまわった雄々しき種族さ。人間の女をゴブリンに犯させることで、再現に成功した」


解説を終えるとネグローニは手を振り下ろす。

オークと呼ばれた兵士達は一斉にエルフに飛びかかり、たちまち彼らをずたずたに引き裂くと、その血に、肉に食らいつき、骨をしゃぶり始めた。


「さて、俺の陛下はどっちかな?」


ネグローニが二人の皇子を見遣ると、ヨハネス皇子が鼻水を垂らして震える兄のマヌエル皇子の前にさっと進み出て、通せんぼのような格好をする。


「さがれ下郎!兄上に近づくな!」


ネグローニはヨハネスの顔を指指す。


「君に決めた」

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